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映画『ゾンピスト』における監督のスタンス

ルーマニア出身の映画監督ウィドマーク・マクヘン監督の新作『ゾンピスト(zompist)』の公開がまもなくだ。気が付けば前作『鳥の行く末』から10年近くの時間が経過していた。『鳥の〜』はランドルフ・ニール(『ライト!ライト!ライト!』でミルクをぶっかけられる嫌味な大学生と言えばピンとくるでしょう)主演によるドラマリメイクが発表されたばかりだし、映画ノーカット版の配信も始まった。アゴム国際映画コンクールの招待作品にも決まり、ヨーロッパのごく限られた地域から、マクヘン映画ブームが世界を席巻するんじゃないかとすら思えてくる。もっとも『パラサイト』のようにアカデミー賞をかっさらうなんてことはありえないであろう。……ないよね?
ところで『ゾンピスト』の監督をマクヘンが受けたというニュースは少なからず映画ファンを驚かせたに違いない。オファーした何人かの監督からことごとく断られたのが『ゾンピスト』。最後にお鉢が回ってきたのがマクヘンである。スクリプトはあの“Be quick!”でお馴染み(というかこれしか知らない)のジャローダ・ウッデン大先生なのに…!
監督大本命と言われたウェスティンウッドには軽くあしらわれ、ヨーロッパの至宝(って言い出したの誰だよ。笑)カルメルにも断られ、泣きついた悪名高き映画監督(暴力反対!笑)バーグマンには『スナイダー』の続編を製作してもいいなら、というバーターすら突きつけられる始末。誰もあのトンデモ映画『スナイダー』の続編なんて期待してないわけだから(笑)、これがバーグマン流の断り方だったのでしょう。殴られなかっただけマシだなとすら思う。ある意味マクヘンのような画に情緒を重んじる監督が『ゾンピスト』という原作ありきのクライム映画のメガホンをとるというニュースがベストムービー.comの記事にアップされた時はウルトラCが起こったなぁ、と誰もが思ったはずだ。
とにかく『鳥の〜』はラストのあのハムエッグのシーンを描きたかっただけの映画だった(bird and ham and eggsovie)なんて揶揄された佳作といおうか、奇作といおうか。確かにあの手口は映画的に見て犯罪ギリギリでしょうと(笑)。マクヘンあっぱれ派とマクヘン許すまじ派が未だにつばぜり合いしているそんな映画である。ちなみに私は前者。崖とコーヒーの描き方はやっぱり反則かな?と思いつつ、ハムエッグとサーシャの後ろ姿をドリーインで撮影した勇気とか製作者側に立ってみると実は正攻法?とも思えたり。公開当時の雑誌『ザイン』(既に廃刊…)のインタビューでもマクヘンは明確な答えを出すことなくこちら側に委ねているのが印象的。

―『鳥の行く末』でサーシャの捉え方が賛否ありますね。
マクヘン:ハムなのか、エッグなのか。それともハムエッグか。そこのラインはあやふやにしたかった。そうなれば、自ずとサーシャはあの形しかない。
―というと?
マクヘン:逆に君ならどうする?少し考えてみてよ。
―私は映画監督ではないので…
マクヘン:でも観客だ。うーん……ヒントはそうだな……“血脈”かな(笑)
(quote/『magazine-zaine』2009年2月号特集“終わりなきノワール”より)

完全オリジナル作品である『鳥の〜』では縦横無尽にキャメラを動かす手法も編み出したマクヘン、本作『ゾンピスト』における彼のスタンスに注目したい。オリジナルを尊重するのか、それともまた映画的犯罪を犯すのか(笑)?
とにかく今年上半期最大のお楽しみであることに間違いはない。2020東京オリンピックと時期がまるっと被っているが、原作『ゾンピスト』を知っている私としてはその重複もまたマクヘンらしいなと思ったりもする。そして一体何の映画の話をしているのだろうと思いながら読み進めた読者の皆さん。ここに書かれたことはすべてデタラメです。そんな映画も監督も誰もいないすべては虚構のでっちあげ、私の空想の殴り書きをあたかも映画批評のように仕立て上げただけの雑文なのだ。「やば…こんな映画知らない…」「この監督だれ…メモメモ」「映画に詳しいと思っていた私は知らない映画がまだまだあるのか…」などなど少しだけ心がぐらついたでしょう。まったく自分が知らないことを読み進める不安感って、ありますよね。暗闇の中、いずれ光=知っていることが現れるであろうという希望を抱きながらも不安になってしまうという文章実験にここまでお付き合い頂いてしまってすみません。怒らないで〈了〉

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