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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】しゅごしゅぎ-その手を止めない探究者-

はじめに

今回取り上げるのは、筆者と同じ1993年生まれのプレイヤー。つい最近30代になったとはいえ、昔から界隈にいるため、ベテランの域に差し掛かっている人物でもある。

デビュー当時から実績を重ねて、大喜利の面では安定して強く、さらには配信者としての顔も持っている。

彼こそが、本記事の主役、しゅごしゅぎである。

元々「まるお」というハンドルネームだった彼は、2010年代初頭にネット大喜利を始めてから、生大喜利デビューをした。まだ居住地である関東ですら、今より競技人口が少なく、大喜利が出来る場も少なかった頃から、積極的に会に参加しており、現在も大喜利会や大会への参加頻度は緩めていない。

また、本人のキャラクター性や面白さはもちろん、回答の「伝え方」に関するブログ記事を書くなど、回答の書き方、答えの言い方などにも気を配っており、どんな場でも観客席のヒダりから右まで、端からハシマで伝わる回答を出せるのも強みである。

ぜひ取材をしたいとオファーをすると、彼のいつもの調子で、元気のいい返答が返ってきた。

2024年06月24日21時、インタビュー開始。

きっかけはネット大喜利

Discordを繋ぎ、軽く雑談をする。取材を受けられるのは「光栄」とのこと。そんな大層なものではないと私は思っているが、とりあえずその言葉をありがたく受け取る。

しゅごしゅぎが大喜利を始めるきっかけとなったのは、2011年頃に、X(当時はTwitter)で見つけた「猫の断末魔」という名前のユーザーだった。「未だに何の人なのかはよくわからない」という正体不明のアカウントだが、投稿する内容が面白かったため、フォローしてポスト(ツイート)を追っていた。

「その人のbio欄に『ネタボケライフ』とだけ書かれてたんですよ」

「ネタボケライフ」とは、現在も残っているネットで大喜利が出来るサイトで、お題が発表されて、決められた期間中に参加者が一つのボケを投稿し、期限が来たら採点に移る。10人のユーザが全てのボケを10点満点で採点し終えたら、結果がランキングとなって発表されるというのが、ネタボケライフのルールである。

「ネタボケライフ」というワードが気になり、検索して発見したしゅごしゅぎは、そのままの勢いで登録し、ボケを投稿するようになる。ただ、ネタボケライフが「ネット大喜利」というものだという認識は無かった。

「ネタボケライフって遊びだと思ってたんですよ。ネット大喜利っていうものを知らなくて」

それが全ての始まりであるが、仮にも今まで全く知らなかった文化、すぐに自分の肌に合うようになったのだろうか。

「ネタボケ投稿一個目は中の上くらいの順位だったんですよ。『意外とそんなもんか』みたいになって、次も投稿したらめっちゃ下位だったんですよ。上位の回答とか見ても、ネット大喜利の評価されるボケっていうのが全然わかってなくて。ネタボケで良い順位を獲ろうと思って、しばらくネタボケだけやってました」

さらに、採点する側も挑戦するようになり、ボケの評価基準が段々わかってきた所で、ネット大喜利でウケる回答も出せるようになっていく。ただ、そこからしばらくは、「他のネット大喜利もしてみよう」という流れにはならなかった。

「ネタボケだけをしばらくやってたんですけど、でもネタボケきっかけでTwitterをフォローする人が増えて、虎猫さんとかをフォローしたのも、多分その時だと思うんですよね」

そこから様々な人から多くの情報を仕入れることが可能になり、他の大喜利サイトの存在を知ることが出来て、様々なサイトに投稿するようになったのだ。

生大喜利デビュー

「初めて生大喜利をやったのが、2012年12月ですね。虎猫さん、冬の鬼さん、鯖鯖鯖んなさん主催の『重力、北京、ナポレオン』という会です」

しゅごしゅぎの生大喜利デビューは、大学1年生の時。元々ネット大喜利で知り合ったことで仲良くなった、現在でも強豪プレイヤーの位置にいる直泰という人物が、しゅごしゅぎより先に「重力、北京、ナポレオン」で生大喜利を始めていたのがきっかけで、自分もやってみようという気になったのが始まりである。

「個人的には結構ウケた感覚があって、何よりめちゃくちゃ楽しかったんですよね。ボード出した瞬間ウケるっていうのが。そっからもうドハマりしましたね。ただ、後からその会にいた鉛のような銀に聞いたら『しゅごしゅぎさんめっちゃスベッてたよ』みたいに言われて…(笑)」

昔のことなので、実際の所はわからないが、ウケていたとも言えるし、空回りしていた部分もあったというのが、彼の記憶の中にはある。

その会をきっかけに、大喜利にハマっていくのだが、当時は現在と違い、毎週末どこかで誰かが生大喜利の会を開いているわけではなかったため、大喜利がしたいと思っても、簡単には出来なかった。

「モチベーション高すぎて、毎週大喜利したかったんで、主催をその時始めて…多分俺にあんまり主催のイメージ無いと思うんですけど、『大宮天空大喜利』っていう埼玉の大宮を拠点にした大喜利会を、直泰とかと一緒に結構な頻度でやって、生大喜利をやりまくってました」

初優勝

その会に参加してから就職をするまで、生大喜利の参加頻度を下げることはなかったしゅごしゅぎ。大会での初優勝も早かった。

彼が初めて優勝したのは「オオギリダイバー7」の予選である。12人のタイマントーナメントを昼と夕方にそれぞれ行い、ここを勝ち抜けた2名が本戦に進めるという形式だった。

昼からの予選Aに参加したしゅごしゅぎは、鉛のような銀や妙子(現・大久保八億)といった面々を倒し、見事本戦への切符を手にする。

「本戦は俺ランさんと最初当たって勝って、伊福部(崇)さんに負けたのかな」

本戦は8人で行われたため、一度勝ったことで彼はベスト4になった。

「お客さんが凄く入っていた、大人気のイベントって感じだったんですけど、そこに出て、ちゃんと勝負したっていうのは大きいですね」

印象的なイベント

ここからは、彼がこれまで参加した中で、印象に残っている大喜利イベントについて聴いていく。

「第15回大喜利天下一武道会もかなり印象的で、その時6位まで行ったんですけど」

2024年06月30日に第18回の本戦が行われ、副編集長の優勝で幕を閉じた、フリップを使った生大喜利の大会では日本一の規模を誇る「大喜利天下一武道会」、通称「天下一」。ちなみに、しゅごしゅぎが生大喜利を始めた直後に、第14回が行われており、出場はしたものの、そこでは予選1回戦で負けてしまう。

「そこから1年後の第15回では、ちゃんと予選勝ち上がって。本戦の1回戦もなんとか勝ちまして、決勝に出るんですけど、そこは全然ダメでですね(笑)『まるお 0票』っていうのが生まれたくらいなんですけど。でも、天下一でドカンとウケた時の気持ちよさみたいなのは、まだ覚えてますね」

第15回の本戦が行われたのが、2014年の1月。その翌年に行われた「第5回天下一チームバトル」という3人1組のチームを組んで競い合う大会では、直泰、六角電波と「まるお、直泰、ネイノー」というチームで挑み、優勝している。

「決勝まで、俺があんまり仕事してなかった感覚で。決勝で大将になって、最初押されてたんですけど、最後の一答で全部ひっくり返したみたいな。そんな感じでギリギリ優勝したんで、それはやっぱり凄い印象に残ってますね」

また、大会とは異なるが、「大喜利千景」という大喜利ライブも印象に残っている。主催の寺田寛明が多忙になったことが原因なのか、現在はほぼ行われていないが、当時大喜利が得意なプロの芸人とアマチュアを繋ぐ、重要な役割を果たしていたライブの一つだったことは間違いない。

「10年以上前だと思うんですけど、第1回に呼んでもらって、調子よくてめっちゃウケたんですよ。寺田さんが気に入ってくれたのか、そこから結構呼んでもらって、準レギュラーぐらいで出てたと思うんで、凄い貴重な体験でした」

そして、「さすがに思い出深い」と語るのは2014年の「24時間大喜利フェス」というイベントで、24時間全ての企画に参加する「ランナー」を務めたことである。

「その時主軸で主催をしていたのが、星野児胡さんだったんですよ。他にキルヒホッフさんとか虎猫さんとかいて。その人達が『しゅごしゅぎにしよう』って言ったのかな?多分」

過酷な企画ではあると思うが、今振り返って出てくる言葉は「めちゃくちゃ楽しかった」という感想である。

「24時間大喜利フェス」のために、関西や東北からも参加者が駆け付けたことも印象に残っている。

「関西からまな!さんとかスズケンさんとかに来てもらったり、東北からも罠箱さんとか、福岡かららんちゅうさん(現・わからない)とか来てもらったり、あの時は日本中から、ギャラを出せるというわけでもないのに、色んな人に来てもらいまして。大喜利でこんなに色んな地域から色んな歳の人がよく集まるなあみたいな」

その数年後、2019年にも「24時間大喜利フェス」は行われている。その時のランナーだった、田野に話を聴いた時は「楽しかった」なんて前向きな言葉は一言も出てこなかった。

「なんでそうなったのかって考えた時に、田野さんは、ちょこちょこ出番が無い時間があったんですよ。それが多分逆にきつくて。僕はずっと出てたんで、アドレナリンみたいなのが出続けてて。思ったより眠くなったりしないまま行けたんですよね」

しゅごしゅぎも、最後に行われた大会形式のプログラムで、自分が出ないブロックの時間が訪れた瞬間に、一気に疲れが来たとのこと。

「最後のトーナメントで虎猫さんが優勝した時、テンションが変になってたのか、ちょっと泣いちゃったんですよね。大喜利で泣くこと全然無いんですけど(笑)その時は、良すぎて泣いたんですよね、少しだけ」

さらに、これは情勢が変わってからの話だが、彼が主役のイベントが行われたことがある。それが、彼が45人のプレイヤーと半日かけて1対1の勝負を行う、「しゅごしゅぎ45人組手」である。

「結構(組手を)やりたいやりたいって俺が言ってて。ネイノーさん(六角電波)も『しゅごしゅぎ組手良いじゃん』みたいになって、実現させてもらいまして。元々は30人組手の予定だったんですけど、応募が多くて42人とか来たんですよ。『まあ42だったら出来るだろ』と思って、全員落選無しでやりましょうってなって、刺客加えて45人になりました」

45人と連続で大喜利の勝負をして、どんな感想を抱いたのか。

「結論から言うと、30人ってやっぱりちょうど良いんだなと思いました(笑)真ん中で5連敗ぐらいした所があるんですけど、単純に相手が強かったのもあったんですけど、そこは結構明確にきつくて…なんか全然これではダメだみたいな、そんな時間がありましたね。そっからなんとかラストに向かって(調子を)戻したのは、結構偉かったですね」

結果としては、45戦24勝21敗となり、執念で勝ち越した。

自分の大喜利のスタイル

しゅごしゅぎが、今までとは違うスタイルで回答し、好成績を残したことで、印象に残っている大会がある。それが「第3回大喜利千景3on3トーナメント」である。

その時彼は、パラドクス、sudoという2人と共に「ドワンゴの正社員」というチームを組んで出場し、全体の3位になった。

「その時ホントに自分のベスト3に入るくらい調子良い日で。全てがめちゃくちゃウケたんですよね」

今振り返っても理由はわからないが、その日は普段あまりしない長文での回答をしていたという。

「なんでその日だけやってたかはわかんないんですけど、それがとにかくハマりまくってて。何でこれを今やってないのかもわかんないんですけど。どっちかっていうと、普段は『一言だけ言う』みたいなボケが多いので」

しゅごしゅぎは、自分自身の大喜利のスタイルについて、「その時の流行で変化したりもするけど、軸は変わっていないはず」と語る。

「なんか、昔はもっとアホっぽい回答が多かった気がしてて。でもここ数年は、とにかくお題のど真ん中を言いたい、みたいな思いの方が強い気がしますね。そうしようと思ってしてるわけじゃないけど、結果的にそういう回答が多いし、『そういうのを出す人』と思われてる気がする」

2024年現在、多くの人物が大喜利会の主催をするようになって、多種多様なお題が出題されるようになった。難解なものも、特殊な形式なものもある反面、オーソドックスなお題も生き残っている。

「『こんなお題にもこういうのが出せる』っていうのは、(スタイルとして)かなり好きかも知れないですね。そこを探してるのは確実にある気がします」

本人曰く、「お題に上手く対応出来た瞬間」で記憶に新しいのが、2023年の11月に行われた「大喜利世界杯」でのこと。それこそ特殊なお題作りに定評のある、静岡のプレイヤー・キャベツが作る「○○な世界」という形式のお題しか出ない大会である。

結果としては、準決勝で敗退してしまうのだが、大会の中で「赤ちゃんが最初に喋る言葉は難解であればあるほど良いとされる世界」というお題に「エジソンは『オギャー』だったという、小学生を勇気づけるエピソードがある」と答えて、爆笑を獲った。この回答は、周りからも絶賛されたとのこと。

「自分の中でも『まだ俺こういうの出せるんだ』って自分を見直したような感じがあって。去年全然調子よく無かったんですけど、そっから割と上向いてきて、今年は調子良いつもりなんですけど」

「大喜利世界杯」のこの回答で、「まだ出来るじゃん」と励みになったしゅごしゅぎだったが、当人が振り返っても、明確に「折れていた」と感じる時期があったという。

それは、2022年3月、座・高円寺で2日連続で行われた、六角電波主催の「哄演児杯」と、EOC主催の「EOT第7章」でのこと。彼はどちらも出場しており、EOT第7章に関しては、Kouとタッグを組んで本戦まで進んでいる。

「哄演児杯優勝のOGAKUZUZとか、EOT優勝のジャージの顔、キャベツの二人が、ちょっと凄すぎて…それまでずっと大喜利見てきたつもりですけど、あの二日間で明らかにアマチュア大喜利が、一段レベルアップしたと思ってるんですけど。ただ面白いだけじゃなくて、お題への沿い方とかも含めて、まあ神回だったんですよね」

その二日間を通して見て、「なんか俺ついていけないかも」とまで思ってしまったそうだ。

「こんぐらいレベルアップした世界で、自分が上位層にいるイメージが湧かなくなってた感じはあるかも。あそこから明確にアマチュア大喜利が面白くなった気がしてて。それまでも面白かったんですけど」

そこから先は、大会で大苦戦するようなことはさすがに無かったが、上位争いには食い込めないというような状態が続いたそうだ。

「2022、23は、大喜利自体は楽しいし、続けてましたけど、あんまやっぱ勝つってなると・・・絡んでこない感じになってましたね」

とはいえ、前述の世界杯で調子を取り戻してからは「キーボード杯」「ボケルバチャンピオンシップ」などの大会で優勝を飾る。諦めずに続けたことで、結果がミノった形となった。

配信活動

しゅごしゅぎを語るうえで外せないのが、頻繁に行っている配信活動である。実を言うと、今からこのインタビューが始まるというトキにも、直前まで配信をしていた。この章では、その活動について語ってもらった。

「(配信は)ちょこちょこやってはいたんですけど、頻繁にやるようになったのは、2020年3月頃です。その時期に仕事を辞めたんですけど、まさに世の中がコロナ渦で。本当は『仕事辞めたら、海外一人旅とかしようかな~』とかのんきに考えてたんですけど、そういうことも出来ず。で、次の仕事も特に決めて無かったんですよね」

何もすることが無くなったタイミングで、主に大喜利の人がゲーム実況などを配信するYouTubeチャンネル・たにしゲーミングに加入し、そのアカウントで配信をしていていくうちに楽しくなり「こんだけちゃんとやるなら、自分で全部やりたいな」と思い、自分のチャンネルを立ち上げたのがきっかけである。現在は、Twitchというアプリで、ゲーム実況を中心に、様々な配信を行っている。

「配信はずっと憧れがあって、ゲームにしろ大喜利にしろ。でもお金が無くて設備投資とかも出来てなかったし、実家だったしとか、色々あって定期的にはやってなかったんですけど、その時はもう一人暮らしだったし、時間も有り余ってたので、相当配信してましたね。元々ゲームが凄い好きで、そこに観てる人のコメントが入って、そこと喋りながらゲームできるっていうのが、多分自分に合ってて。今も楽しく続けてますね」

現在は、ゲーム実況に加えて、「しゅごしゅぎのインターネットネット」という定期配信を、毎週火曜日に行っている。

「基本はゲームやってて、インターネットネットは雑談メインというか。雑談のテーマとして、おたよりフォームを作って、送ってもらったものを元に配信をしている時もあるって感じですね」

配信内で一番行っている企画が「ほどでもない写真」というもの。

「面白いと思って撮ったけど、いざ見直すと、別にツイートとかするほどじゃないなとか、メモ代わりに撮ったけど別にいらないなあみたいな、どうでもいい写真を、キャプション付きで送ってもらって、それをただ見るっていう企画があって、これが多分一応大人気企画なんですよ(笑)」

「ほどでもない写真」は、自分の好きな"面白さ"が見れるという。

「あと『アガらないシリーズ』っていう。『アガらない自販機』とか『アガらないフードコート』とかを過去にやったんですけど。なんかその…言っちゃ失礼ですけど、テンションが『アガらない』飲み物ばかりが入った自販機をみんなで考えて、配信内で作り上げたっていうのがありまして、それも凄い個人的には好きでしたね。基本的には、ちょっとバカにしてる感じのお笑いが好きかもしれないです(笑)」

この「インターネットネット」が100回目を迎えるのを機に、2023年11月に「インターネットネットオフライン」というイベントをライブハウスで行った。イベントでは「ほどでもない写真」を客前で行ったり、関東のプレイヤー・ぽるすに協力してもらい、「インターネットネット」に関するクイズを出題したりした。

「ライブハウスは長時間借りた方が安いので、どうせなら大会も一緒にやろうと思って『作題杯』という大会も主催しました。作題杯は全部配信しまして、アーカイブがYouTubeに残ってるんですけど」

配信活動における今後の目標としては「フォロワーを増やしたい」というのがまず先にある。フォロワーや閲覧者数を増やすことで「Twitchパートナー」という制度に加入することが出来て、そうなった場合、さらなる優遇措置や収益アップも見込める。

「結構人気になんないといけないんですけど。自分はまだまだなんで。まあめちゃくちゃ(閲覧者を)増やすために、躍起になって何かやってる感じでもないですけど(笑)」

オショロ

「(今年の)2月3日に『組んだ!』って言ってますね。で、まだネタをやってません(笑)」

今年に入ってから、元々社会人をしながらお笑いの活動も行っていた大喜利プレイヤー・神山まるたと、社会人コンビを組んだしゅごしゅぎ。彼の大喜利以外のお笑いの活動に関しては、大学時代にお笑いサークルに入った頃にさかのぼる。

「生大喜利始めて、すぐに大学のお笑いサークルをたまたま観に行ったんですよね。卒業ライブみたいな。それが凄い面白くて。ライブ終わりにサークルの人に話しかけて『普段はどういうことやってるんですか?』って聞いたら『大喜利とかやってます』って言われたんですよ。その頃(大喜利を)始めたてで、めちゃくちゃ大喜利に飢えてたんで『大学で大喜利できんのかよ!』と思って、その場で入ったんですよね」

神山まるたは、しゅごしゅぎとほぼ同世代で、以前から自分たちが大学にいた頃の大学お笑いの話をする機会があった。

「そんな中で、神山さんが家を買って引っ越すまでの軌跡を『家ブロ』っていうタイトルで、ずっとnoteに書いてる時期があったんですけど、その中に『お笑いやりたい』『相方募集してます』みたいなのをずっと書いてて」

神山まるたは、以前は「激甘!イチゴジャム部」という社会人コンビを組んでいたが、相方の引っ越しにより、事実上コンビでの活動が出来なくなってしまったという経緯がある。

「俺も、そんなにガシガシやっていく気持ちは無いながら、M-1とかには出たかったんですよね。そういう気持ちはあって、(神山さんに)声かけたら、やっぱりそのあたりの高くはない温度感と言いますか。『年に何回か活動出来たらいいよね』ぐらいで合致しまして、やりましょうと」

神山まるたには妻も子供もおり、家の仕事もしないといけないという状態で、なんとか時間を合わせてネタを作り、初舞台の場として「大喜利プレイヤーによるネタライブ」というライブへの出演が決まっていた。これは、21人目に取材した、おーはらが主催のライブである。

「初舞台として完璧じゃん、打ってつけじゃんと思ってたんですけど、神山まるたがコロナになってしまいまして…それでちょっと初舞台が未定なんですけど。ネタは一応一個、コントなんですが出来てるので、どっかでやりたいですね。まあ同じライブが9月にあるので、そこにはなんらかの形で出させてもらいたいなと思ってはいます」

好きなプレイヤー

「そうですねー、まじで皆好きなんだよなー」

ここからは、数々の人物を大いに悩ませてきた共通の項目「好きなプレイヤー」について聞いていく。「絞り切れない」というのが、主な悩ませる原因である。

「まあでも、直泰はやっぱ好きですね。同じ時期に始めて、仲良くしてるっていうのもあると思うんですけど。大喜利界に人が増えれば増えるほど、直泰の大喜利って誰もやってないなって感覚にはなりますね」

先日行われた「大喜利天下一武道会」でも、直泰は本戦出場を決めている。彼が天下一の本戦に進むのは、一度や二度の話ではない。

「(お題に)沿ってるんですけど、着眼点も不思議だし、着地の仕方も不思議だし、独特の感性だなって思うし、見てて楽しいですね」

次に名前が挙がったのは、前回の記事でMAが名前を出した、言わずと知れた若きベテラン・蛇口捻流である。蛇口捻流も、先日の天下一で本戦に進んでいる。

「好きなお笑いが似てる気がしてます。大喜利もですけど、平場が凄い面白い…(笑)本当にしょうもないことを言ったり、ツッコミを入れたりする所が、自分と似てて、自分と同じようなものが好きそうだなって思いますね」

そして「いくら褒めても褒め足りない」と語るのは、天下一で準優勝という成績を収めたぺるともだ。

「安定してる人が結構好きというか。安定してちゃんとウケる、結果を残す人っていうのに憧れがあって。そういう意味で、ぺるともってその中の最高峰だなって思うし。自分の中に『大喜利を安定させるのは無理』という前提があって、あれだけ安定してるのはとんでもないなっていうのがあって、好きですね。面白さもそうだし強さの部分というか」

そして、そういったプレイヤーとは別枠で、もう一回見たい人物として、現在はジャンルの枠に捉われず、様々な活動をしている、ぼく脳の名前を挙げてくれた。

「お題に沿ってるとは言い難い大喜利をするんですけど、めちゃくちゃ面白くて。大喜利始めたての時に、既存の『おもしろ観』みたいなのを、ぼく脳さんにぶっ壊された感触があって。多分そういう人多いと思うんですけど」

ぼく脳のように、自分には真似できないプレイヤーも好きだと語る。

「そっち方面のプレイヤーも好きですね。味ぽん太さんもそうかな。最近だと純情米さんとか、フェスタさんとか。牛女のしらすさんとか」

あとは、大喜利を競技的に捉えるのが好きなため、「勝負の場で勝ちたい」と思ってる新人も好きとのこと。

「おだンゴさんとかカニさんとか、勝ちたいっていう所で研究してる人達だなあっていう風に思ってて。あと、ぜあすとかもそうかな。『勝ちたがり』は好きかもしれないです。勝ちたがってる人」

今後の展望

最後の質問。「今後の展望」について語ってもらう。別に野望でも目標でも良いのだが、彼が何を見据えて日々大喜利に挑んでいるのか、気になる所ではある。

「やっぱ大型大会のタイトルは欲しいです。最近欲が出てきました。割と勝てるようになってきて『あれ?いけるか?』みたいな感じがあるんで。具体的には、70人とか出るような大会の優勝が欲しいなとは思ってますね」

気持ち的には「獲れるまで出続けて、勝率を高める」という意味合いが一番正しいのかなとのこと。

「お題1問1問に、自分が出来ることをして、運が良ければそれが優勝まで行く所には来てるかなって気はするので。それを引くまで出るしかないのかなって感じですかね(笑)」

それとは別に、彼は現在大喜利のコミュニティが「良い状態」にあると感じており、楽しさも十分にあるうえに、全然飽きていないので「界隈に自分のペースでずっといたい」とも思っている。

そして、今よりもさらに強くなりたいという野望もちらつかせる。

「自分と当たった人が、嫌がるくらいの強さは保ちたいなっていうのはありますね(笑)本当のことを言うと、誰かが優勝した時に『まあでも今日の大会はしゅごしゅぎいなかったからな~』って言葉が出るくらい強かったら文句ないですね」

あとは、配信活動などを頑張ることで、大喜利界隈に人を呼び寄せたいとも語る。

「まだ大喜利やってないけど、めっちゃ面白い人とか、大喜利を楽しんでくれる人が、多分まだまだめちゃめちゃいるので。そういう人達が始めるきっかけになったりとか、大喜利を始める会にいて、一緒に楽しめたら良いなっていうのはありますね」

おわりに

90分の取材が終わったのだが、まだ話していないトピックスは無いか、しゅごしゅぎは不安そうにしていた。この時点で1万字を超えているので、これまでの経歴や大喜利に対する熱量は、もれなく書けたと思いたい。

私が2016年6月から大喜利を始めて、まだ遠征を頻繁にしていなかった頃。関東の知り合いも少なかったので、向こうにはどんな会があるのか情報を得るのが難しかった時期から、なぜかしゅごしゅぎの存在は知っていた。それだけ彼が、多くの大喜利会に参加していたということなのだろう。

常に面白いことへの情熱をおろそカニしない、大喜利に貪欲な姿勢を見せてはいるが、今回の取材では、冷静に界隈と自分の立ち位置を観察しているという一面も垣間見れた。愉快でクレバーな人間。そういうイメージを抱いていたが、あながち間違いではなかった。

しゅごしゅぎの、インターネットネットの、そしてオショロの今後に期待を込めて、この記事を終わらせたいと思う。

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