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節分前夜に記す、弔いの文。

2月2日

晴れ。
冷たい風が強く吹く、キーンと冷え込んだ一日。

昨日今日と続けて朝イチ個人リハ。
週末の岡山~大阪LIVEに向け、やりたいことまとめ&精度高める。

スタジオで色々と試している時間は
まっさらな気分になれる、頭真っ白
転じて、気楽。二時間三時間なんて
あっという間。つまり、幸せな時間。

年末年始から音楽界レジェンドたちの訃報が続くなか、
今日は20年来お付き合いのあったライブ制作の方の訃報まで届き
ただただ悲しみとともにご冥福をお祈りしつつ
心底生死の境の紙一重さ、その危うさを思う。

そんな昨今の状況プラス、節分の日を前にして
暦の上では季節の変わり目という折ですので
自分の気持ちにもひとつ折り目を付けるために
私的なお話、最近の身の上話をひとつさせてください。

昨年12月18日の夜、父が亡くなりました。78歳でした。
広島でライブを終えた夜の、突然の訃報でした。

ロウソクの火が、ほんの一瞬の空気のゆらぎの中で
ふっと消えてしまった、そんな感じだったのかな、と。

翌日ひとり新幹線で帰京して家族そろって遺体と対面しましたが、
父はホントにただ眠っているだけのような顔をしていて、
その穏やかさと、指先で感じた肉体の冷たさがどうにも不釣り合いに思えて
現実感の乏しい不思議な気分でした。

お通夜にはライブのため参列できず、
翌朝の葬儀では遺影を前にやはり込み上げてくるものがあり、
これが最期ですので
なんて棺いっぱいに花を添えられた姿を前にして言われると
うっすら死化粧を施された父の顔は普段よりも凛々しさを増しているように見えて
なんでこんなことになっちゃってんだろうなぁ、とそれなりに涙を流したりしつつ
そのまま火葬場で骨を拾い、重いのか軽いのかの判別もしづらい骨壷を抱いて
実家の片隅に即席の仏壇を設けて、チーンと手を合わせたのが12月23日のこと。
この日は風が強く吹くも空気は澄み渡っていて、火葬場へ向かう道中
遠く海の先にはキレイに富士山が見えました。

静かに新年を迎え、先日四十九日の法要も無事に終え、
今頃父の魂も然るべき場所に落ち着いている頃でしょう。

悲しみにふける、というより
何かポッカリとどこかに空いた穴が
しぼんだり膨らんだりを繰り返していて
案外その存在は大きかったんだな、と
自分自身驚いてしまうような、そんな感触で、
「最期に交わすべき言葉はなんだったんだろう?」
そんな思いを巡らせ続けることができるお別れの形というのも
それはそれでロマンチックだったのかな、と今はそう解釈しています。



『金柑の実をついばんで鳥よ天に昇れ』
というテーマで今回いくつか絵を描いていますが、
柑橘系のなかでもとりわけ金柑を好んでいた父への
(幼少の頃によく摘んで食べていた、という記憶とともに好んでいたようです)
自分なりの弔いの思いを込めたもの。
いま岡山城下公会堂に展示してもらっていますので
ご来場の際にはぜひご覧ください。

今月は折しも幼馴染の友人の死から20年の節目で
どうしてこうも色々と重なってしまうものか、と。
ただそんな思いも生き残っている者の身勝手に過ぎませんね
今日もなんとか生きのばし。

「生きている人の心の中に埋葬されなければ
 その人は本当に死んだことになる」

これは、前にも書いたような気がしますが
確か魯迅か誰かの言葉で、いま身をもって感じています。

鮎川さんら偉大なロックレジェンドの方々、
そして私の父も含め、
彼らの残したインパクトの片鱗が
自分のなかの何かしら何処かしらに、確かに埋葬されていること。
それは、今なお生き残っている自分にとって何よりも誇らしく、
そういう受け継いだ思いの強さがあるからこそ
こちらも胸を張って明日からも生きていける。
それがなけりゃただの50数キロほどの軽い身、
継承することの重みをもってしてなんとか現世にしがみつくが如し。
いやいや、しかしもう誰もいなくならないでください。

とりあえず節分に豆をまいたら、願わくば福は内。

福を呼び込むべく
また音を鳴らして、
存分に心を震わせていきましょう。

少しでもアチコチ方々の皆さんが耳を傾けたくなるような
そんな魅力的な低音を求めて、旅はつづくよどこまでも。


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