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VRChatに自己防衛もなにもないから責任を背負って遊べ

はじめに

 本noteでは、一部で話題になっていた「15分でわかる!VRC自己防衛」というワールドに関する評価から始め、VRChat内での「自由」と「責任」について考察していく。結論から先に述べておけば、VRChatはリアルワールドと同様に「自由」に「責任」伴う場であること、当該ワールド作者の態度が卑怯だということになる。

 以下ではVRChat、場合によっては今後のメタバース空間における「自由」と「責任」に関する考察と、作者のスタンスに対する批判をまとめていく。

 なお、VRChatを中心とするメタバース空間を本noteでは「サイバーワールド」、いわゆる現実空間を「リアルワールド」と呼称する。
また、全体的に長文のため、各章ごとに「本章のまとめ」を記載しているので、とりあえずそこだけみれば成立するようになっている。

1、当該ワールド及び作者の主張

 まずは当該ワールドと作者の主張を整理する。当該ワールドは「VRChat初心者の自己防衛」を謳っており、「闇堕ち」ユーザーから初心者を守り、「闇堕ち」を防ぐ必要があるという趣旨が基本である。ここでの「闇堕ち」とは「メス堕ちする(男性が女性化)、リアルで女装するようになる、VR感度開発をするようになる、常に病んでいる」ことと定義されており、こうした「闇堕ち」ユーザーは最終的に「性的要素の強い不健全なワールドを利用するようになる」と定義されている。
 そして、当該ワールド作者は、「闇堕ち」は、一度してしまえば元には戻れず、最悪の場合現実世界にも影響するため、初心者を積極的に「闇堕ち」に導こうとするユーザーを悪質と定義し、またそうした悪質なユーザーを擁護するユーザーも同様に悪質であるとする。

 また、「闇堕ち」ユーザーに狙われやすい人の例として「おとなしい、はっきりと意見が言えない、優しい、話し方や動きがかわいい、美少女アバターを使用している、VisitorやNewUserなど初心者、PC勢、フルトラ、マイク使用者、ログイン率が高い」を例として挙げている。
 
当該ワールド作者によれば「闇堕ち」ユーザーはこうした人々を狙い、アバターに触れてきたり、耳元で囁いたり、不安を取り除くような言葉でだましたりと「あの手この手を使って、あなたを闇の世界へ引きずり込もうとします」と警告する。

 その上で何かよくないトラブルに巻き込まれたらすぐに逃げる、ブロックするなどの対処が必要だと主張する。そして、こうしたトラブルに巻き込まれないために「深く関わらないほうがよい人の例」を挙げ、「プロフィールに「女装しています」や性的なワードを組み込んでいる人、アバターが「性癖丸出し・露出が多い」人、フレンド数が異常に多い、非日本語話者が何人もいる、下ネタ発言をする、不健全なイベントやワールドに出没する」などの例をあげている。

 そして、こうした「闇堕ち」ユーザーが出現するワールドの代表として計8個のイベント、ワールドを名指しで紹介する。以上のような構成になっているのが「15分でわかる!VRC自己防衛」(削除済み。この部分のまとめには、当該ワールド作者のなりすましが貼り付けている写真及び筆者自身が撮影した画像を利用)の概要である。

 当該ワールド作者はTwitterにてこのワールドを作成した理由を簡単に説明しており、VRChat内にて急に気持ち悪い声を聞かされたなどのセクハラ被害報告の現状を鑑み、「強い気持ちで伝えるために」あえて強い文言を使ったとする。また、主観だけで作成したワールドであり、そこに文句を言われる筋合いはないこと、VRChat内では厳しい基準でフレンドを選別する必要があり、それは「心を綺麗に保つ」ために必要な事であるとする。

 以上が今回、数日間にわたり少しずつ延焼を広げているワールド問題についての概要である。

まとめ
性的な話題を頻繁に持ち出す「闇堕ち」ユーザーから初心者を守るため、そうしたユーザーをさけ、「闇堕ち」ユーザーが行くべきではない「闇堕ち」ワールド・イベントを紹介するのが「VRChat初心者の自己防衛」である。

2、作者の主張に対する部分的評価と反論

 さて、上述のような思想に基づくワールド作成、それに付随する炎上、というより議論の数々であるが、当然ながら賛否両論がある。それは様々な要因に基づくが、ひとまず当該ワールド作者の主張として正当であると評価できる部分を整理してみたい。

 まずなんといっても「突然の下ネタやセクハラはよくない。否定されるべき」ということは当然、正しい主張である。これを否定するユーザーはおよそ現れないだろう。リアルワールドでもセクハラに対する審判はかなり厳しくなっており、VRChatは物理的接触がない分コンタクトが行われる傾向があるため、人一倍敏感にセクハラにならないか、気を付ける必要があるだろう。
 VRChat内では頭をなでることがリアルワールドでの握手程度の簡易なコミュニケーションとして捉えられている部分があるが、よく考えてみれば、いやよく考えなくても「頭をなでる」という行為は相当親密でなくてはやらない行為であり、これをあいさつ代わりと考えるのは危険である。
 他にも、適切ではない場所であまりに露出度が高い衣装を着ることも同様にセクハラになる。少なくともfriend+以上で露出度が高い衣装を着るべきではないと筆者も考えている。
 そのような意識を共有するためにfriendは厳しく選ぶべき、という主張も、筆者の主張とは正反対ではあるが理解は可能である。厳しく選別した数名のフレンドが居れば、それはそれで安全で安心なVRChatを楽しむことはできるだろう。
 また、当該ワールドに対する批判として挙げられていた「主観でしかない」も問題ないと思われる。なぜなら、ワールドの良しあし、イベントの良しあしは明らかな規約違反や法律違反を除けば結局のところ主観でしかないからである。むしろそれ以外の客観的な善悪の基準が存在しない。
 以上が評価できる主張である。

 そして、これ以外の部分ではおよそあらゆる部分が批判されるべきである。まず、「闇堕ち」ユーザーの定義があまりにも恣意的であり、仮にも「初心者向け」を語るには不適切である。上述の通り基本的には規約違反・法令違反のユーザーは「悪」であり、それ以外には善悪の判断基準が存在しないため、性的であることを直線的に「闇」とすることは説得力に欠けている。
 次に、「闇落ちユーザー」は性的要素の強いワールドに行くようになり、それは以下の通りであるといって具体的なワールドやイベントを名指しで晒したことに問題がある。恐らく、ここが一番炎上しているポイントであろう。
 
これらのワールドのユーザーはいきなり「闇落ち」と言われたことにより当然の反発を受けるし、その反発に対し作者は「闇落ちユーザー」だから文句を言ってくる、論外であるとの立場を堅持している。いきなり「あいつらは悪いやつだ」と名指しされてそれを受け入れるような人物がどこにいるのか。しかも前述の通り説得力に欠ける恣意的な基準に拠っての名指しである。反発は必定であろう。当該ワールド作者からしてみればそれも織り込み済みのようではあるが。

 加えて、アバターの姿形により一方的に「闇落ちユーザー」と定義される構造が非常におかしい。露出が多いということであればわかるが、「性癖丸出し」という曖昧かつ基準が明示的でないものをどう初心者に理解せよというのか。加えていえば、アバターは自己表現の一環であり、よほどのことがない限り「闇」や「悪」のように評価するべきではないと筆者は考えている。

 最後に「フレンド数が多い」のはなぜ危険なのか理解に苦しむ。察するにフレンド+のインスタンスを建てた際に「闇落ちユーザー」が入り込むことを警戒しているのだと思われるが、それならばフレンドonlyで立てればいいだけであるし、むしろフレンド交換は「名刺交換」とまで言われている現状において、フレンド数が異常に少ないユーザーの方が危険な印象をもつのではないか。
 付け加えるならば、「非日本語話者のフレンドが多い」に至っては単純な外国人差別であり、「差別・ヘイトを許さない」というVRChatの規約に違反しているだろう。どれだけ傲慢な日本語話者なのだろうか。

 前述のように、客観的でないことに問題はないが、あまりにも善悪の判断基準が明瞭でないものを恣意的に区分している点、さらにそうした独自基準を「初心者向け」として例示している点に問題がある。

こうした評価と批判点が存在するが、筆者が最も問題だと考えている部分は、当該ワールド作者は初心者の主体性を無視し、「自由」を阻害しているという点である。これについて、以下に整理していく。

まとめ
当該ワールド作者の主張は「セクハラはよくない」のように肯定的に評価できる点も見られるが、あまりにも恣意的な主張が論拠もなく述べられており、問題が多い。少なくとも「初心者向け」といって提示すべきないようではない。

3、サイバーワールドの表通りと裏通りの区分け

 さて、ここからが本題となる。大上段に構えた発言となるが、「自由」とはなんだろうか。筆者は「何でもしていいが、何をされても仕方がない状態」としておこう。いわゆる『万人の万人に対する闘争』の状態である。

 この定義からすれば、酷い言い方と捉えられるかもしれないが、リアルワールドにせよサイバーワールドにせよ、「自由」には危険がつきものだ。
 
全てが管理監督された地域で遊んでいれば、コミュニケーションを取っていれば確かに安全ではある。しかし、「危険な場所がある」ことを知り「危険な場所に行く」という選択肢を行使する、そしてその責任を自分で負うことが「自由」である。

 それでは、当該ワールド作者のスタンスをいまいちど確認してみよう。「闇落ちユーザー」とフレンドにならない、「闇落ちユーザー」にならない、「闇落ちユーザー」が使うワールドに行かない、といった主張からわかるように、しかも「初心者向け」と主張していることからわかるように、初心者に対して最初から一定の選択肢を排除する方向に向かっていることがわかる。
 当該ワールド作者が個人的に「自由」を制限するならばそれを否定はできないし、Twitterや、まさにこのnoteのように主張するならば問題はないだろうが、「初心者向け」という点が非常に悪質である。何もわからない初心者を自身の持つ思想に染め上げ、「自由」を制約しようとしているといえてしまうのである。

 勿論、当該ワールド作者の主張する「闇落ちユーザー」にはならない方がいいという人もいるかもしれない。しかしそれはユーザー自身が判断することであり、判断の機会さえ与えないことは、初心者のVRChatでの活動を阻害するものである。

 また、当該ワールド作者の主張するように、初心者は往々にしてそういったワールドにいくことを断れない、という部分も問題である。この場合、「問題」とは断れない側である。
 VRChatは「自由」である。年齢も、容姿も性別も国境も国籍も(今のところは)飛び越えてたくさんの人々と交流できる場である。
そうした「自由」には、責任が伴うのであるから、自分が何を行い誰と関係を構築するかは主体的な判断が必要である。
 VRChatにせよリアルワールドにせよ、自身の行動の責任は自分でしか持てないのだ。つまるところ、ユーザーひとりひとりが「主体性」を持たなくてはならない。それがVRChatであり、メタバースであり、リアルワールドでのコミュニケーションなのである。

 イメージがわかない人々のために、リアルワールドでの例をだしてみよう。例えば、夜の歌舞伎町は危険である。今は大分減ったとはいえ、悪質なキャッチ、ぼったくりバーがあり、数年前には違法組織の幹部がカラオケで射殺されたりしている。トーヨコの奥のラブホテル街は輪をかけて危険であり、キャッチかと思ったら普通に何らかの「葉っぱ」を買わないかと言われたこともある。

 それでも、歌舞伎町に行って何らかの危害を加えられるという危険性を踏まえ、それに納得した上で歌舞伎町に行くことができる状態が「自由」である。「歌舞伎町はアブナイから行ってはいけません!」ということは子供のように自己判断ができない、しにくい人々に向けられるべきことである。

 つまり、逆説的に言えば「行ってはいけません!」と「自由」を奪うことは、相手を子供のように自己の判断力がない人物だとみなす、平たくいえば見下していることに他ならず、よく言えば過保護、普通に言えば相手を舐めているのである。

 この点こそ最も問題な部分であり、当該ワールド作者は根本的に初心者の主体性や知性を舐めてかかっているのである。初心者とは、自身でどこに行くか行かないかを決められずただ流されるばかりであり、フレンドを作る作らないも判断できず、ブロックするしないの判断ができない人々ばかりであり、そうした無知蒙昧なユーザーを助けてやらねば!と勝手な正義感で抑圧を試みているだけなのだ。
 ここであえて当該ワールド作者に言葉をかけるとするならば「人々はあなたが思っているより主体性があり、馬鹿じゃないのだから、どこでそういうコミュニケーションをとるかは初心者自身に任せるべきである」というものになるだろうか。

 最後に、当該ワールド作者のスタンスに対する批判を行ってから本noteを終わる。

まとめ
内容の恣意性、ワールドやイベントの晒上げも問題だが、本質的な問題は当該ワールド作者が初心者を舐めてかかっており、何もできない人だと思い込んでいることにある。同時に、初心者の側も主体的な判断を下す局面では臆せずに判断しなければならない。「自由」な空間では「責任」が伴うのであるから。

4、当該ワールド作者のスタンス批判

 ここは非常に明瞭であるため、簡単にまとめるにとどめる。当該ワールド作者は一切のリプライをはねつけており、延々と自分の主張を公開してだけいる。そして、反論があればそれは「闇堕ちユーザー」のものであると決めつけている。

 仮にも「初心者向け」を謳ってこのような主張を展開した以上、そして自身で「批判がくることは覚悟の上で」というのであれば、反論に対して真っ向から立ちむかい、反論を論破するくらいでなくてはならない。

 結局、自分のワールドに対する責任が、自分の主張に対する責任が持てていないからこのような行動をとるのであり、いうだけ言って逃走するという、当該ワールド作者自身が主体性もなく「自由」を行使するだけの責任を負うことも出来ない人物であることが露呈してしまっているのだ。

おわりに

 長々と書いたこのnoteを最後まで読んでもらえたらならわかる通り、本noteの本旨は「VRChatは自由であるがそれには責任が伴い、主体的に自身に与えられた選択肢を選び取らなくてはならない」という極めて常識的、というより道徳の教科書的なものである。
 本件のみならず、VRChatではいくつものトラブルが日々発生している。特に、コミュニケーション関係に関してはよく耳にする。そうした各種の問題をひっくるめて、本noteではまとめているのである。

 くりかえし言うが、リアルワールドでもVRChatでも、「自由」には「責任」がつきものである。「責任」を負う覚悟がなければ、「自由」を行使すべきではないのだ。

 勿論、筆者はこのnoteを出すという「自由」を行使した。それならばこそ、あらゆる批判・反論に応えるという「責任」を有する。
 つまりだ。本noteに対する批判、批評などは全て開かれている。Twitterなりコメント欄なり、あらゆる場所で「常識的な範囲で」何を言ってもらっても構わない。思うことはしっかり、言葉に残してほしい。以上でまとめを終える。


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