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韓国映画『悪魔を見た』批評

『悪魔を見た』(2010)  監督:キム・ジウン

  『シュリ』(2000)、『JSA』(2001)、『二重スパイ』(2003)や『義兄弟』(2010)のように、多くの韓国映画で「北と南の関係性」が直接的に描かれてきた。  

 『悪魔を見た』(2010)は、婚約者をバラバラに殺害された国家情報院捜査官・スヒョン(イ・ビョンホン)が、悪魔のような殺人鬼・ギョンチョル(チェ・ミンシク)を見つけ出し、最終的に殺して復讐を果たすという作品である。
 一見政治問題とは無関係の本作であるが、実はこの作品にも「北と南の関係性」が比喩的に描かれていると解釈できる。  

 ひと昔前の韓国映画と言われパッと湧くイメージがある。「決して結ばれることのない恋」だ。例えば『シュリ』でいうと、どんなに愛し合っている二人であっても、片方が北朝鮮のため、もう片方が大韓民国のための使命を背負った人間であるがために、決して二人は結ばれない。
 これは、北朝鮮と韓国、元は一つの国、同一民族であるのに、1950年に勃発した朝鮮戦争で米ソに引き裂かれてしまい、今では憎しみ合ってさえいるという悲しい現実を表現していると受けてとれる。
 しかし、2010年公開の『義兄弟』では、北から送り込まれ南に潜伏していた北朝鮮工作員のソン・ジウォン(カン・ドンウォン)は、ラストシーンで、自分のボスの「影」というコードネームを持つ男(チョン・グックァン)を殺してまで、韓国の国家情報員であった経歴を持つイ・ハンギュ(ソン・ガンホ)を助ける。
 恋愛ではないが、『義兄弟』では、ラストで北と南が結ばれるのだ。ここからは、わずかだが北と南がまた一つになるという未来への希望が感じられる。
 時代が変わっていくにつれ、悲観から希望へと、表現に明らかな変化が見られる。  

 では、『悪魔を見た』では、どのような「北と南の関係性」が描かれているのか。
 殺された婚約者の復讐を誓うスヒョンは、国家情報院捜査官という立場を利用しギョンチョルを犯人と特定。ただすぐ殺してしまうのでは完全なる復讐にならない、自分の婚約者が受けた苦しみを何倍にもして返してやると報復に執着する。ギョンチョルが死ぬ寸前のところまで痛めつけては生かしということを繰り返す。
 劇の序盤では、明らかに正義はスヒョンにあり、ギョンチョルは悪であるかのように見えるが、劇が進むにつれ自分自信も凄まじい残虐行為に手を染めていくスヒョンを観ていると、一体何が正義なのかわからなくなってくる。
 エリートの環境で鍛え上げられ、ハイテクを駆使しターゲットを追いつめていくスヒョンが先進国である韓国を、田舎の隔たれた環境で育ち善悪の区別もつかない悪魔のような中年となってしまったギョンチョルが、世界で孤立してしまっている北朝鮮をまるで象徴しているかのようだ。
 そして民族統一を掲げながらも、実際はあからさまに南北統合を拒む姿勢の韓国の政策が、終盤、逆にギョンチョルよりも恐ろしく残虐に見えてくるスヒョンそのものと重なって見えてくる。  

 この作品を通し、キム・ジウン監督は、「果たして本当に北が悪で、自分たちが正義なのか」という問題提起を韓国国民に訴えかけていると私は解釈する。  

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