見出し画像

知ることは傷つけること

体調がすこぶる悪いです.季節の節目だからでしょうか.体調管理は本当に気をつけたほうが良いです.僕はここ数ヶ月ずっと普通と悪いの間をさまよっています.どうしてこうなった.

さて,最近は○○ハラという言葉がよく出てきており,僕は人生で後輩というステータスの人間との関わりが希薄だったという話はnoteやらはてなブログには書いていたと思う.なので,社会人になって2年目に同い年の女性の後輩ができたときはまあ混乱したし,どういうふうに取り扱えばいいのか探り探りだった.女性ということと,社会人ということが相まって,○○ハラ(ここでは仮にセクハラにしておこう)を決してしないよう気をつけて接していた.その対応がもしかすると腫れ物を触るような態度になってしまっていたのかもしれない,と最近はよく思う.僕の仲の良い先輩は同世代の人と仲良くなるのがとてもうまく,そのあたりを結構ずかずかはいっていくタイプで,(案外こういう言葉って言ってもいいんだな)と勉強になったりもしていた.もちろん相手にもよるので,全員にやっていいというわけではないことは理解している.

僕は人と仲良くなるためには,まず自分から開く必要があると考えてみて,自分のことは好きなことからミスした話まであっけらかんに話す.その方が信用されると思っているから.ただ,自分の秘密を暴露したところで,相手の懐に入らないと相互理解にはならないと思ってきている.

知ること,というのは相手の心に土足で入っていく行為だ.これはかなり危険な行為だとも思っていて,もちろんすべてのタイミングで推奨されるわけではない.でも「知りたい」と思うなら,少し相手の間合いに入っていく行動は必要なんじゃないかと今は思う.無傷ではいられない.「嫌いになられたくない」という気持ちから表面上の部分までしか触らないようになっていて,それがうまく行かなかった原因なんじゃないかって.「嫌いになられてもいいや,知りたい」という行為,相手のメンタルに若干のストレスを与えるのは承知の上で,それでも知りたいから相手の心の間合いに入ろうとすることが必要なんじゃないか.まあ,その距離感がバグっている人も多くて,そこは気をつけないといけないんだけれども.

あまりに紳士的すぎる,というより良い子でいることは,人間関係においては得策ではないのかもしれない,というのが今の僕の考えです.「相手の気持ちを考える」ことはとても大切なことなんだけれども,考えすぎることで動けなくなってしまっては本末転倒なのだ.Don't think, feel.の精神は結構大事だと改めて思っている.常識を超える距離感の詰め方をしなければ,ちゃんと人間同士だからぶつかって,嫌いや好きの交差点で相手を理解するタイミングが訪れる,って思ってるんだけれどどうだろう.

小さい頃はどうやって友達とかって作ってたっけなって考えたときに,まず自分から相手の間合いに入っていってたなって思い出した.(まあ,それは僕が周りに人が集まるタイプじゃなかったことが原因でもあるのだろうけれど).

良い子であることは以外にも簡単で,そこからどれだけ悪い子になることを自分が許せるかが要だと思う.悪い方に流されることは簡単だってよく言うけれど,実は良い子でいることのほうが簡単だったりする.なぜなら説明書があるから.その説明書を超えた部分に人間の温かみや理解があるのかなと思う.

別に悪い子になろうって話じゃない.良い子でいることはいいことではある.ただ,相手を知るという行為そのものは相手の心の間合いに入る行為だから,それは傷つける行為でもあることを理解して,なおかつそれでも入っていくことが必要だって,そう言う話.

だから僕は君のこと知りたいから,少し傷つけても良いかな.でも嫌われたくないからな.結局難しいんだ,この話は.

よろしければサポートお願い致します.創作活動は完全自主制作のため,こういった優しさは本当に嬉しいですし,これによって長く続けられます.いただいたサポートは作品作りに活用いたします.よろしくおねがいいたします.