方言と言語の境目って?

日本語の東京弁と東北弁は同じ言語だろうか。標準ドイツ語とバイエルン語はどうか。標準イギリス英語と標準アメリカ英語はどうだろう。

方言dialectと言語languageにはっきりとした境界はなくて、人によって言うことは違う。

私個人の感覚として、mutually intelligible(お互いに理解できる)かどうかが1つの基準になると思う。なので、ここでは判断基準としてMutual intelligibilityを掲げる。

すると、東京弁と東北弁は異なる言語と言える。東京弁の話者は東北弁を理解できないからだ。

同様の理由により、標準ドイツ語とバイエルン語は異なる言語となる。

しかし、標準イギリス英語と標準アメリカ英語に関しては同じ言語でありそれぞれ方言だと考えてもよいことになる。

ここまで考えて気づいたのは、東北弁やバイエルン語の話者はバイリンガルbilingualだということだ。彼らはそれぞれ標準的な日本語やドイツ語を理解するからである。

社会言語学ではダイグロシアDiglossiaという概念がある。これはアラビア語圏で顕著なのであるが、1つの社会の中で2つの言語が場合によって使い分けられているということである。

アラビア語圏では、人々は標準アラビア語のほかにそれぞれの方言、すなわちエジプト方言やレバノン方言、モロッコ方言などを話す。日常的な場面では方言で会話するのだが、テレビや新聞や演説などはすべて標準アラビア語である。私たちには理解しがたい状況だ。

こう考えてみると、世の中にはバイリンガルの人はかなり多いはずなのだ。バイリンガルと言うと一般的な人々は「英語ペラペラですげー」のような短絡的な印象を抱きがちであるが、そんなことはない。あなたもきっと、立派なバイリンガルだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?