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たった一つの本当の問題

様々な問題が世界にあるように見える。
毎日受けるご相談はそれぞれの人に起きている、それぞれの問題として提起される。

例えば健康。
例えばお金。
例えば恋愛。
例えば仕事。
例えば友人。
さらに食品問題、伝染病、政治、経済、宗教(神話)、戦争、災害・・・

けど、本当の問題はたったひとつのシンプルなもので、その問題が枝分かれし、頭で理解できてしまうほど複雑になっただけのように感じる(知識が足りないからわかっていないと思いがちだが、本当はシンプルだから頭には理解(認識)できないだけで、知識を増やすほどにわからなくなってるだけだったりする)

そして、その複雑にした問題の一つ一つに、さらに複雑な答えを求め(答えが単純であっては認められないというか、納得できないというか)、さらにその答えに対し、様々に解決法を探して枝分かれさせていく。

複雑にすればするほど、それはリアリティを増し、本当に起きているかのように感じる。
本当に起きてるように感じるから、それに注視し、たったひとつの、本当はシンプルな問題が奥に追いやられ、それを忘れ、さらに忘れたことすら忘れ、そこには誰も見向きもしなくなる。

忘れる・・・忘・・・心を亡くす。

忘れた上で、複雑に枝分かれした解決法をいくつも試し、具現化のため忙しく過ごす(行動的なものだけでなく、頭がいっぱいという意味でも)

忙しくする・・・忙・・・心を亡くす。


2枚の写真はどちらも、ボクが描いた神さま。
1枚目は幾何学模様と曼荼羅を掛け合わせた形で。

2枚目は「ナントなく」って感覚が神さまだよってのを「クスッ」と笑える身近な存在として。

2枚目の方が本当は的を得てる感じがするけど、複雑なわかった風を欲しがる頭は一枚目をありがたがり、好んじゃって・・・こっちばかり描こうとしてしまう・・・なんともかんとも😊💦

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