ユトリロ展
こんにちは。
京都駅にある、美術館「えき」KYOTOで開催されている『生誕140年 ユトリロ展』を観てきました。
モーリス・ユトリロという画家はご存知でしょうか。
フランスのパリに生まれた画家なのですが、このユトリロという人はなかなかかわいそうな人で、涙なしには観られないといってもいいくらいです。
私も最近知った画家なのですが、五郎さんのユーチューブで紹介されているのを観てとても興味をもったのと、その作品にもとても惹かれました。
簡単に紹介すると母親は典型的なネグレクトではあるのですが、そのユトリロ自身もマザコン気質であって、なかなか母親から離れられない人でした。
そして、10代のころから酒を飲み始めアルコール依存症になって何度も入退院を繰り返す状態になってしまいました。
その依存症の治療のために始めた絵を描くということが、やがてユトリロを苦しめることになってしまいます。
当時母親の何人目かわからない夫(ユトリロの父でユトリロよりも年下)と母親から幽閉されるような形で絵を描かされるようなこともあったとか。
今回の展覧会では、絵葉書を模写した作品は展示されていませんでしたが、ユトリロの作品の中でも、とても魅力的な作品が多くあります。
ユトリロの作品には「白の時代」と「色彩の時代」とがあり、評価されているのは「白の時代」の作品と言われています。
もっとも有名なのが、当時パリに住んでいた頃に入り浸っていたお酒を飲めるお店《ラパン・アジル》 モンマルトルのサン=ヴァンサン通り(1910-1920年頃)です。
同じような構図の作品を何枚も描いています。
また、《可愛い聖体拝受者》トルシー=アン=ヴァロワの教会(エヌ県1912年頃)も有名です。
「白の時代」に描かれた風景画はそのどれも、建物の壁をはじめ、全体的に白を基調とした色彩で描かれています。また木の枝が特徴的で建物の窓のほとんどが閉め切られているのも、何かを暗示させているのかもしれません。
アルコール依存症が回復傾向にある「色彩の時代」に入ると、やはりその作品も色彩豊かになり、作品にしっかりとした人物が描かれるようhになっていきます。
しかし、どちらかといえば「白の時代」の作品が多く評価されているとのことです。
私自身も、どちらかといえば「白の時代」の《ラパン・アジル》や《可愛い聖体拝受者》の教会の絵に惹かれます。
そこに描かれているのはほぼ白い世界なのですが、純白というよりも薄く灰色がかった建物の壁と葉のない木の枝、そして建物と同じくらいの黒味がかった灰色の曇天の寒々しいパリの空です。
これらも、当時の孤独といっていいくらいのユトリロの内面的世界と依存症との闘い、そして母親からの愛情からかけ離れた何かが表現されていたのかもしれません。
しかし、人々からすれば、そういうユトリロ自身でもある作品に多くの人が心惹かれ評価されたのかもれません。
当時、依存症の治療のために始めた絵を描くということが、やがて売れるようになって、そのお金でまた酒を飲むようになったというのは皮肉としか言いようがありません。
このように観ると、人の人生って何だろうかと思います。
生まれながらにして厳しい状況に置かれ、もがき苦しみながら生きてきた人が多くいます。
今、現在もそのように生きている人もきっと多いことでしょう。
作品たちを観て、どこか暗澹たる思いに陥ってしまいそうになりますが、ユトリロの人生そのものでもある作品たちの、どこかしらうら寂しさ、もの悲しさに浸るのもいいかもしれません。
そういう何とも評価しがたい魅力がユトリロの作品にはありました。
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