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『ふつうの相談』評―あるいは、東畑開人の仕事について


まえがき

 以下の文書は、東畑開人(著)『ふつうの相談』の書評です。師匠から、臨床心理学iNEXTの方に東畑さんの新刊の書評を書いてくれと言われたのですが… 断れるはずもないので書いてみたらとてもじゃないが依頼の文字数におさまるわけもなく、そんな短い分量じゃ入り切らないでしょ、ということで、こちらにフルバージョンを掲載しました。 一般的な書評のように、内容の要約のようなものはつけていません。内容が知りたいという方は是非、手にとってご自身で内容を確認して下さい。そして、その上でやいのやいの言いましょう。では、どうぞ。

本書の主張と本書への賛辞

 この10年ほどの東畑さんの仕事を追っている人間であれば、このような本ができあがった経緯、そしてその必然性は読まずとも理解できるだろう。この10年ほどの間に彼が見せている(見せ続けている)キラメキについては改めてここで紹介するまでもない。彼は、近年において、最も臨床心理学/心理臨床学に真摯に向き合い、学問の形を模索した人間だと言っていい(臨床に向き合っている人は多くとも、学問の形にわざわざこだわるような人間はそう多くはない)。その結晶としてできたのが本書であり、本書は、臨床心理学コミュニティの統合のために書かれた書籍である(P148~149の補足にこのことは書かれている)。そしてそれは、当然のことながら、下山晴彦が河合隼雄に叩きつけた挑戦状のアップデートを試みることを意味する。※1)

 本書の主要な主張は、臨床心理学コミュニティに属する人間が行う臨床が(実際には、臨床心理学コミュニティのみならず、対人支援に関わる「臨床」をしている人間の活動全般に関わるものであるが)、世間知を基礎としながら、現場知、学派知によって構成されるものであり、臨床学としてとらえることができるというものである(P146, 図8, ふつうの相談の地球儀参照)。このように考えることで、様々な心理療法の学派間の対立や臨床心理士の枠組みと公認心理師の枠組みの相違を越えて、臨床心理学コミュニティが(あるいは、臨床に関わる全ての人々が)団結し、健全な議論をすることを促すことが想定されている。この秀逸な「現実」の観察結果は、彼のサブ・スペシャリティとも言うべき人類学的な知恵とセンスが土台にあるものであり、この現状の観察結果に抗うのは(「現状はこのようになっていない」と言うことは)、大変に難しいことであろう。

 さて、天邪鬼な私は(どうせ絶賛のレビューが溢れかえることは目に見えていて絶賛するだけだとつまらないので)、彼のこの仕事に対して、最大限のリスペクトをもって(主観的には、建設的に)批判を行いたいと思う。批判という行為は、批判の対象をある領域における重要文献だと認めるが故に行うものである。どうでもいい文献に対しては、わざわざ労力を割いて批判的な文章を書く必要はないからである(どうせ消えていくし…)。

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