ミシュコアトルの母はイツパパロトル

 『太陽の伝説』によれば、400人のミシュコアのうち数人は5人の攻撃から逃げおおせます。その生き残りの2人シウネルとミミチは天から降りてきた2頭の双頭の雌鹿を追っていましたが、その鹿たちが変身した女たちが彼らを誘惑します。そしてシウネルは1人の女に食い殺されてしまいました。もう1人の女、ツィツィミメのイツパパロトルはミミチを誘いますが、彼は火を熾して逃げ、彼女に矢を射ます。ミミチが兄の死に泣いていると、シウテテクティン(シウテクトリの複数形)が聞きつけ、イツパパロトルを焼き殺しました。彼女の灰からは青・白・黄・赤・黒の燧石のナイフが現れましたが、ミシュコアトルは白いものだけを取ってそれを彼のナワリとしました。
 『クアウティトラン年代記』でも、400人のミシュコアはイツパパロトルに食い殺されますが、ただ1人逃げたミシュコアトル(シウテクトリの3つの竈石こと3人の護衛の1人とされる)が彼女を射て、彼の呼びかけで復活した400人のミシュコアも彼女を射殺し、燃やします。
 ミシュコアトルとイツパパロトルの神話はこんな感じですが、『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』でイツパパロトルがミシュコアトルの母とされているのは、参考文献の1冊バー・カートライト・ブランデージ『第5の太陽』の「チチメカの母イツパパロトル」の項に由来するようです。「恐ろしい地母神が彼女の子供達を殺す(中略)が、彼女の英雄的な息子ミシュコアトルに打ち負かされる」と書かれていましたが、このイツパパロトルとミシュコアトルの神話の出典『太陽の伝説』では、ミシュコアトルはトナティウとイスタク・チャルチウトリクエの間に生まれトラルテクトリに育てられていて、イツパパロトルは彼の母としての役割は持っていません。イツパパロトルは地母神の要素を持つものの、少なくともこの神話ではミシュコアトルとは直接的な親子関係はありません。この『第5の太陽』にはイツパパロトルはミシュコアトルの女性配偶神(対となる女神。配偶者・妻である女神という意味ではない)だと書かれていますが、『ヴィジュアル版』には反映していません。また、『ヴィジュアル版』の参考文献には『クアウティトラン年代記』『太陽の伝説』を収録した『チマルポポカ絵文書』も挙げられていますが、それらの神話も反映していません。
 ところで、ミシュコアトル(カマシュトリ)はトナカテクトリとトナカシワトルの4人の息子の1人だという話と、トナティウとイスタクチャルチウトリクエとの間に生まれトラルテクトリに育てられた5人のミシュコアの1人だという話とがあります。チチメカの祖ミシュコアトル(カマシュトリ)とトランの王となるセ・アカトル(トピルツィン・ケツァルコアトル)親子の話が先にあって、それを別のどの話と組み合わせるかが『絵によるメキシコ人の歴史』と『太陽の伝説』とで異なったためにこのようなことになったのでしょう。メシカ人の守護神ウィツィロポチトリとチチメカの祖ミシュコアトルとを共に原初神の息子とすることでウィツィロポチトリの権威アップを図った『絵によるメキシコ人の歴史』と、ミシュコアトル-セ・アカトル親子を現在の太陽と強く結び付けようとした『太陽の伝説』といった違いがあるのだと思います(『絵によるメキシコ人の歴史』では創造神としてまたメシカ人の守護神として活躍するウィツィロポチトリは、『太陽の伝説』では登場したとたんに太陽を動かすための生贄になって死ぬ名ありモブ程度の役)。

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