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【仕事】多作多捨

これからは「多産多死」ではなく「多作多捨」を使いたい。

多産多死と同じこと?

仕事で新規事業関係をやっていますが、新規系は上手く行くことは少なく途中で中止することも多いです。でもこれは正しいことで、見込みのないものは早々に止めて、そのときの学びを活かして、リソースを次の事業の種を生み出すものに注いでいきます。

たくさん事業の種を生み出し、見込みがなければ捨てる。
これをよく「多産多死」と言っていました。多くの事業開発の本などを見ると同じように「多産多死」という言葉を使っているでしょう。

しかし、今日事業部で事業創出やその支援をされている方をお話したのですが、その方は「多産多死」は使わず、「多作多捨(たさく・たしゃ)」をあえて使っているとのことでした。

「死ぬ」と「捨てる」では意味が違う

その方に教えてもらったのですが、「多作多捨」は俳句の世界で使われている言葉だそうです。

そこに込められた意味は、俳句の上達のためには作品を多く作り、駄作はどんどん捨てていきましょうというものです。

俳句の世界では、この「多作多捨」はある程度認められているものではあるのですが、だからといって数だけやたら増やすことは本質ではありません。

上達のためにたくさん俳句を読み込むことで、自分の中で良いものを選ぶ目を鍛え、良いものを選び出す力を付けるための多作多捨なのです。

これは、新規事業を立ちあげていくために大事にすべきことと同じ事を言っています。もちろん、見込みのないものを捨てていく、捨てていくなら新たにたくさん生み出すということも大事なのですが、一番は捨てたときに得られる「学びと気づき」であり、それが新規事業に携わるもの、そしてその組織や会社の学びとなり、成長の糧にならなければいけません。

今日お話した方も仰っていたのですが、「死ぬ」というのはどうしてもネガティブに捉えられます。しかし、「捨てる」は何かしら捨てる理由や意図を持っており、その理由や意図には学びが込められているということです。

上手に捨てたなら、評価されるべき

この話と合わせて、その方とは新規事業に携わるものの社内での評価についてもお話しました。

成功率が低い中、新規事業に立ち向かっているわけですが、世間的には「プロジェクト中止」=「失敗」と見なされ、ネガティブに捉えられます。

新規事業については、先も述べたように、失敗の中でも良い失敗をして、組織の学び・成長に寄与するものです。全てうまくいくようになっている事業はもはや新規事業ではありません。
(もちろん、成熟市場でもその会社として新しい事業領域であれば新規事業かもしれませんが、社外に既にトッププレイヤーがいれば勝てる見込みは少なくなります)

「死ぬ」という言葉を使わず、「捨てる」という言葉にすることで、たとえ途中で事業を止めるとなっても、それは必要な捨てるという判断だった、そしてそれは評価されるべきであるということが「捨てる」という言葉に込められています。

そして「良い失敗」=「上手に捨てる」ことができたなら評価されるという風潮ができれば、新規事業に取り組んでくれる人も増えますし、リスクを負って新規事業に立ち向かってくれる人も報われます。

このような言葉や解釈を知る機会があり、本当にためになりました。
多捨…もとい、多謝!!


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