株式上場の動機

勤務先では上場準備プロジェクトが佳境にさしかかっている。関係者が大きな目標に向かって盛り上がり日夜寝食を忘れて頑張っている・・・姿を、私は当初夢見ていた。数年前、口ばかりで一向に計画に着手しようとしない創業者に、後継者への継承にまつわる税制対策のタイムリミットの問題を持ち出し、幹部会議では上場後にM&Aで大飛躍する夢を語ったりして漸く主幹事証券や監査法人の選定などに漕ぎ着けたころ、創業者から告げられた言葉に対して私は担当を退く決意をした。「君らが上場したいと言うからやってみよう。創業家は上場すると様々な犠牲を強いられ制約を受けるので、乗り気ではなかった。これだけ多額の資金を要する以上、その責任を負いなさい。」

では、創業者にどのような言葉をかけて欲しかったのだろうか。次元の異なる場面だが、参考になる事例はこれだと思う。土光敏夫という人が政府から臨時行政調査会長への就任を要請されたときに示した受諾条件の話だ。「首相が答申に基づいて必ず改革を断行すること。」条件はこれだけではないが、条件を呑ませたうえで大役を引き受けたということに意味がある。首相や政府は臨調を成功させることに対して私利私欲は絡まない。引き受ける土光さんは私利私欲どころかそれこそ命がけの仕事だっただろう。だから、要求する条件も、行政を立て直し国、社会への貢献を必ず反映することを求めたのだと思う。その気になれば豊かな老後人生を謳歌できる立場の人が、個人的なインセンティブで阿修羅の淵に挑むはずはない。

上場の動機は会社が成長し従業員の人生を豊かにし、社会により大きく貢献することだろう。その手段として資金提供してくれる株主にも還元するのは当然だ。上場プロジェクトを引き受ける責任者はとんでもない業務負荷を抱え、責任を負い、健康を犠牲にして頑張り抜くのだけれど、若い後進の社員たちが成長し彼ら彼女らの生活を豊かにし選択肢を広げ、退職時には不足のない保証を提供できるだけの会社にするのだ、という目標があってこそ、そのような大役を引き受けるのだ。創業家に財産をもたらす為とか、創業者の子孫に事業を継がせる為とかあからさまに言われて誰が本気で引き受けるものか。それが本音であれば、ストップオプションなどで予め働きと成果の価格を契約すればいいのだ。


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