VRやメタバースは見た目も「文化」も「キモい」から一般には普及しない
はじめに
この記事では、VRやらメタバースやらが「キモい」から一般社会に広まらないということを述べていく。
昨今、というかfacebookがmetaと名前を変えてからハゲタカのカスどもがNFTだなんだかんだとゴミをせっせと運んできているのは、VRユーザーにはよく知られているだろう。
一方で、VRChatに代表されるVR文化の紹介がテレビで行われるようになった。ブームに乗っておけ、というニュアンスなのだろうが、それはそれとしても、著名なVRインフルエンサー諸氏が活動していることもあり、VRが一般社会に広まっていくのは時間の問題だと、うっすら期待感があるかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。一般社会はVRに興味関心をむけるだろうか?そして、インフルエンサー諸氏がやっている「VRの文化を伝える」ということは有効な手立てであろうか。
筆者が見る限り、現在のVRは非常にキモイ。それは①3次元の姿がキモイ、②「文化」がキモイという2点に分けて説明しうる。この2点を具体例を提示しながら説明した後、VRが「一般社会に広まる」ことの意味とそのために現在インフルエンサー諸氏が採用している方針は適合的なのかを考察する。
このように説明を始めると、読解力と忍耐のない低レベルな人々が「じゃあやめれば(怒)!」みたいなゴミなツイートを10代青年の射〇のような勢いで射出すると思うので、もう少し焦らしプレイに付き合ってくれるオトナは以下の部分も読んでいってほしい。
なお、ここでのメタバースはほぼイコールでVRと思ってもらってよい。メタバースと入れたのは、単に検索に引っ掛かりやすくするためであり、「そもそもメタバースはマインクラフトやフォートナイトなども~」みたいな定義論に付き合う気はさらさらない。あと、誤解の無いように先に表明しておけば、私はほぼ毎日VRChatに入っているし、フルトラだし、HMDはvalveなキモさレベル上位の方である。
1、現実世界での見た目や挙動がキモい
まず、VRを楽しむために必要なHMDが手元にある人は良く見てみて欲しい。どう思うか?見慣れているから何とも思わないのかもしれない。それならば、Googleの画像検索でそれを装着している人の画像でも見てみてほしい。最近の展示会とかの写真やプレスリリースにいくつも参考画像はあるだろう。さて、どうだろうか?
客観的な見た目を言葉にしてみよう。目の前の部分にデカい直方体の箱をつけ、それを固定する為に頭をがっちりプラスチックのパーツもしくはベルトによってホールドされていて、よくわからない形状のコントローラーを持っていて、フルトラなら足に謎の装置やベルトについたパーツを付けている。
普通に嫌悪感・・・とは言わないまでも、これだけパッとみたら「なにこれ?」という感想になると思う。少なくとも「一般人」の姿には見えないだろう。
もちろん、既にこれに馴れきっているユーザーは「このHMDは~で、足についているのは~というパーツで」と説明できるが、そういう意味ではない。正直なところ、VRと聞いて想像するようないわゆるサイバーパンクなスタイリッシュは全然感じられない。良くて初代ポケモンアニメに出ていた通称「アーマードミュウツー」がいいところだ(アーマードミュウツーはカッコいいが、それは得体の知れない強者感から来ていると思う)。
コントローラーやトラッカーは他のゲームの機械と比較してもまだ理解可能な範疇であるが、一番重要なHMDの異様さ・異質さは眼を引く。視界を覆っているということは目の前の物理的な物体が見えないというわけでシンプルに前が見えないという危険さがある。ヘッドマウント「ディスプレイ」だ、と説明されても、「一般的」な「ディスプレイ」という印象からも程遠い。
さらには、日本ではその発生以来文化・社会に大きな印象を与えているカルトテロ組織「オウム真理教」の悪名高い「ヘッドギア」の印象がとても強い。率直に言って、HMDは進化した「ヘッドギア」のように見えてしまう。
進化した「ヘッドギア」を付けて、目を覆い、そこで映像を見せることができるなんて、「一般人」からしてみらば、洗脳装置のように見えてしまってもおかしくはない。
そして、その洗脳装置を付けられた人間は、その人にしか見えない映像をみて、その人にしか聞こえない音声と会話するのだ。しかも身振り付きで。
HMDを付けている本人的には「友達がjoinしてきたので手を振って挨拶をして、ついでにいつものkawaiiムーブでお出迎えしている」ということになるが、それを「一般人」が第三者視点でみれば「洗脳装置を全身につけた人が虚空に向かっていやに大きな身振りつきで挨拶をして、謎のくねくねした動きをしている」ようにみえるというわけだ。
これで頭なでたりしようものなら、「一般人」の第三者視点的には「甘い言葉を虚空に向かって呟きながら手を左右している洗脳装置を付けられた人」に見えるというわけだ。
一例として、先日バズっていた肉体廃止アクティビティストの「蘭茶三角」氏の「サイゼリアリティ」のツイートを見てみよう。これが上で述べていることを一発で理解する方法だ。
キモいを通り越して恐ろしいだろう。
HMDのサイズや仕様それ自体は恐らく今後の技術革新でよりスタイリッシュになっていくだろうし(個人的にはバイザーかいっそフルフェイス形式になるといいと思っている)、なってほしいのだが、少なくとも3~5年というスパンでは大枠で現在の構造を越えるものは開発されえないのではないだろうか。
この予想が正しければ、あと5年は「洗脳装置」を付けられた人であり続けなければならない、ということになる。
以上、具体例を出してきたように、HMDをかぶってVRを体験している人々を「普通の人」の第三者視点でみるとかなりキモいということがわかると思う。もしこれでもわからなければ、想像力が足りないか、感性がズレているか、自分だけはキモくないと思っているナルシストか、私の例えの能力が低いかのいずれかだと思う。
2、特有の「文化」がキモイ
筆者がVRChatによくいるからどうしてもVRChat内の話になるが、人が沢山集まるところであるからこそ、そこには特有の「文化」が生じる。それは悪いことでは全くない。というより、それはとても望ましいと考えている。
だが、聞こえてくる「文化」というのがあまりにも尖って・・・いや、タイトルに合わせてやはり「キモい」ものが多い。「バ美肉」「ボイチェン」「kawaiiムーブ」、「just」「お砂糖」「VR睡眠」。列挙すればキリがない。
まずもって、現状VRChatでスタンダードな感のある「バ美肉」の時点で「一般人」からしてみれば大分キモいと思われるはずだ。なんで男性が女性のアバターを?もしかして性同一性障害?と思うのは、そう思う「一般人」の意識が「アップデート」できていないからではなく、ごく一般的な感覚である。
しかもボイチェンで女性のような声をだし、「kawaiiムーブ」と称していやに動きの大きいムーブをしているとなると、「一般人」は「あぁ、この人はトランスジェンダーなのかな?」くらい思うだろう。いわゆるMtFかな?と思うかもしれない。
しかし、そうではないと言ってしまえば「じゃあ女の子になりたい普通の男・・・ってこと!?」とリアクションされるのは当然だ。というか、性同一性障害でない人が行う女装と同じような扱いに置かれるだろう。つまり、「変態」だ。
「just」については論外だ。何がVR性行為?しかも中身男性同士で?LGBTでもないのに?もう理解の範疇の外だ。
一部インフルエンサー諸氏が力をいれてプッシュしている「お砂糖」も同様にキモいと思われるだろう。「支え合える関係」「信頼し合える関係」とどう言葉を取り繕っても、少なくとも現状の「お砂糖」は明らかに「恋愛」だ。少なくとも「恋愛」を一つのロールモデルとしている。
もう同じこと繰り返す形になっているから言いたくないが、「一般人」からしてみれば、性同一性障害ではない中身男性同士の「恋愛」はやっぱり理解の範疇外だし、しばしば耳にするように「現実で恋愛できない恋愛弱者が同じ恋愛弱者の敗残者と妄想恋愛ごっこをしている」という評価に落ち付くことを誰が責められようか。
もちろん、VR原住民からすれば言い分はある。「アバターを纏うことでなりたい自分になれる」「別な人生を歩んでいるような気になる」「アバターの姿こそが本当の自分だ」「SFの世界にはいったような気になる」「性別を超えた信頼関係が結べる」「ある種の演技」などなど。だが、そんな言い訳をいくら並べ立てても、行われているキモさを軽減することになりはしない。精々「キモいけど、キミたちの理屈があることはわかった」程度に落ち着くくらいだ。
いくつもいくつも反論はあるだろうが、一回冷静になって自分の、周りの行為を見直してみてほしい。今まで上げてきたような「文化」は客観的にみてどうみえるのか?ということを。
3、キモかろうがそれはそれでいい。一般に広めたいならキモさを隠せ
さて、ここまで①3次元の姿がキモイ、②「文化」がキモイという2点を説明してきた。ここまで読んで「コイツは界隈を追い出された恨みでこんなお気持ちを書いているのか」とか邪推してる人も沢山いると思うが、全然違う。冒頭にも記載したように、私はほぼ毎日VRChatに入っているし、楽しんでいるし(話し相手が楽しんでいるかは知らない)、バ美肉だし、普通にキモい洗脳装置をつけてキモい動きをしている。
しかも、これらのことなど、今更言われてどうこう、ということでは全くないだろう。普通にこれまでVR原住民は言われてきたことだし、多分大多数のユーザーは「まぁ、キモいと思われるのは仕方ないよねw」くらいで流せることだと思う。
ではなぜわざわざこういうことをまとめ始めたかといえば、それは昨今メタバースの名の下にVRChatを始めとしたVR世界が「一般人」にその姿を見せ始めているし、広めていこうというインフルエンサー諸氏(こんな狭い世界のインフルエンサーというのがどれだけ権威を有しているかには一考の余地があるが)の動きが加速しているように思えるからだ。
こと、インフルエンサー諸氏はVRのすばらしさを伝えるためにやたらと「バ美肉」や「お砂糖」のような、「文化」を宣伝する傾向が強い。そして、大局的に、それこそ10~20年スパンで見た場合にそれはとても必要なことだと思う。
だが、それを広めるのは「今」ではない。
インフルエンサー諸氏がテレビに出演したり、本をまとめたりすることで、VRが一般社会に組み込まれていくことは素晴らしいことかもしれない。しかし、「一般社会に広まる」ことの意味をどれだけ深く考えているかに大いなる疑問符がつく。
「一般社会に広まる」というのは、東京で若くしてタワーマンションに住んでいる金持ちや中高一貫の私立に行き、一浪してから幼稚舎からある大学や恐らく日本で一番有名な校歌を持つ大学のような、カネのかかる私大に行けるような人々だけではなく、中卒高卒の日雇い労働者にも、高校を卒業して以来60年その道一筋の漁師のじいさんや青森県で何十年も林檎を作り続けているばあさんにも、届くということだ。
今のインフルエンサー諸氏に代表される「VRをひろめていこう!」という人々の視界に、そういうじいさんやばあさんが入っているのだろうか?
というより、もっと身近な例を出せば、自分の親に、祖父母にVRを紹介することを考えろ、ということだ。自分の親にVRを紹介するとき、まず最初に「バ美肉」や「お砂糖」について話すだろうか?
1と2でくどいほど「一般人」から見た時に「キモい」と主張してきたのは、ここに理由がある。つまり、こういった「一般人」が感じてしまう「キモさ」という極大のマイナスを越える便利体験や有用性を主張しなければ、若い派遣労働者やじいさんやばあさんが暮らしている「一般社会」に広まることは難しいと思うのだ。
人間は、と大上段に構えるのは良くないが、思いのほか「合理性」よりも感情や感性で動くものだ。それが悪いとはまったく思わないが、「合理性に訴えれば必ず理性的に理解してくれる」というのは間違いだと私は信じている。
それならば、一般的に「キモい」という否定的な感情を生ずるようなことは軽減しなければ、「一般社会に広まる」ことはない、あるいは相当難しいだろう。
この見地に立って考えれば、①3次元の姿がキモイに関してはデバイスのスタイリッシュな進化を期待するとして、当面それが生じないならば、「キモいけどそれを我慢してお釣りがくるくらい便利/素晴らしいものですよ」と主張する必要があると考えられる。
②「文化」がキモイに関しては、徹底的に隠しておくべきである。そういうことは入った後、なんとなく掴んでいき、それを理解している人だけで棲み分けていくべきである。決して、決して大声で宣伝するようなことではない。
以上述べてきたように、本当にVRという素晴らしい体験やデバイスを一般社会に広げて行きたいならば、今現在インフルエンサー諸氏がやっていることとは正反対の策略をとるべきなのである。
おわりに
縷々述べてきたが、最後に筆者のスタンスをまとめておく。
筆者は、キモかろうがなんだろうが今いるVR文化は、改善の余地はあるとはいえ概ね楽しいと考えている。だからそれでいいと思っている。また、むやみやたらに「一般人」に参入してきて、現状のVR文化が破壊されたり「矯正」されることに否定的であるし絶対反対である。
そう考えれば、インフルエンサー諸氏が「キモい」ものを素晴らしいとして紹介し続け、「一般人」が拒否感を示してくれる方が思想的にはよっぽどいい。
だから、インフルエンサー諸氏、これからもどんどん「お砂糖」だの「バ美肉」だのを頑張って紹介してくれ給え。その紹介によって「一般人」の参入障壁が高くなればなるほど、私にとっての楽しい場所は永く続く。
ただ、そうはいってもVR原住民の一人として、なんだかんだいいつつも色んな人にVRに親しんでほしいという思いもあり、「せっかくならこういうスタンスを取るべきだと思うよ」と、インフルエンサー諸氏とは比べ物にならないくらい末端で底辺で無様な無産の声なき声を、VRの隅から小声で叫んでみたというわけだ。
本noteに対する批判、批評などは全て開かれている。Twitterなりコメント欄なり、あらゆる場所で「常識的な範囲で」何を言ってもらっても構わない。思うことはしっかり、言葉に残してほしい。以上でまとめを終える。