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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】オフィユカス-周りなんか気にならない-

はじめに

前回の記事で取り上げたプレイヤー・おーはらは「大喜利バトルタワー」の初代王者である。

若手プレイヤーと歴戦の猛者の真剣勝負の場となっている、大喜利バトルタワー。これまで4度行われており、連覇した人間も存在する。

その男こそが、本記事の主役、オフィユカスである。

オフィユカスは、最初は新人を迎え撃つ「ゲートキーパー」としての役割を担い、「大喜利バトルタワー3」で優勝した。その後開催された4度目の大会でも、ゲートキーパーとして登場し、連覇したのだ。

彼のファイトスタイルとして挙げられる特徴としては、正統派な真っ直ぐ芯を射抜く回答も、”邪道”とも言えるバカバカしい回答も出せることだ。私は昔、彼のことを「パワータイプのテクニシャン」と評したことがあるが、その認識は今でも変わらない。むしろ、その”STRONG”スタイルの大喜利は、パワーを増し続けている。

また、彼は自らを「当たりはずれが大きい」と分析していたが、そんなスタイルでも大喜利を続けることで、他の安定感のあるプレイヤーとも、引け目を取らないほどの実績を積み重ねている。

オフィユカスに取材のオファーをすると、快く引き受けてくれた。どういった話が聴けるのか読めなかったが、なかなか貴重な場になったのではないかと思う。

2024年01月27日21時、インタビュー開始。

はじまりはネット長文

今回も、いつものようにDiscordで取材を行う。通話を始めて、雑談を交わした後に、取材を始める。私が「よろしくお願いします」と言えば「イエーイオフィユカスでーす」と、いつもの調子で返してくれた。ちゃんとダブルピースもしていたそうだが、音声通話なので一切見えなかった。

オフィユカスは大喜利と出会う前に、今から17年前「ネット長文」という文化にふれている。これが「自ら笑いを生み出す活動」の原点である。

ネット長文を簡単に説明すると、ネット上に漫才やコントの台本をアップして、どれが一番面白いか決めるというもので、過去にインタビューした人物で言えば、FANや星野流人が通ってきた道である。ちなみに、六角電波も本腰を入れてやっていたわけではないが、近い界隈にはいたとのこと。

当時、言わずと知れた人気ゲームシリーズ「ファイナルファンタジー」の二次創作のサイトを閲覧していたオフィユカス。いくつか見ていたサイトの中に、「ファイナルファンタジーのキャラクターが漫才をするテキスト」が掲載されているものがあった。

まだインターネットの使い方がよく分かっていなかった中学生の彼は、そのサイトをブックマークせずに、毎回「FF 漫才」で検索して見つけていた。それを繰り返していくと、とあるサイトを発見する。

「ちょうどネット長文の企画で、FFのネタを書いてた人がいて。それで『FF 漫才』で検索したらそのネット長文のサイトが引っかかったんですよ」

オフィユカスによると、ネット長文のサイトは、かつてNHKで放送されていた、観客投票で10組中上位5組のみがネタを放送されるお笑い番組「爆笑オンエアバトル」のシステムの物がほとんどだったという。

「元々お笑いは好きで、『インターネットで爆笑オンエアバトルみたいなことをやってるサイトがあるんだ!』って、検索で見つけた時に知って、そっからのめり込みました」

そこから、ネット長文の活動を始めていくわけだが、本人曰く「最初はマジで全然ダメだった」とのこと。

「0点を二回出したりとか、点数もらっても(最大545KB中)200行くか行かないかくらい。最終的に『あなたは負けすぎているのでこの期間は投稿出来ません』ってなるくらいダメだったんですよ」

成績は振るわなかったが、ネタの投稿を諦めることは無かった。

「結局折れなかったんですよ。評価されないなら、ここで活躍したいってなって。他の人の長文ネタ見たりとか、ネット長文の人達が参加してるチャットに自分から飛び込んで交流したりとかして、それなりには勝てるようになったんですけど」

活動をしていくうちに「ボケ掲示板」というものの存在を知る。いわゆるネットの掲示板のシステムを一時的に借りる「レンタル掲示板」上で行う大喜利で、お題が出題されてから回答が10個書き込まれると、管理人の独断で点数が付けられて、面白かった5つに入れたら勝利、といったシステムだった。本家のオンエアバトル同様に、何度か勝利を重ねた人たちによるチャンピオン大会もあったそうだ。

「ボケ掲示板からネット大喜利を始めて、ちょうどその頃六角電波と知り合ったんで、六角電波経由で『ぼけましておめでとうございます』とか『ネタボケライフ』とか、いわゆるネット長文とは違うネット大喜利のサイトを知って、挑戦するんですけど、そっちの方は本当にからっきしだったんで」

「ネット大喜利」をしていた人達には敵わないと思ったオフィユカスは、しばらくそこから離れて、元々いた長文界隈で細々と活動を続けていた。そうしていくうちに、後の生大喜利での交友関係にもつながる出会いがあったとのこと。

「その時は僕もボケ掲示板運営してて、実はその時のチャンピオンに、まだ小学生か中学生くらいのアオリーカさんがいたりとか。あと本当に本人から言われてびっくりしたんですけど、その時のオンバト系のネット大喜利のサイトに、ジャージの顔さんが投稿してたりとか」

生大喜利デビュー

そこからしばらく「ネット長文」に傾向が近い大喜利サイトに参加しているうちに、そこに投稿をしている人達と交流が出来る。生大喜利を始めるようになったのは、そこで関わった人達との交流がきっかけだった。

「これは日付も覚えてるんですけど、2011年の3月6日ですね。この日に虎猫さんが『大喜利多摩川杯』を主催するってなって、関わってたネット大喜利の人達が、ここに参加してみるって言って。参加者見たら、先に生大喜利を始めてた六角電波がいたりとかして『割と知り合い多いな、じゃあ俺も参加してみようかな』ってなったのがきっかけですね」

初めてボードとペンを使用する、生大喜利の世界に飛び込んだオフィユカス。しかも勝敗がある大会形式。いざ始まってみると、本人曰く「何言ってもウケなかった」「ボッコボコにされた」とのこと。

ただ、そこで彼はこんな気持ちを抱く。

「『アマチュアでこんなに面白い人達いるんだ』って思ったんですけど、ただ、個人的な感想を言うと、初めて人前でお笑いをやるっていう行為自体にはちょっと興奮したんですよね。やっぱり僕もお笑いが好きで、芸人になりたいなって思ってた時期もあったんで。『全然ウケなかったけど、楽しいは楽しいな』みたいな」

さらに、ネット上でのみ繋がっていた、六角電波、そしてoと初めて対面した。ここでの出会いが、生大喜利を続けていく理由にもなっていると語る。彼としては、”エル”ものが大きい大会だった。

生大喜利デビューの場では全くウケなかったオフィユカス。そんな彼が初めて爆笑を獲ったのが、当時大学生で落研に所属していたoが、学内で開いていた大喜利会である。

「B’zの『愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない』の穴埋めで『○○は○○だけを○○ない』っていうお題で『志村けんはジモンだけをよく思っていない』って出したのが、僕が生大喜利で初めてウケた記憶なんで」

当時は大喜利会が少なく、自ら主催をする人もほぼいなかった。そんな状況で誕生したとある店舗が、彼を生大喜利の世界に留めてくれた。

「そっからのめり込むようになったのは、喜利の箱がデカいです。今で言うボケルバみたいな」

オープン当初は、星野児胡という人物が店長を務めていた、かつて池袋に存在した大喜利専門のスペース「喜利の箱」。誰でも気軽に大喜利が出来るこの店の影響で、オフィユカスも大喜利にハマっていった。

「喜利の箱が出来てなかったら多分今…ネイノーとかとは交流はあるとは思うけど、ここまで生大喜利に参加してたとはちょっと思えないですね」

普段からボケまくるようになったきっかけ

2024年現在のオフィユカスは、大喜利会で大喜利以外のタイミングでも積極的にボケている。たとえその場にいる全員からツッコまれなくても、果敢にボケまくっているが、大喜利を始めたばかりの彼は、そんなことは一切しておらず、むしろ他の参加者に対して、よくない態度を取っていたらしい。

「当時の僕は全然大喜利強くなくて、勝てないんですよ。なおかつ若かったんで、今よりだいぶ尖ってたんですよ。っていうのもあって、大喜利でスベッた後に、めちゃくちゃ不貞腐れてたんですよ。他の人の回答で笑わなかったりとか、話しかけられてもリアクションしなかったりとかをしてたんですよ」

そんな彼が変わるきっかけとなったのは、2010年代初頭、まだ稼働していたネット長文界隈の配信企画。Ustreamというプラットフォームで、ラジオのようなことをしていたoの一言で、自分の置かれていた現状を知ることになる。

「僕が通話に参加したのか、チャットにいたのかは覚えてないですけど、僕がラジオの流れの中でボケたんですよ。そしたらoさんに『お前生大喜利で態度悪いだろ!』って、あくまでツッコミの感じで言われたんですよ。それがめちゃくちゃ衝撃的で。『そうだったんだ!』と思って。『これは態度改めないとまずいぞ』ってなって」

そこから態度を改めるために、どうしたら良いか自分なりに考えた。その結果、「すべっても明るく振る舞おう」と決めた。ただ、元々明るい性格ではないため、「明るい人」の振る舞いがわからなかった。ただ、ふとした瞬間に、「自分からボケてみよう」と動き出すことになる。

「元々仲良かった田んぼマンとかと話す時にボケ合ったりしたりとか。あとちょうど羊狩りさんが参加し始めくらいの時に、羊狩りさんは結構ツッコんでくれるから、ボケるとツッコむっていうのが楽しかったりとかして。『そうだ、会話でボケたりとかすればいいんだ』って思って。(会話に)ボケを入れてたら、そのうちボケに飲み込まれるようになってきて、『どんどんボケたい』ってなって」

その結果、大会の決勝戦の敗者コメントでもボケるモンスターが生まれてしまった。ちなみに、「自分はモンスターである」という自覚はあるとのこと。

初優勝

オフィユカスが大喜利で初めて優勝したのは、喜利の箱で毎月開催されていた「じゃぐぷち」という大会だった。これで優勝すれば、年始に行われていた「大喜利ライブ『蛇口』」に出演できる。

この日は予選から調子が良く、決勝でも、虎猫、冬の鬼、NYのヤンキー(今はほぼ大喜利の場に訪れていないが、当時はかなりの強豪だった)と戦い、見事に優勝した。

ただ「その時の優勝に苦しめられることになる」と本人は語る。

「今も僕の強さの振れ幅っていうのが結構デカい方なんですけど、当時もあんまり大会で勝ててなかった中で急に優勝して。それがきっかけで別の大会でも優勝出来るようになったとかでもなくて。ただやっぱり、喜利の箱の大喜利会で一番印象的なのは何だって言われたら、その時のじゃぐぷちかなあって思いますね」

そこから「強い人」へ一気に飛躍とはならなかった。回答単位ではウケるが、その一答で終わってしまうという状況だった。その自分のコンディションを顧みて、こんな目標を定める。

「優勝とかじゃなくて、まずこの会で、印象に残る面白い回答を一個は出せるようにしようみたいな。そう決めてからは気が楽になりました」

EOT

このインタビューシリーズでも、たびたび話題に上がっている、関東の大規模な大会「EOT」。直近では、永久保存やジョンソンともゆきの章に詳しく書いている。2024年4月には「第10章」が予定されているが、オフィユカスは第2勝の優勝者である。

それまでの彼には目立った実績が無かったため、その優勝は劇的なものだったと言っても良い。第2章の話を詳しく聞く前に、EOTが始動した頃の話から伺っていく。

「最初の印象としては、oさんと(星野)流人さんっていうネット長文から繋がりのある人と、羊狩りさんっていう割と生大喜利の中だと仲良くさせてもらってた方っていうので『あ、この3人が運営なら絶対参加したいな』って」

EOTを運営するのは、主催のoと、MCの羊狩りと、その他サポートの全部を担当する星野流人の3人である。オフィユカスにとって繋がりの深い面々が規模の大きい大会を開くということで、参加しないという選択肢は無かった。

EOTはこれまで9回行われており、初回と現在ではルールが若干変わっているが、予選は一答ごとに審査され、評価に応じてポイントが加算される加点式、本戦はポイントが高かった出場者が1対1の拍手審査で戦う印象式、というルールは変わっていない。

およそ50人が出場した第1章で、オフィユカスは予選を突破する。

「その時は結構調子よくて、本戦まで行けて。その規模の大会で本戦に上がったのが初めてだったんで、終わった時は結構上機嫌でしたね。本戦行けたってだけで」

第2章が行われたのは、2017年の9月。会場も会議室から阿佐ヶ谷ロフトに変わり、出場者数も増えた。

「第1章の時に調子良かったから、第2章も調子良いといいなあくらいしか思ってなかったですね正直」

第1章の時は、出場者全体の中の16人が本戦に行けるが、第2章からは、前半ブロックから8人、後半ブロックから8人進出するというルールになり、これは一番直近の回まで変わっていない。

予選を行った結果、オフィユカスは後半ブロック8位で本戦進出する。本戦トーナメントでは、前半ブロック1位の六角電波と戦うことになっていた。六角電波に対しては、特別な思いがあった。

「付き合い長いし、同い年なんですよ。大喜利する上で完全にライバル視してたんですよ。『生大喜利で誰に一番負けたくないですか?』って言われたら、絶対僕は六角電波って答えるようにしているくらいの存在なので」

六角電波の章でも触れたが、彼は大喜利天下一武道会という当時最大規模の大会で生大喜利デビューし、優勝している。オフィユカスの目から見ても、当時の二人の間には実力差があることは明らかだった。

「タイマンやっても勝てなかったし、同じブロックになっても勝てなかったりで『意識はしていたけど歯が立たない相手』みたいな印象で。そんな状況でタイマンすることになって、絶対負けたくないなと思って。そこでスイッチが入ったというか」

気合を入れて臨んだ結果、接戦の末に勝利する。勢いづいた彼を2回戦で待ち受けていたのは、当時関西に住んでいた店長だった。

「結構パーソナルなお題だったんですけど、自分で出せるもの全部出し尽くして。最終的に店長さんがペンを置くくらいの感じで勝って」

準決勝に駒を進めた。次の対戦相手はファイナルエース。彼は、この日予選で一番と言っても良いくらいの爆笑を獲っていた神聖な大木を1回戦で倒していた。オフィユカスからしても「正直一番タイマンで当たりたくない相手」だという。

「めちゃくちゃ恐い相手だなって思ったんですけど、1回戦と2回戦で勝って勢いづいたのと、ちょっとファイナルエースさんがお題に苦戦してたのかなっていうラッキーもあって勝ててっていう」

遂に決勝戦まで来た。対戦相手は「いい女」名義で出場していたお粥。お粥は今でこそ大喜利天下一武道会の本戦に進出したり、地方の大会で優勝したりするなど、ちゃんと勝つことの出来るプレイヤーだが、当時としては、60人規模の大会の決勝戦が「オフィユカスとお粥の対戦になる」ことは、今当人が振り返っても「絶対にありえない」ことだったと語る。

「『まさかオフィユカスとお粥の決勝になるとは!』みたいな空気もあったんですけど、ここまで来ると関係なくて、とにかくもう勝たなきゃいけない。ここまで来たんなら優勝しなきゃって」

出されたお題は「ある日突然アメリカが無重力になった時のあるある」。制限時間は2分間。ここでオフィユカスは「今でも代表作だと思っている」回答「それでも星条旗は、燦然とはためいている」で大爆笑を獲り、これが決め手となって優勝した。

「ただ、これには前日譚みたいなのがあって…」

大喜利未来杯東北編

オフィユカスが語る、EOT優勝のきっかけの一つでもある大会とは、仙台で行われた「第12回大喜利未来杯」である。大喜利未来杯は、やまおとこという人物が主に滋賀県で開催している大会で、2024年の年始にも行われた。ちなみに、その時の優勝は東堂。

第12回が行われたのは2016年の年末だった。本大会で彼は決勝に進むのだが、その決め手となったのは、2ndステージの2問目で出した、ピコ太郎のPPAPの替え歌回答だった。その話を聴いた私は、未来杯の動画を見返したのだが、厳密にはお題に沿っていなかったものの、思いもよらないパンチが飛んできたような回答で、爆発的にウケていた。

「それがウケた時に、大喜利って勝つことを意識して周りに合わせるよりも、自分の好きなことやった方が良いじゃんってなったんですよ。それが2016年の年末にあって、2017年から徐々に大喜利の調子が良くなっていくんですよ」

その後、未来杯が東京で行われた際にも決勝に進んだり、「オオギリダイバー HYPER DASH vol.2 タッグトーナメント」で、東海のプレイヤーである睦月と組んで準優勝したりするなど、「ようやく大喜利のウケ方がわかってきた」時期だと語る。

「EOTの翌月も、オオギリダイバーのトリオ戦があって、睦月さんとMAさんの3人で出て、そこでも優勝して。EOTがやっぱり一番印象に残っているんですけど、2017年という年自体が僕の中で結構印象深い年だったんですよ」

2017年

ここからは、彼が印象深い年だったと語る、2017年に行われた「オオギリダイバー HYPER DASH」について詳しく書いていく。

「オオギリダイバー」のルールは、リアルタイムで得点が可視化される加点式で、出場者はそれぞれ持ち時間を所持している。自分が回答を書いていたり、出したりしている間は持ち時間が減り続け、回答を出すと、回答権が相手に移り、持ち時間のカウントダウンはそこでストップ。相手が答えて再び回答権が回ってくると、カウントダウンが再開されるというのが、大まかなルールである。

前述の通り、オフィユカスは「オオギリダイバー HYPER DASH vol.2 タッグトーナメント」で、睦月と組んで準優勝している。オオギリダイバーのルールに苦手意識を持っていた彼は、大会前日まで出場するつもりは無かった。

しかし、前日に行われた「大喜利千景3on3」という大会で、1回戦で敗退してしまったことで、この悔しさを晴らしたいと思った結果、出場することを決めた。Twitterでタッグパートナーを探した結果、睦月と組むことになる。今でこそ、オフィユカスと睦月のタッグは、多くのプレイヤーにとって何の違和感もない組み合わせであるが、当時はお互い面識がほぼ無かった。

「チーム組んで出ることにはなったけど、コンビネーションとか大丈夫かなとか思ったんですけど、1回戦から割と調子良かったんですよ。好きなことをやりたいようにやるっていう大喜利が出来た日だったんで」

ほぼ即席タッグではあったが、1回戦を突破する。ただ、1回戦は一つのお題に対してそれぞれが挑む形式だったが、2回戦は、文中の2箇所の穴埋めを一人ずつが答えるような、タッグで一つのお題に答える形式だった。

「タッグお題あんまやったことないし、不安だなって思ってたんですけど、割と上手くいったんですよ。それで(その後も)とんとん拍子で勝って、決勝行って、決勝では負けたんですけど、でも初めて組んだタッグで準決勝まで行ったっていうのが嬉しくて」

そしてその年の10月。今度は同じルールで3人1組のトーナメント戦が行われることが発表された。

「睦月さんと『前回準優勝だったんで、リベンジしに行きましょう』みたいな感じでまず組むことになって。そこでMAさんが、Twitterで組む人を探してて、じゃあと思って誘ったら、来てくれることになって」

大会当日。オフィユカスの体調は芳しくなかった。その理由は、当時FANが所属していた東大落研が主催の「24時間大喜利」というイベントの、深夜の時間帯に出演していたからだった。”テツヤ”で大喜利をした後、朝自宅に戻り、仮眠を取ったものの、会場に着くまでの駅のトイレで少し嘔吐するほど具合は良くなかった。

「チーム戦だったっていうのもあったし、睦月さんとの準優勝もあったっていうので『これちょっと調子悪いけど、頑張って参加しないといけないな』ってなって」

気合の入れ方は間違っていないが、今の新人プレイヤーには、なるべく似たような真似をしないで欲しいというのが、私の正直な気持ちである。

3対3で行われるオオギリダイバーは3本勝負。まずチームから代表者1人が出て、1対1の勝負を行う。その後、初戦で出なかった2人同士の対決になる。ここで出されるお題は、通常お題の場合とタッグで答えるお題の場合の両方がある。タッグ戦が終了し、勝利数が1対1だったら、3人対3人の総力戦で勝負が決まる。

「1問目はMAさんに任せようってなって。僕と睦月さんは準優勝してるんで、このタッグは盤石だろってことで、1回戦から決勝戦までずっとそのフォーメーションで行ったんですよ。1問目はMAさんに出てもらって、2問目は僕と睦月さんが出るっていう」

そう決めて挑んだものの、1回戦と2回戦は、MAの肩が温まってなかったのか、先手を取ることが出来なかった。しかし、3回戦から調子が上がってきたおかげで、準決勝に関しては、MAも、オフィユカスと睦月も勝利し、ストレート勝ちで終わった。

「あと2回戦の時に、ダイバーのHYPER DASHって、5点(満票)取ったらその時点でそのお題勝ちなんですよ。その時が『「オマエ何見てんだよ!」よりも理不尽なケンカの吹っかけられ方とは?』っていうお題で、僕が『白菜の旬が来ましたねえ!』って出したらめちゃくちゃウケて。それで5点取って、1答目で勝ちを決めるっていうめちゃくちゃ気持ちいいやつをやって」

勢いに乗ったチームは、決勝戦に進む。対戦相手は、俺スナ、ママタルト檜原、いいもりといった面々。勝負は最終戦までもつれ込み、一進一退の攻防が続く中、睦月の一答で5点を獲得し、優勝が決まった。

「僕って、ママタルトの檜原さんに大喜利で勝ったことあるって、胸張って言えるんですよ。っていうので、2回のダイバーと、その間にEOTの第2章もあるので、流れで印象に残ってますね」

一番楽しかった会

他に印象的な大喜利イベントがあるか聞いてみると「一番楽しかった会」として、「アイドルマスターシンデレラガールズ大喜利会」を挙げてくれた。彼には、元々ネット長文で関わっていた人達に、アイドルマスターシンデレラガールズ、通称デレマスを勧められてハマったという経緯がある。

そのデレマス大喜利には、虎猫も頻繁に参加している。そんな虎猫に対して、最初のうちは「デレマスは一個のコンテンツとして好きだけど、自分たちより夢中になってはいないだろう」という印象を、もっとハマっている人達が抱いていた。

「それが回を重ねるごとに、(虎猫さんが)どんどんデレマスにハマっていって、その様子を見ていくのが、なんか良いなと思って」

オフィユカスが高く評価しているのは、デレマス大喜利主催の星野流人の企画力である。第1回目では「デレマスのアイドルを一から作ろう」という企画が行われた。イラストが得意なプレイヤーに、架空のアイドルの絵を描いてもらい、設定を全員で考えるというものだったのだが、「これは言ってはならない」といった縛りも何も無かったため、出てくる設定がとんでもないものとなり、最終的には人間ではないアイドルが誕生する始末だった。

「あまりにも無法地帯すぎて、流人さんがログを残す時に自主規制したっていう。それくらいめちゃくちゃ盛り上がって」

第3回で、東北の大喜利プレイヤーであり、仙台で不定期に行われている羊狩り主催の大会「T-OST」の第6回で準優勝した、大作が参加する。大作はデレマスの同人誌を製作しており、その界隈では有名人である。さらに、「大作・よしひこの禁止生」というニコニコ生放送でのラジオにて、デレマス大喜利が告知されたことで、禁止生にゆかりのある人物が会に参加して、そのまま大喜利界隈に定着するといった事例も起きた。詳しくは、このインタビューシリーズの「禁生大喜利部」の章を読んで欲しい。

「デレマス大喜利って、流人さんのコンテンツ力が良いのか、毎回めちゃくちゃ盛り上がるんですよ。あと同じものが好きな人が集まってるっていうのもあるので」

ちなみに、デレマス大喜利の最後には、自分が好きなアイドルになりきって大喜利をする「憑依大喜利トーナメント」が行われる。会の一番の目玉であるこの企画で、優勝するのが目標だというデレマス好きのプレイヤーは少なくない。

大喜利愉快杯

続いては、最近になって不定期で開催している、オフィユカス主催の大会「大喜利愉快杯」についての話を伺う。独自のルールが特徴の本大会だが、まずはそれ以前に大喜利会の主催経験はあったのか聞いてみた。

「元々『悪答』っていう『大喜利悪の秘密結社』っていうコンセプトで、それの会合みたいな感じで企画大喜利をやるっていう会があったんですけど」

悪答の主催は、毎回会の最後にトーナメントを行い、その優勝者が次回の頭領(主催)になるというシステムで回っていた。オフィユカスはそのトーナメントで勝ったことは無いが、関東以外の地方で悪答を行う際に「オフィユカスが勝手に主催をしている」という体で何度か開催した。それが初めての主催経験である。

「そこからしばらく主催しなくなって、コロナ渦に入って、スプレッドシートで大喜利会また主催するかって」

2020年4月、みくもというプレイヤーによって考案された、スプレッドシートを使ったオンラインでの大喜利。生大喜利の会が再び盛んに開催されるようになった2024年現在でも、それなりにスプレッドシートでの大喜利会は開かれている。コロナ渦に入った当時は、様々なプレイヤーが凝った企画をオンラインで開催していた。オフィユカスも、スプレッドシート用に企画を考えて、「愉快な大喜利会」という大喜利会を主催し、好評を博した。

「ただ、2回目やった時に、結構企画が難産で、苦労して生み出した企画がそんなに盛り上がらなかったりとか」

この経験もあり、しばらく主催から離れることになる。それから2、3年が経ち、生大喜利の会がコロナ前以上に頻繁に行われるようになる。それは、多くのプレイヤーが、杉並区の会議室などの施設を予約できるシステム「さざんかねっと」に登録し、続々と新しい会を主催するようになったのが要因の一つである。

「じゃあ俺もやっぱり会議室取れるようになった方が良いかなと思って、ようやっとさざんかねっとに登録したんですよ。それで最初にやったのが『加点と印象をひたすら回す会』っていうので、それが東京の初めての主催ですね」

そういった主催の経験を経て、2023年6月に、「大喜利愉快杯」という大会を主催する。大会を主催しようと思ったきっかけは二つあるとのこと。愉快杯のルールは、制限時間5分を前半3分と後半2分に分けて、2回印象審査を行う。このちょっと特殊なルールに関しては、自らが経験した、大喜利大会では避けられない「ルールの妙による負け」によって生まれたものである。

「自分がこの大会に参加した時に、このルールだったら、負けたとしても文句出ないだろうっていうような大会を作りたいなってちょっと思ったんですよ。自分が参加者の立場に立った時に、『このルールで負けたらしょうがない』『運とかじゃなくて、自分の実力だ』ってなるような大会をやろうと思ったんです」

1問を前半と後半に分けて審査するルールも、自分がこれまで様々な場面で大喜利の審査をする際に「この人前半でめちゃくちゃウケてたけど後半そんなだったな」「この人前半そんなだったけど後半にかけてめちゃくちゃ面白いの出してたな」といった感想を抱いたことで生まれた審査方法である。

「人の大喜利を色々見てきた時に『前半と後半で審査を完全に分けたらどうなるんだろう?』っていうのがちょっとあって。そういう大会あったら面白いんじゃないかなと思ったのが、大会を主催するきっかけの二つのうちの一つですね」

また、「同点の場合、1問ずつ点数を比較して、ポイントが高いお題が多かった方が上位となる」「全参加者が最低5問挑める」「4問目は全員特殊なお題になる」といったルールも、オフィユカスのこだわりによるものである。

「納得感と満足感が得られるっていうのを考えた時に、自分の中でこのルールがベストかなと思って、作ったのが大喜利愉快杯なんです」

好きなプレイヤー

ここからは、記事を上げるたびに注目度が増している感覚のある項目「好きなプレイヤー」について語ってもらう。あの人もこの人もと挙げてもらったところ、10人の名前が登場したので、一人ずつ解説を加えながら書いていく。

「自分が一番好きなプレイヤーって誰だろうって結構考えたんですけど、一番ってなると蛇口捻流君かもしれないですね。視点が他の人とは全然違うな、蛇口君にしか思いつかないことやってるなっていう。あと、人が作った流れに乗るのが上手いし、自分で流れを作ることも出来る。まっすぐ答えることも出来れば、お題でめちゃくちゃ遊んだりとかも出来て。朗らかな雰囲気でごまかされてるけど、相当やってることヤバいなっていう」

登録者数が1万人を突破し、「QuickJapan」「公募ガイド」などの媒体で特集もされたYouTubeチャンネル「こんにちパンクール」のメンバーでもある蛇口捻流。彼もネット長文出身のプレイヤーで、これまでに多数のタイトルを獲得している。3月24日には、「蛇口捻流35人組手」というイベントも開催予定である。

「あとは、直泰さん。直泰さんも、かなり独特な雰囲気出されてる方なんですけど、『何もない所から急に生まれた』みたいな発想をしてるんですよ。多分、直泰さんの中では別にそんなことなくて、お題と向き合って、しっかり考えて出した回答なんだろうけど、見てるこっちからすると、本当に何もない所から突然生まれた回答くらいの衝撃を受けるっていう」

直泰は、過去に虎猫や冬の鬼、警備員も憧れの人物として名前を挙げた、強豪プレイヤーである。生でもネットでも、スプレッドシート大喜利でも結果を残し続ける彼の発想は、うかつに真似できない。

「あと好きな大喜利だと…ジャスミンさんかなあ。やっぱり僕がネットミーム好きだっていうのも大きいんですけど、でも、ネットミームをちゃんと人にウケるように出せるって凄いなって思います。ちゃんとした回答も出せるんですけど、それこそ僕がさっき言った『自分が好きなことをやってウケてる』のを地でやってる人なんで、やっぱりカッコいいなって思っちゃいますね」

ネットミームや流行りの曲などを回答に織り交ぜたうえで、オリジナリティの塊と言っても良い回答を出すジャスミン。次にどんな回答が飛び出してくるか、全く予想できないプレイスタイルには、目を離すことが許されないくらいのパワーがある。

「あと最近の若い人で言うと、とおるさん。今10代で大喜利やってる人どんどん増えてますけど、その中でも若い方じゃないですか。なのに、発想がちゃんと大人だなって思います。で、どんどん生大喜利で活躍してるっていうのが、自信になってきてますよね。ちょっと前のとおるさんって、自分の苦手なお題と対峙した時に、(回答を)出さないことって結構あったんですよ。そういう時もあったんですけど、そこもちょっとずつ改善されてるんで。多分このままとおるさんが大喜利に参加し続けたら、結構手がつけられないことになってくるんじゃないかなって。大会で勝ちまくるような」

2022年の4月に、ボケルバで生大喜利デビューしたとおる。当時中学生だった彼女の登場に界隈は驚いたが、本当に驚かされるのは後の成長ぶりである。とおるは直近で行われた「THE WONDER vol.3」でも、準優勝という記録を残している。

「あと、これはシンプルに大喜利が面白いけど、それ以上に大喜利に対する姿勢が勉強になるなっていう人が、俺のランボルギーニさん。俺ランさんは、ハチャメチャにやってるように見えて、ちゃんと勝ちに行ってる人なんですよね。(大会に向けて)調整したりとか、自分の中でジンクス作ったりとか、ちゃんと目標を立てて大喜利してたりとかして。ちょっと言い方失礼かもしれないですけど、普通だったら恥ずかしくて出来ないようなことを、真正面からやってる人だったりするんで。そういう姿勢は参考になること多いなっていう」

2023年7月1日に行われた、六角電波主催の新たな大会「上半期王決定戦」。総勢84人の頂点に立ったのは、他でもない俺のランボルギーニだった。彼は決勝戦で、審査員8人全員が優勝と判断したらその場で優勝者が決まるという過酷なルールを見事制した。

「あと自分の中で存在として大きいのは六角電波かなあ。やっぱりさっきも話しましたけど同い年で、付き合いもめちゃくちゃ長くて、意識してる相手ではあるんですけど。それを抜きにしてみた時に、大喜利の勝ち方をちゃんと理解してやってるなっていう。お題への向き合い方とか、やっぱり面白いと同時に、感服するなあって思う時もあるし。ぶれない所っていうのはやっぱり尊敬するなあって思いますね」

数々の大会を主催しながら、今年に入ってからすでに複数のタイトルを獲得している六角電波。その勢いは、全く衰える気配がない。EOTに関しては、第2章だけではなく、タッグ戦を含む全ての回で本戦進出している。圧倒的な視点の多さと強さを兼ね備えた六角電波は、ルールや場、お題を選ばずウケることが出来る稀有な存在である。

「関西だと、とうふさんとか面白いなって思いますね。とうふさんやっぱりどっしりと大喜利やってるというか。この間久しぶりに関西行って、とうふさんの大喜利見たんですけど、『ちゃんとした大喜利してる人だな』っていうのが一番強いですね、とうふさんに関しては。やっぱり関西のトップランナーって言ったら、木曜屋さんととうふさんになるのかなっていう。ただ、それだけじゃなくて、結構ふざけたことも出来る人だし」

直近の未来杯で準優勝という成績を残したとうふ。関西の様々な大会で、優勝や準優勝を経験している彼は、関西の新人が出場できる、吉永主催の大会「スーパールーキー決定戦」で審査員を務めている。

「あとOGAKUZUZって面白いなやっぱり。結構不謹慎な回答とか、エロネタの回答とか、そういう印象強い人なんですけど、ちゃんと地肩があるんですよね。そのうえでふざけたことやってるから、大会でも結果残せるし、印象に残る回答も出せるし。やっぱ強い人だなって思いますね」

OGAKUZUZは、デレマス大喜利をきっかけに、生大喜利の世界に飛び込んだプレイヤーで、大事な場面でふざけに走ってしまうことも過去にはあったが、最近ではそのふざけっぷりで爆笑を獲れるようにまでなったと言っても良い。もちろん、真っ当に面白い回答で、場を沸かせることも出来る。

「あと最近だといいさんアツいですね。いいさんって付き合い長いんですけど、(大会で)優勝するタイプの人では無かったというか。面白いのは面白いんですけど、大会で良い成績残せてなくて。でもなんか去年急に覚醒しだして、それこそ『白PPONグランプリ』で優勝したりとか、他の大会でも結果残したりとか、そういう場面が増えてきて。今一番アツいんじゃないですかいいさんが」

いいは「第17回大喜利天下一武道会」の予選で敗退し、悔しい思いをしたことがきっかけで、今まで以上に積極的に大喜利会に参加し、研鑽を積んできた。2022年の下半期あたりから力を付け始めて、2023年にはキャリア初の優勝を決めた。私が以前開いた大会でも、優勝とはならなかったが、1回戦で爆笑を獲っていた姿は未だに覚えている。

「あとはやっぱり白滝BOX。結構泥臭く頑張ってるなっていうのが、だいぶ好感持てますね。本人は、大会で結果残せなかったりすると、悔しさが全面に出ちゃうタイプなんですけど。やっぱりそういう人を応援したいなって。僕も勝てなかった期間長いんで。ちゃんと面白いだけじゃなくて、人が乗った大喜利みたいなのやると結構面白いこと多いんで。白滝BOXさんは、応援したい大喜利をしてるなって思ってますね」

いいが優勝した、白PPONグランプリの主催者でもある白滝BOX。2022年5月に行われた「EOT第9章」で生大喜利デビューした彼も、若手ながら大会で優勝するなど、現在急成長中のプレイヤーである。

「ここに名前出してない人も面白いっていう前提で、今自分が気になっている大喜利の人が誰かって聞かれたらこの10人ってことで」

今後の展望

最後の質問。オフィユカス自身の今後について語ってもらう。彼は今、プレイヤーとしての展望と、主催としての展望の二つがある。

「まずはやっぱり、ここ最近ちょっとあんまり結果残せてないんで。少なくとも今年の文化杯は出場したいんで、そこはやっぱり目標ですね」

毎年11月3日、文化の日に行われる、六角電波主催の大規模な大会、大喜利文化杯。その1年間で何かしらの大会で優勝した者のみが出場できる。そこに出るために、まずは優勝したいというのが現時点での目標である。

「あとは個人戦のデカい大会(での優勝)って、EOTの第2章くらいなんで。ちょっとやっぱり、大規模な大会をそろそろもう一回獲りたいなっていうので、4月にEOTありますし、天下一も詳細は出てないですけど、告知っぽいのは出てるので、それが個人の大会なんだとしたら優勝したいですし。それ以外でも『大喜る人たちトーナメント』があったら、前回は1回戦で負けちゃったんで、少なくとも本戦には上がりたいなっていう」

さらに、「大喜る人たち」のように、プロの芸人数名+アマチュアといった構図のライブも増えているので、そういった興行に呼ばれたいと思っているそうだ。

「僕全然そういうの呼ばれてないんで。大会で結果残して、そういうのに呼ばれるようになりたいなっていうのは大きいですね。特にライブですね。そのために、ちょっともう一回自分の大喜利を見つめ直す必要があるのかなっていうのはありますね」

今の彼には、明確な目標がある。前述した強いプレイヤーのように、真摯に大喜利と向き合い、努力が”みのる”ことを願うばかりである。

「あと、今年は地方で愉快杯やりたいなっていうのがちょっとあるんですよね。特に大阪の人から直接『愉快杯参加したいんですけど、都合合わないです』って言われたことがあったんで。大阪はまずやりたいっていうのと、名古屋も今アツいですし、東北も(大喜利)人口多いし、それこそ北海道は独自の進化遂げてるじゃないですか。あと福岡も、わからないさんと田中一さん中心にまた盛り上がってきてるんで、色んな所で主催したいなっていうのが、一つの夢というか野望ですね」

去年から始めた主催者としての活動だが、今年も本格的に熱を入れてやっていきたいと思っている。今の愉快杯のルールだと、参加人数30人が限界だが、回を重ねて、規模を大きくしたいと考えているそうだ。また、愉快杯とはまた違う、試したいルールを構想中とのことなので、今後の展開に期待したいし、私もいずれは参加したい。

「2024年は、プレイヤーとしても主催としても、オフィユカスから目を離さないで頂きたいですね」

おわりに

「MASTER=PIECEの存在は大きいですね。30歳以上の大会が出来るんだったら、アンダーも設定して出来るんじゃないかって」

3月30日、ボケルバにて「大喜利愉快杯 U22BATTLE」が開催される。22歳以下のプレイヤーが集結し、愉快杯のルールで競い合う、いわゆる生大喜利歴の短さではなく、年齢的に若い世代の強い人を決める大会である。

オフィユカスが生大喜利の場に足を踏み入れた頃は、周りに同世代の若いプレイヤーはほとんどいなかった。今は、ネット大喜利やスプレッドシート大喜利の普及や、それこそボケルバの影響で、10代20代のプレイヤーが増加傾向にある。

「昔はそんなに若い人いなかったなってふと思い出して。今は若い人増えてるから、若い人の大会をやっても面白いかなって。若い人にとって目標になる大会になれば良いなくらいの感覚ですね」

現時点では、めでたいことにエントリーは埋まっている。愉快杯のルールに関しては、過去2回開催して、出場者を楽しめるだけの手応えがあるそうなので、この大会が盛り上がることは充分期待出来そうだ。

プレイヤーとしてのさらなる飛躍を狙いつつ、”レインメーカー”ならぬ”ゲームメイカー”としての才能も開花させつつあるオフィユカス。その存在は、非常に界隈にとって大きいうえに、面白い。

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