眠る記憶と感情の切れ端

何かしら文章が書きたくて適当に名前をつけてみました.題名とは文章を書くための助走のようなもので,これを頼りに言葉が溢れ出してくればこっちのものなのです.今回もうまく行きました.良かった.

最近キーボードを新調して,キーボードのボタン入力の音が若干鳴るタイプのキーボードに変更しました.これの良いところは自分が文字を打っている感がかなり強く実感でき,それだけでモチベーションが上がる点です.その御蔭で今noteに文章を書けています.想定外の問題が出てきていて,入力のための打鍵までのストロークが長いため手首を若干持ち上げて作業しなければならず,手首がつかれます.なんかおいて対処するかな.

1年前と比べられないほど,何も考えずに生きてしまっている.正確には社会生活を営む上で必要ではない思考をしないまま生きてしまっている.以前は滝のように生まれ出ていた言葉が今は何かをきっかけにしないと生まれなくなっていて大変苦しい.文章を書くことが好きなのでライターも行けるかもと思っていた時期もあったけれど,これじゃあ無理だ.
自分がなんの信念を持って生きていて何を伝えたくて詩を書いていたのか思い出せなくなっている.とても恐ろしい事態になってしまっています.恐怖しています.このまま作れなくなったどうしよう,怖いよ.

なにか本気で取り組みたいと思って,でもそこまでのモチベーションが続かずなんやかんや見送っている本や創作物の様々に脳の容量を支配されアプアプしている.なにかきっかけを探すために,映画や普段聞かないような音楽,サンプラーとか買って新たな刺激を接種しようとしている.理屈ではないなにかぼやっとしたものに支配されている感覚.常に息が苦しいみたいな.
書いてみてこの不安定な感覚に対して客観視できて少し安堵した.

生活を成り立たせることと,創作をすることは僕にとっては全く交わらないことなのである.生活をしている自分と創作をしている自分は別物の感覚.同じ4文字なのに.「seikatsu」「sousaku」.韻は踏めるのか.
話はズレたけど,つまり音楽を作るという行為は,自分の延長にはないのです.音楽をしている僕は僕であるけれど同時に僕ではないのです.そして,これはどちらも100%にすることはできなくて,割合になっている雰囲気があります.つまり,生活が3のときは創作が7,生活が8のときは創作が2,といったように.しかもこれは充実とかそういう話ではなく,どれだけの比重がおいてあるかなので,よくない出来事が生活の方にあってしまうと,創作の領域が狭まってしまう.だからなんとかして創作の領域を増やしたくあがいているわけです.

今とある曲を作っているのですが,かなり難航しています.それは上記の件もあるけれど,単純に難しくて,自分をどの立ち位置に持っていって詩をかくべきかが見つからなかったからです.
かなり考えた結果ある程度先が見えてきたので安心しています.

外は雨が降っている.
寒さに震える夜の音に僕は安らぎを覚えてしまう.この寒さはきっと僕も君も同じ寒さだから.
小説のように,明日は普段と別方向の電車に乗って遠くに行ってみたい.そうすることで得られるなにかがあるような気がする.結局どこまでいってもきっかけを探しているだけなのか.そう思いながら就寝することに怯え,今日も意識の外で寝落ちをし明日を歩くのだ.途絶えた記憶にいくつか感情を封じ込めてそのまま置いてきてしまったように錯覚した.いつか取り戻せるだろうか.

よろしければサポートお願い致します.創作活動は完全自主制作のため,こういった優しさは本当に嬉しいですし,これによって長く続けられます.いただいたサポートは作品作りに活用いたします.よろしくおねがいいたします.