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使命についてのメモ、2019年11月19日

"ぼくの使命はなにか?"という問いがずっと頭の中にある。

「生きがいについて」という本を少しだけ読んだ。

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この本の「生きがいを感じる心 使命感」でシュヴァイツァについて以下のように書かれている。

"使命感というものは多くの場合、はじめは漠然としたもので、それが具体的な形をとるまでには年月を要することが少なくない。"

僕は高校生の頃から、漠然とした使命感のようなものを感じている。単なる思い込みかもしれない。でも、ずっと探している。

ナイチンゲールもシュヴァイツァも使命に目覚めるまで時間を要したそうなので少し安心した。

"恐らくシュヴァイツァ自信も、その時はただこのよびかけがまっすぐ自分の心にむかってとびこんでくるのを感じ、全存在でこれをうけとめたのであろう。それはまさにかつての「自分との約束」をみたすものであったのだ。もしその約束を守らなかったならば、たとえ世にもてはやされても、自己にあわせる顔がなくなり、自分の生存の意味を見うしなったであろう。"

僕が使命に関してずっとイメージしているのはまさにこれ。使命を果たさなければ生きることそのものが無意味なように感じる。「人生に意味は要るのか?」というそもそもの問いもあるけれど、ことはそういった類いの問題ではない。

そしてその使命とは個人的なものである、とも思う。

もしシュヴァイツァがアフリカ行のために始めた医学修行を達成せず、業半ばで病に倒れたとしたら、すべては無意味であったろうか。一見そうみえても、彼の存在のしかたそのものからいえば、事の本質は少しもちがわなかったはずである。使命感に生きるひとはにとっては、自己に忠実な方向に歩いているかどうかが問題なのであって、その目標さえ正しいと信ずる方向に置かれているならば、使命を果たしえなくても、使命の途上のどこで死んでも本望であろう。

ここら辺は読んでいて自分が書いているんじゃないかとすら思った笑

以上の例でみられるように、使命感のもっとも顕著な働きは人間の生きかたに強力な統合作用を持つ点である。ミルトンやシュヴァイツァのような強烈な個性の持主の場合には、使命感の内容は集団のなかでの共同の仕事よりも、ひとりでやることに向かうことが多い。その使命感は自分だけにあたえられた任務の自覚として、本人を一つの別の世界に置く。その深い孤独感はサン・テグジュペリの『夜間飛行』の主人公リヴィエールの姿にみごとに描かれている。

ぼくに使命があるとして、それが"ひとりでやる"ものなのかは、まだわからない。

後半の章「心の世界の変革 変革体験の特徴」でも使命に関することが書かれている。

第一に、この種の体験に必ず伴うのは歓喜と調和感情である。この歓喜は静かなよろこびから烈しい恍惚感まで、あらゆる段階がみられるが、そのすべてが生存の根底から湧きあがるという性質をそなえている。ゆえに、あの幼児の、単純な、生きるよろこびと同質のものをもっていると思われる。
………
「(中略)平和の体験によってひとは自己にかかずらうことをやめ、所有欲に悩まされることがなくなる。価値の転倒がおこり、もろもろの限界を超えた無限のものが把握される。注意の野がひろくなり、興味の範囲が拡大される。その結果の一つとして、人類そのものへの愛がうまれる。(中略)」
………
このようなわけで変革体験はただ歓喜と肯定意識への陶酔を意味しているのではなく、多かれ少なかれ使命感を伴っている。つまり生かされていることへの責任感である。小さな自己、みにくい自己にすぎなくとも、その自己の生が何か大きなものに、天に、神に、宇宙に、人生に必要とされているのだ。それに対して忠実に生き抜く責任があるのだという責任感である。これが使命感の形をとり、変革体験のなかで直感的に把握され、それ以後の生きかたを決定する場合も少なくない、…

次は夜間飛行を読んでみよう。

Grazie per leggere. Ci vediamo. 読んでくれてありがとう。また会おう!