当noteの想定読者
考える人
有料記事でもないのに偉そうに想定読者を指定するのはどうかと思うかもしれません。さらに言えば「専門外」の(「若輩」の)「院生」(執筆時)の意見をそのまま受け売りする人もいないと思うのですが、一応書いておきます。
当たり前ですが、考える人であってほしいです。そのための(最低限かもしれないが)内容であると信じています。是にせよ非にせよ。私たちは本能が最大発揮された昆虫(ベルクソン)ではないのです(考えることが生命の本能ではないとすれば)。
こころ
昆虫の話が出たので、少し前に聞いた「ダンゴムシのこころの存在の証明」の話を述べておきます(テレビで紹介されていました)。本も出ているので(未読)過度なネタバレは避けるべきですが、ダンゴムシは壁伝いに歩く習性があり、左伝いに進んでいてT字路につくと、今度は右側が接触するので左折、再び同様の状況になると今度は左側が接触して右折と、交互に進み、効率よく最初の地点から遠ざかるような動きをします。これを逆手にとって、無限にこの動きをさせるとどうなるのかというのを根気よく確かめた人がいて、繰り返していくとついにこの動きを外れて上から脱出するダンゴムシが出てきたことから、普段は抑制されていたこころがダンゴムシに習性(本能)とは異なる動きをさせた、という結論に至ったというものです。
人類はこのことから考えると、よっぽどこころが前面に出ている生物だと思います。そしてこころには「学ぶこと」と「考えること」(そしてなにかを「信じること」)が必要なのです。
余談ですがそういう意味では「考古学」という日本語は「学ぶこと」に加えて「考えること」が必要である(過去は行ってみることができないから)ということでarcheologyの訳語にあてられたのでしょうかね。
文責筆者