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傍観者になるな、当事者になれ。

見た目からは想像できないかもしれないが(笑)、僕は、3歳から、大学まで18年間野球を続けてきた。

そういうと、ほぼ必ず聞かれる質問がある。

「じゃあ、プロ野球もよく見に行くの?」

その答えは、ノーだ。

もちろん野球は好きだし、誘われれば見に行く。行っても年1回くらい。見に行ったら、新しい発見もあるし、たくさん解説できるし楽しい。でも、自分でチケットを取ってわざわざ足を運ぶことは、絶対にない。

下手くそでも、めちゃくちゃ楽しい。

そもそもなぜ、野球にはまったのか?理由は「スポーツの中で一番難しかった」からだ。

野球は、他のスポーツと比較してもとにかく成功率が低い。バッティングでいうと、どんなに一流の選手でも3割しか打てない。しかも、その3割も、うまくいくときの4割と、だめなときの2割があっての3割だ。つまり、3割ずっとヒットを打ち続ける人が超一流でも難しい。

その予定調和ではない脆さと、粘り強さが問われる、「大人な楽しみ感」が大好きだった。上手な人を見るのが好きなのではない、下手でもたまに訪れる成功のひとときが楽しい。これは野球だけではなく、社会人になってからの仕事や生き方にも通ずる気がしている。

美味しいレストランを知ってるよりも、美味しい料理を作れるか

仕事もプライベートも楽しそうで、充実感がある人はいつも当事者である。

SpotifyやYoutubeで音楽を楽しむだけでなく、自分で音を奏でる。

美味しいレストランを知っているだけでなく、美味しい料理を作れる。

綺麗なホテルでサービス楽しむのではなく、テントを張ってキャンプを楽しむ。

きっと完成度という軸で比べたら、勝てない。でも、その人なりの楽しさとこの世界との一体感がある。

僕は今、そんな人がかっこいいと思う。

身近に溢れる、人生を楽しむチャンス

当事者になることのメリットは事象への「解像度」があがることだ。

カフェでバイトした経験があれば、スタバのラテでも美味しく感じる。ように。

この世界には、思っている以上にたくさんの知らないことで溢れている。

しかも、それは遠くの遥か彼方ではなく、身近にあふれている。

そのことに気づくことができるだけで、今ある環境や自分の人生を楽しむことができるのだ。

偉大なる先輩。おばあちゃん。

思い返すと、僕のおばあちゃんはいつも「当事者」だった。

100人を超える、そろばん塾の経営も全部ひとりでやった。

生徒への、クリスマスプレゼントも自分で選んで、袋詰した。

梅干しも自宅の庭で、干して、漬けて、家族とともに楽しんだ。

年末の、お餅つきも米を炊き、杵と臼を買って、新年を迎えた。

手づくり感満載で、お世辞にもカッコいいとかオシャレではなかったかもしれない。それでも、まわりのみんなは笑顔だった。

そんな「精神的な豊かさ」を惜しみなく与えてくれていた。小さい頃は当たり前過ぎて、気付くことが出来なかったけれど。

「当事者」になることは、生きる楽しみを知ることである。それだけで、人生はもっと豊かになる。

今年は、靴も洋服も自分でたくさん作った。失敗もしたけれど、その失敗までも今では、愛おしい。

当事者になると毎日が、とにかく楽しい。

Be performer. 

明日からも、僕はこの世界の「当事者」だ。

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