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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】冬の鬼-好きだからここまで来た-

はじめに

前回の永久保存の記事の公開直前に、本記事の取材の日程を決めた。シリーズ第19弾となる本記事は、6月24日に行う、優勝者に私がインタビュー出来る大喜利大会「大喜利取材杯」前に、どうしても完成させておきたかった。

本記事でインタビューを行ったのは、大喜利歴も長く、実績も充分。そして何より、多数の大喜利イベントやライブにも出演している人物である。ただ、タイミングが悪かったのか、私はその人とほぼ接点がない。同じ大会に出場した経験も、数えるほどしかない。

それでも、このインタビューシリーズを続けていく以上、避けては通れない人物。それが本記事の主役、冬の鬼である。

彼は2011年に生大喜利を始めてから、数々の大会で優勝している。また、プロの芸人と混じって大喜利をするライブに出演するのはもちろんのこと、「大喜利が強い一般人」として、テレビ番組に出演した経験もある。

実は彼には面と向かって「いつか取材させてください」と伝えたことがある。その時は「新しい人もたくさんいるし、今更俺を取材しても…」という旨の返事が返ってきたが、改めてTwitterのDMで依頼をすると、快く引き受けてくれた。

基本的に、大喜利の経歴を中心に聴いていくつもりだったが、随所に冬の鬼の大喜利に対する向き合い方がこぼれ出るインタビューとなった。

2023年06月15日20時、インタビュー開始。

生大喜利デビュー

Discordを繋ぎ、挨拶を交わす。冬の鬼は、過去にブログやYouTube等、様々な形でインタビューの模様がアップされているということもあり、本人は「新鮮味がないんじゃないか」とこぼしていたが、私としては「ここで取り上げることに意味がある」と思っている。

彼の生大喜利デビューの場は、誰でも出場出来る大喜利大会の中では日本最大の規模を誇る「大喜利天下一武道会」の運営が開いていた「ビギナー会」である。彼が参加したビギナー会は2011年5月に開催されたもので、生大喜利初心者のための会だった。

バラエティ番組などの影響で、大喜利を「見る」だけではなく「する」ことに興味を持っていた頃。Twitterのタイムラインに流れてきた、どこかの誰かがツイートで出したお題に対して、リプライで答えたりもしていたが「大喜利は実際にペンとボードでやるもの」というイメージが強く、感覚は掴めなかった。そこで、実際に大喜利が出来る場を探すことになる。

「大喜利やりたいなと思った時に『素人 参加 大喜利』とかで調べて…どうやら大喜利天下一武道会っていう大会があるらしいと。で、さらに調べていくと、高円寺あたりで月一くらいで練習会みたいな会を開いているらしいぞって気付いて。まあ、一回やる場としてはちょうど良いのかなと思って、参加してみたんですよ」

10年以上経った現在でも、大喜利の参加のペースを緩めていない冬の鬼だが、元々は「一回だけやってみたい」「そんなに上手くいくわけない」といったことを思っていた。

ビギナー会で行われていたのは、基本的には全員が大喜利に参加する車座の形式なのだが、一人が出題者の役割を担い、その人が出た回答の中でベスト3を決めて、1位の回答を出した人には3ポイントが加算される、といったルールだった。この日冬の鬼は、最も多くのポイントを集めて、優勝する。

ハマるまで

「優勝とか全然出来るとは思ってなかったし、人前で大喜利するとかやったことも当然無いし。『いやあウケたウケた良かった』と思ってたら、(当時参加していた)六角電波さんが会の途中で話しかけてくれて『めちゃくちゃ面白いですね。ネット大喜利って普段どこでやってるんですか?』って言われたんです。その時ネット大喜利って知らなくて、『ネット大喜利って何ですか?』って言ったらめちゃくちゃ驚かれて…」

六角電波自身が、大喜利サイトを通じてボケを投稿する、ネット大喜利を経て生大喜利に参加するようになったプレイヤーだったため、ネット大喜利の経験が無いまま生大喜利を行い、笑いを獲る冬の鬼の存在は、相当驚きの対象だったに違いない。

生大喜利の会の打ち上げでも、当時の彼が詳細を知らなかった、ネット大喜利の話題になる。気になって大喜利サイトを検索しても、「やり方がわからない」という状態だった。とはいえ、生大喜利で評価される回答とは異なるニュアンスの回答がウケているということは、見ていくうちになんとなくわかってくる。しかし、しばらくは「ネット大喜利もどんどんやっていこう」とはならなかった。

冬の鬼がネット大喜利の文化をなんとなく知り始めていた頃、今となっては詳細も覚えていないが、ネットを主戦場に大喜利をしている人物が、Twitterで生大喜利全体をバカにするような内容のツイートをしているのを目撃してしまう。

「中身を見たうえで、つまんないって言われるんだったら全然良いんですけど、生大喜利だからって無条件でこき下ろされるのがめちゃくちゃ納得いかなくて。『何でそんなこと言われなきゃいけないんだ』と思って」

このツイートを見て「面白かったらフィールドとか関係ないだろ」「面白い答えって生でもネットでも通用するはず」と思い、ネット大喜利を始めることを決めた。

少し話は飛ぶが、2023年に本戦が行われた、第17回大喜利天下一武道会は、「大喜る人たち」のYouTubeチャンネルで、大会の模様の一部がアップされており、誰でも観られる状態になっている。数年前から、他のアマチュア大喜利の大会も、YouTubeに上がることが多くなっているが、当時アマチュア大喜利の動画を観ようと思ったら、「大喜利天下一武道会が出しているDVDを購入する」くらいしか選択肢が無かった。

六角電波がネイノーさん名義で優勝した天下一武道会のDVDを観ていると、大会中にこんな文言が登場する。

「出場者にキルヒホッフさんがいたんですよ。キルヒホッフさんが出てくる時の前口上が『大喜利サイト・ぼけましておめでとうございますで3度優勝した伝説の男』みたいな感じだったですよ。ここで『ああ、ぼけましておめでとうございますってサイトがあって、ここを3度優勝したら伝説なのか』と思って。色んなサイトがあるけど、何をどこまですれば凄いのかっていう指針もよくわかんなかったから『やるにしてもなあ』って思ってたけど、『このサイトを3回で伝説なら、1回優勝すれば、生大喜利をディスってた奴も、認めざるを得ないんじゃないか』と思ったんですよ」

こうしてようやく糸口が見つかり、ネット大喜利を始める。「ネタボケライフ」「大喜利PHP」(現在は閉鎖)などのサイトに、当時通っていた大学の通学中などに思いついたボケを投稿していた。

生大喜利に加えてネット大喜利もやり始めて、四六時中大喜利のことを考えているうちに、大喜利にハマっていった。もちろん、最初のビギナー会の段階から楽しかったのは大前提である。

主催の会

冬の鬼が大喜利を始めた頃は、大喜利会を主催する人物も、行われる会も少なかった。そもそも「大喜利が趣味の一般人」という存在自体が、今よりもさらに市民権を得ていなかった。

ここから現在に至るまで、関東を中心に徐々に競技人口が増えていくのだが、彼が大喜利の世界に飛び込んだ数年後に発足し、生大喜利を始めるプレイヤーが増える一因となった大喜利会が存在する。それが、虎猫・冬の鬼、鯖鯖鯖んなが共催の「重力、北京、ナポレオン」である。

もちろん虎猫の記事にも登場しているこの会は、主にネットだけで大喜利を楽しんでいるプレイヤーに、生大喜利を知ってもらう会として生まれた。今でこそ虎猫主催の「始めの一歩」「きっかけの一歩」という生大喜利の初心者に向けた会が定着しているが、それの元祖と言っても過言ではない。

虎猫に誘われる形で、冬の鬼も主催として入ることになった。理由も経緯も覚えていないが、「ネットと生、両方の感覚を分かっている人」だから選ばれたのではないかと、彼は推測している。

また、生大喜利の場で出会ったぼく脳やキルヒホッフといった面々が、生でも面白かったうえに、ネット大喜利でもその面白さを発揮していたことも、共催を引き受けた理由に繋がってくるという。

「やっぱ面白い人ってどっちも面白いじゃんって。面白い回答出せる人ってどこでも面白いんじゃないかなと思って。だったら、ネット大喜利やってて生大喜利やってない人がいたらもったいないなとは思ったんですよ。だから引き受けました」

また、冬の鬼自身も、自ら大喜利会を主催するようになる。そのきっかけは、はっきり書くことが憚られるような内容だったため、かいつまんで説明する。ネット上で、冬の鬼よりも大喜利歴が上の人物たちの立ち振る舞いに疑問を抱いてしまうようなやり取りを目撃してしまう。

「こういう大喜利の場って、もちろん楽しいから参加するんですけど、場を提供してくれる人が変なことしだしたら、ここも安住の土地じゃないだなと思ったというか。今まで何にも考えずに参加しているのが好きだったので、大喜利界隈を良くしようとか、変えようとか思ってなかったし。無責任な参加者でいたかったんですよ」

これまで何も考えず、大喜利をすることだけを楽しみに、会に参加していた。もちろん主催者も、会の間だけは参加者にそのスタンスでいられるように気を配るべきだと私も思う。ただ、「提供されている場」「主催の人間性」などにも疑問を持たざるを得なくなった。

こうしたことがきっかけで「自分でも思いついた会をやってみよう」と決意する。こうして実現に至った企画のうちの一つが、これまで数回行われている「落城大喜利」である。

お題が出題されて、参加者が思いついた回答を出していくのだが、お題ごとに目標点が設定されており、回答の面白さによってポイントが加算されていく。全員で目標点を上回ることが出来るのか?というのが、落城大喜利の概要である。

「全体VS目標って構図にしたかったのと、あと天下一の修行会の形式って1位から3位までの回答がログで残ってたんですよ。始めた当初は映像なんかほとんど無いから、それを見るしかないんですよ。だから、ログを見るのが結構好きで。回答のログが残る必然性がある会にすれば、ログを残すことにも意義が生まれるし、やりやすいなと思ったんで、そういうシステムにしたりとか」

印象的なイベント

ここからは、参加して印象に残っている大喜利イベントや大喜利ライブについて聞いていく。その前に、彼の大喜利に対するスタンスをまとめておこうと思う。

お題に対して回答を出して、大きくウケることはもちろんある。ただ、自分自身を「ネガティブな人間」だと語る冬の鬼は、「ここでウケたとしても、この場所での上手いやり方を覚えて、実行しただけなのではないか」と疑ってしまうという。

「普遍的に面白いことをやれたわけじゃなくて、その場所のやり方で、その場所の点の稼ぎ方をしただけなんじゃないかって、頭の片隅で思っちゃう人間なんですよ。出来るだけ不特定多数の人に見てもらいたいんですよ。そこでウケたら、あそこだけのやり方じゃなかったんだなって分かるじゃないですか」

このスタンスでいる場合、たとえば前述の「重力、北京、ナポレオン」とは、彼にとって、ネット大喜利が主戦場の人たちの前で、生大喜利のやり方でウケることで、「自分の大喜利が普遍的だった、一般的な面白さだった」と思える場だった。

それを踏まえると、彼が準優勝した関西の大規模な大会「大喜利鴨川杯」の第6回も印象に残っているとのこと。その頃はまだ「大喜利のための遠征」が珍しかった時代。関東を中心に活動している冬の鬼の大喜利をする姿は、関西のプレイヤーには新鮮に映った。

「初遠征だったんで、不特定多数の人たちの中で大喜利出来て、終わった後に『めっちゃ面白かったです』とか、声を掛けてもらえたりすることが結構あったんで、それは心に残ってますね」

ライブ出演

プロの芸人と共に、大喜利ライブに出演する機会も多い冬の鬼。初めて出たライブは「大喜利概論」というタイトルのもの。「もう調べても出てこない」と本人は語る。

この大喜利概論は、現在霜降り明星のYouTubeチャンネルなどの作家を務める「白武ときお」という人物が、学生時代に開催した、大学生による大喜利大会である。そこに当時大学生だった冬の鬼や、後にケイダッシュステージに所属するピン芸人・サツマカワRPGが出場した。

大喜利を審査するのは、会場のお客さんとかではなく、白武氏の友人と思われる人物たち。冬の鬼の感覚では、こちらが出すワードが、明らかに審査員に伝わっていないと感じる瞬間があった。

「武家諸法度がどうのこうのみたいな回答を出したんですよ。そしたら武家諸法度がなんだかわかってなかったっぽくて。あ~そうかダメかと思って、何だったら伝わるんだろうなって思って。でも一応決勝まで行けたんですよ」

決勝のメンツは、冬の鬼とサツマカワと他数名の大学生。いざ決勝戦が始まると、それまで「ちょっとヤバイ奴」っぽいキャラを演じて、空気を掴んでウケていたサツマカワが、決勝で急にキャラを変える瞬間を真横で目撃する。

「すごいポップな単語とかでボケ始めて。急に売れ線の曲使ったりだとか、凄いわかりやすい言葉だけで回答を組み立てたりとか。明らかにギアを審査員に分かる方へ切り替えて、ぶっちぎりで優勝したんですよ。俺は出来ることやったんですけど準優勝で。やっぱ合わせる力とか場の空気を感知する能力が高い人が強いんだな、すごいなって」

彼が特に印象に残っているライブは、数年前に出場した「転脳児杯」である。転脳児杯は予選と本戦があり、本戦には大喜利が強いことで知られるプロの芸人が多数出場するが、予選はフリーエントリー。予選は2日間行われて、1日につき上位2名が本戦に進出できる。元々は大阪で行われていたこのライブが、初めて東京に来るというタイミングで、冬の鬼は予選に出場した。

本戦がいわゆる”ガチ”のメンバーであるため、「アマチュアの大喜利プレイヤーは予選すら勝てないのでは」と思っていたが、彼は予選を勝ち抜けることが出来た。

別日に行われた本戦。当時のアマチュア大喜利を取り巻く状況をよく表している、こんなエピソードを聞けた。

「本戦でMCに『あなた誰ですか』みたいに聞かれて『大喜利が好きな一般人です』って言うと、客席みんな頭にハテナ浮かんでて…そんな奴いるのかみたいな。『ボケなのか?』みたいな感じの空気になって。やっぱり今は『大喜る人たち』とか『こんにちパンクール』とかがあるから、大喜利する一般人がいるって分かってるんでしょうけど、当時そういう人たちがいるって知ってる人たちがほとんどいないような状態だったんです」

本戦は、芸人さん目当てでライブを観に来ているお客さんがほとんどだったため、予選に趣味で大喜利を楽しんでいる人が出ていたことは、全く知られていなかった。

そんな状況の中でライブは進んでいくが、いざ始まると、空気が徐々に変わっていく。

「MCがスパローズっていうコンビで、素人もめちゃくちゃ遠慮なくイジるんですよ。それで結構平等に扱われるじゃないですけど、他の芸人さんと同等にイジられるみたいな。そのうえで回答を出したら、やっぱり手ごたえある回答はちゃんとウケるし、『この人ちゃんと大喜利出来るのかも』みたいな空気になってくるんですよ。で、準決勝も勝ち抜けて、決勝のタイマンでは負けちゃうんですけど、アマチュアで大喜利する人間がいるなんて知らない人たちがほとんどの状態から、ちゃんと大喜利の答えでひっくり返して、ここまで来れたっていうのが嬉しくて」

彼が大喜利を始めた当初から考えていた「面白い答えだったらどの場でも面白い」ということを、身をもって証明した結果となった。

「決勝の相手が風藤松原の松原さんだったですけど、凄いなんか独特の空気感があって。ちょっとサイコ寄りじゃないですけど、そっちの空気感の回答が凄いウケてて、それもちょっと感動したんですよ。俺は『回答の中身が面白ければウケる』っていうのが証明された嬉しさもあるし、『回答プラス本人の持ってるパラメータを調整して、よりウケを爆発させてる』のも隣で感じれて『大喜利奥深えー!おもしれー!』と思って。それで負けちゃったんですけど納得だなと思いました」

大喜る人たち

若手芸人や、アマチュアの大喜利プレイヤーが中心に出演し、大喜利を行っているYouTubeチャンネル「大喜る人たち」。今ではチャンネル登録者数が10万人を超え、ライブも毎回大盛況のコンテンツとなっている。冬の鬼は、本チャンネルがこのような大きな存在になる前から、動画に出演している。

大喜る人たちが始動し始めた当初は、アマチュア大喜利界隈と馴染みのある芸人さんが多数出演していたとはいえ、まだ実態を知る者はいなかった。彼が初めて参加したのは、会議室で行われたフリーエントリーの回。

「会議室と言っても怪しいビルの一室みたいな所だったんですけど、機材とかもしっかりしているし、MCもひつじねいりの松村さんでちゃんとしているしで『これは何だろうな』と思ってたんですけど」

これまで何度も経験している「公の場での大喜利」にしては、状況が特殊過ぎて、理解するのに時間がかかった。ただ、出来上がった動画を観ても、編集などのクオリティが高いことは間違いなかった。

そして、現在では頻繁に行われている、大喜る人たちのライブが初めて行われることになる。オファーをもらい、出演することが決まったのだが、コロナの影響で無観客となってしまった。

「まあでも、続けてたら評価されるんじゃないかなって、無責任ながら思ってたんで。フリーエントリーの会には、毎回行けたら行くようにしていて。そしたら、『やっとライブ形式でやります!』ってなって、呼んで頂けて…」

その頃から、チャンネルの知名度が徐々に上がっていき、現在に至る。ちなみに、それ以降冬の鬼はコンスタントに出演しているが、こんな思いを抱えている。

「アマチュアの枠って限られているから、誰かの枠を削っていることには変わりなくて。出るからには絶対ウケなきゃいけないと思ってるし。出たいは出たいんですけど、他の人のチャンスを奪ってるんじゃないかみたいな負い目は若干あるし。毎回めちゃくちゃ緊張します」

テレビ出演

前述の通り、冬の鬼は「大喜利が面白い一般人」という枠で、テレビ番組に出演したこともある。私がその活動の広さをすっかり忘れていたので、当初の質問事項には、テレビ出演の話は含まれていなかったが、収録の最中にいくつか印象に残っていることがあるというので、ここからはテレビでの話を深く掘り下げる。

最初に大喜利関連でテレビに出演したのは、2014年に「ぶらり途中下車の旅」のロケが、かつて池袋にあった大喜利専門のスペース「喜利の箱」に来た際のものだった。その時は普通に喜利の箱のお客としていただけで、特段目立つような出来事は起きていない。

彼が未だに忘れられないのは、2015年に「モヤモヤさまぁ~ず2」に出演した時のこと。この時もまた、喜利の箱でのロケだった。

「俺大喜利始めるきっかけが『内村プロデュース』って番組で。それきっかけで大喜利って面白いなって思って、それきっかけでお笑いも好きになったし。そこに出てる、さまぁ~ずとかの大喜利がめっちゃ面白かったんですよ。『うわあこんな面白い人たちいるんだ』と思って大喜利始めたんですけど…」

さまぁ~ずの二人とテレビ東京の女性アナウンサーが、東京を中心に街を巡る番組。そのロケが喜利の箱に来るとなれば、当然さまぁ~ずの二人もやってくる。

「俺と三村さんが大喜利で戦ったんです。俺が大喜利始めるきっかけになった人ですよ。で、確か勝ったんですよ」

出されたお題は変わったもので、両者ともに苦戦していたが、冬の鬼の一答が大きくウケて、大喜利対決は冬の鬼に軍配が上がった。

「三村さんからも『面白いね!』って言ってもらったんですよ。別にそれを目標としていたわけではないけど、憧れてた人にそんなこと言われたら、もう具体的な目標とかわかんなくなって、もういいやって(笑)」

大喜利を始めるきっかけとなった人物に言われた「面白いね!」の一言。その時の嬉しさは、計り知れないものがある。ちなみに、その対決の場面は、残念ながら丸々カットされてしまい、今となってはテレビ東京にアーカイブが残っているかどうかすら定かではない。

2016年には、テレビのスタジオで大喜利をする機会もあった。ジャニーズ事務所に所属するグループ「A.B.C-Z」の冠番組「ABChanZoo」(えびチャンズー)にて、グループのメンバーと大喜利対決をしたのだ。5人の大喜利が面白い刺客とA.B.C-Zが戦うのだが、その5人の先鋒としての役割を彼が務めた。

「判定人が千原ジュニアさんで、結構褒めてもらったんですよ。ただ、急にメンバーが千原ジュニアさんに大喜利むちゃぶりして…」

本来大喜利の能力がいらないはずの男性アイドル。おそらく苦戦する姿を見せてからの「ジュニアさん答えてみてくださいよ!」的なノリだったに違いない。

「そしたら、前に出したお題と、前の前に出したお題を活かした答えを出してきたんです。それでめっちゃウケて。そんなん用意してるはずも無いし。『ああ~すげえ』って思った記憶があります」

ベテランのテクニックを間近で見て、素直に感嘆した冬の鬼。ちなみに、一番直近に放送された番組であり、煽りVTRでなぜかリンゴを持たされていたことで界隈がざわついた日本テレビ系の「THE 5連覇無双」に関しては「収録内容やスタジオ内で見聞きしたことは外部に言わないように」と番組側からお達しが出ているそうなので、詳しくは聞かないことにした。

転換期

現在まで様々な場で大喜利をしてきた冬の鬼。その中でも、大喜る人たちにも毎回のように出演しているマセキ芸能社のピン芸人、寺田寛明が主催の「大喜利千景」での経験は、彼にとって大きいものとなっている。

プロの芸人と、アマチュア大喜利の人が同じ舞台に立ち、様々な大喜利を行う大喜利千景。そのライブに初めて出演する時期に、彼はとある悩みを抱えていた。

「回答数は結構出せる方だと思ってるんですよ。大喜利大会のルールって、回答数がある程度あった方が有利じゃないですか。それで、絶対にこの人の方がボカンとウケたのに、ルールの妙や手数で俺が勝っちゃうみたいな時が何回かあって…勝てたのは嬉しいんだけど『ルールの妙だなー』とか帰り道一人で思ったりすることも結構多くて。俺はその…『これで良いんかな』とかちょっと思ったりしてて」

様々な角度から、クオリティが高い回答を次々と出せることは、間違いなく彼の武器である。それで勝負が決まることも多々あるだろうが、そのクオリティを遥かに上回る爆笑が起きることも、生大喜利においては珍しくない。そういったプレイヤーたちに、「本当は負けていたのではないか」と疑問を持つのも、なんとなくだが理解できる気がする。

「大喜利千景に出て、いつもの通り手数多く出すけど、やっぱり一発ボカンの人がやっぱり現れるんですよ、ライブだと特に」

終演後、観客が書いたアンケートを見ても「面白かった人」の項目に名前が挙がっているのは、大きい一撃を出した人の名前ばかりだった。普通の大喜利大会なら、今の自分のやり方で正解だが、「面白かった人」には選ばれない、そんなことを考えていた時のこと。

「アンケート見てたら、ひとりだけ面白かった人に冬の鬼さんって書いてくれた人がいて、それがやっぱりめちゃくちゃ嬉しくて。勝つよりも面白い人になりたいなと思ったんですよ。そもそも、大会って勝てば大喜利出来る機会が増えるじゃないですか。大喜利が好きだからいっぱいやりたいんですよ。だから、いっぱいやるには勝った方が良いんですよ。というので、勝つ方へシフトしてた部分も若干あったんですけど、アンケートに書かれるのはこんなに嬉しいことなのかって改めて気付いて」

「手数が多いことは悪いことではない」という心情を持った上で、「一個一個の制度を上げて、爆発させるようにすれば、俺は”面白かった人”になる」と考えるきっかけとなった出来事である。

好きなプレイヤー

いよいよ取材も終盤。ここからは、共通の項目である「好きなプレイヤー」について語ってもらう。冬の鬼にとっては、あくまで「全員が面白い」と思っているので、数人に絞ることは相当難しい作業だったが、無理を言って3人の名前を挙げてもらった。

「まずは、ぼく脳さんですかね。ぼく脳さんが漫画とかをTwitterに上げてる時期があって、結構なんかメタ視点というか…シュールというか難解というか、新しさがまず前面に出ている感じがするんですよ」

天下一武道会で2連覇を達成した、鉛のような銀も衝撃を受けた人物として挙げていた、芸人・パフォーマーであるぼく脳。冬の鬼がぼく脳の名前を初めて認識したのは、天下一の修行会のログだった。その時は「なんか凄いこと言ってる人がいる」と感じたとのこと。

実際にぼく脳と同じ場で大喜利をしたのは、彼が大喜利を始めて3、4ヶ月後のこと。

「初めて大喜利会とかでぼく脳さんとご一緒したことがあったんですけど、むちゃくちゃ腹から笑えたんです。答えの内容とかが、結構尖っていたり感覚的だったりしても、それを言う過程だとか空気感だとかで、ちゃんと腹から笑えることになるんだと思って。信じられないくらい面白かったんですよ」

ぼく脳の大喜利を見ることで「大喜利ってこうじゃなきゃダメ」といった思考を取っ払うことが出来たと語る。

「あとは…同じ理由でカシスさん。ネット大喜利だと、ちゃんと正統派の答えを出されてるのに、初めてライブか何かでお会いした時に、凄い変なことやってて。でもやっぱ同じように腹から笑ったんですよ」

現在は、牛女というお笑いコンビの片割れ、しらすとして活動しているカシス。彼も元々はネット大喜利の出身であり、第15回大喜利天下一武道会では、総合4位の成績を残している。

「あとは…直泰さんです」

このインタビューシリーズでもたびたび名前が出ている、実績を挙げればキリがないほど強者である直泰。直泰の凄さを語る前に、冬の鬼は自らのプレイスタイルについて言及した。

彼はより多くの人にウケたいという気持ちが強いため、出す回答は自然とわかりやすいものになっていくらしい。それは全然悪いことではないと彼は思っている。

「俺は初見の人にもウケたいんですよ。そう考えた結果、わかりやすく誰でも出せるような答えを出してるみたいな感じになってるんですけど。直泰さんって、答えに登場する単語や要素とかは仮に結構見慣れたものでも、組み立て方とか切り取り方が凄い新しくて。そのうえで、初見の人にむちゃくちゃウケるんです。俺は初見の人に伝わることが大事にしていることの一つで、しかもその上で新しいことも出来てると思ってるから、完全に自分の上位互換だと思ってて」

新しいことをやりつつ、初見の人にウケ続けている直泰は、冬の鬼からしたら「希望」でもある。

「あとはそうですね…凄いって言ったら皆挙げてるけどぺるともさんが一番ですかね。フリップで大喜利してきた人類史上一番です。マジでそう思ってるんで」

この言葉は本人にはたびたび伝えており、見ている限りぺるともは喜んでいるそうだ。

「頭で考えてやるのも、身体性を伴ってやるのも、面白くなるっていうのは無敵だと思ってるんで。俺に無いものだな、羨ましいなと思いながら見てますねいつも」

今後の展望

いよいよ最後の質問。今後冬の鬼は大喜利を通じてどうなっていきたいのか、どういう自分でありたいのかを聞いてみる。

「まあ、大喜利は続けていきたいですけどね」

また、大喜利の場においては、大喜利以外のことを考えたくないと語る冬の鬼。大喜利で有名になりたい、Twitterのフォロワーを増やしたいといった承認欲求は、今のところ持っていないが。

「でも、たとえば大喜る人たちで、面白かったからライブも呼ばれるみたいなこともあるわけで。俺は初見の人がいる場にはいきたいんですよ。そのためには、その場に呼ばれるような人間であった方がいいわけなんですよ。だからライブのオファーとかもあったら行きたいと思ってるし。見返りとかは欲しくないけど、呼ばれたいなっていう。欲張りなんですけど(笑)それは単純に大喜利がしたいからなんですよ。純粋な気持ちで大喜利し続けられたら楽しいなと思ってますね」

おわりに

およそ90分の取材が終わった。

直近の彼の話題で言うと、「第3回INPON GRAND PRIX」というヒップホップと大喜利の要素を足した大会で優勝している。回答の中で韻を踏んだり、ラップにまつわるお題に挑んだりする本大会には、冬の鬼同様に予選を通過した虎猫や六角電波が出場しているが、客席には大喜利ファンよりも、ラップシーンのファンの方が多そうだった。

前述したように、彼は不特定多数の人間の前で、一般的に通用する大喜利でウケることを大事にしている。普段の大喜利ライブとは、大きく客層の異なる場でしっかりウケて優勝したことは、本人にとって非常に喜ばしい出来事だった。

生大喜利を始めてから、初見の人間相手に笑いを獲り続けてきた冬の鬼。今日まで大喜利を続けてきたのは、人よりウケてきたからでも、コンスタントに大会で優勝してきたからでもない。大喜利をするのは楽しいから、大喜利が好きだから続けられたのである。

最後に、冬の鬼が最初に大喜利をした時の感想を書いて、この記事を締めたいと思う。

「むちゃくちゃ楽しかったんですよ。大喜利はその頃からずっと好きだし、それで今も来てるって感じですかね」

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