20200202

こういう媒体で初めまして、のようなことを言うのは昔から苦手だ。
小学生だか中学生の頃、2000年代前半のHTMLは人よりは理解していたつもりだったし、隠しページを追いかけていくのは得意だったけれども、ホームページを作ってみようと思い立っても、
やっぱり挨拶みたいな、そういうことが思いつかなくて、結局自身で何かを発信するということはなかった。

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今まではTwitterを主な生息域としてきて、それらの存在によって修正された考え方や、知り得なかったものとの出会い、作品を見に行こうという原動力、文章化することによる思考の整理など諸々の恩恵を得てきたように思う。

私がそれを始めたのは高校三年、確か部活動を引退して、上京までの時間をダラダラと過ごさなければならなかった頃だったと思う。
それから8年?9年?だいたいそのくらいの時間が流れたような気がするけれども、流れてくる情報量は同じツールを使っていると思えないほどに増えてしまった。
最初はせいぜい数十人程度だったフォロー相手は、気づいたら4桁台に増えていた。
その中にはいつの間にか居なくなってしまった人、変貌してしまった人、誰のアカウントかわからなくなってしまったものも無数に存在している。
ログを残すことが好きだったので、大学2年の夏からは手帳や携帯に記念日やら呪わしい出来事が会った日やら、関わった作品の演目やらを記録していた。
どうでもいいことと、どうでもよくないこと。ほんとうはどちらも覚えていたいし、そう思うに至った経緯もできれば覚えていたい。
そういう思いとは別に、人の誕生日を覚えるのはほんとうに苦手だ。

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実家の本棚や自宅のダンボールを漁ると、当時流行っていたゲームの二次創作小説とか、血反吐を吐く思いで絞り出した呪いを書き綴ったルーズリーフなんかが稀に出てくることがある。
自発的に書き始めた文章を完結させたことがあまり多くないので、それらは大抵断片的な文章の書き殴りを線で結んだ講義のノートみたいな形であることが多いのだけど、その度に「これ書いたの誰?自分?」と呆れてしまう。呆れるというほどマイナス方向の感情でもないのだろうけど、それほど豊かではない自分の語彙力の中でひねり出せる言葉としてはたぶん、呆れるという表現がその時の情動にいちばん近いのかもしれない。

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まとまらないまま3日になってしまったけれども、書き始めたのは2日だし、このタイトルのままでいいか。
駄文駄作を生産し続けることの方が大事だ。

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