生歌への残響付与のことを考える

先日、生ピアノと生歌でのコンサートを行う機会があった。
主にオペラを専門に上演している団体で、彼らはアコースティックな響きを大事にしている。

…一方で私は、PC再生での演劇や舞踊、台詞やトークのPA、稀にワイヤレスマイクの付け外しなんかをやっていて、オペラは音響室でプランナーの指示通りにフェーダーを上げ下げする係、曲の合間にマイクやスピーカーを出し入れする係しか経験がない。客席の音を知らないのだ。
正直、ハードランディングだと思ったが、ない頭と経験で考えるしかない。
ので、以下、正しいか否かはともかく、考えた諸々の記録です。

プランニング

ホールと呼ばれるような劇場の多くでは、楽器や歌唱、台詞などの生音を音響反射板、客席の天井、舞台装置などといった物体が観客方向に反射し、台詞の補強であったり残響であったりといった効果をもたらす。
劇場を楽器に例えるなら、先に挙げたような構造物が金管楽器のベル(先端の広がっている筒状の部分)となって、上や横に抜けていく音を客席に集約させてる役割を担っている。
ところが今回の劇場は極めてデッドな(残響が短い、少ない)空間で、反射音による補強や残響が期待できなかったため、
フットマイクで拾ったものをエフェクターに送り、返ってきた残響だけを天井のシーリング、ウォールスピーカーから拡声することで、生歌+劇場の響きに、電気的に残響を付与することにした。
それをあからさまに行ってしまうと、生の響きを大切にする彼らの信条に反することになるため、あくまで補強としての効果を目指す必要がある。
よって今回は、できるだけ品のあるリバーブにしたいと考え、Bricasti Design M7を使用することにした。
https://www.electori.co.jp/bricasti/m7.htm (エレクトリの製品紹介ページ)
私が個人的に外付けのリバーブを使いたかったというのが一番の理由だけれど、効果音にかけたりする程度であれば、最近の音響卓にはエフェクターが内蔵されていることがほとんどなので、わざわざこんな高い機材を引っ張り出さずとも事足りることが多い。

また、舞台をプロセニアムよりも前に張り出しているため、プロセニアムやカラムのスピーカーを使用すると拡声されたものが再度マイクに突入しハウリングを引き起こす原因になり、歌唱の邪魔にもなる。そのため、これらの使用は避けることにした。

仕込みの内容

通常、演劇では音楽や効果音を再生する他にも、3~5本ほどのフットマイクやガンマイクを配置し、プロセニアムスピーカーやセンターに吊ったラインアレイなどと組み合わせ、舞台上のセリフを補強するPAを行うことが多い。
今回は生の歌唱+ピアノ演奏となるため、マイクやスピーカーの類の仕込みは一切「なくていい」ものだった。実際、前任者の時は稽古用のガナリマイクとアナウンスを出し、収録用のマイクを仕込んだだけだったらしい。
(他所の音響さんがどうしているかは知らないけれど)生歌生演奏のオペラなどの場合も、私の会社ではフットマイクを仕込むようにしている。これはきっかけや演目の進行を把握するために、袖中や楽屋、照明の調光室といった場所に音声を送る必要があるためだ。
劇場備え付けのエアマイクは客席側に設置されていることが多く、オーケストラピット越しに歌手の声を聞き取ろうとする形になってしまうため、聞かなけらばならない音を楽器や拍手の音が隠してしまうことがある。これを解消するために、足元に設置したマイクをミックスして声を明瞭に聞き取れるようにしている。
また、これらは収録用マイクとして利用することもできる。

フットマイクを設置する際は、複数本を設置することで舞台上のカバー範囲を広げたり、マイクに入ってくる音の総量の均一化を目指すのが定石だが、
今回は一人ずつの歌唱であり、通し稽古を見た限りではいくらか左右に顔を向けることはあっても、立ち位置の移動はなかった。
それらのことから、モニターと残響付与の目的達成には複数本の設置は必要ないと判断し、フットマイクとして舞台前方の床中央にSCHOEPS CCM-4Lgを1本設置した。
https://schoeps.de/en/products/ccm/ccm-microphones/cardioids/ccm-4.html (ShoepsのCCM-4Lg紹介ページ)

初期値の設定

リバーブを始めとしたエフェクターにはパラメータがある。
原音とエフェクトの混ざったバランスはミキサー側で調整を行うことが多いが、リバーブなら長さやシミュレートする空間の大きさ、ディレイなら残り具合(回数)やその間隔などといった項目を好みに合わせて調整する。
安いアナログ卓に付属しているようなものは原音とのバランス調整しかできないものが多いが、一般的に高級機種になればなるほど、調整が可能な箇所が多くなっていく傾向にある。
こういったものは大概、とりあえず通したときにある程度の形になるようにプリセットが組まれている。今回はM7に入っているLarge Hallのプリセットを呼び出し、触る箇所はReverb Time(残響時間)とInitial Delay(初期反射時間)の二点に絞ることにした。その他の項目は聴き比べでもしない限り聞き分けることが難しいような細かい調整は、そもそも触る必要がない場合も多い。
そのため、
また、最初の目標設定のために、劇場の残響時間や寸法などの情報を参考にすることにした。

今回の会場はスペック上では残響時間0.9~1.3秒。だが、今回は客席天井が開く構造のため、通常より声が拡散しやすくなり、残響も感じにくくなっていることが想定された。
また、参考として彼らがよく利用するホールの残響時間を調べたところ、1.3~1.7秒の場所が多かった。この数字のみをアテにしていいものか、今回は初めての試みで確信が持てなかったため、声やSEにかけるときによく使う2.3秒を残響時間の初期値として設定した。

初期反射時間に関しては、天井のシーリングスピーカーとの距離からおおよその見当をつけることにした。
雷が光ってから音が到達するまでの時間でその距離を計算する、というものがある。たとえば、光が見えてから音が聞こえるまでの秒数を数え、それが5秒なら雷までの距離は340m/秒(音速)×5秒(時間)=1700m(距離)となる、というものだ。
劇場図面を参照して客席床面からシーリングスピーカーまでの垂直の距離を測ったところ、およそ12mだということが分かった。
このことから、この会場で歌手から発せられた声が天井に達し、反射して客席に達するまでの時間は、24m(距離)÷340m/秒(音速)=約0.070秒(時間)となる。
今回は足元のマイクを通して電気的に残響を付与することで天井までの行きの経路が短縮されるため、数値上は0.070秒(以下、70msと表記する。1ms=1/1000秒)を設定することが自然であるように思えたが、通常のPAの場合、生声とPAをうまく溶け合わすには初期反射時間が30msを下回ることが望ましい。また、実際の現場でもそれを上回る数値を設定することは滅多にない。
そのため、今回は残響だけではあるが、同様の考え方に近づけることとし、半分の値の35msから始めることにした。

稽古前の調整

稽古前の調整では、仕込みの増員やステージ担当のメンバーに歌唱の位置に立って声を出してもらい、残響の音量感や残り方、各スピーカーの音量バランスなどの調整を行った。

劇場のスピーカーにはLCRのプロセニアム(額縁の上に格納されていたり、吊られていたりする)、カラム(額縁横の壁に格納されている)、3列+上下段の客席ウォール、客席天井LCRのシーリング、後方のバックウォールなどがあった。
前述した理由からプロセニアム、カラムスピーカーの使用はせず、今回はシーリングのLCRを主体に、ウォールの2,3列目を足す形で使用した。
また、ウォールは上下段で個別の制御が可能であったため、客席に近い下段は鳴らさないことにした。

実際に仕込みメンバーの声で喋ってみると、リバーブの残響時間は2.3秒のままで良さそうだったが、初期反射時間は生声と残響の音のズレが気になったため、更に短くし、25msにした。
反射音は天井との一対一で返ってくるわけではないし、そもそも劇場に響きがないというのが出発点なのだから、計算はしたものの、やはり経験則からスタートして、聞いた感じで調整するのがベストだったと思った。

稽古中の調整

マイクチェックの声と実際の歌手の声とは、当然音量も声質も異なり、周囲の環境も違うため、実際の歌唱に合わせての調整をすることになる。
また、今回は歌手に近い位置にマイクがあるため、個人の声量や声質、楽曲の起伏の影響を強く受けることが予想された。
オペレーターは当初、会場の雰囲気が変化することを嫌がってレベルを変えることに否定的な姿勢だったが、稽古が始まってみるとあまりに響きすぎるため大きく下げざるを得ない人がいたり、下げたレベルのままでは響きが感じられなかったり、曲のブレイクでは目立ちすぎてしまうため下げるなど、細かく調整することが必要だった。

稽古が始まり、「もうちょっと上げて雰囲気作った方がいいかな」「この人はもっと足して上げたほうが」などと個人ごとに音響レベルの調整を行っていった。また、初期反射時間は更に短くし、14msとした。

全体の4割ほどの行程を終えた辺りだっただろうか。声量が比較的小さい出演者に合わせてレベルを上げた直後、とびきり響きやすい大声の持ち主が来てしまい、誰の耳にも違いが明らかに分かるくらい急激に響くようになってしまった。
稽古を見ていた制作陣が互いに顔を見合わせ、次に様子を見に来ていた私の上司の方向へ目線を向けたのを見て、しまった調子に乗りすぎた、と思った。
劇場入りの前に話した際、上司からは「やってみろよ、なんでも試してみろ」と背中を押してもらっていたものの、視線で針鼠にされた彼は居心地悪そうにじっと正面だけを見ていた。流石に失敗まで庇ってくれる訳ではないようだった。
私は「お客さんに吸われるので雰囲気としてあったほうがいいと思って試したんですけどォー今のは流石にちょっとやりすぎましたすみません」みたいな弁解をした。こういった手は使えるうちに使っておきたいけれど、徐々に通用しなくなるので頼りすぎないようにしたい、と思ってはいる。
※今回は「こっそり」やってバレてしまいましたが、こういうことしてみようと思うんです、という了解はできるだけ取っておきましょうね

以降、そのやりとりを見ていた演出家が響きのことを相談しに来たり、助言をしてくれたりしてくれるようになった。
彼の相談は当初「もう少し下げ/上げよう」「この人は響きで少し助けてほしい」という音量の相談であったが、何度かやりとりをするうちに残響の時間を短くできないか、などの相談も来るようになり、残響の長さは最終的に1.8秒に落ち着いた。
この数値は普段彼らが利用しているホールのものよりも少し長めではあったが、東京オペラシティコンサートホールの1.9秒に近く、現実的な範囲であることが分かる。

彼の「相談」は、効果を高めたいという意図以外にもおそらく、私が萎縮しないように面子を保ってあげようという意図もあったのだろうと思う。
小太りのイタリア人のような風体の日本人演出家は、実績もさることながらこういった気遣いによって人を上手になだめ、やる気にさせてきたのだろう。
音響が介入する余地がないと思われたオペラのガラ・コンサートにおいて、表現が認められ、相談しながら作品を作るという過程を踏むことができ、私もいくらか高揚した気分で稽古を終え、本番を迎えることができた。

当初はレベルを操作することに否定的だったオペレーターも、理想に固執せず、稽古が終わる頃には演出家の求めるいい塩梅の音量感を掴み、指示を出す前に自ら調整を行ってくれるようになっていた。

総括

・今回は出演者が動かない=動きによる音量差がほぼ起きないため、マイク1本でもいけた。(2本以上のミックスによる位相のズレが生まれないぶん、音はよかったりするのだろうか…?)
・数値の参考にできるものはあったが、結局は実際に耳で聞いての判断が必要だった(何においてもそうだが)。
・理想と現実の折衷がやっぱり大切(これも、何においてもそう)
・考えるのはタダ。
・いい感じになるかは分からないけれど、天井と壁とで初期反射時間の異なるリバーブ、とかやったら楽しいかもしれない。
・残響だけの場合も、HPF(低域をカットするフィルター)で切りすぎると不自然になる。
・変なことして許されるのは若いうちだぞ自分!
・人たらしは怖い。

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