ミシュコアトルとコアトリクエの間に生まれた子供がコヨルシャウキ、センツォンウィツナワ、センツォンミミスコア

 ミシュコアトルとコアトリクエが夫婦だとする記述はディエゴ・ムニョス・カマルゴの『トラスカラ史』にありますが、彼らの子はケツァルコアトルとなっています。コヨルシャウキやセンツォンウィツナワ、センツォンミミシュコアについての言及はありません。
 この項の見出しにあるような設定が広まったのは、『マヤ・アステカの神々』に「ミシュコアトルは(中略)コヨルシャウキや400人の息子の父であり、コアトリクエの夫」と書かれていたからであり、その参考文献『ヴィジュアル版世界の神話百科アメリカ編』のコアトリクエの項に「ウィツィロポチトリ(戦いの神)、コヨルシャウーキ(月の女神)、センツォンウィツナワックとセンツォンミミスコア(南と北の星座)の母ともされる。(中略)コアトリクエは雲の蛇であるミシュコアトル(狩猟の神)の母だった」、センツォンウィツナワックとセンツォンミミスコアの項に「それぞれ南と北の星座を表わし、アステカの太陽と戦いの神々で、ウィツィロポチトリの兄弟姉妹でもある。(中略)両方の星座とも、母親(オメシワトルないしコアトリクエ)が自分たちを不義によって身ごもったと考えて、母親殺しをくわだて、その罰としてウィツィロポチトリによって空にまき散らされた」と書かれていたからです。
 コヨルシャウキとセンツォンウィツナワはウィツィロポチトリ誕生譚でお馴染みですが、センツォンミミシュコアとは何者でしょうか? 彼らが出てくる神話は一つ上の項で触れた『太陽の伝説』収録のエピソードですが、その話では後にセ・アカトル(・トピルツィン・ケツァルコアトル)の父となるミシュコアトルは400人のミシュコアの後に生まれた5人のミシュコアの内2番目の子です(ミシュコアないしミミシュコアはミシュコアトルの複数形)。5人のミシュコアはトナティウの命令により父母たる太陽と大地に捧げものをしない400人のミシュコアを討つんですが、このエピソードがウィツィロポチトリ誕生譚に影響を与えた可能性はあります。しかし、ウィツィロポチトリがコアトリクエから生まれた時の話にはミシュコアトルもセンツォンミミシュコアも出てきません。
 アルフォンソ・カソ『太陽の民』に「全ての星々は神々であり、センツォンミミシュコア「無数の北方から来た者たち」とセンツォンウィツナワック「無数の南方から来た者たち」と呼ばれる2つの集団に分類されると考えられていた。彼らは太陽が毎日戦わねばならない戦士たちであった」という記述があり、センツォンミミシュコアがセンツォンウィツナワとセットにされているのはここから来ています。しかし、これら2つの集団が同時に登場する史料はありません。また、カソはセンツォンミミシュコアを「無数の北方から来た者たち」と訳していますが、これはミシュコアトルが北方の神であるということから拡大解釈したものであり、ミミシュコア自体は「雲の蛇たち」という意味の名です。
 『ヴィジュアル版』にてセンツォンウィツナワックとセンツォンミミスコアとが共にコアトリクエ(ないしオメシワトル)の子供だとされているのは、上記の『太陽の民』の記述から、南北の星々がいずれも太陽と戦う相手なら、同じ親から生まれた者たちなのだろうと想像で補完したからだと思います。
 センツォンウィツナワがミシュコアトルの息子たちだという話の出所は『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』です。主に『絵によるメキシコ人の歴史』に基づいた説明があり、それによると「(ミシュコアトルは)トナカテクトリとトナカシワトルの4人の子供達の1人で、赤のテスカトリポカとの同一視もされた。同文書の別の章では、テスカトリポカが他の神々を祝賀するためにミシュコアトルに変身した。このテスカトリポカ-ミシュコアトルは彼の考案した火熾し錐で人類に火を与えた。初めて燧石を打って火を熾したことで、ミシュコアトルは戦や狩りの他に火とのつながりも獲得した。彼はまた、太陽を養うために作られた400人の息子たち(センツォンウィツナワ)と5人の女たちの父でもあった。太陽がこの400人の心臓を食べ尽くした後、生き延びた女たちのうちの1人がミシュコアトルの最も有名な子孫ケツァルコアトルを産んだ」となっています(私は英語版しか所持していないため、訳は自己流)。
 しかし、この説明には『絵によるメキシコ人の歴史』の記述とは異なるところがあります。そのうち特に重要なのは、400人の息子たちと5人の女たちを作ったのはテスカトリポカだということです。確かに(黒の)テスカトリポカが他の神々を祝賀するためにミシュコアトルに変身する場面はあるのですが、彼はその後はまたテスカトリポカと呼ばれているので、この変身は一時的なものであったと分かります。けれども『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』では永続的な変身だと考えたのか、ミシュコアトルが400人の息子たちと5人の女たちを作ったことにしています。『絵によるメキシコ人の歴史』ではテスカトリポカが作ったと書かれているのですが。また、「生き延びた女たちのうちの1人がミシュコアトルの最も有名な子孫ケツァルコアトルを産んだ」というのは、詳しくいうと、生き延びた女たちのうちの1人の子孫の女がミシュコアトルとも呼ばれるカマシュトリとの間に息子セ・アカトル(『絵によるメキシコ人の歴史』版セ・アカトルにはケツァルコアトル要素はない)を儲けたのでした。このミシュコアトルないしカマシュトリは赤のテスカトリポカと同一視されるものです。どうも、『図説マヤ・アステカ神話宗教事典』の説明では赤のテスカトリポカのミシュコアトルと黒のテスカトリポカのミシュコアトルとが混同されているようです。この他にも、ミシュコアトルないしカマシュトリとその息子セ・アカトルないしケツァルコアトルの話はいくつかの史料にありますが、いずれもウィツィロポチトリの誕生には直接関与しません。
 また、『絵によるメキシコ人の歴史』では400人の男たちがセンツォンウィツナワと呼ばれている訳ではありません。彼らはこの史料ではコアトリクエを含む5人の女たちの兄弟で、懐にしまった羽毛によって処女のまま妊娠したコアトリクエを殺そうとするも完全武装で誕生したウィツィロポチトリによって皆殺しにされます(この話にはコヨルシャウキは登場しない)。より有名な『フィレンツェ絵文書』版のコアトリクエの400人の息子たちとほぼ同じ役割であることから、『絵によるメキシコ人の歴史』の400人もまたセンツォンウィツナワと見なされたのです。そして、『絵によるメキシコ人の歴史』の別の箇所でこのテスカトリポカが作った400人の男たちは天の第3層にいるとも書かれていて、これはセンツォンウィツナワが星だと考えられる根拠のひとつのようです。
 なお、コヨルシャウキは神話において、ミシュコアトルとコアトリクエの子としてもトナティウとイスタクチャルチウトリクエあるいはトラルテクトリの子としても登場しません。彼女の父については明確な設定はないようです。『フィレンツェ絵文書』ではコアトリクエは未亡人ですが、かつての夫についての詳しい説明はありません。コヨルシャウキがウィツィロポチトリの母でセンツォンウィツナワがウィツィロポチトリの叔父となっているバージョンなら『チマルパイン絵文書』『クロニカ・メヒカーナ』等に収録されています。ディエゴ・ドゥラン『ヌエバ・エスパーニャ誌』ではコヨルシャウキとウィツナワ(400人はいない)はウィツィロポチトリに導かれていたメシカ人であって、彼の姉兄ではありません。コヨルシャウキの物語上で最も重要な役割とは一族のうちのウィツィロポチトリに対する反逆者というものであって、ウィツィロポチトリとの続柄はそれほど厳密に決まっているものではなく、彼女の父が誰かということも割とどうでもいいことです。
 長々と書いてきましたが、まとめると
 

『トラスカラ史』には、ミシュコアトルとコアトリクエが夫婦という話はあるが、彼らの子供はケツァルコアトル。
コヨルシャウキ、センツォンウィツナワ、センツォンミミシュコアがミシュコアトルの子供だという話はない。
センツォンウィツナワとセンツォンミミシュコアが同じ親から生まれたという話はない。それぞれ南の星座と北の星座だと考えられるということで併記されただけである。
『絵によるメキシコ人の歴史』には、センツォンウィツナワに相当するらしき400人の男達と、コアトリクエを含む5人の女達をテスカトリポカが作ったという話がある。テスカトリポカは一時的にミシュコアトルに変化したことがあるため、センツォンウィツナワの父はミシュコアトルだと誤解された。
コヨルシャウキの父についてはっきり書かれた史料はない。『フィレンツェ絵文書』ではコアトリクエの亡夫の名は語られていない。
といった感じです。

 ところで、ミシュコアトルの妻といえばチマルマンも有名です。ミシュコアトルは矢によってチマルマンを妊娠させ、セ・アカトル(・トピルツィン・ケツァルコアトル)が生まれたと言われることがあります。これもまた『太陽の伝説』のエピソードから来ていますが、基になった史料ではミシュコアトルはチマルマンに矢を4本放つも全てかわされます。しかし彼は彼女を捕まえ一緒に寝ます。そしてチマルマンはセ・アカトルを身ごもります。つまり、矢はチマルマンの妊娠に直接関与してはいません。別の文献には通常の性行為によらず身ごもるチマルマンの話もありますが、この矢の話とはまた別物です。

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