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風をあつめて

今日はお休みで、3ヶ月に1回の美容室の日である。
私の前の職場で担任をしていた子のご両親が営業されている美容室で、仕事を辞めてからずっと通っている。タイミングが合えば子どもたちと会うこともできるし、そうでなくても子どもたちの近況や成長したこと、最近のおもしろい様子、色々と話を聞くことができる。本来であれば仕事を辞めたらその子たちと関わりを持つことは難しいのに、直接でなくてもその子たちの人生を垣間見ることができるのはなんとも先生冥利に尽きるのでは、としみじみ感じる。
お父さんの方はカルチャー面での私の好みも理解してくれているので、私が好きそうなもののおすすめだったり、お父さん自身の素敵な話を聞けるのも楽しみの一つだ。

なぜ、美容室に通うようになったかという話であるが、きっかけは前の職場を辞める前の最後の挨拶のときに遡る。最終出勤日まではまだ日にちがあったが、子どもが病気になってしまってしばらく休まなければならないためもう会えないかもとなり、早めのご挨拶をさせてもらった。お迎えに来られたお父さんに挨拶して、最後のお別れを子どもに伝えるとき。子どもとお別れするのにその子を抱きしめながら涙がボロボロ溢れた私にお父さんは「よかったら髪の毛切りに来なくてもいいので、遊びに来てください」って言葉をかけてくれた。この一言がなかったら、きっと美容室に行った今日の私はいない。


いつも思う。"縁"とは、本当に不思議なものだと。

仰々しいというか、胡散臭さを感じるかもしれないが、私の人生のテーマは『愛』と『縁』であると、私は本気で思っている。

『緑の歌』

これは今日美容室で出会った本だ。細野晴臣さんは、私の大好きな星野源さんが敬愛する人であり、ルーツである人なので、私も大好きである。細野さんの歌と出会った女の子の話なのだが、穏やかな話のリズムと、主人公と共鳴できるかのように読み進めるたびに幸せな気持ち。お父さんは「結構面白いでしょう!好きだと思ってました」と言ってくれたし、作中に出てくる細野さんの『風をあつめて』を久しぶりに聴きながら散歩するくらいには影響を受けている。本屋さんに行って絶対に買おうと思った。

その足で美術館に向かう。気になる展示があったからだ。美容室で「気になってるんですよね」って話をしたら「この後行けばいいじゃないですか」と言われ後押しされたから急遽来た。美術館の敷地内に入り、噴水のある庭園に向かって歩いている途中に、とある年配のご夫婦に声をかけられた。

「すみません、よかったら写真撮ってもらえませんか?」

快く承諾し、奥さんからスマホを受け取る。話を聞くと、お住まいは近くで旦那さんと久しぶりのデートとのこと。旦那さんは「久しぶりに手を繋ごうって言ったんだけど、妻が恥ずかしがって断られちゃってさ〜!」と陽気に言う。奥さんは照れくさそうに「そんなこと言ってないじゃない!」と笑う。

「2人の写真を撮りたいんだけれど、2人で来たから撮ってもらえる人がいなくて。本当ごめんなさいね。」と言われる。なんとも可愛らしい奥さんで、写真を撮り終わって一緒に確認したときには恥ずかしそうに「確認なんてもうそんなのいいのよ、まあ〜ツーショットなんて何十年ぶりかしら!」とすごくすごく嬉しそうにしていた。旦那さんは「仏壇に飾らないとな」とジョークを言っていたけれど、これもこれで旦那さんなりの照れ隠しだろう。撮り終わったあと「お礼もできず、ごめんなさいね。本当にありがとうございました」と言われたので、私こそ幸せな気持ちをお裾分けしてもらってありがとうございましたという気持ちになった。
心からの「素敵な1日を!」が言葉になって出てきた。

人の幸せを、しかもこれからきっと交わることのない人たちの幸せをこんなに心底願うことなんてあるんだ、なんて自分に驚きながら、心の温かさと何とも言えない幸福感を覚えながら、今日の出来事を忘れたくなくてnoteを書いている。

今私の前には、バナナとカシスのムースとコーヒーがある。バナナと程よい甘味とカシスの甘酸っぱさのコントラストが何だか今日一日を表現しているようである。

今日あった忘れたくないご縁と思い出を私は今、甘酸っぱさと共に頭の中で何度も何度も反芻している。
これから私はきっとこのカシスの甘酸っぱさを感じるたびに、今日のこの日を思い出すのだろう。

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