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【学級通信】(高校2年:第058号)掃除と割れた窓理論

2018-06-11

「掃除当番!掃除してね~」
「ちゃんと端も掃き掃除してね」
「ここガビガビしてるから雑巾でふいて」
「おーい、OO!お前、掃除だぞ!サボるな~」
「ケータイいじりながら掃除すんなよ」
「片手でホウキかけるなよ」
「しゃべってばっかりいないで手を動かせー」
「今日はゴミ捨てあるぞー」

教室掃除のときの私(担任)のセリフです。文字面だけ見ると、何だか荒れているクラスのように見えますが、普通の学校は(たぶん)こんなもんだと思います。まあ担任の指導力のなさもあるかもしれませんが、そこはご了承ください。そのうち成長していきますので。

初めて担任をしたときは、

(えっ?掃除って先生が一緒にやるもんなの?そんなの自分たちでやるもんでしょ!)

って思っていましたが、まあ甘かったですね(笑)。掃除を生徒に任せ、清掃状況を見ず、ゴミが落ちていても自分たちのせいだ!…と意気込んでいた若かりしころの私は、見事に失敗しました。

けっきょく、教室はゴミだらけになるんですよね。綿ボコりはハンパないし、髪の毛はひどいし、そこに消ゴムのカスやら、ジュースをこぼした跡とか、飲みかけのペットボトルやら、紙パック、コンビニの袋やら、プリンを食べた後のカップとか、カップラーメンの残骸とか…よく、やんちゃなお兄さんたちがコンビニの前でたむろして、ゴミ捨ててくじゃないすか、あんな感じです。

で、そういう教室で過ごす生徒ってものの見事に荒れるんですよね。勉強しない、授業も真面目に受けない、人の話が聞けない…そりゃあそうすよね、ペットボトル、紙パック、お菓子のゴミが平気で落ちている教室でまともに勉強できるわけがありません。荒れている教室の共通点は「教室が汚い」です。

私は普通教室では授業をしません。だから、よくわからなかったんです(言い訳)。まあ、教室が汚いと人間は荒むってことがわかってからは、担任として真面目に生徒と掃除するようになりました(笑)。

人間が人間らしく生きていくには、綺麗に掃除することが大切です。それには日々の努力が必要です。逆に、汚れていく(汚していく)のは簡単です。汚れると人間はすぐに荒みます。だから毎日、ちゃんと掃除するんです。つまり、人間が人間らしく生きていくためには、日々努力して掃除することが必要なのです。

かつて犯罪都市だったニューヨークを、甦らせたのは、地下鉄の落書き消しだったというのはあまりにも有名な話です。この取り組みの元になったのが「割れた窓理論」です。

割れ窓理論とは次のような説である。治安が悪化するまでには次のような経過をたどる。
1.建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
2.ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
3.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
4.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

教室をきれいに保つって、と~ても意味があるんですよ。ゴミが捨ててあったら、無視せずに拾う。床がガビガビしていたら、教室後方に置いてある雑巾で拭く。皆さんの行動を期待します。そういう小さな行動が教室の平和を保つのですから。

私もオジサンになったので、先日、地域の清掃活動に参加してきました。植え込みから空き缶やペットボトルが出まくりでした。道路の植え込みに空き缶捨てる人と、電車の座席にゴミを詰め込む人の気持ちは一切わかりませんが、皆さんには、

捨てる側より、拾う側の人であってほしい

と思うのです。

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