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桜の季節に生まれ桜の季節に去った父を思う。

今日は父の3回目の命日です。

父は3年前のエイプリルフールに73歳でこの世を去りました。4月5日の74歳の誕生日が目前でした。

父は母と二人暮らしで、娘である私と妹は離れた土地で結婚し暮らしていました。

約8年にわたる癌の闘病の末、亡くなった父。私はちょうどその日、自分の娘たち(父にとっては孫)と夫と4人で父のお見舞いに行っていました。

父の意識はほとんどありませんでした。でもその日、朝から何度も何度も閉じた目から涙が流れていました。夕方息を引き取った後、母は別れの涙だったんだねと言いました。私もそう思いました。

別れの涙、と思ったのは残された私たち家族の考え方です。そんなことないでしょ、感傷的なこと言ってるね、と思う人もいるでしょう。それでいいと思います。

父が亡くなって、様々な手続きやしなければならないことを済ませた私は、自分の暮らす土地へ戻り、今に至ります。

この3年、日々をごく普通に、ご飯を食べ、仕事をし、家事をし、子どもの学校のことをし、そして今はコロナ禍の中で、それなりに暮らしてきました。

でもふとした時に、思うのです。父のことを。

一人暮らしになった母のことを。

8年の闘病の中の父の様々な言葉や表情を。

できなかったことがたくさんある自分の親不孝を。

そしてそれを誰にも言えなくて、どうしようもない気持ちになったりもするのです。

父の別れの涙、のように、私自身はほんとうにそう思っていることを言葉にして発するのは簡単なことじゃない。だって、どんな時に誰にそんな話をしたらいいの。

その思いが膨らんだので、ここに書くことにしました。書くと決めてからも、実はずいぶん時間が経ってしまっています。

だから、今日、父の3回目の命日に始めることに決めました。

思い出、思い出したいこと、後悔、気づいたこと。たまには詩も書きます。ユニークな父でしたので、そんな話も書いておきたいと思います。

では、また。




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