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吐露/創作をするための営業

昔から自分から声をかけることが多かった。
自分の周りに人が集まることは少なく、自分が目立つしか方法がなかった。一方でクラスには何もしていないのに周りに人が集まる人がいた。シンプルに羨ましかった。憧れていた。
中学では学校内の部活に入ることはなく、カースト外に埋もれていた。特殊枠として自分の立ち位置を確立するように生徒会に所属するようになった。学校では教師の理想の生徒に成り切ることで教師からの信用は厚かった。自分の揺らがない立場を作るにはそれが1番手っ取り早かった。誰かのグループに迎合する1人にはなりたくなかったから、それは正しい動きだったと思う。
高校、大学となるにつれ連む人間は少なくなっていき、社会人になって過去の友人と呼ばれるごく少数の人たちとも疎遠になっていった。そういうものだと思っていた。「ヨッ友」と呼ばれる関係性の人たちは多くいたが、それが何より1番嫌いだった。自分の所属を確立するための行為であり、とても無意味だと感じていた。でも生きていくために僕もやっていた。悲しいし反吐が出るなぁ。
僕は音楽を作っていた。

音楽は所属とかあまり関係なく開始した。音源をライブハウスの方に発見してもらいライブができるようになった。先輩バンドや後輩バンドが増えてきて、人との繋がりが多くなっていき、社会的な生き方が必要になっていく。打ち上げで酒を飲むことや、挨拶をすることなど、古い関係性によって構築されていると感じている。自分の心を殺して参加する打ち上げや挨拶に徐々に心がすり減っていき、次第に打ち上げを早く切り上げる言い訳を考え始め、ライブに出るのが億劫になっていった。ただ、「良いライブにブッキングされる」、「良い企画に呼ばれる」などをしないと知られることは無いと肌感覚でわかっており、社会的な立ち回り(=会社的な営業)を覚えていきそこそこ対応していたと思う。

メンバーが辞めてから1人で音楽を作り続けていたが、非常に孤独だった一方で感染症の流行で人との関わりが極端に減り少し楽にもなった。営業のような活動をせずに自分と向き合い作品を創り出すことに専念した。辛くはあったが必要な過程だったと思っている。

感染症の規制が緩くなると、誰と一緒にいるかという情報が増えていった。作者の交友関係が作品の価値に関係していき、付加価値をつける情報として誰と連むかが要素としてなっていった。そして自分は周りに人がいないことを改めて自覚していく。

僕は昔から自分のバンドが人気になることを考えて行動していた。そしてそれは良い物を作ることだと思っていた。自分以外のバンドはある種競合でありライバルなので、なかなか自分で認めることは難しい。理性ではわかっているが本能がそれを許さない。とても苦しい。
けれど、良い機会を得ていくためには多くの人と「なかよし」になって自分を知ってもらうという、極めて社会的な営みでしかなかった。創作も全然社会だった。

客観視すると逆恨みをしてしまっているようにも思うが正直に書けば、作品を知ってもらうためには創作をするだけではなくて営業活動をしていく必要があり、営業適正がある人の方が知られる機会があるということだと今は結論付けている。営業が上手いバンドは売れていく。僕は営業が苦手だ。

自分はこれからどうすれば良いのかがわからない。営業をして振りまいていくべきなんだろうか。きっとそうなんだろうと思う、界隈に可愛がられるのが1番良く、接しづらいと思われた時点で終わりなんだろう。
酒を飲み、思ってないことを述べ、全てに感謝し、話を合わせ、意思を捨て、聞かれる機会を増やすために努力した方が良いんだろう。

ただ、どこかでそんなことが必要のない創作本来を見てもらえる世界があると信じていたりもする。

よろしければサポートお願い致します.創作活動は完全自主制作のため,こういった優しさは本当に嬉しいですし,これによって長く続けられます.いただいたサポートは作品作りに活用いたします.よろしくおねがいいたします.