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JOG(1358) 先人たちの死闘 ~ 沖縄、特攻、空襲の真実

「沖縄は捨て石」「特攻は犬死に」「空襲はやられっぱなし」は国民から真実を隠すプロパガンダ。

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■1.ウクライナ国民の高い戦意、日本国民の世界最低の戦意

 ウクライナの戦争はロシア軍の踏ん張りと、アメリカの支援中断により、難しい局面を迎えています。そんな中で、ウクライナ国民の戦意がまだまだ高いことが報じられました。
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同国のシンクタンク「キーウ国際社会学研究所」が昨年12月に発表した世論調査によると、「和平のために領土的譲歩をすべきか」との質問で、74%が「すべきではない」と回答。「すべきだ」とした19%を大幅に上回った。今年2月に発表された世論調査でも、徹底抗戦を訴えるゼレンスキー大統領が69%の高い支持率を維持した。[産経]
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 これに比べると、「国のために戦いますか?」というアンケート調査では「はい」と答えた日本人は13.2%と世界79カ国で最低で、我が国の防衛意識の低さが世界でも突出していることが分かります。

 この防衛意識の低さの原因の一つに、大東亜戦争に関するプロパガンダがあったと考えられます。たとえば、以下のような言い分がまかり通っています。

・沖縄は捨て石とされ、軍部に見捨てられた住民が犠牲になった。
・特攻は人の命をムダに捨てる馬鹿げた戦術で、何の効果もなかった。
・B29による高空からの空襲には、日本軍は何の手出しもできず、やられっぱなしだった。

 こういう刷り込みを子供の時から受ければ、日本は小さな弱い国なんだから、戦争などできっこない。侵略があったら、すぐ降伏した方が良い、などと多くの国民が思い込んでしまうでしょう。

 しかし、上記がいかに史実とかけ離れたプロパガンダか、米軍側の資料にも基づいて明らかにしたのが、軍事ジャーナリスト、井上和彦氏の『歪められた真実 昭和の大戦(大東亜戦争)』です。本稿では、上記の3点に関する史実を定量的データも含めて見ていきましょう。

■2.数字で見る沖縄戦の死闘ぶり

 まず沖縄戦ですが、米軍を主体とする連合軍は55万人の兵力を投入し、そのうち戦死者約1万2千人、戦傷者約7万人という米軍史上最悪規模の犠牲者を出していることが、日本陸海軍の頑強な抵抗ぶりをなによりも物語っています。

 ちなみに『史上最大の作戦』と邦題がつけられた映画に描かれたノルマンディー作戦は、連合軍がドーバー海峡を超えて、フランス側に上陸した作戦で、投入兵力も130万人という大規模なものでしたが、連合軍の戦死者は2千人以下、負傷者は約6千人でした。両方の作戦での双方の投入兵力と死傷者数を比べてみると、次のような表にまとめることができます。

 ノルマンディー作戦
  連合軍投入兵力  1,300千人  死傷者  8千人
  ドイツ軍投入兵力   380千人       9千人

 沖縄戦
  連合軍投入兵力    550千人  死傷者 82千人
  日本軍投入兵力    116千人      94千人

 沖縄戦はノルマンディー作戦に比べれば、両軍の投入兵力で数分の一の規模ですが、死傷者数は連合軍、日本軍とも一桁大きいのです。しかも日本軍は5分の1の兵力ながら、ほぼ自軍の9割近い損害を与えています。沖縄戦がいかに真剣勝負だったか分かります。

 対独戦の勝敗を決定づけたノルマンディー上陸作戦に比べれば、沖縄戦は日本領土での最初の戦闘であり、その面積も日本全体の約0.6%です。今後の本土決戦は、その100倍以上の面積と人口を相手にしなければなりません。その沖縄戦で戦死傷者8万7千もの損害を受けていては、本土全体を占領するには百万の犠牲が出る、と米軍が恐れたのも当然でしょう。

 この数字だけ見ても、日本軍がいかに必死に沖縄を守ろうとしたかが窺えます。「日本軍が沖縄を捨て石にした」などというのは、あきらかに沖縄を日本政府から切り離そうという政治的な意図を含んだプロパガンダです。

 沖縄戦での日本軍の戦いぶりを見て、米政府および米軍高官たちは、日本に無条件降伏させようとするルーズベルト大統領の方針がいかに愚かなものかを知り、ポツダム宣言での有条件降伏勧告に切り替えたのです。[JOG(196)]

■3.「出撃した三十輌の米軍戦車のうち、帰ってきたのはわずか八輌であった」

 日本軍の戦いぶりを具体的に見ておきましょう。米軍は昭和20(1945)年4月1日に沖縄本島に上陸しました。4月8日から16日間、嘉数(かかず)台での激戦が行われました。嘉数台は沖縄本島の中心部からやや南に下った高台で、そこからは那覇市も含め、南部の平坦な地域が一望できます。

 沖縄本島を制圧するには、このあたりの高台を攻略する必要があり、それを見越して日本軍は陣地を構築していました。米軍もこの嘉数台の占領を目指して続々と部隊を投入し、ここで両軍の戦死傷者10万人とも言われる大激戦が展開されました。米陸軍省が編纂した戦史では両軍の戦いぶりをこう記述しています。

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 火炎放射器を装備した自動操縦戦車も加え、全戦車三十輌が、日本軍陣地の主力に強力な攻撃を加えようとこの台地に集結したのである。・・・戦車三輌が進撃の途中、台地付近で地雷にあって擱座(かくざ)した。
 戦車隊が列をつくって進撃しているとき、西原丘陵の陣地から日本軍の四十七ミリ対戦車砲が猛攻を加えてきた。敵弾は十六発が発射されたが、米軍は一発も撃ち返せずに戦車四輌を撃破されてしまった。
・・・とくに村落に入るときが激戦で、村落周辺、あるいはその中に入ってからでさえ、戦車十四輌がやられた。その多くは敷設地雷や四十七ミリ対戦車砲にやられたものだが、なかには、重砲や野砲で擱座させられたものもあり、また日本軍が爆薬箱をもって接近攻撃法をこころみ、爆薬もろとも戦車に体当たりし、自爆をとげるという特攻にやられて撃破された戦車も多かった。
 午後一時三十分、いまや米軍歩兵が来るのぞみはすっかり断たれ、戦車隊は、もとの線まで後退するよう命令をうけた。朝、嘉数高地に出撃した三十輌の米軍戦車のうち、午後もとの位置に帰ってきたのはわずか八輌であった。[井上、p117]
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 ここで戦っている日本陸軍将兵の姿は、爆薬箱を抱いて突っ込んでくる特攻もありますが、それ以外は地雷や対戦車砲を駆使した正攻法の近代戦です。こういう戦いで、米軍は予想をはるかに超える出血を強いられたのです。

 その一方で、軍属として戦闘に参加した5万7千人近くの県民と、それ以外の一般県民が3万7千余の合計9万余の県民の犠牲が出たことは事実です。

 しかし、日本軍は県民の被害を最小にしようと努力しました。長勇(ちょう・いさむ)参謀長が米軍侵攻の前に県庁に出向いて、島田叡県知事や荒井退造警察部長に「県には北部山岳地帯への住民疎開と6ヶ月分の食料確保をお願いしたい」と依頼しています。こうした軍と県庁の協力で、20万人近くの県民の命が救われています。[JOG(1345)]

■4.「日本の空軍が、こんなに頑強だとは思わなかった」

 沖縄戦では陸上戦とともに、戦闘機による特攻が猛威を振るいました。特攻は昭和19(1944)年10月25日、フィリピンのマバラカット飛行場から飛び立った関行男大尉率いる敷島隊から始まって、終戦までの約10ヶ月間に、海軍は2367機、陸軍は1129機が出撃して、合計3910柱が散華されました。

 それによる米海軍の被害は、艦艇数278隻以上、戦死者約1万2300人、重傷者約3万6000人、さらに恐怖による戦闘神経症の患者2万6千人が出ました。日米両軍の戦死傷者数だけ比較しても、日本側3910柱に対して米軍は4万8300人。10倍以上の犠牲を与えています。

 上述の敷島隊5機のうち、零戦1機は護衛空母「セント・ロー」に突入し、同艦は大爆発を起こして沈没。乗員889人のうち143人が艦と運命を共にしました。残りの4機は護衛空母「カリニン・ベイ」「キトカン・ベイ」「ホワイト・プレインズ」に突入して損害を与え、これらの空母は修理のために戦線離脱を余儀なくされました。

 敷島隊と合わせて、同日、合計18機が出撃し、合計では「セント・ロー」撃沈、3空母大破、4空母損傷という戦果を上げました。同時に空母艦載機128機が失われ、兵員も戦死・行方不明1500人、戦傷者1200人以上の損害が出ました。わずか18機、1日の攻撃による大戦果です。これだけの戦果を上げた特攻に関して、米海軍のベイツ中佐は、こう語っています。
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 日本の空軍が頑強であることは予め知っていたけれども、こんなに頑強だとは思わなかった。日本の奴らに、神風特攻隊がこのように多くの人々を殺し、多くの艦艇を撃破していることを寸時も考えさせてはならない。だから、われわれは艦が神風機の攻撃を受けても、航行できるかぎり現場に留まって、日本人にその効果を知らせてはならない。[井上、p130]
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「特攻隊は効果がなかった」というプロパガンダは、この頃から始まっていたのです。

■5.「明朗ニ潔ヨク還ツテ来イ」

 特攻は必死の戦術ですが、死ぬことが目的だったわけではありません。敵艦を攻撃して損害を与えることが目的であって、それが達成できない状況では、還ってくることが指示されていました。

 昭和20(1945)年5月に作成された特攻隊員用の教本「と號空中勤務必携」には、敵艦への突入方法の他に、「天候ガ悪ルクテ自信ガナイカ目標ガ発見出来ナイ時等」の指示が出されていました。
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 落胆スルナ 犬死シテハナラヌ 小サナ感情ハ捨テロ 国体ノ護持ヲドウスル 部隊長ノ訓示ヲ思ヒ出セ ソシテ 明朗ニ潔ヨク還ツテ来イ[井上、p136]
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 さらに、「途中カラ還ツテ着陸スル時ハ・・・ 爆弾ヲ捨テロ 予(あらかじ)メ指揮官カラ示サレタ場所ト方法デ」とも記載されていました。特攻が不可能な場合は、部隊長から「犬死にしてはならぬ」と訓示され、また指揮官から、その場合は爆弾を捨てて着陸する方法まであらかじめ指示されていたようです。

 また、特攻に出撃する隊員たちについて、陸軍特攻隊の教官であり、自らも終戦前日に特攻命令を受けた陸軍きっての名パイロット田形竹尾准尉は、こんな話を井上氏にしたとの事です。
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 出撃前、特攻隊員は仏様のような綺麗な顔でした。目が澄みきって頬が輝いておりました。彼等は皆、愛する祖国と愛する人々を守るために自ら進んで志願していったのです。戦後いわれるような、自分が犠牲者だと思って出撃していった者など一人としておりません。皆、『後を頼む』とだけ言い遺して堂々と飛び立っていったのです。[井上、p141]
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 こうした隊員たちの真の姿も覆い隠されてしまっています。

■6.B29は485機撃墜、2707機撃破されていた

 昭和19(1944)年6月以降、米軍の超大型爆撃機B29が全国の主要都市を空襲し、焼け野原としました。B29は超高空を飛ぶので、日本の高射砲も戦闘機も届かず、我が国はなすがままに爆撃されていた、と信じられています。

 しかし、米国戦略爆撃調査団の統計によれば、B29は日本軍戦闘機と高射砲などによって485機が撃墜され、作戦中に撃破された(相当の損害を受けた)機体は2707機を数えたのでした。戦死者は3044人にも上っています。

 防空で特に活躍したのは陸軍飛行第244戦隊で、終戦までに約100機のB29を撃墜しました。浜松基地をベースに関東地区や中京地区を爆撃しようとするB29の大編隊を40機の戦闘機「飛燕」で迎え撃っていました。この戦隊の第一飛行隊長・生野(しょうの)文介大尉はB29を5機撃墜、7機撃破しています。同様の「B29キラー」が何人も揃っていて、合計約100機も撃墜したのです。

 生野大尉の戦い方は、破壊力の大きい20ミリ機銃のみを積んで、相手機の正面上方から攻撃を仕掛ける。そこはB29の機関銃の死角があり、かつ相互に急速に近づくので、敵の防御射撃にさらされる時間も短い。その一瞬に急降下しながら、20ミリ機銃を浴びせかける。まさに剣豪の居合い術です。

■7.我々は反省の仕方を間違えている

 こうして見ると、兵員の技量、兵器の性能、作戦能力においては、日本軍は米軍に決して負けてはいませんでした。特に志気においては、自分の命を掛けて国と国民を守ろうとする覚悟は完全に米軍を圧倒していました。負けていたのは物量だけです。

 それを「沖縄は捨て石」「特攻は犬死」「B29にはやられっぱなし」など、真実を覆い隠されて、我々は知らないうちに英霊の真心を踏みにじっているのです。そのような「洗脳」から、「国のために戦う」という比率が世界最低という惨状がもたらされているのでしょう。

 大東亜戦争で真に反省すべきは、ルーズベルト大統領の日本を追い詰めて最初の一発を撃たそうとする計略から逃れられなかったこと[JOG(951)]、スターリンの計略にのって蒋介石軍との戦いに引きずり込まれたこと[JOG(1031)]などの諜報・外交面です。この面の失敗は伏せられ、反省もされていません。

 こうして我々の真に反省すべき点は覆い隠され、反省しなくとも良い点を「沖縄は捨て石」「特攻は犬死」「B29にはやられっぱなし」などのプロパガンダで反省させられているのです。相手国の国民の頭脳を支配することを中国語で「制脳権」というそうですが、まずは他者に我々の脳を操られているという現状から脱却しなければなりません。
(文責 伊勢雅臣)

■おたより

■国民の性格がこれ程変わってしまう占領政策があったでしょうか?(僻目の平田さん)

「先人たちの死闘」(沖縄、特攻、空襲の真実)大変興味深く拝読いたしました。

こういう真実を読む度に、マッカーサー占領軍司令官が執った日本占領政策である「日本国憲法+日教組」というものが、如何に巧妙な政策であったかを今更ながら思い知らされざるを得ません。

特に「日教組」による日本国民の洗脳政策は、今後も永久に戦後日本人の頭脳を支配し続けることでしょう。

旧日本軍と直接戦ったマ元帥は、日本軍(日本人)の精強さを身に染みて体験しています。

「憲法」も然ることながら、「日教組」という国民(子供)の教育を担当する部署を押さえたのはよっぽど日本軍(日本人)の精強さが骨身に沁みていたのでしょう。

その政策が3四半世紀以上も続くとは、当のマ司令官もあの世で「こんな筈では?」と臍を噛んでおられるのではないでしょうか? 結果論ではありますが、

中・北・露という敵対的核保有国の太平洋地区の防波堤の位置を占める日本がこれ程だらし無い国家になろうとは思ってもみなかったのでしょう。

敗戦以前の日本人の歴史と性格を知っているマ元帥も、自分の占領政策によってこれ程日本人が変わるとは想像も出来なかったのでしょう。

それにしても人類の歴史上、国民の性格がこれ程変わってしまう占領政策があったでしょうか?

戦前の日本人と戦後の日本人は、まったくの別人種では?

■伊勢雅臣より

 80年後の現在まで、GHQの影響が云々されているのも、我々がだらしないからでしょう。早く覚醒して、ご先祖様たちを安心させたいものです。

■リンク■

・JOG(1345)米軍侵攻から沖縄県民を護れ~沖縄県警察部長・荒井退造の奮闘
 住民の無理解や県知事の圧力をものともせず、荒井は一人でも多くの県民を救うべく、疎開推進に奮闘した。
https://note.com/jog_jp/n/n662d9bfe11e4

・JOG(1031) 日中戦争に引きずり込まれた日本
 日本はどのように、日中戦争に引きずりこまれていったのか?
https://note.com/jog_jp/n/nb2122d62345d

・JOG(951) ルーズベルト大統領が播いた「竜の歯」 ~ 日米戦争、冷戦、そして共産中国
 共産主義者に操られたルーズベルト大統領が、日本を開戦に追い込み、ソ連を護り育て、世界に戦争の危機をばらまいた。
https://note.com/jog_jp/n/n6bea6a8fd2eb

・JOG(196)沖縄戦 ~ 和平への死闘
 勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、米国の無条件降伏要求を撤回させた。
https://note.com/jog_jp/n/n15f409606753

■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

・井上和彦『歪められた真実 昭和の大戦(大東亜戦争)』★★★、ワック、R04
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4898319718/japanontheg01-22/

・産経新聞、R060223「ウクライナなお戦意高く露への譲歩望まず 今後の戦局は動員・軍事支援が鍵  ウクライナ侵略から2年」
https://news.yahoo.co.jp/articles/424f697748e886882801e367af08d7337ffb6811

・President Online、R040628「『国のために戦いますか?』日本人の『はい』率は世界最低13%…50歳以上の国防意識ガタ落ちの意外な理由」
https://president.jp/articles/-/58391

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