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【無料公開】日本の唱歌童謡史講座 「第5章 芸術的唱歌誕生、語り継ぐべき唱歌童謡」

第5章 芸術的唱歌誕生、語り継ぐべき唱歌童謡

この講座もいよいよ最終章です。本来ならもっと掘り下げたいことも多くあるのですが、ここで一旦まとめに入らなければなりません。

ここまで、明治維新文明開化から、唱歌が生まれ、童謡が生まれてきた歴史を見てきました。おさらいを兼ねて、唱歌と童謡の名曲をピックアップして年代別に並べてみます。

唱歌と童謡、名曲成立年代

(括弧内記述は歴史上の主な出来事)

【唱歌黎明・外国曲導入期】

国歌・フェントン版の君が代、明治3年、西暦1870年

(西南戦争、明治10年、西暦1877年)

(音楽取調掛設立、明治12年、西暦1879年)

国歌・林廣守版の君が代、明治13年、西暦1880年

唱歌・蝶々、明治14年、西暦1881年

唱歌・蛍の光、明治14年、西暦1881年

唱歌・あおげば尊し、明治17年、西暦1884年

唱歌・埴生の宿、明治22年、西暦1889年

(大日本帝国憲法成立、明治22年、西暦1889年)

【国産唱歌創生期】

(東京音楽学校設立、明治23年、西暦1890年)

唱歌・一月一日、明治26年、西暦1893年

(日清戦争、明治27年、西暦1894年)

唱歌・夏は来ぬ、明治29年、西暦1896年

唱歌・鉄道唱歌、明治33年、西暦1900年

唱歌・荒城の月、明治34年、西暦1901年

(日露戦争、明治37年、西暦1904年)

【唱歌成熟期】

(日韓併合、明治43年、西暦1910年)

唱歌・ふじの山、明治43年、西暦1910年

唱歌・紅葉、明治44年、西暦1911年

唱歌・冬景色、大正2年、西暦1913年

唱歌・朧月夜、大正3年、西暦1914年

唱歌・故郷、大正3年、西暦1914年

(第一次世界大戦勃発、大正3年、西暦1914年)

唱歌・浜辺の歌、大正7年、西暦1918年

(米騒動、大正7年、西暦1918年)

【創作童謡成立期】

童謡・かなりや、大正8年、西暦1919年

童謡・七つの子、大正9年、西暦1920年

童謡・赤い靴、大正11年、西暦1922年

童謡・夕焼小焼、大正12年、西暦1923年

(関東大震災、大正12年、西暦1923年)

【昭和以降】

童謡・赤とんぼ、昭和2年、西暦1927年

(満州事変、昭和6年、西暦1931年)

唱歌・牧場の朝、昭和7年、西暦1932年

国民歌謡・椰子の実、昭和11年、西暦1936年

(日中戦争勃発、昭和12年、西暦1937年)

(太平洋戦争勃発、昭和16年、西暦1941年)

(太平洋戦争終戦、昭和20年、西暦1945年)

ラジオ歌謡・みかんの花咲く丘、昭和21年、西暦1946年

ラジオ歌謡・夏の思い出、昭和24年、西暦1949年

歴史上の主な出来事を併記しましたが、名曲たちがどのような世相を背景にして生み出されてきたのかに想いを馳せることも大事なことです。

さて、この年代表を見て、2つのことに注目していただきたいと思います。

まずひとつは、堅苦しい儀式唱歌などへの反抗から創作童謡が生まれた訳ですが、しかし、じつは現代まで愛される唱歌の名曲「故郷」「朧月夜」「浜辺の歌」などは童謡というジャンルが成立する以前に既に出来上がっていた、ということ。

つまり、唱歌というジャンルは童謡が確立されるまで芸術性の進化がなくただ説教的教育のために型に嵌めて作られていただけという訳では結してなく、唱歌は唱歌としての進化をしっかり果たしていた、ということです。

そしてもうひとつは、昭和以降は唱歌童謡の区別がなくなっていき、又、歌謡曲との区別もなくなっていった、ということ。

これにはじつは「メディアの発展」という側面があることが見逃せません。創作童謡が成立した大正期までは、唱歌は学校の教科書で、童謡は子供向け雑誌で、と、つまり紙媒体によって人々に広まりました。

それが、大正14年(1925年)からラジオ放送が始まると、状況は一変します。唱歌も童謡も歌謡曲も、ジャンルの区別などなく、音声媒体であるラジオから拡散されるようになりました。そして、良い曲、人気のある曲は、ジャンルの区別など関係なく世の中に広まるようになったのです。

戦前は、その拡散力が戦争遂行に利用されてしまい「愛国歌・戦時歌謡・国民歌謡」などといったジャンルが形成されてしまったこともありました。しかしまた、戦後すぐには「りんごの唄」「みかんの花咲く丘」「青い山脈」が人々を勇気付けたこともありました。

音楽は、その使い方次第で、素晴らしい力にもなれば、世の中をおかしくする力もあり、結局はそれらを使いこなす「人」次第ということになります。

かの伊沢修二が「人間の情操の発達には音楽の力が必要であり、日本の文化もこの面で充実させ、諸外国にも通じる日本の文化としての国楽を興していくべきだ」と主張し音楽取調掛が出来たのが明治12年(1879年)です。それから137年経ちました。

伊沢修二の言う「日本の文化としての国楽」は確立されたでしょうか?その後の歴史を見ると、肯定することも否定することも出来そうです。ただし全肯定することも全否定することも出来ないとも思います。

確実に言えることは「芸術的唱歌」は間違いなく誕生してきたし、唱歌と童謡は対立する必要なく、ともに深化して良かったということ。

問題は、私たちの世代が、これらの歴史や価値を忘れてしまっていいのかどうか、次世代に伝えずに滅ぼしてしまってよいのかどうかです。

私は音楽生涯学習指導の活動の中で、大人の皆さんの楽器入門教材としての「唱歌」の価値高さを再認識しましたが、器楽教育上の技巧的な価値高さに加えて、日本の文化財産としての精神的な価値高さを強く意識するようになりました。

唱歌文化の持続には大人の皆さんがまず音楽生涯学習活動に取り組んでいくことが大事だと考えています。現代の音楽の楽しみはパーソナルなものが主流ですが、現代人に本当に必要なのは皆で楽しむことが出来る唱歌のような温かい音楽だと思います。 

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