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続編で推しが死んでしまった!~その時あなたはどうする~

前作で好きになったキャラが続編で死んだ皆さんこんばんは。推しは死ななかったよ!という人については、今後もそのキャラが生きて活躍していられるように毎日朝昼晩のお祈りを欠かさないであげてほしい。

この記事を書いている平成30年4月にも某大作映画で同じような出来事があった(またはあると予測される)ため、そのファンの救いまたは共感が得られるくらいには雑文をまき散らしていきたい。


これはいわゆる続編問題というやつである。その作品が好きで好きで堪らず、ファンが何度も見返して何度もグッズに貢いだ結果、公式から突然発表される「続編制作決定!!!!」の大文字宣言。当然ファンとしては喜ばしいことだ。映画であるなら億単位の大金をかけた120分超の映画が、ドラマやアニメシリーズならば1シーズン12話のエピソードが3か月ゆっくり楽しめる。今のご時世なら人気次第でプレミアイベントだのコラボグッズだの豪華絢爛なオマケまで付いてくる。

金を貢ぐことに全力を惜しまないファンには堪らない環境だ。しかるに続編制作とは、物語そしてキャラの人生が伸びるという重大なイベントであり、前作にハマったファンは次作で描かれる推しの人生に夢を見て、そしてまた次の展開まで生きることが出来る。

無限に続くハッピーがすべてのファンを救い、人生の糧となり、日々の生活に癒しと潤いを与えてくれるのである。

しかしそうはならなかった。現実は非常である。

そんなファンに贈りたいのが今回の記事だ。最近そんな映画を観てしまった自分の心情も合わせてビッシリと書いていきたい。クライマックスで推しがポンと死んでしまい感動とは別の涙を流すような映画のファンや、開始5分で主人公の恋人が死んでしまい前作のアレコレはなんやったんや!!!と呆気にとられてしまうような映画のファンの皆様にも届けることができたら幸いだ。

ちなみに私の推しは本編でハッピーエンドを迎えた筈が、数年後を描いた劇場版で人体実験されてしまい、家族は連れ去られるわ夢だったコックは諦めることになるわ五感はほとんど無くすわでオイ推しが何したっていうんだよ!貢いだのはそんな運命辿らすためじゃないんだよ!!!

ついに原作では救いを得られず、二次創作や某大戦ででしか幸せを得られない悲しい人物になってしまったのである。辛い(現在進行形)(15年経過)


少し話がそれてしまった。本題に戻ろう。

さて、一体続編であなたの推しに何が起きたのだろうか。よくあるパターン、例を思いつく限りざっと書き連ねてみよう。

・主要人物の命を助けるために死んだ。一作目でやられるのと続編でやられるのは大分違うのがミソ。何年も何年も想った結果がこれで、想い入れが深い分つらみがすごい。鑑賞中に「あっ、なんか死にそう…」と気づいてしまった瞬間から悲しみをセーブするために気持ちをスッと落ちつけてしまう等映画に集中できない場合がある。死ぬ寸前に和解シーンがあるとさらに心をえぐられる。
・ストーリーを盛り上げるためか特に理由なく死んだ。ファンが一番怒る展開の一つ。主人公のありあまる怒りを表現したい!せや人気キャラ死なせたろ!という製作陣の安易な考えが見えてしまい映画自体に覚めてしまう危険性が多い。中の人の問題や降板という場合もあるが、ファンとしてはただただ悲しい。サイ〇ロップス…。
・唐突に裏切り、虫けらのように死んだ。続編ではあまりないパターンかもしれない。一作目ではよくあるやつ。特に裏切りへのフォローもなくそのままグッバイしてしまうこともあり、推しの俳優にこれをやられると虚無感に陥る。拗らせると大変危険。
・前作で助けた筈が続編には1ミリも出ることなくいつの間にか死んでいた。脚本・中の人・制作資金・スケジュールなどなど大人の事情が多々絡んだ場合に起きていると考えられている。ノベライズやコメンタリーなどで補完されることが多い。ア〇ジェラ。ポー・〇ープ(死んではない)
・主人公交代(前作主人公は脇役か敵、酷い時は存在自体消える)。映画だとトランスフォーマ—。アニメだとガンダムSEED。スパイダーマンシリーズも該当するかもしれない。個人的には〇〇ン:〇〇シーでやられたのがかなりしんどかった。ほかにも、敵になるのはまだしも続編でほぼ語られることなく存在が消えるのだけは勘弁していただきたい。〇ピード2、お前の事やぞ。

ざっと挙げただけでもこれだけの例が続編には存在すると思われる。ほかにも多くの映画・ドラマ・アニメに触れている諸先輩方はもっと多くの続編爆撃を受けていることだろう。心中お察しします。

そういうわけで続編制作!!と声高らかに言われても、「嬉しいけど…大丈夫か…?」と素直に喜べず折角の感情に自分で水を差してしまう層も一部存在するということだけは言っておきたい。

続編に対しては間違いなく公式有難う~~~~~~~~!!という感謝の気持ちは存分にある。ただその素直な気持ちが裏切られた時がとてもつらいので、続編への期待値を下げに下げ、疑心暗鬼全開で観に行かなければならない現実もある。その後Twitterで同じファン同士、解釈違いでも起ころうものなら更なる地獄へとつながってしまう。だれも望まない地獄は確かにあるのだ。

しかしそんなことを言ってしまっていては、この世のあらゆる続編が楽しめなくなり、折角の好きな作品の寿命を自ら縮めてしまうという悲しい結果になってしまう。非常につらいことだ。そこで考えてみた。

続編を見る・またはその最中に望まない展開が起きた場合どうすればいいのか。いくつかまた例を挙げてみるので参考にしてほしい。今回は推しが死んだ!ということだけに焦点を当てているので、その例を多く挙げていきたい。

・推しの死が物語の解決につながったと考える。この展開以外では物語は大団円を迎えなかった。推しは救われなかったが、映画としてはアリだった。つまり推しがいなければ映画は凡作であり、推しが死んだことで物語の人物達は成長し、救われ、変化の切っ掛けとなったと全力で考察する。Twitter等でその旨を詳しく考察した感想や二次創作を見ると心が救われる事が多い。
 ・1と2は別次元の話で、登場人物が同じなだけの別作品だったと考える。ナンバリングされてるだけで実質別作品だ。きっと平行世界の話なんだ。私が愛した前作とは違うけどこれはこれで!良いじゃん!!とポジティブシンキンな考えが出来る人におすすめなパターンの一つ。単純な好みで別れるため、勿論受け入れない選択肢も出来る。だって別作品だし。1とは違うし。
・次回作でヒョッコリ出てくることを信じて祈る。製作側の予想を超える人気キャラであったためか、続編で出てくる場合が偶にある。その場合記憶喪失だったり、仮面で顔を隠してたりする。ア〇ン先生と赤井秀〇の印象が強い。
・推しは精一杯人生を生き、自分で結末を選んだと考える。物語の解決~とは違い、特に展開に一石を投じることもなく、路地裏やベンチで静かに散っていった推しがいる人に進めたいパターンの一つ。推しの意思を尊重し、最後に至るまでの展開を頭の中で反芻し、何故そんな運命になってしまったのか…でも推しが選んだことだし…と考え始めるともう止まらない。サ〇クロップス…。
・二次創作に助けを求める。SNSが普及した結果、言葉は違えどイラストや漫画、考察で推しに対する想いが繋がるようになった新時代。ファン同士の国際交流が全世界規模で割と気軽に行われている。素晴らしい時代になった反面、公開日がズレているとネタバレが平気で飛んでくる場合があるため、注意が必要である。

最初に言っておこう。真面目に書いたつもりである。耐え切れないときは考察を読んで「それな…」とつぶやいているし、二次創作で束の間の癒しを受けに行ったりだってする。

別次元論で考えるならば、私の中のリサージェンスは1の続きではなく平行世界つまり1の人物は誰も死んでいないし、〇〇〇ソン・〇ーンならあの人は全身防弾チョッキを着ていて生き延びていた。死んでない。DCやMARVELなら公式で別アースあるし、なんなら死んでも生き返る(偶に)、ワンチャンある!そんな感じに考えることができるのである。


とまあ色々語ってはみたが、正直なところいちいちこんな事考えたくねぇ…俺は疲れてるんだ、もっと心やすらかに続編を観させてくれ…と思ってしまうこともある。

監督が代わってしまって殆ど別物の作品を見せられた時なんかは本当につらい。続編を見るつもりのテンションだったのに、いきなり全然違うもの見せられたらそれは嫌だろう。悲しいことに、出来てしまったものを受け取る側であるだけの我々は、何も言えず黙って場から去るしかないのである。辛いね。

な、なんてものを見てしまったんだ…と思うような経験はもちろん幾度となくしているが、ここで考えてしまうのが製作陣の状況である。

例えば上の人と製作陣が対立し、マルっとスタッフが交代させられてしまったとしよう。誰からも受け入れられていない、針のむしろに立たされたような状況の中、制作スタッフはなんとか完成させるために頑張ったことだろう。その時、実状を理解したうえでよく頑張った!!よく作った!!と言ってあげられるのは、昔から作品を応援していたファンだけではないだろうか。

例えどんな出来でも、寝る暇を惜しんで、自分の持てる技術を存分に使って、人生を犠牲にして作ってくれた作品であることだけは間違いないのである。監督が途中で変わったからと言って、作風が変わった!なんてことしてくれた!!と一方的になじることだけは絶対にやってはならないと個人的には思う。だれもやりたくないことを受け入れて、世界中からのプレッシャーとストレスに晒される中、ファンのために一生懸命作ってくれたことだけは忘れないであげてほしい。製作中止、それだけは本当に誰も望んでいないことだから。

というわけで。続編で好きな作品が如何に落ちようと、我々ファンだけは欠片でもいいから面白さを見つけて、ポジティブな加点方式で観ていってほしいと思う。製作委員会や偉い人の意向など世知辛い情報があれこれ観える世の中ではあるが、スタッフの頑張りだけは我々だけでも認めていきたい。その寛容さが心の平穏につながり、引いては子供のころのように純粋に映画を楽しめる気持ちにつながるはずだから。

あっでもこれだけは許せねえ!!!1!!1くぁwせ!!という作品があったらそれはそれでいいと思う。感情の起伏があるだけ良いのだ。一番怖いのは無感情なのだ。それが起きてしまった時だけは何ともしようがない。速やかに記憶を消してほかのもっと楽しい映画を観るべきだ。

お金を払ってる時点で公式には貢献している!1!それだけは忘れないで!!!!(台無し)


#映画


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