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坂本龍馬が好きでたまらんのじゃ。

15日は、坂本龍馬の誕生日&命日でした。そう、彼は産まれた日に死んでいる。それだけでも天命が下されている人物ですよね。やることやったから死んでった。龍馬のそういうところがたまらなく好き(死んだのは暗殺なので彼の意思ではないですが)。

私が龍馬ファンになったのは、25歳のころ。当時リクルート九州で「じゃらん九州発」という旅行情報誌の編集者をやっていて、たまたま長崎の亀山社中跡を取材したときです。

当時の副館長さんのお話を、柱の前で聞いていた私。

すると館長さんが私のほうを指さして、「ほら、いまあんたが座っとる柱んとこに、よう龍馬さんがよっかかっとらしたとですよ」(訳:ほら、いまあなたが座っている柱のところに、よく龍馬さんがもたれかかっていたそうですよ」

この瞬間、私の体内に稲妻が走りました。

急に「歴史上の人物」が目の前に鮮明に表れたような、そんな感覚。今まで何の興味関心もなかったのに、突如体内を通り過ぎて行った感覚。後にも先にもこれ一度きりの体験なんだけど、そして誰に話しても信じてもらえないんだけど、多分龍馬の霊と交差したんだと思う。(わりとスピは信じるほう)

で、そっからですよ。砂漠で水を求める旅人くらいの渇望をもって、龍馬のことを知りたい!となったのは。

まずは司馬遼太郎先生の名作『竜馬がゆく』を読むことが定番だろうとは思ったんですが、歴史小説に免疫がなかった私は弱気になり、初めに小山ゆう先生の『お~い竜馬』から入りまして。もう、ドはまり中のドはまり。本作で描かれている竜馬のなんと、チャーミングでかっこよくて色っぽくて人間臭くて愛らしいのか!!

(これ語るとまた長いので少々割愛)

で、いよいよ激しく龍馬が好きになった私は、満を持して『竜馬がゆく』を拝読しまして。いやあ、しびれましたねえ。初めての歴史小説、司馬遼太郎の勝手に時空を行き来する文体、かっこよすぎる竜馬…。(ちなみにそれから3年ぐらいは、司馬遼太郎しか読まなかった気がする。立ち居振る舞いが完全に武士化してました。)そうこうするうちに史跡めぐりが始まりました。あらゆる史跡、墓、土地、史料館、銅像、行きましたねえ…。もうフィクションで描かれた龍馬ではあきたらず、直筆の手紙、資料なども読み始め、分厚い資料本も買い、往来人物社刊の本が部屋にどんどん溜まるW。

「推しが志士」ってのは、なかなか切ないものですよ。新しい情報はそうそう入ってきませんから。だから、「新しい龍馬の書簡発見!」とかなると、もう絶対この目で見たいと思って飛んでっちゃう。生誕150周年の龍馬展は、感謝にむせび泣きながら行きました。そしてもうそこに住みたかった。

でもなぜでしょうね、こんなに龍馬に惹かれるのは?

周囲が何を言おうと馬耳東風で、自分の思った道をひたすら突破し、まわりをどんどん巻き込んでファンにして、世の中の仕組みまで変えちゃったから。環境やつるむ人もじゃんじゃん変えて、「とどまる」ということを全くしないから。固執しない、行動する、突破する、次に行く。そんなかっこいい生き方、心の底からしびれてしまいます。風のような水のような、流れゆくさまに惹かれるんだなあ…。

そういうわけなので、京都にいったらかならずお墓詣りをします。霊山神社の中腹、とっても眺めのいい場所に眠っている龍馬と中岡慎太郎。

↓これは夏。龍馬の墓のよこに小さな銅像ができています。

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      ↑こっちは冬。お墓にいくと心が鎮まる。

今年はまだ京都に行けていないので、年内中にお墓参りしてきたいと思います。龍馬よフォーエバー。


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