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ビギナーズラックの先にある分岐点

 新しい何かを始めるとき、だいたいビギナーズラック的要素が発生する。直近でそれを感じたのは、まさに『note』である。

 現時点で私はユーザーさんを1人もフォローしていない。ただ、エッセイにハッシュタグをつけるからか、『いいね』ボタンを押してくださる方がいる。

 私は何となく『いいね』してくださったユーザーさんのページを開く。こんなことを書くと顰蹙を買うと承知しているが、だいたい「広報活動の一環で『いいね』したのかなぁ」と感じる。たまにエッセイからは関連性を見出せないジャンルのユーザーさんから『いいね』をもらうと、どうやって私を見つけてくれたんだろうと気になってしまう。

 私のエッセイに複数回『いいね』をしてくださる定期購読者はほとんどいない。もしいらっしゃったら私の確認不足なのでお詫び申し上げたい。本当にすみません。

 ただ、結果としてエッセイにビギナーズラックのような『いいね』がつきやすい。本来であれば、このスタートを機に『つながり』を生み出していくパターンだろう。

 『X』やその他SNS、投稿サイトにしても、ほとんどの方は『持ちつ持たれつ』技法で自分を発信し続けているのではないかと思う。

 私自身、『X』や読書メーター、その他広報系サイトでは他者に対する営業活動を行い、『つながり』を構築していた。実際、コミュニティの力は強い。

 私が『note』にエッセイを落としていこうと決めたとき、小さな試みに挑むことにした。それは「誰もフォローせず、固定のコミュニティを持たないまま、どこまで好き勝手書きまくることができるか」である。

 ちなみに、継続投稿という観点で私の試みは成功している。ユーザーの目を意識すると、求められている何かやキャラクター性を考えすぎて書けなくなるのだ。

 創作ならまだしも、エッセイを朧げな需要に照らし合わせて書くのはつまらない。

 5分ラジオを聴いているようなテンションで読んでいただけたら幸いである。どなたか1人でも、私のエッセイのどれかしらが印象に残ったのなら十分に嬉しい。反応の有無は特に問わない。いわゆるサイレントリスナーさん大歓迎である。

 ……次回のエッセイから格段に反応が悪くなったら、それはそれで面白い。天邪鬼な書き手ですが、ご了承ください。

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