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JOG(98) 忘れさせられた事

戦後、占領軍によって日本史上最大の言論検閲が行われた。


■1.いったいこれが "言論の自由" でしょうか?■

 アメリカ・ワシントンDC近郊にある国立公文書館分館には、
マッカーサー司令部の残した記録文書が、無数のダンボール箱に
保管されている。文芸評論家の江藤淳氏は、その中から占領中に
日本人の書いた大量の手紙の英訳を発見した。氏はそのいくつか
を紹介している[1,p244-]。

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 近頃では以前より広範囲の郵便の検閲が行われているようで すね。腹立たしいことです。言論の自由や思想の自由が声高に 叫ばれていますが、現実には言論も思想も戦時中以上に制限さ れているのです。
 この検閲が、自由を売り物にしている国の軍隊の仕業かと思 うと腹が立ちます。  現在のところラジオも新聞も雑誌も、マッカーサー司令部の 検閲を受けてからでなければ何一つ報道できません。いったい これが "言論の自由" でしょうか? ニュースも情報も、日本 の過去の罪業が連合軍の非の打ち所のない所業と比較され、特 筆大書されたのちでなければ、掲載できぬ仕組みになっている のです。
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■2.月4百万通の私信チェック■

 これらの私信は、占領軍司令部に属する民間検閲支隊(CCD)に
より、無断で開封され、英訳されて、チェックを受けたものであ
る。この組織は将校88名以下、日本人5,076名を含む総員6,168
名(昭和22年3月時点)という大所帯であった。

 これだけの人員で、当時の月1千9百万通から2千万通にのぼ
る私信から、4百万通を開封し、内容を検討していた。また毎月
350万通の電信を検閲し、2万5千通もの電話の会話を盗聴し
ていた。

 さらに日本で発行されるすべての新聞、雑誌、図書、ラジオ、
選挙演説などの事前検閲を行い、内容の修正削除を命じたり、時
には発行禁止処分を行っていた。

■3.アメリカにおける戦時検閲■

 開戦直後の昭和16(1941)年12月19日、戦時立法として、言論出
版集会結社等臨時取締法が公布された。言論の自由を抑圧したと
して悪名高い法律である。奇しくも同じ日に、アメリカではルー
ズベルト大統領が、合衆国検閲局の設置を定めた大統領令8985号
に署名していた。

 両方とも言論の取締を目的としているが、日本の「取締法」の
罰則は、最高刑で懲役1年に過ぎない。アメリカでの最高罰則は
罰金1万ドルまたは禁固10年、あるいはその両方である。罰則
で比較すればアメリカの方がはるかに厳しい統制を行っていた。

 大統領令によって、検閲局長官は「郵便、電信、ラジオその他
の検閲に関して、全く随意に」職務を執行しうるとされ、最盛期
には14,462名もの要員を抱て、検閲にあたった。しかし合衆国憲
法の「言論および出版の自由を制限することはできない」という
条項との抵触を恐れて、検閲局の活動は極力隠蔽された。

 この合衆国検閲局の大規模、かつ秘密裏の検閲システムが、民
間検閲支局という形でそのまま占領下の日本に移植されたのであ
る。当時の日本国民が「言論も思想も戦時中以上に制限されてい
る」と感じたのは、当然であろう。

■4.隠蔽された検閲■

 日本が降伏条件として受諾したポツダム宣言の第10項には、次
のような一節があった。

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 日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活 強化ニ対スル一切ノ障礙(しょうがい)ヲ除去スベシ。言論、宗 教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ。
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 占領軍は、表向きでは言論・思想・宗教の自由をもたらすとい
いながら、実は徹底した検閲システムを持ち込んだ。これは完全
なポツダム宣言違反であり、この点を隠蔽するために、アメリカ
でと同様、日本での検閲も極力秘匿された。

 たとえば、新聞で削除すべき部分を伏字にしたり、黒塗りにし
たら、検閲されていることが分かってしまう。そういう部分は紙
面から割愛され、スペースをつめる事が命ぜられていた。また検
閲制度自体に言及している記事も、当然禁止される。こうして面
向きは、さも言論出版の自由が護られているように、取り繕われ
たのである。

■5.検閲の中の民主主義ごっこ■

 検閲の対象となったのは、軍国主義を鼓舞するような「民主主
義に対する障礙」ばかりではなかった。民間検閲支局の検閲指針
として、30項目の「削除または掲載発行禁止の対象となるも
の」が挙げられていた。その中で、占領軍行政、連合国に対する
批判はすべて封じられた。連合国の戦前の政策を批判したり、占
領軍兵士の婦女暴行や強盗犯罪などの報道も禁じられた。

 朝日新聞は、昭和20年9月前半までは米兵による婦女暴行の
報道、原爆や病院船攻撃など連合国側の国際法違反に言及する記
事を掲載していた。これが民間検閲支局の忌諱にふれて、48時
間の発行停止処分を受ける。これを機に、朝日の報道は、180
度転換して、占領軍の意向に沿ったものとなる。今日まで続く朝
日の論調は、この時に始まったものである。

「満洲における日本人取り扱い」への言及も禁じられたが、これ
は、ソ連による満洲居留民の虐殺、日本軍将兵のシベリア抑留な
どのことであろう。またすでに始まっていたソ連との冷戦に関す
る情報も禁じられていた。「平和を愛する連合国」が残虐行為を
したり、仲違いを始めているというような事実は、都合が悪かっ
たのである。

 さらに検閲指針では、「連合国司令部が憲法を起草したことに
対する批判」も削除または掲載禁止の対象とされた。占領軍によ
る憲法改変は、国際法であるハーグ陸戦規則第43条の「占領地
の法律の尊重」の違反であり、またポツダム宣言12条の「日本
国民の自由に表明せる意思に従い」という条件に背反する。

 占領軍が起草した日本国憲法の第21条第2項には、「検閲は、
これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
」とある。その蔭で、当の占領軍により、大規模な検閲が行われ
ていたわけである。さらに上記「検閲指針」の違反者は米軍の軍
事法廷で訴追され、江藤氏の調べた範囲での最高刑は、沖縄にお
ける強制重労働3年乃至5年であった。[3,p248]

 占領下の日本は、見えない検閲システムの中で「自由ごっこ」
「民主主義ごっこ」をさせられていたのである。

■6.検閲された詩■

 文学作品の中にも、占領軍から軍国主義的として修正削除命令、
または発禁処分を受けたものがあった。江藤氏の著書に、その一
例として次の詩が紹介されている。(ただし、以下の検閲の直後
に、検閲制度の変更が行われ、この詩は原形のまま出版できた。)
まず修正後の形を示す。[3,p297-]

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かへる    川路柳紅
汽車はいつものやうに/小さな村の駅に人を吐き出し、 そつけなく煤と煙をのこして/山の向ふへ走り去つた。 降り立つた五六人のひとびとは/白い布で包んだ木の箱を先頭に、 みんな低く頭を垂れて/無言で野道へと歩き出す。
(a)
青い田と田のあひだに/大空をうつす小川
永遠の足どりのやうに/水の面に消えまた現れる緩い雲

この自然のふところでは/すべてが、あまりに一やうで 歓びと悲しみも、さては昨日も今日も、 時の羽摶きすら聴えぬ間に生きてゐる。
(b)
おまへを生み育てた村の家に、
戦ひのない、この自然と人の静けさの中に。
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 「白い布で包んだ木の箱」には、戦死者の遺骨が入っている。
それが、美しい故郷の山河に戻ってきた、という場面である。

■7.「霊」の抹殺■

 実は、この詩のタイトルは「かへる霊」であり、また(a)と(b)
の部分には、それぞれ次のような部分が削除されている。

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(a)
かつての日の栄光は、/かつての日の尊敬すべき英雄は、
いま骨となって故里へ還つたが、
祝福する人もなく、罪人のやうに
わずかな家族に護られて野地をゆく
(b)
無言の人々に護られた英霊は、/燃える太陽の光のなかで、
白い蛾のやうな幻となつて/眩しくかゞやき動いてゐる、

かへるその霊の宿はどこか、 贖(あがな)はれる罪とは何か? 安らかに眠れよ、たゞ安らかに
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 前節の検閲後の詩では、完全に「霊」の存在が抹殺されている。
江藤氏は語る。

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 したがって、そこでは、人は「かへるその霊の宿はどこか、 /贖はれる罪とは何か?」というような根源的な問いかけを行 ってはならず、また「安らかに眠れよ、たゞ安らかに」という、 生き残った者の「霊」に対する心からの人間的な呼びかけを行うことも禁止されている。[3,p299]
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 江藤氏は、発禁となった吉田満の名作「戦艦大和ノ最期」に関
する章で、次のように述べている。

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 彼が意図していたことは、「軍国主義的」作品を選り出して これを発禁にするというような、ケチで退屈な仕事ではなかっ た。生者と死者を結びつける「きずな」を切断し、日本人のア イデンティティに致命傷をあたえること、彼の意図は、これを おいてほかにはあり得なかった。[3,p354]
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■8.断ち切られた過去とのきずな■

 一人の人間をまったく別の人間に作り変えるための最も徹底し
た方法は、その人の「過去とのきずな」を抹殺する事である。幼
き日の思い出、学生時代の友情や初恋、仕事上の成功と失敗、、、
我々が現在の自分自身でありうるのは、そのような記憶があるか
らだ。記憶が抹殺されれば、過去の自分は見知らぬ他人となり、
今までの自分の人生は意味のないものとなる。

 同様に、ひとつの民族を別なものに作り変えるためには、民族
の記憶、すなわち歴史を抹消し、「君たちは新しく生まれ変わっ
たのだ」と吹き込めばよい。先人の思いを伝えるものをすべて抹
殺し、死者とのきずなを断ち切る。占領軍が検閲によって行った
のは、まさにこの事であった。

 さらにこのような検閲が隠蔽されたという事は、我々に何かを
「忘れさせられた」という事自体を「忘れさせる」。記憶喪失を
自覚していない患者は、自分が正常だと思い込むしかない。検閲
が終わった後も、我々の記憶喪失が長く続いたのは、このためで
ある。

 江藤氏が占領軍検閲の実態を明かす事によって、われわれは何
かを「忘れさせられた」のだと、ようやく気がついた。何をどの
ように「思い出していくか」、それは遺された者にかかっている。
草葉の陰で江藤氏の霊が見守っているであろう。

■ 参考 ■

  1. 「閉ざされた言語空間」、江藤淳、文春文庫、H2.1

  2. 「忘れたこと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H4.1

  3. 「一九四九年憲法-その拘束」、江藤淳、文春文庫、H7.1

////////////★★読者の声★★_/////////_/
                      庭本秀一郎さんより
  

 一人の人間をまったく別の人間に作り変えるための最も徹
底した方法は、その人の「過去とのきずな」を抹殺する事で
ある。幼き日の思い出、学生時代の友情や初恋、仕事上の成
功と失敗、、、
我々が現在の自分自身でありうるのは、そのような記憶があ
るからだ。記憶が抹殺されれば、過去の自分は見知らぬ他人
となり、今までの自分の人生は意味のないものとなる。

 このことばに大変共感を覚えました。困難に直面した時に、自
分自身が拠り所とするのは現在、過去を問わず「人とのきずな」
であると思います。たとえ現在の状況の中で孤独に陥っても、
「過去とのきずな」があれば力も湧いてくると思います。書物の
うえで知った人であるか、実際にこの世に生きている人であるか
どうかにかかわらず、その人に多くのエネルギーを注げば注ぐほ
どその人に対する愛着は増し、その人の人格と自分の人格が統合
されていくのだと思います。

 そうしてはじめて、自分が生きていられるのは決して自分の力
だけではなく、自分を支えてくれている人の「お蔭様」であると
いう気持ちが生まれてくるのではないでしょうか。そういう気持
ちをもてている限り、成功してもおごらず、失敗しても自暴自棄
にならずに生きていくことができるのだと思います。「お蔭様」
の気持ちを持つことは、「生きる力」の重要な要素ではないでし
ょうか。

■伊勢雅臣より

  死者とのつながりを断ち切ることが、我々の生きる力を枯渇
 させることになるのですね。

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