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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】田野-もう折れてる場合じゃない-

はじめに

前回の警備員の記事を書いている最中に、ハチカイが出演している、お笑いコンビ・AマッソのYouTubeチャンネルの動画がアップされた。その後も、警備員とぺるともと冬の鬼がYouTubeで不定期配信している「ラジオクロワッサン」の公開収録が行われるなど、警備員の大喜利界隈以外のフィールドでの知名度が上がりつつある。

記事自体にも多くの反響があり、警備員の凄さを感じた所で、私はこう思った。

「Convaを立ち上げたあの人にも話を聴きたい」

警備員が所属している、コントユニットConvaの発起人は、田野という男だ。田野は関東の大喜利プレイヤーで、様々な大喜利イベントに参加する一方で、自らも多くのライブを主催している。

また、2019年9月に開催された「24時間大喜利フェス」では、最初から最後まで舞台に立ち続ける大役を全うした。

最近では、彼がネタを見たい人を集めたライブ「田野寄席」が行われるなど、話題に事欠かない。さすがに現地で見ることは難しかったので、配信で観たのだが、普段ふれる機会の少ないジャンルの笑いが多く観られて、非常に面白かった。

配信を観たことを田野に伝えてから、インタビューを依頼しよう。そう思った私は、ライブ映像の画面を撮影した画像と「観ました。」という一言をDMで送った。それに対する田野の返事はこうだ。

「ありがとうございます!!!!!
ナカノさんの大喜利の人のインタビュー毎回面白いです!」

さすが田野、話が早い。そのままの流れでインタビューをお願いした。田野は驚いていたようだが、最終的には引き受けてくれた。

田野はこれまで取材したプレイヤーの中で、私と一番大喜利を始めた時期が近い。そろそろ若手とも言えない時期に差し掛かっている彼から、どんな話が聴けるだろうか。

2021年11月9日16時、インタビュー開始。

喜利の箱でデビュー

予定の時間より少し遅れて、田野とZOOMを繋ぐ。私は他の大喜利プレイヤーとはオンラインで頻繁に会っているが、そういった場にあまり顔を出していない田野と接するのは久しぶりだ。

挨拶をして、軽く雑談から始める。直近で行われた、六角電波主催の70人規模の大喜利大会「続大喜利文化杯」の話題を振ると、大喜利を始めたばかりの新人はもちろん、長年やっているベテランも強い人ばかりだという話になった。田野自身、自分は狭間の世代に身を置いていると感じている。

そんな話から、自然と自分たちの大喜利歴の話題にスライドしていった。田野が生大喜利を始めた場所は、これまでの記事でも何度か登場した「喜利の箱」である。かつて池袋にあった喜利の箱は、行けば誰でも大喜利が出来る、大喜利専門の店だ。テレビ東京の番組「モヤモヤさまぁ~ず2」で紹介されていたのを観て興味を持ち、友達を一人連れて喜利の箱へと向かった。

喜利の箱に入ると、星野児胡、六角電波、椙田政高などの面々が中にいた。今となっては出題されたお題も自らの答えも覚えていないが、周りの反応は良かったことは記憶しているらしい。

「ウケたのはウケて。やっぱり(他の参加者にとって自分は)初めて見る人だから、それで笑ってくれたのかはわかんないですけど、でも結構楽しいなと思って」

その後、もっと大喜利をやりたいと思った田野は、喜利の箱以外で大喜利が出来る場を探した。すると、区が管理する施設の会議室などを借りて、大喜利の会が開かれていることを知った。

2015年10月末、田野は虎猫主催の「ハロウィン大喜利」という会に参加する。そこでの体験は、紛れもないカルチャーショックだった。

「その時の参加者が俺スナさんとか寺田寛明さんとか、縁川縁松(ふちかわぶちまつ)さんとか、錚々たるメンツなんですけど、一番ウケてたのがにゃんらむさんっていう小学5年生の女の子で。なんか僕落ち込んじゃって。こんな凄い子がいるのか、この子よりも僕はウケないのかって。それでちょっと大喜利から離れるんですよ」

ほぼ同じタイミングで、喜利の箱が閉店する。そのこともあって、田野はブランクに突入。再び大喜利の場に顔を出すのは、2016年10月頃。閉店した喜利の箱が復活した時期だ。

当時は大喜利会に参加しても、ほぼ周りとコミュニケーションを取っていなかった田野だが、その状況が変わり始めた、喜利の箱でのこんなエピソードがある。

「何かの時にめっちゃウケて、それで虎猫さんと田んぼマンさんに話しかけられたんですよ。そっからちょこちょこ人と喋るようにはなったな気がします。それは今でもめちゃくちゃありがたくて。それが無かったらここまで大喜利続けてなかった気もするなって思いますね。で、その一週間後くらいに、EOT第1章があるんですよ。それに参加して、めっちゃウケたんですよ」

今の自分を作っている

2017年3月、田野は初めて大規模な大会に出場する。それが、現在まで6回行われている「EOT-extreme oogiri tournament-」の初回である。

大喜利の大会に関しては、出るどころか動画を観たことすら無かった。軽い気持ちで会場に入ると、大勢の猛者が集結していた。喜利の箱とは違う空気を感じ、緊張感が強まる。

「その時、今の車海老のダンスの根本さん(当時の名前は納得)と、博士の生い立ち君と僕の3人で固まって、ずっと『緊張しますね』みたいな感じで待ってたのは覚えてます」

抽選により、予選Cブロックに組み込まれる。緊張していた田野だが、3つお題が出るうちの1問目で、その日一番と言っても過言ではない爆笑を巻き起こした。

「そっからですかね、本格的に(大喜利に)のめり込むというか。あの時の気持ちよさが、今でも忘れられないです」

そこから、大喜利イベントに頻繁に参加するようになる。名古屋の「第3回大喜利東海杯」、仙台の「東北大喜利最強トーナメント T-OST2枚目」などの、関東以外の大会にも、積極的に出場した。

東海杯は、他の出場者と共に車で現地まで向かった。それはとても楽しかった思い出として、強く心に残っている。そんな思い出話の流れから、こんな言葉を聴けた。

「大喜利の楽しい部分で言うと、人と関わることが一番大きくて。個人的な話なんですけど、僕それまで社交性がゼロで。言ってしまったら世界が狭いんですよ、視野が狭いというか。ですけど、大喜利を通じて、自分の見てる景色が広がったっていうのはありますね」

印象的なイベント

これまで、様々な場で大喜利をしてきた田野だが、特に印象深いイベントは、「大喜利千景」と「大喜利四季杯」の二つだ。

まず大喜利千景。これはマセキ芸能社のピン芸人、寺田寛明主催の大喜利ライブである。このライブには、大喜利が得意なプロの芸人はもちろん、アマチュアのプレイヤーでも、オファーが来れば出演できる。

もちろんこのライブに田野も出演している。近年は寺田寛明含む出演者の活躍も相まって「大喜利千景に出られる」ことの価値が上がっているが、以前から評判の高い格式のあるライブではあった。

しかし、オファーを受けた当時の田野は、ライブの凄さをはっきりと理解していなかったうえに、東京の大喜利ライブで活躍する芸人にも明るくなかった。

”恐いモノ知らず”の田野は、最初の自己紹介でボケた。「今では考えられない」とは本人の弁だ。その後の大喜利パートでも、順調に笑いをとることが出来た。

当時のことを振り返ると、自分の出たライブの凄さを身に染みて理解できる。

「今になって、感慨深いというか。やっぱり歴史もあるし、アマチュアの目標の一つだと思うんです。そこに出れたっていうのは嬉しいですね」

続いて「大喜利四季杯」。六角電波主催の本大会は「大喜利春季杯」「大喜利夏季杯」「大喜利秋季杯」「大喜利冬季杯」の各大会の上位3名に出場権が与えられる。

田野は2018年の大喜利夏季杯の優勝者として、2019年3月の大喜利四季杯に出場した。ちなみに、大人数が集まる大会で優勝したのは、夏季杯が初めてだった。

たまに大喜利においても、スポーツのように「ゾーン」という言葉が使われるが、田野はその意味をはっきりとはわかっていない。しかし、夏季杯の時は異常な集中力でお題に挑んでいたので、今考えるとあれはゾーンかもしれないと語ってくれた。

また、各大会の成績優秀者が集まって、一番強い者を決めるルールについては「あんまりない形式で、単純にわくわくする」とのこと。

優勝者の立場で挑んだ四季杯。もちろん対戦者も別の大会で優勝や準優勝をしているので、簡単には勝てない。FANやぺるとも、直泰といったメンバーに挑むにあたり、とてもじゃないが余裕は持てなかった。

それでも、その時のコンディションは比較的良く、決勝まで進出することが出来た。

「あのメンツですからね。結構しんどいんで、メンタル的には弱気ではありました。でも決勝まで行けたんで、自分の中では良かったかなって」

24時間大喜利フェス

2019年9月22日。この日、池袋GEKIBAというライブハウスの舞台上にて、感極まって涙を流す田野の姿があった。

前日の18時から始まった、24時間形を変えながら大喜利を行い続けるライブ「24時間大喜利フェス」。このイベントに、田野は「ランナー」として出演し、ライブ開始から終了まで、舞台に立ち続けていた。

遡ること5年前、2014年にも同様のライブは行われていた。とある飲み会で、ある人物が「また24時間大喜利をやりたいですね」とこぼした。その発言自体に深い意味は無かったが、当時を知っている人も知らなかった人も巻き込んで、24時間大喜利の話題になる。ちなみに、当時田野はそのライブの存在すら知らない。

「再びやるとしたら…」という想定を、その場にいる人たちで固めていった。大喜利ライブ「荒城の月」(後述)を主催している田野は、メインの出演者に相応しいのではないかと話が膨らみ、

「24時間のランナーどうしますってなったら『田野さんじゃないですか』って言われて(笑)僕で良いのかなみたいな」

結局、話はその場だけでは終わらず、本当に24時間出ずっぱりの役割が与えられた。

当然それが決まっただけではライブは実行できないので、田野が信頼しているプレイヤーにスタッフを依頼し、タイムテーブルと出演者を決めていった。ちなみに、最初に決まった企画は「金曜大喜利会とまこやす杯の深夜枠」。深夜から明け方まで行ったブロックだ。

前例があるとはいえ、以前行っていたものとは全く別物のライブ。当然、自分が背負うことに対して、多少不安はあった。

「一応荒城の月は、お客さん埋まるようにはなってはいたから『(24時間大喜利も)埋まるかな~、でもな~』みたいな。やっぱり24時間やるって、芸人さんだったら人来るかもしれないけど、アマチュアの会だからその怖さはありますよ。自分でも怖いことやってるなあとは思いますね。よくやったなって。その時は勢いもあったから多分出来たんでしょうけど」

当日のことを振り返ってもらうと、各時間帯の体調が真っ先に思い出される。ライブは18時から始まり、朝4時までは体力があった。6時半から行われた、朝早くから大喜利のトーナメントを行うというコンセプトの「早朝超加点大喜利」で、司会進行に回った辺りから、一気に疲労が出てきた。

疲労困憊のまま、最後の演目「田野20人組手」がスタートする。休憩を挟みながら、20人のプレイヤーと1対1で勝負する。

頭が回らず、初戦から連敗していたが、ふとウケたタイミングでスイッチが入り、調子が出てきたものの、

「最後のかさのばさん相手の20戦目で、本当にスイッチオフになって。何も出来ない、何も無理だ、何も考えられない、元気が出ないって状態になったのを覚えてます。これで『こういうイベントするのやめよう』って思いましたね」

ちなみに、田野の中で一番印象深かったのは、2日目に行われた「新月」である。虎猫主催の大喜利初心者に向けた会「始めの一歩」「きっかけの一歩」と、デリシャストマト主催の女性限定の初心者会「つぼみの会」でデビューしたプレイヤーが出演した。

「こんなに盛り上がるんだと思って。やっぱり新人の人たちが、大喜利ライブでどうなるかっていう期待値がかなり高くて、大喜利千景の次ぐらいにチケットが早く売り切れてましたね。あの盛り上がりは異常でした、実際面白かったし」

24時間大喜利を走り抜けたことで、田野の心境に変化があった。

「『ランナーは田野が良いんじゃないか』っていうのに対して「え~」って言いながらも、やってみたいって気持ちはちょっとあったので、良い思い出になりました。協力してくれた皆さんには感謝ですね。人に対して『ありがとうございます』って、初めて本心から思えたなあって」

そうは言っても、今後田野の口から「またやりましょう」という言葉はおそらく出ない。しかし、数年後に再び開催される可能性は0ではない。

「多分次やるってなったら、僕の勝手な予想ですけど、きりまる君とかそういう子がやると思います。多分きりまる君が本当にやれると思う」

あくまで、予想である。

ライブ主催者として

今年の10月31日、阿佐ヶ谷ロフトAにて「田野寄席」というネタライブが行われた。田野主催のこのライブには、車海老のダンス、ダウ90000、怪奇!YesどんぐりRPGなどが出演し、田野自身もコントを披露した。

田野寄席の初回は、2021年2月28日。「荒城の月×メランコリー大喜利ライブ」というFANとの共催ライブと同日に行った。

そもそもの発端は、俺スナから阿佐ヶ谷ロフトを借りられることを教えてもらったことだった。

「地方出身者からしたら、ロフトって憧れなんですよ。僕地元宮崎で、何もないんですよ。東京ではお笑いはこういうことをやってる、音楽はこういうことをやってるみたいなのを、ネットの文字でしか情報を得られなかったんですよ。で、やっぱり阿佐ヶ谷ロフトとかで、最先端なことやってるみたいなイメージがあったので、ロフトで何かやれたら良いなと思って」

そこから生まれたのが、田野がネタを見たいグループを集めた田野寄席である。後述するコントユニット「Conva」でネタを披露できる場を作りたいという思いもあった。

ライブを観た人からも評判の良い田野寄席だが、今後どのようにしていきたいのか。

「田野寄席って出演者全員がプロではなくて。学生芸人だったりとか、社会人お笑いだったりとか入り混じっているので、そこを濃くしていきたいなって気持ちはあります」

様々なライブを立ち上げて、精力的に活動している田野。最初に行ったのは「荒城の月」という大喜利ライブ。回を重ねるごとにお馴染みの存在になっていったが、始めたきっかけはこうだ。

「大喜利ライブ出たくて。俺スナさんに相談したら『ライブを主催することですよ』って言われて。なるほどと思って、ライブ主催してみようって。マジで今思えば、というか今でもイタいなって思います。何でもないやつが、大喜利ライブ出たいから主催するって」

時を同じくして、大喜利千景が無期限の休止に突入する。アマチュアの人間が大喜利出来るライブを無くしたくないという「勝手な使命感」を持った田野は、ライブを行うことにした。プレイヤーのモチベーションの一つになって欲しいという思いも込められている。

「初回がめっちゃ盛り上がって、めっちゃ嬉しかったです。ただ第2回が…別に面白くなかったわけじゃないですけど。第2回のライブ全体の1問目に『ノイローゼの犬』ってお題出したんですよ。『1問目に出すお題じゃない』って、全部終わってから言われました(笑)あんまり空気が良くなかったらしくて(笑)」

その場を仕切っていたはずの田野が「らしくて」と言っているのが引っ掛かるが、気付かなかったということにしておこう。

第2回は決して失敗ではなかったが、このあたりでもうライブを行わないことも視野に入れ始めた田野。しかし、24時間大喜利フェス内で荒城の月を行うことが決まり、その流れで24時間大喜利フェスの3,4か月前に第3回を開催することにした。

荒城の月は、元々大喜利千景のフォーマットの真似から始まっていたが、差別化を図るために、第3回から独自の企画を行うようになる。一通り演者がお題に答えた後、再び先ほどと同じお題に答えるが、どこかが一周目と異なっている「間違い探し大喜利」や、他の出演者がお題に大喜利で答えて、虎猫がギャグで答える「虎猫VS大喜利」などの企画を行った。

「ちゃんと真剣に企画考えたら、こんなに面白くなるんだと思って。やっぱり企画をかなり凝った方が、アマチュアとしては(良いのかな)。芸人さんの”平場力”みたいなものには勝ることは出来ないので、そういう所で頑張らないとダメだなとは思いますね」

大喜利で何度も笑いを取ったことがある人が、大喜利以外の時間で笑いが取れるとは限らない。そこをカバーするために、ある程度作り込んだ企画でお膳立てをして、その状況に乗っかるだけで笑いが起きる状態に持っていくことは可能だ。

大喜利ライブを何度も行ったことで、田野の中で大喜利プレイヤーの面白さを知って欲しいという気持ちが湧き始めたという。プロでもないのに興行を成立させているのは、よくよく考えると不思議なことだという一歩引いた目線と共に、こう語ってくれた。

「荒城の月もやっぱりヘンだと思います。普通に考えたら。一社会人が、芸人さんでもないのに、ライブやってるってヘンだと思います。でも、やる側としては、こんなにも面白い人たくさんいるなら、面白いことやりましょうよって。面白い人を見て欲しいし、発信したいなって思います」

ちなみに、田野は荒城の月以前にライブを主催した経験がなく、上手くいくか不安に思っていた。ある時、荒城の月の出演者である冬の鬼と飲む機会があり、そこで不安を吐露した所、こんな言葉が返ってきた。

「いや俺たちがいるんで大丈夫ですよ。絶対面白くしますよ」

酒の席とはいえ、これを言えるのが凄い。

ずっと何かをやりたかった

「もう就活をしなきゃなと思ってて。就職したら、多分もうあんまり自由なこと出来ないんだろうなって、思い出にコントライブを一回くらいやってみたかったので。本当に思い出作りとしてやったんですけど…」

警備員の記事にも登場した、田野、警備員、吉原怜那によるコントユニット「Conva」。田野が2人を誘う形で、Convaは結成された。

立ち上げたきっかけを聞くと「コントライブをやってみたかった」という答えが返ってきた。しかし、これだけでは、何故コントライブにたどり着いたのか、肝心な部分が分からない。「誰かの影響で始めたとかそういうエピソードはありますか」といった具合に、掘り下げて訊いてみた。

その質問に、最初はピンと来ていない様子で「ずっとお笑いには憧れがあって…」という風に返答を始めたが、少し考えた後、突然「そうです!」と大きな声を出した。

「あの、何かやりたいなとは思ってたんです。栗原国家権力さんが主催した『21ペー紀少年』っていうのがあって、それの作り込みが凄いなって感動して。こんなことやるのカッコいいなって単純に思ったんですよ。こういう面白いこと作れるの。良いなーって思って」

2018年10月に新宿バッシュ!!で行われた、映像や舞台での企画などをミックスさせた「20世紀少年」をパロディにしたライブ、21ペー紀少年に大きな影響を受けたことを、すべて克明に思い出した。

「FANさんに帰り道に『僕も何かやりたいです』って言ったのは覚えてます」

そのライブをきっかけに、田野は動き出した。素の状態でしゃべる漫才は出来ないが、役に入るコントなら出来るかもしれないと思い、コントライブを行うことにした。

そこで声を掛けたのが、前述の二人。誰でも出られる生大喜利の大会としては日本最大級の規模である「大喜利天下一武道会」の第16回の東京予選にて、凄まじい大爆笑を起こしていたのを見て、警備員を誘った。元々大学のお笑いサークルで、漫才や落語をやっていた経験があることも、声を掛けた理由の一つだ。

もう一人のメンバーである吉原怜那。現在は東大落研、ダウ90000に所属する彼女との邂逅は、東京大学落語研究会主催の「24時間大喜利」でのこと。そのタイミングで、Twitter上で繋がった。

田野が吉原を強く認識したのは「阿佐ヶ谷七変化」というライブ。出演者であるFANが用意したネタの一つに、吉原が登場した。

「女の子が急に出てきて、めっちゃダンスするんですよ。そのダンスしてたのが吉原怜那で、なんていうんですかね、華があるんですよ。僕の中で褒め言葉なんですけど、ザワッとする華というか。凄い子なんだなって印象に残ったんですよ」

その後、吉原が元々子役で、演技経験もあることを知る。男女混合のユニットでしか出来ないコントもあるだろうという計算の元、声を掛けることにした。

初回公演はかなり準備に追われていたが、反応も上々だった。

「めっちゃウケましたね。わあ~と思って、感動しました。初めてでもこんな反応もらえるんだって。かなり手ごたえはありました」

自身の単独公演や、田野寄席などでコントを披露してきたConva。毎回ウケてはいるが、田野は、これまで舞台に立った経験がないことに対して、警備員と吉原に引け目のようなものを感じている。

「二人の力に追いつかないとなっていうのは本当に思ってるので。そこの差を埋めていきたいなと思います」

サラっと普通の発言として書いてしまったが、読者の想像以上にトーンが落ちたことだけ記録しておく。

この人の大喜利がスゴい

これまでも少し他のプレイヤーの話は出ているが、ここからは田野が特に凄いと思っている人物の話を聴く。まず名前が挙がったのが、同じチームで大会に出場したこともある、ファイナルエースだ。

他の回答者が到底思い付かない、変わった答えを出すプレイヤーはたくさんいるが、ファイナルエースはその代表格と言っても良い。時には長尺で、時には歌で回答する彼の答えは、その場の誰も予測が出来ない。

「異質ですねやっぱり。もしファイナルエースファンに読まれたら怒ると思うんですけど、多分おもしろのポイントは(僕と)近いんだろうなと思います。でも、それを生身のまま人にぶつけてるので、それが凄いなと思います。僕はそれは怖くて出来ないから、度胸の強さは憧れますね」

二人目は、このインタビューシリーズでも登場した虎猫。先日も誕生日を記念した大喜利会が行われていた虎猫を、田野は「ずっとカッコいい大喜利をしてる」と評する。

「あの人は自分でも自負してると思いますけど、一番大喜利に向き合っている人だと思うから。(虎猫さんって)前は自分が好きな大喜利をしてたんですけど、最近はギャグっぽいことを入れつつみたいな。こういうこともするんだなって。そういう姿勢とかにも憧れるというか」

EOT第1章の頃は、感覚に頼って大喜利をしていた田野。もちろん当時もウケてはいたものの、コツや技術の部分を何もわからずやっていることが徐々に周りにバレ始めていた。

そんな悩んでいた時期にお手本にしたのが、虎猫の大喜利だった。そうすることで良い結果を出せた会がある。「EOTスパーリング」という、EOTと同じルールで行うイベントだ。全員参加のトーナメントでは勝てなかったが、敗者が出場する「溜飲トーナメント」で、今までの自分とは違う、良い大喜利が出来た。

「あと誰だろう、アオリーカさんですかね」

2017年デビューの、そろそろ中堅に突入してきた、関東のプレイヤーであるアオリーカ。彼の持ち味は、お題のシチュエーションを瞬時に演じる回答だ。「車掌が言った嫌な一言」というお題が出たとしたら、その車掌になりきって答えることが出来る。そういう技の使い手である。

「すごい生大喜利の”表現”という部分を活かしてるというか。普通の人だったらああいうことやったらダレちゃうし、出来ないんですけど、あの人元々演劇サークルにいたっていうので、地肩がしっかり出来てると思うんですよ、表現において。だから魅せる大喜利が出来る、凄いなと思います」

このシリーズを読んでいる方ならすでにご存じだと思うが、一口に「大喜利」と言っても様々な種類がある。文字だけの勝負であるネットでの大喜利から入ったプレイヤーもいるが、田野の全ての始まりは、生でホワイトボードとペンを使って行う大喜利だった。声を使い分けたり、身振り手振りを付けたりなど、生でしか出来ないことをやってのける人物に惹かれるのは当然のことかもしれない。

「『生大喜利をやってるなあ』って人は特に好きです。生大喜利を最大限に生かしてる人は、やっぱり凄いですよ」

今後の展望

ここまで、過去の印象的だったトピックスを振り返ってもらった。この章では、今後のことを語ってもらう。

これまで積み上げてきたものを大事にしたいのか、また新たなことに挑戦していきたいのか、様々な選択肢があるはず。これからどうしていきたいかを尋ねると「面白い場所に携われる人になりたい」と答えた。

「来年は、一人に焦点を当てたライブをプロデュースしようと思ってて…あとConvaのYouTubeを本格的にやりたいです。大きく言うと、おもしろを発信したいって感じですね」

田野の「面白い場所を作りたい」という思いは強い。そして「自分の中のおもしろを発信する場」である、Convaを大きくしたいという気持ちもある。

「とにかくライブとYouTubeですね。あとは…今後の展望というか、面白くなりたいです!」

おわりに

近年、接する機会が激減した田野と行った、2時間強の対話は、とても新鮮だった。

元々、”まわりの色に馴染まない”ことを選び続けていた彼にとって、今いるのは間違いなく、”変われる場所”だった。

今回の取材で印象的だったのは、何度も出てきた「めっちゃウケた」というフレーズ。そんなにウケてばかりなのかと思った読者には、”勘違いしないでね”と言いたい。田野は、毎回のように勝っているプレイヤーではないなりに、”浮き沈みしながら”前に進んでいる。

さて、インタビュー終了直後、田野は「薄いことばかり言っていたのでは」と不安がっていたが、まあ、そんなに心配しなくても良かったのではなかろうかと私は思う。少なくとも、私は。

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