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ジョンホン身辺雑記_38

本日、母親三姉妹の末っ子の叔母が実家まで車で迎えにきてくれ、二人で危篤状態の祖母のお見舞いへ行った。

今週水曜日に「今夜が峠かも」と医師から言われていた祖母だったが、今日会いにいくとハッキリと俺が来たことを認識し、手を握るとものすごい握力で俺の手を握り返してくれた。

弱い俺がまた涙目になってしまうと、祖母も涙を目に浮かべた。

そして、何度もベッドの柵につかまり自力で起き上がろうとする。二日前は瀕死だった祖母が。左脚が真っ黒で骨と皮だけで「壊死」しており、本来なら切断しなければならない状態の「心不全」の祖母が。

三日連続でお見舞いに来ている叔母も、すごく驚いていた。

「母さんが来るまで、ハルモニ、なんとか踏ん張ってね」と言うと何度も力強く頷いていた。

驚異的な「生命力」だ。

「認知症」「アルツハイマー」と言うが、祖母は理解している。

祖母は戦時中、船に潜んで命懸けで日本に密入国した『在日一世』だ。
船に乗る直前に朝鮮でトラックにはねられ死にかけたが、かくまってくれた家で「人糞」を食べ命からがら日本までやってきたという嘘のような本当のエピソードを聞かせてくれたことがある。

昔、祖父が札幌の『狸小路』でパチンコ屋をやっていた頃、ヤクザが家に押しかけてきたのを祖母が追い返した話も聞いた。

まだ、携帯電話がない時代、うちの祖母は巷では有名だった。「おっかない」と。

実家の電話が鳴ると決まって祖母が一番に出るのだが、第一声が「もしもし」ではなく「誰だ!?」なのだ。

俺が高校一年生の頃付き合っていた恋人が家に電話をくれたときなんか、「誰だ!?」と言われるもんだから「ジョンくんの恋人です」と彼女が答えると、「お前どこの高校だ!?」と聞かれ「『南陵高校(兄と同じ高校)』です」と返すと、「お前、頭悪いね」と言われたらしい笑。

片親で毎日遅くまで母が働いていた俺にとって、祖母は毎日ご飯をつくってくれたもう一人の母親のような存在だ。

母と一緒に過ごした時間よりも、祖母と一緒に過ごした時間の方が長い。

その分、反抗期は沢山喧嘩もしたし、喧嘩するたびに「やっぱりお前は父親の血が濃い!」と言われた(日本に居る母方の親族と韓国に居る父方の親族は仲が良くなかった。父の死も関係している)。

けど、無償の愛を与え続けてくれた。
俺が無条件に信用できるのは祖母と母だけだ。

逆にパワーを貰いました。

うちのハルモニは本当に強い人です。

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