命は誰のもの?
ここ最近、命について2つの大きな出来事があり、
それについて思うところがあったのでここに記しておく。
1つは、俳優・三浦春馬さんの自殺。
もう1つは、医師2人によるALS患者への嘱託殺人事件だ。
はじめに書いておくが、
私は自殺や安楽死の否定派ではない。
端的に言えば、生きて得られる喜び以上の苦しみや悩みはあると思うからだ。
「死にたい」と願う人々がこの世にいることも理解出来るし、
実際にそれを選ぶ人たちを蔑んだりはしない。
だから三浦春馬さんのように、他人には理解出来ない苦しみや悩みを抱えて、
自ら命を絶ってしまう人がいることは仕方ないことだとすら思う。
それを「心が弱い」とも思わないし、
「社会が悪い」とも思わない。
命は誰のものなのか?
人は人に生かされている。
それは紛れもなく事実だと思うし、自分1人で生きている人などいないだろう。
そういう意味では命は「自分1人のものではない」のかもしれない。
それでも私は言いたい。
この世に生を受けて、「命」を持って生まれてきたその瞬間から、
「命」は自分自身のものだと。
生きるも自由、絶つも自由。
だから「死んだら周りの人が悲しむ」とか、
「周りに迷惑をかける」とか、
そんなこと考える必要はない。
「生きていれば良いことある」とか、
「全ては命あってこそ」とか、
そんな言葉に耳を貸す必要はない。
安楽死についてもそうだ。
安楽死は決して命を粗末にしているわけではない。
むしろ人間としての誇りと尊厳を持って自ら死を選ぶのだから、
責められることなどないはずなのだ。
残された人たちは悲しむかもしれない、
やるせ無い想いだけが残るかもしれない。
それでも「命」は自分のものなのだから、
本人の決意や思いを、無責任に他人が遮るべきではない。
ずっとこれを言いたかった。
死ぬほど辛かったり、死ぬほど苦しい時は、
死を選んでもいいんだ。
生にしがみつくのか、死を選ぶのか。
全ては自分で決められる
命はあなたのものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?