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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】店長-何処へでも行ける可能性-

話題は多岐にわたる

「自分の大喜利を上手いとは思ってなくて…」

その男は取材中に何度もそう口にした。謙遜しているのではなく、本気で自己分析した結果がそれだ。では、今回話を訊いた人物は、大喜利の初心者なのか?否、全くそんなことは無い。むしろ、その人の大喜利や戦績を知る者は、「強い」「面白い」と口を揃えて言うだろう。

その男は、プレイヤーとしての華々しい活躍はもちろん、関西の大規模な大会の主催としての一面も持ち合わせている。そして、活躍は大喜利の場に留まらず、最近ではWebライターとしての活動も始めた。

様々な場で”面白い”を追求し、話題に事欠かないその人こそ、本記事の主役、店長である。

関西の大喜利プレイヤーである店長。日々出鱈目かつ不条理なネタツイに励む一方で、第16回大喜利天下一武道会で準優勝するなど、大喜利の実力は本物である。

周りの人とは経験値が違う、そんな印象を店長には持っていた。今までのプレイヤーに勝るとも劣らない深いインタビューになりそうだと思った。

2021年1月12日21時、インタビュー開始。

大喜利PHP時代

ZOOMを繋ぎ、軽い挨拶をする。「(僕のインタビューは)需要あるんですかね?」といったネガティブな発言が飛び出す中、さっそく本題に入る。まずは、生大喜利デビューする経緯からだ。

2009年の1月、当時高校3年生だった店長が、学校の友達と「着信御礼!ケータイ大喜利」に投稿を始めた。しかし、回答が採用されるまでには至らなかった。そこで「もう少し気軽に承認欲求を満たしたい」という思いから、他の大喜利が出来る場を探した。そして見つけたのが「大喜利PHP」というサイトだった。

「大喜利PHP」は、回答と投票が3分間で切り替わる大喜利サイトの元祖である。数年前に閉鎖しているが、常連ユーザーの多くは、現在も大喜利に挑み続けている。当時のサイトで行われていた活動について詳しく訊いてみる。

「普通の大喜利が出来る所と、企画みたいなことが出来る部屋が別にありました。あと大喜利PHPにはラジオがあったんですよ、実況するみたいな。ラジオで実況したりしながら、企画もしている時は、(ユーザーが)50~100人くらい全然いるみたいな」

また、匿名掲示板での実況や書き込みなどのコミュニケーションも盛んに行われていたという。

このサイトをきっかけに、店長は大喜利にのめり込んだ。浪人生になってからも、回答と投票を繰り返していた。

生大喜利デビューは、自分の大会

ネット大喜利期を経て、実際にボードとペンを使用する大喜利を始めたのは、2011年の1月。それまでも大喜利PHPのオフ会で軽く大喜利はしていたが、本格的な開始はその時だ。

店長が生大喜利デビューしたイベントは、第0回鴨川杯である。この一文を読んで「あれ?」と思う方もいるだろう。鴨川杯は、店長が主催を務める大会だからだ。

結論から言うと「自分で主催した大会に、自分も出場した」というだけの話である。では、なぜ大喜利の経験も少ない中、いきなり大会を開こうと思ったのか。

当時の状況から整理していこう。大喜利PHPやオフ会で大喜利にハマり、大会に出たいと思った店長。当時、大喜利の大会は、大規模な「大喜利天下一武道会」(以下、天下一)くらいしか存在せず、他には東京で小規模な会が行われているだけだった。厳密には、関西にも「オオギリクレイジー」や「純豆腐の会」などが行われていたものの、すぐ一般参加が可能なのかといった、はっきりとした情報は得られなかった。

「(頻繁に行われている)大喜利の大会って東京にしか無いらしいみたいな。でも出たいなーっていうことをPHPの友達に言ってたら『やりたいんだったら、僕らも手伝うから、あなたが主催して自分で大会をやれば良いんじゃない?』みたいな感じで言われて『まあそうかもね、暇だし良いかな』っていうので、やり始めたのが最初です」

それがきっかけで開催された、第0回鴨川杯。加点式のルールは当時からずっと変わっていないが、お題の表示や点数計算を行うソフトを組んでいなかったため、ホワイトボードとマグネットを使用していた。当時の運営の一人であり、今は関東のプレイヤーであるわんちゃんのカリカリが、ボードにお題を書いていたそうだ。

初舞台の感触はどうだったのか、こちらが訊く前に「めちゃくちゃすべりましたね…」とこぼした。最初から強かったわけではないのだ。

関西最大の大会

その後鴨川杯は、規模を大きくしながら、第11回まで行われている。一日で競い合う人数だけで考えると、関西どころか日本最大級の大喜利大会へと成長した。それだけ何度も開いていると、主催も想定していなかった事態が度々発生する。参加者が、作り手の想像以上に意気込む大会となったのもそうだ。

「大会をやっていると、鴨川杯で予選を通過するための練習会をやろうという人がいたりとか、変な話ですけど、予選で負けた人が泣いてたりとか、本戦行けてめちゃめちゃ嬉しいみたいな人が、一人とかじゃなくて結構いらっしゃったので、そういうモチベーションになってくれてたのかなっていうのは、一個嬉しいとこですね」

鴨川杯はいつしか、参加者に「勝ちたい」と強く思わせる大会へと変貌していった。主催するにあたって、心掛けていることを訊いてみる。

「たとえば、絶対に最終的に黒字にするとかはやってましたよ。身銭を切ってやるのは続かないっていうのはずっと思ってたので。運営とかお手伝いしてくれた方に、少ないですけどギャラをお支払いした後でも、ある程度(資金を)残して、次の大会に絶対プール出来るっていうのを意識してました」

店長にはもう一つ、大会を回していく上で、重要な役割があった。「お題の最終的な組み立て」である。店長は、お題の作成にはほぼノータッチだったが、運営や参加者が提供したお題を、何回戦のどのタイミングで出題するかといった振り分けを行っていた。

「お題一個一個の難易度というよりは、こういう風に盛り上がってくれたら良いなとか、みんな楽しんでくれる構成みたいな所は、毎回すごく意識してましたね」

取材はここまで順調に進んでいたが、「鴨川杯の印象的だった回」に話題を移すと、とある問題が発生する。この取材においてたびたび立ちふさがる「店長は昔のことをはっきりと覚えていない問題」だ。記録をしていたり、何度も振り返ったりしているわけではないので、当然と言えば当然なのだが、全て記憶していないで片付けると、インタビューが進まない。こちらとしては「なんとか思い出して欲しい」と思いながら返事を待っていると、悩みながら第4回が印象的だと答えてくれた。

この時の優勝は、関西のベテランプレイヤーであり、後述の「戦-大喜利団体対抗戦-」の運営を務めるソバ2(ソバツー)だった。ソバ2と店長の間には、10年以上の大喜利歴の差がある。大喜利の実力だけで考えた場合、ソバ2は強いプレイヤーの部類に入るが、大規模な大会のタイトルを数多く獲得しているわけではなかった。

「ソバ2さんといっぺいさんという方の決勝になって、ソバ2さんがかなり競って優勝して、回答席の横に僕たち司会や解説がいたんですけど、優勝した時にソバ2さんが机の下でガッツポーズしてて、それが横から見えてたんですよね。それは自分の中で、主催していないと見れない景色が観れたなみたいなのはあって。しかも自分の大会で、ある程度大きいタイトルを獲ってくれたっていうのは、すごく印象的ではありましたね」

ベテランであるソバ2が、その日一番大喜利が面白かった者に輝き、静かに喜びを噛みしめた瞬間は、店長の目にもしっかりと焼き付いていた。

日本最大の大会

ここからは、店長のプレイヤーとしての側面を掘り下げていく。まず語るうえで外せないのが、天下一での準優勝である。第16回大会にて、200名を超える出場者の中で、日本2位に輝いた店長。天下一への挑戦は、3回目だった。

最初に出場したのが、第13回大会。1次予選を突破するも、2次予選開始前に親に留年が知られていたことが発覚し、そのまま頭が”真っ白”の状態で挑み、敗退してしまった。次に出場した第15回では、ひらたいやジャスティスKといった面々が爆笑をかっさらう中、またしても2次予選で敗北した。

その後、天下一は数年間の活動休止期間を経て、2018年に復活がアナウンスされた。2019年2月の横浜での本戦に向けて、大阪と東京で、数回に分けて予選が開催される。

大阪予選に出場した店長。1次予選は2位通過だったが、そこからエンジンがかかり、2次予選で大量に得点を獲得し、1位で本戦に進出した。

そして迎えた本戦の日。36名の本戦進出者を、6名ずつ6つのブロックに分け、各ブロック1名が最終決戦に進むことが出来る。1位になるしか意味の無いルールだが、店長は「1位で通過するビジョンが全然無かった」と語る。

天下一では、当日ではなく、事前にブロック分けが発表された。店長と戦うのは、番茶が飲みたい、直泰、ジャージの顔、電子レンジ、阿久津和正といった面々。

まず、番茶が飲みたいと阿久津和正に対して、こんな印象を抱いていた。

「番茶さんとめちゃめちゃ当たってたんですよ。大阪にいる時から、何かあるたびに当たってて、勝った負けたしてるんで。番茶さんもすごく空気感があるっていうか、回答に色があるんで。番茶さんのムードになったら嫌だし、あと一番奥に阿久津さんがいらっしゃったんですよ。阿久津さんもぶっ壊す感じの、破天荒なタイプなんで、そっちのムードになるのかなと」

また、生大喜利デビューから3年も経たないうちに本戦進出を決めた、ジャージの顔と電子レンジについてはどう思っていたのか。

「二人とも面白いのは知っていたので、自分が出てるその試合が、覚醒の時になったら嫌だなみたいな。踏み台にされたくね~と思ってました」

そして、一番の強敵として認識していたのは直泰である。

「直泰さんは凄いので、みんな言ってると思いますけど。試合に勝っても、直泰さんより僕の方が面白いとは思わないので」

「負ける理由が多すぎる」とまで思っていたが、結果的に店長は、2位の直泰に60票近い差をつけて、最終決戦に進出した。文句なしと言って良いほどの勝利だが「あまり自分で良い大喜利だとは思わない」と語っている。

最終決戦。ここで勝てば「大喜利天下一武道会で優勝」という輝かし過ぎる栄冠を手に入れることが出来る。しかし、この時の店長には、「他の進出者の様子を見て、自分のスタイルを固める」だけの余裕はなかった。

「実際2問目まで全然良くなくて、3問目の最後の方でちょっと大きいウケが出て、なんとか3問スベりは無くなったかなくらいの感じだったんですよ。終わった時は本当に感覚的には4位か5位くらいかなと思ってたんで、正直準優勝は、個人的にはあの3問の出来としては、平均すると出来すぎだなって今でも思ってますね」

はっきりとした手ごたえを感じなかっただけに、2位に終わったことは悔しくないと語る店長。ちなみに、天下一は第17回大会の開催がすでに発表されている。前回と同じルールであれば、上位4名の中にいる店長は、無条件に本戦へ進めるシード権がある。それについて訊いてみると「予選から出たいです」と答えた。理由を訊くと、こんな返事が返ってきた。

「予選から来る新しい人にも面白いと思われたいじゃないですか…」

IkusaKOOTでの優勝

2020年11月22日、「IkusaKOOTー関西大喜利団体対抗戦ー」が開催された。本大会は、5月3日に行われる予定だった「Ikusa2020ー戦2020 大喜利団体対抗戦ー」(通称:戦)の代替となる大会である。

虎猫のインタビューの際にも詳細を書いたが、戦は3~4人のチームを組んで挑む団体戦の大喜利大会である。大阪で行われてきた戦だが、全国から出場チームが集結する、年に一度の一大イベントとなっている。

今年はコロナの影響で、通常の戦は中止となった。その代わりに行われたのが「IkusaKOOT」だ。県をまたいだ移動が難しくなったため、出場者は関西在住のプレイヤーに絞り、感染対策を徹底的に行いながら開催した。これまで行われてきた戦とは随分勝手が違うが、基本的なルールは変わらない。

この日店長は、ハッピイターン、二塁、スズケンといった面々と、「解の会」というチームを組み、出場していた。「解の会」は、これまで何度も戦に挑み、準優勝を2度経験(最初の準優勝は、店長の記憶が曖昧だったものの、ツイート検索で裏を取ることに成功)している。

「責任ばっかり重くなる」という理由で、団体戦を苦手としていた店長だが、勝ちたいというモチベーションはあった。他のメンバーへの思いからである。

「戦に関しては、やっぱり他の3人が『優勝しよう』って言ってくれてるので、それに協力したいというか、そこで自分も足は引っ張りたくないなというか、何か結果で示したいなとは思ってましたね。みんな良い人なんで」

戦は団体戦とはいえ、同じチームのメンバーが同じお題に回答するような、協力が求められる場面は存在しない。どこまでも個々の力が試される大会だが、チームで戦略を練り、士気を高めることは、重要な作戦である。

とはいえ、IkusaKOOTは本来の戦と比べると、だいぶイレギュラーな大会。誰が悪いという話でも無いが、序盤は暖かい空気感とは言えなかった。事実、解の会は会場の空気を掴むことに苦戦し、予選で一度敗退してしまう。

これまでの戦では、予選終了後すぐに本戦が始まるが、出場団体が少ないIkusaKOOTには、敗者復活戦があった。そのチャンスをものにして、解の会は勝ち上がることに成功。本戦進出を果たす。

本戦にて、大将として舞台に上がった店長。ここで負けると完全に優勝が消えてしまう状況で、3連続勝利を決めていた金子杯の副将・吉永と、予選で100ポイントを獲得し、チームを本戦に進めた大将・カネコを下し、解の会は決勝へ駒を進めた。

決勝の相手は、脳髄筋肉、ゴハ、CRY、白魔導士によって結成された「BBガールズのまだまだGIRLでいいかしら」というチーム。大喜利コーナーがあるラジオ番組がきっかけで生まれた団体だ。

これまでの試合は、3組以上の団体が同時に戦っていたが、決勝戦は一騎打ちとなる。先鋒のハッピイターンを、相手チーム次鋒のゴハが倒した所で、店長が次鋒として登場。

予選も敗者復活も本戦も、出来が悪かったわけでは無かったが、決定的な一撃を放ててはいなかった。次鋒のゴハを倒し、副将の脳髄筋肉と戦っている最中に、その日の大喜利の方向性がようやく固まった。そのままの勢いで、大将のCRYまで店長一人が倒し、解の会は優勝した。

「ハピタン(ハッピイターン)とかが『戦で優勝してない』みたいなのは、当日じゃなくても言ってたりしてたし、ずっとそこが何年も悔いが残っているので嬉しかった」と語る一方で、「スピンオフみたいな大会ではあったなと思うので、個人的には他出られなかった団体もみんないる所で、もう一回優勝したら本物かなと思ってます」と冷静に考えている。

いつか情勢が落ち着いて、再び全国から団体が集結した時も、解の会を優勝へと導きたい。店長が内に秘めた思いは強い。

Webライターとしての顔

2019年6月、店長が書いた記事がとあるWebサイトに掲載された。そのサイトこそが、店長の活動場所の一つとも言える「オモコロ」である。オモコロは「ゆるく笑えるコンテンツに特化したWebメディア」(ホームページより引用)を名乗るサイトで、様々なライターが、独自の発想で生み出す記事を日々発信している。

記事が公開された時は、「あの店長があのオモコロで?」という驚きもあり、大喜利界隈はざわついた。その後も不定期で記事を書き続け、2020年6月に公開された「【検証】クイズ王は、大喜利の回答からお題を導き出せるのか?」というタイトルの記事は、瞬く間にTwitterで拡散され、「クイズ王」がトレンド入りするなど、大きな反響を読んだ。

そもそも、最初の記事が公開された時は「オモコロで記事を書かせて頂きました。」という店長の事後報告で初めて認識したため、「Web記事を書いている。しかもオモコロで」という状態にあったことは、知る由もなかった。書いた経緯などは、店長の口からはあまり語られていない。記事を書くことになった最初のきっかけは、「オモコロ杯」という記事の公募企画だった。

「僕は東京に一時期いたんですけど、オモコロ杯に応募した時は大阪に戻って来てて、東京の時はいっぱいライブも出させていただいてましたけど、大阪はそこまで多くなくて、『何かやりたいな』っていう気持ちがあった時にそういうのを拝見したので、全く心得は無いけどとりあえずやってみようっていうので、やったら中間発表みたいなので選ばれたんですよね」

その記事は、結局入選はしなかったものの、後日編集部から「一回書いてみませんか」という旨のDMが届いた。そのオファーを引き受けて、記事を書くことになったのだ。

これまでは、大喜利やツイートという形で「面白いこと」を発信し続け、それなりに評価を得てきた店長だが、Webサイトという場で「面白いこと」を表現するとなると、今までの経験は一切通用しなくなる。最初の一年は「ウケなくて、本当にきつい」という状況に陥っていた。

「ライターになるまで、長い文章を書いたことがなくて。最初はもう『何からやったら良いんだろう』みたいな。『どうやって記事って作ったら良いんだろう』みたいな所がすごいあって。文章という媒体の中で面白いこと作るってどういうこと?みたいなのが、まあ今でもわかってないですけど、特に最初はわかってなくて。一年間くらい本当にしんどかったですし『やんなきゃよかったなー』ぐらいに思ってました」

悪戦苦闘しながらも、記事を書き続け、徐々に”ウケる”ようになる。

「僕の記事っていろんな方に出て頂く記事が多いんですけど、出て頂いている以上面白くしたいっていう気持ちもありますし。出て頂いた方に『反応良いですよ』ってお返事が出来るのは『やって良かったな』とは思うし。そこは凄く嬉しいですよね」

地獄のような悩める期間を経て、ようやく少し自信がついてきた店長。密かに定めた目標についても教えてくれた。

「オモコロだと、特定の分野では上には上がいるわっていう人がかなりゴロゴロいるんですよ。凄い人がたくさんいるんで。そこで自分も、大喜利っていうのが一個キーワードですけど、さらに「店長ってコレの人だよね」っていうのがもう一個できると、皆さんも見て頂きやすいのかなと思うし。そこを今年くらいは見つけたいなと思ってますね」

この人に驚いた

「面白い、凄いと思っている大喜利の人を教えて下さい」

シリーズ恒例となったこの質問。プレイヤーにも多種多様なタイプがあるので、好みは分かれやすい。筆者としては、店長が面白いと思っているプレイヤーが誰なのか、見当もつかなかった。まさかプロの芸人や、関東の新人の名前が上がるとは、思ってもみなかった。

店長は、「好きなプレイヤー」と「凄いと思うプレイヤー」の両方をあげてくれた。店長の中では、両者に明確な違いがあるようだ。「みんな面白いので好きなんですけど」と前置きしたうえで、こう語ってくれた。

「好きなのはナンセンス寄りなんで、大久保八億さんとかがめちゃくちゃ好きなんですよ、あとファイナルエースとか。ジャスミンとかもそうなのかな。『今それ言う⁉』みたいな感じの」

プロの芸人で、大喜利ライブに多数出演する大久保八億と、誰も真似できない回答で場を荒らす傾向にある関東のプレイヤー二人の名前が挙がった。

そして、「凄いと思うプレイヤー」。店長が思う「凄い大喜利」の基準は二種類ある。一つは「どこに出しても恥ずかしくない」である。大喜利をよく知らない人の前でも笑いを取ることは、なかなか簡単に出来ることではない。

「プロで恐縮なんですけど、ママタルトの檜原さんは凄いなって思ってて」

サンミュージックに所属し、ライブを中心に活動しているお笑いコンビ、ママタルトのツッコミ担当である檜原。事務所の約100名の芸人が大喜利で競う大会で、見事優勝を果たしたこともある。フリーエントリー制の競技大喜利のライブや、アマチュアとプロが出演する大喜利ライブで共演したプレイヤーが、「檜原さんのあの回答が凄かった」とツイートしている光景をたびたび見かけることが出来る。

また、同じ路線で名前が挙がったのが、山本俊治だ。大喜利の実力はもちろん、過去にはR-1ぐらんぷり(当時の表記)での準決勝進出、「超逆境クイズバトル!!99人の壁」での100万円獲得など、アマチュアながらマルチに活動している。

「大喜利もキャラも、みんなに受け入れられる。山本さんを知らない人でも面白い人だと伝わるって凄い能力だし、僕には無いんで。なかなか凄いなと」

もう一つ「凄い」の軸としてあるのが「言葉に出来ないことを言葉に出来る」こと。そういった回答が得意だと思う人物として、まな!、直泰、吉永、そして、関東のプレイヤーであり、Twitterやオモコロで漫画を描いているスマ見の名前を挙げた。

「僕がこんなこと言うのもアレですけど、大前提として、面白いって基本的には共感だと思ってて。共感って、言ったらあるあるみたいな所に行き着くんですけど。一般論ですけど、あるあるってみんなが認識しているやつはあるあるではなくて”ある”じゃないですか。あるあるって、みんながなんとなく見たことはあるけど、言語化はしてないみたいな。言葉にはしたことないけど確かにそういうことってあるよねみたいな所を切り出す能力としては、スマ見さんは凄いと思ってますね。ちょっと普通の人じゃ太刀打ちできないぐらい。この言葉嫌いですけど、ちょっと”天才”かなと思います」

自分の大喜利には無いものを解析しながら出てきた実力者の名前には、不思議と説得力があった。

どのような存在でありたい

「仕組みを作る側でいたいですね僕は」

どのような存在でありたいか、その質問に店長はこう答えた。目標を答えるのか、はたまた野望を答えるのか、解釈が分かれる問いに、明確な決意が返ってきた。

「大喜利のイベントの主催をやれる人の中でも、大喜利好きな人だけでやるイベントをやる人と、外向きにやれる人っていうのがいて。どっちかっていうと外向きのイベントをずっとやれるような存在でありたいなとは思います」

実は、鴨川杯の話題の際、自身の主催するイベントについて、こう答えてくれていた。

「(鴨川杯を)もう少しカチッとした大会に出来る世界線もあったかなとも思ってるんです。でも、割と蓋を開けると鴨川杯って、大喜利経験者たちでワイワイやるような感じに、言い方悪くすると結構内輪感が出る、お祭り感が出るイベントになったので、それは良い悪いじゃなくて『そっちに行ったかあ』っていうような感じはしましたね」

多少ネガティブなニュアンスで語っていたが、鴨川杯が最終的に向かっていった方向性が、失敗だとは店長は微塵も思っていない。内輪のノリが大好きだと思う反面、外向きのイベントを作りたいという思いは強い。イベントが思わぬ方向に成長した経験を持つ店長だからこそ、外に向けられたイベントを行う重要性も難しさも知っている。プレイヤーとして、主催者として、そしてWebライターとして、自分が思う「面白い」を外に向けて発信するための準備は、すでに整っていると言っても過言ではないのだ。

延期となったイベント

今回の取材を1月12日にしたのには、ちょっとした意味がある。1月10日に、店長主催の初心者向け大喜利会「大喜利別天地」(以下、別天地)が開催される予定だったため、その感想を訊くためだ。「開催される予定だった」と書いたのは、会が延期(Twitterアカウントの情報では中止)となってしまったからだ。

虎猫主催の初心者向け大喜利会「始めの一歩」「きっかけの一歩」の影響もあり、関東ではコンスタントに大喜利人口が増えていた。「関西にも新しい人出てこないかな」と思っていた店長だが、「やりたいなら自分でやるのが良いんじゃないか」と言われて大会を主催した頃を思い出し、自分で大喜利未経験者に向けた会を立ち上げることにした。

直前まで準備を整えていたが、緊急事態宣言の影響で延期となった別天地。会を強行することも出来たが、参加者と、ゲストとしてオファーした経験者全員の安全を選択した。「非常に悔しい」と語る店長の顔は、やりきれない表情で満ちていた。

個人的な意見で申し訳ないが、会をやろうと行動したことは決して無駄では無いし、責任を感じる必要もないだろう。会は実現出来なかったが、完全に失われたわけではない。また次の一手を考えて、行動するべきだ。店長なら、それが充分可能だろうというのが、今回話を訊いてたどり着いた、筆者なりの結論である。

おわりに

取材は2時間にも及んだ。これまでの最長記録である。

比較的身近な存在すぎて”麻痺”していたが、店長は「凄い人」である。この人なら何でも出来るのではないか、我々に知らない世界を見せてくれるのではないかと思わせる可能性を秘めている。

レコーディングを終了し、ZOOMを切るために最後の挨拶をしていると「もう一つだけ良いですか」と話し始めた店長。

「まだ具体的には言えないですけど、水面下で動いていることがあるんで、楽しみにしておいて下さいって書けますかね」

最後の最後にサプライズ。はっきりとはわからないが、きっと面白いことなのだろう。思えばこれまで店長には、様々な形で驚かされてきた。今回も、きっと予想を軽々と裏切ってくれるはずだ。いつ何が始まるのか期待しながら、ZOOMを切り、取材を終えた。

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