人生讃歌

僕は「アノニマスファンフアレ」が大好きだ。最近になって、やっと、ちゃんと歌詞の意味を考えてみるとさらに好きになった。とは言え、全てを噛み砕くのにはまだ時間がかかるし頭脳が足りないので、以下に一部だけ考えをまとめた。

error音→六弦解放音から始まるイントロ、それに続く「(音聲点検)訊こえるか、僕の存在証明讃歌が。」という歌詞。この世に生まれた僕というerrorが作った音楽はちゃんと届いているか?と、聴いている人に訊き、煽るような入り。ツミキさんを美化しすぎているのかもしれないが、これほど自己中心的でかっこいい歌詞、曲の入りはなかなかないと思う。また、NOMELON NOLEMONの「ルール」もだが、「マイクチェックワンツー聴こえるか」という短いフレーズには、もっと響け、もっと届けという強い思いが凝縮されている。そして、もっと聴いて、もっと好きになって、伝えたいことは何なのかを考えさせるフレーズになっていると思う。

1番書きたかったのはサビの部分。特に最後。

「声を枯らして、愛を謳って、結末を待っている。さらば!絶望的なハッピーエンド。クラップハンズなど、必要無いわ!」

この前の部分の「最終回」「カアテンコウル」「エンドロウル」は演劇を想像させる。

「声を枯らして、愛を謳った演劇の結末。それは絶望的なハッピーエンド。拍手など必要ない。」と、歌詞そのままの解釈ができるが、1つ言いたいことがある。この歌詞をツミキさん本人に重ねても、僕を含めた他の人に重ねても、こんな終わりがあっていいはずがない。勝手に「さらば!」と終わりにしても、二十五階から夜の街の諠譟と雑り合うような絶望的なハッピーエンドであっても、拍手無しであっていいはずがない。

どんな人であっても、終わりがどれだけ酷くても、それぞれ努力してきたことがあったり誰かに良い影響を与えたりしているはずで、賞賛されるほどのことをしていない人など居るはずがない。規模は違えど、何かしらやり遂げているのだから賞賛に値しないなどありえない。全員からではなくても、1人からでも賞賛はもらうべきだ。

少なくとも僕は、最期は労ってもらいたいし、ツミキさんに拍手を送り続けたい。

「終生は其の熏み付いた白月と酷似している。三分と少しのエラーは、呼吸を開始した。」

後の方が長い、始まったばかりの演劇。これからも僕の大好きな音楽が鳴り続けますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?