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江戸・明治時代の近代医学のあけぼの

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明治日本は開国後すぐに北里柴三郎や野口英世など、世界的な研究者を出しました。それは江戸時代から西洋医学の導入と積み重ねの絶えざる努力があったからです。
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JOG(1198) 「国のため、道のため」 近代医学の祖、緒方洪庵

感染症と闘い、国を憂いて人材育成を続けた一生。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.幕末のコレラ流行に奔走した緒方洪庵  安政5年(1858)6月、長崎に入港したアメリカの軍艦ミシシッピー号乗組員が感染源となって、中国から日本にコレラが持ち込まれ、九州、四国、近畿から江戸まで大流行となりました。江戸

JOG(959) 前野良沢と杉田玄白 ~ 日本初の洋書翻訳

百日間学んだだけのオランダ語の知識で、二人は専門医学書の翻訳に挑んだ。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「医学の基本である人体の内部の仕組みも形態も知らず」  明和8(1771)年3月4日、千住刑死場での腑分け(死体解剖)に立ち会った前野良沢(りょうたく)、杉田玄白(げんぱく)、中川淳庵の3人は

JOG(463)北里柴三郎 ~ 大医は国を治(ち)す

医の真道は人民の健康を保ち、その業を務めしめ、もって国家を興起富強ならしむるにあり。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.「日本の大学者北里来る」■  明治25(1892)年3月、パリに着いた翌朝、北里柴三郎は新 聞を見てびっくりした。どの新聞も「日本の大学者北里来る」 と大見出しで報道していたから

JOG(806) 野口英世、黄熱病との戦い

黄熱病が流行する赤道直下の港町に野口英世は乗り込んでいった。 過去号閲覧: https://note.com/jog_jp/n/ndeec0de23251 無料メール受信: https://1lejend.com/stepmail/kd.php?no=172776 ■1.ノグチ博士来る  1918(大正7)年7月15日、南米大陸の北端、ほぼ赤道直下にあるエクアドルの港町グアヤキルに野口英世は上陸した。助手として看護婦たち、医療機器の技術者、薬剤師などを従えていた。同時に