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【YouTube版】山岡鉄舟、若き明治天皇を諫(いさ)める

 酒に酔って殴りかかった若き明治天皇を、山岡鉄舟は体を張って諫めた。

■1.「近代世界の大帝王」

 1912(明治45)年7月30日、明治天皇が崩御されるや、英国の首相アスクィスが即座に下院に提出した追悼動議は、満場一致で可決された。その際の演説で、彼はこう述べている。[a]

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 余は歴史上、日本天皇陛下の如く一治世の短期間に、その国民ならびに世界人類のため、かく宏大にしてかつその必要かくべからざる進歩発展を成就し給いたる君主の名を挙ぐる事能わず。
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 アメリカでもニューヨーク・トリビューン紙は、「日本先帝陛下はその御治世の至重至要なるがため、疑いもなく歴史上近代世界の大帝王中に伍し給うであろう」と評した。同様の論評が世界各国で相次いだ。[a]

 幕末の日本は東洋の一小国として近代史に登場したのだが、半世紀後の大正日本はすでに世界の五大国の一つとして数えられていた。この世界史に記すべき日本の大躍進を導いたのが明治天皇であった。

 しかし、明治天皇ははじめから偉人天才であったわけではない。明治元(1868)年に即位された時は、まだ15歳。英明な青年ではあったが、それが世界各国から称賛される大君主にまで大成されたのは、君側にあって天皇を将来の日本の指導的人格としてお育てしようと努力した人々がいたからである。

 その中心人物の一人が、前回の「国史百景(1)」[b]に登場した山岡鉄舟であった。

【続きは本編でご覧ください】

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