DaiGoが死ぬほど苦手な理由(ワケ)

DaiGo、お前は『罪と罰』のラスコーリニコフか??
以前、彼のYouTubeで、日産ゴーンの逃亡劇について、「いずれ検察がしっかり調べるはずですよ」とお馬鹿な発言を強調していて吃驚させられたことがある。三権分立すら理解に乏しいらしい。メディアで発言する以上、浅学として誹りを受けても致しかねないね。
若い世代から頭脳明晰で讃えられていて、自分も頭の良さでは負けないと、事あるごとにYouTubeで豪語しているようだが、そういうことを言うこと自体、レベルの低さと品格の乏しさを自ら証明しているに過ぎないのではないだろうか。三島由紀夫や丸山眞男や埴谷雄高が、いちいち、「実は自分って頭が良いんです!」って、自慢しますか?

また彼は事あるごとに、自分が酷い苛めにあった境遇から、自分の力で抜け出したと自慢している。では、お前は、昔自分と同じ境遇であった同胞のはずの、いじめられっ子たちを見捨てるのか?お前は、いつから、いじめっ子側の位相に鞍替えしたのか??

DaiGoのビクビク動きなから偉そうに喋る、あの挙動を観ていると、わたしの奥底に眠っている悪魔の心、嗜虐心が、強烈に駆り立てられる。彼の顔を何度も殴りつけたくなる心が芽生えるのだ。もちろん褒められる感情ではない。あくまで夢想の中だ。

DaiGoの挙動が、生理的に受け付けないのには何かしらの理由があるように感じる。多分それは、苛めらっ子だった自分を上手く消化していないという欺瞞を感じてのことであろうか。ようは弱い自分もパーソナリティの一つを形成しているという事実を誤魔化しているように見えるのだ。それに対して無自覚であるということ。そうした自分の弱いパーソリティも受け入れてこそ、本当の大人になれるというもののはずだが。彼の強がりは、わたしには、青くさくしか映ることがない。筋トレに勤しみ、腹筋が割れていることを自慢しても、本当の自分に向き合ってはいないのだと思えて仕方がない。

ご存知の人も多いだろうが、DaiGoの問題発言は以下の通り。
「自分にとって必要の無い命は僕にとって軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい。いない方が良くない? 邪魔だしさ。プラスになんないしさ、臭いしさ。治安悪くなるしさ。もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」
いま読み返してもびっくりする。その非情な言葉だけでなく、あからさまに教養がないことにも驚く。

DaiGoの発言は、いまの若い世代、または20代〜40代という日本をメインで支えているいまの世代の姿を色濃く映しているようにも感じる。中二病と揶揄されるように利他的な考えや行いをすごく嫌う世代だ。むしろ利他的よりも、利己的に振る舞うほうが頭がよくてスマートだと感じる。全てにおいて報酬と換算されるものにしか価値を覚えない。過去の積まれてきたものに敬意を示すことなく軽視し、ときに酷く侮蔑する(たとえば儒教的な考え方や人文学など)。そして”いまここに”ばかりを浅ましく追い求める。

さらに分かりやすい二分法的な構図で世界を捉えることが好き。勝ち組、負け組という、将来の自分にも矛先が向かうかもしれない残酷な二分法も平気で受け入れる。白黒はっきりすることに魅力を感じるのだろうか。相手の話に耳を持つよりも、断定的な物言い、相手をその場で言い負かすような人に、魅力を感じ、信頼を寄せる。ホリエモンやひろゆき、DaiGoは、こうした世代のスターということなのだろう。

※辛うじてDaiGoの弟さんの反論に救いを感じるものの、書きながらも、今の世代の人間性の荒廃ぶりに泣きたくなる思いだ(腐っているのは今の世代だけではないが)。それもすべてこの数十年に及ぶ、利権ばかりを追い求めてきた腐りきった政治と官僚機構が生んだものに違いない。同じ年齢層の方は、この記事を読んで不快に思ったに違いないだろう。しかしどの世代であっても、自分の世代について巨視的な視点をもって客観視することが必要だと思う。そうすることにより自分の所属する世代という村的空気に流れず、独立独歩とした自分の価値観を養うことができるはずだ。少なくてもわたしはそうしてきた。

https://mainichi.jp/articles/20210813/k00/00m/040/046000c...

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