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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】ニセ関根潤三-そこそこで良いけれど-

はじめに

2023年6月24日。

この日私は、新幹線で東京に向かっていた。自身が主催する大喜利大会「大喜利取材杯」を仕切るためである。

取材杯は32人の出場者が競い合う、1対1のトーナメント戦で、優勝者には私がインタビューして、記事を書くことが出来る。「優勝したらインタビューが受けられる」と書かなかったのは「Jナカノさんにインタビューされることは凄いこと」という認識を持たれることに、少しばかりの抵抗があるからだ。

大会当日に出場者のキャンセルが発生し、新幹線の車内で新たな出場者の募集をかけるなど、直前までかなり慌ただしい状態だったが、結論から言えば、大会は無事最後まで完遂出来た。

その大会での優勝者が、本記事の主役、ニセ関根潤三である。

取材杯の詳細は後述するが、本大会でニセ関根潤三は毎試合爆笑を起こし続け、文句なしの優勝だった。彼が大喜利を本格的に始めたのは、2020年2月。この時の彼は46歳。それからさらに歳を重ね、大喜利の経験も積んできた彼には、まだ知られていないバックボーンやトピックスがある。その片鱗だけでもこの記事で伝えられたら、改めて大喜利取材杯は成功だったと言っても良いだろう。

2023年7月5日15時、インタビュー開始。

大喜利を始める前

Discordを繋ぎ、軽い雑談から会話が始まる。優勝を改めて労うのも忘れない。

彼が”ニセ関根潤三”として、いわゆる”大喜利界隈が行っている大喜利会”に参加したのは、2020年2月。大喜利企画ROSEが数回開催している「大喜利ノ園」の第1回目である。

しかし、その会より前にも大喜利経験があるため、彼は新人のための大喜利大会には出場できなかった。まずは、その辺りの話題から掘り下げることにする。

「お笑いに一番最初に関わったのはどこかってなると、34歳の時に、某お笑い事務所の養成所に入ったんです」

今から十数年前、彼はとあるお笑い事務所の養成所に入学した。当時の状況で言うと、他の養成所には年齢制限が設けられていたケースの方が多数。「お笑い芸人になる年齢は大体20歳前後」という風潮が今よりも強かった。

1年間養成所に通い、35歳で卒業。しかし、そのまま事務所に所属とはならず、その半年後に行われた卒業生のためのライブを経て、「仮所属」という形になる。その後は、コンビを組んだり、解散してピン芸人として活動したり、前に組んでいた相方とコンビを組み直したりして、芸人としての活動をしていた。

「Twitterのプロフィールに書いてある『46歳で大喜利はじめました』っていうのは、その11年後ですよね。その11年間で、大喜利経験はゼロではないんですけど、僕Twitterもやってなかったんで、全く情報が無くて…」

大喜利が出来る場を見つける手段が限られていた彼だったが、自分たちでも出られるライブを探すために、主にお笑いライブの主催を行う会社である、「K-PRO」のホームページは逐一チェックしていた。数々のライブ情報の中で、フリーエントリー制の大喜利ライブである「転脳児杯」の予選を見つけて、3回ほど出場した経験がある。

「あと、芸人仲間から聞いた、お粥さんがやってた『多摩地区大喜利会』っていうのがあったんですよ。それの2012年5月に第2回があって、これが多分大喜利に初めて出たやつですね」

その後も多摩地区大喜利会は回数を重ねていたが、会の告知はTwitterで行われていたので、彼の元には情報は届かなかった。

「あと、事務所から回ってきたのが、ダイナマイト関西の東京予選を一回やるから、応募すれば出られるっていうので一回出て。後から話聞くと、俺スナさんがそこに出てたらしいんですけど、その時は気付かずでした」

本格的に大喜利を始めたのは46歳からだが、これらの経験があるため「デビュー3年以内」などの条件がある大会には出られなかった。ちなみに、当時はまだ、ニセ関根潤三とは名乗っていなかった。

「事務所にいた時は、全く評価されてなかったので…。コンビ組んだ人が面白いネタを作られる方で、正直仲は良くなかったんですけど。自分としては完全に初心者なうえに、34歳のおじさんで入って来てるんで、本当に何も出来ず、ネタも書けないし、漫才の演技も下手で…。自分はコンビの何も出来ない方というか、周りの人には、面白いと評価されていない状態でした」

解散してピンになっても「お前にピンは無理だ」と言われ、大喜利の要素を含んだフリップネタを作っても「大喜利は無理だ」と言われる始末。そういったことが重なり「自分には大喜利は出来ないんだろうな」という自己評価を下していた。

大喜利を始めた頃

ニセ関根潤三が本格的に大喜利を始めたのは、2020年2月に開催された「大喜利ノ園 壱」という会に参加してからである。

ある時、転脳児杯の予選で敗退し、大喜利の練習がしたいと思った彼は、誰でも参加できる大喜利の場をインターネットで探した。すると、2019年に大喜利を始めたプレイヤーである、わんだーのnoteの記事を見つける。そこには、わんだーがこれまでに参加した大喜利会がまとめられていた。

「そこに並んでいたやつで、今募集してそうなのを探したら、大喜利ノ園っていうのがあったので、2月に行って…」

2回目以降の生大喜利は、コロナの影響でしばらく経ってからになる。その年の10月に「喜利ザニア」、12月に抽選でチームメイトが決まる団体戦である「運命戦」に参加する。いずれも主催は六角電波。

これまで数回出た事のある、転脳児杯などの大会形式の大喜利イベントは、1回勝ち上がれたとしても、挑めるお題の数は少ない。しかし、いざ大喜利会に参加してみると、単純にたくさん答えられて楽しいという印象が残った。

「お笑いは元々好きで、それで芸人やってたんですけど、『売れたい』とか『テレビに出たい』とか…あと実際そういう人がいるかはわかんないですけど『お金持ちになりたい』とか『女の人にモテたい』とか、そういう動機があんまり無くて。単純に、ネタだったら自分のボケを出して、それをウケるかウケないかを確かめる試行錯誤が好きで」

コンビ時代は、相方がネタを作っていた。そのネタで爆笑を獲ることもそれなりにあったため、賞レースでもそれなりの結果を残していた。しかし、前述の通り相方との仲は良くなく、力関係も対等では無かった。かと言って、ピンでライブに出ても、10回中1回ウケるかウケないかという状態。「芸人として売れる」ことだけを考えたら、我慢して相方に付いていくのが最善策ではあるが。

「本当に、自分のネタが10回中1回ウケたら、それがめちゃくちゃ嬉しいっていう感覚で。それはお金には絶対繋がらないんですけど、やっぱりそっちをやりたかったので…」

ただ、ピンのネタを作っても、1本のネタに入れられるボケは大体10個前後。その中のどれがウケるか試そうにも、お客がほとんどいないライブでは、どのボケがウケてどのボケが良くなかったのかの判断が付きにくい。

「それに比べて大喜利会は、見てる人が一般のお客さんじゃないとしても、(ボケを)試したい放題なんで。こんな良いのがあったんだと思って。ダイレクトに反応が返ってきて、面白かったか面白くなかったかわかるし。ようやく46歳で『こういう場があるんだ!』って感じでしたね」

それをついさっき体験したかのような、嬉々とした口調で語るニセ関根潤三。「面白くない」と周りに言われていた時期は「そこまで言うほどかな」と心で思った所で、自分が面白いことを証明する術が無かった。

40代半ばを過ぎた頃に、ようやく自分に適した場所が見つかった。ちなみに、大喜利ノ園に参加した時点では、まだコンビを組んでいる状態であった。解散したのはその年の12月頃で、それに伴い事務所も退所した。

印象的なイベント

今でこそ大会での優勝経験もあるニセ関根潤三だが、最初のうちは「ウケたりウケなかったり」という状態だった。

すぐに自分の大喜利に自信を持つことは出来なかったが、2回目に参加した「喜利ザニア」にて出したとある回答で、大爆笑を獲ることに成功する。ちなみに、その時出たお題は特段変なものでは無かったものの、彼が出した回答が倫理観を度外視したものだったので、詳しくは書かないことにする。

「その時に、自分って大喜利でウケるんだっていうのが印象に残ってますね。それ以外の答えもいくつかウケたんですけど。はっきりウケたのは2回目のそれで、ひょっとして大喜利出来るのかもしれないなあっていう」

2020年は参加頻度も少なく、主にオンラインで出来るスプレッドシート大喜利に専念していたが、年が明けてからは、積極的に参加するようになった。

印象に残っている大喜利大会として、一番に挙がったのは「EOT第7章」である。2020年3月から約2年のブランクを経て復活した、関東の大規模な大喜利大会であるEOT。第7章はタッグ戦だった。

大会に出るために、何人かに声を掛けた結果、セオリー無視の大喜利が特徴のベテランである、ふちかわと共にエントリーをした。

参加タッグ42組のうち、本戦に上がれるのはわずか12組。苦し紛れに出した回答が予想以上にウケるなどして、ポイントを稼ぎ、彼らは12組の中に滑り込むことが出来た。

本戦では、虎猫と東堂のタッグ「洗濯かごはふたつ」に延長の末敗れてしまうが、予選本戦共に大きくウケて、インパクトを残すことに成功する。

しかし、そんな好成績を残したのにも関わらず、その大会で覚えていることと言えば、全く別のことだった。

「当日行ったら、ふちかわさんからいきなり『これを着けてくれ』って紙のお面を渡されて、組んだばかりのそんな仲良くない奴に、これやらせるってすげえなってちょっと思ったんですけど(笑)ニッチェのお面だとか、僕自身の顔のお面だとか用意していて。話聞いても『これちょっとスベるんじゃないか』と思って、すげえ怖かったんですけど」

さすがのふちかわも、大喜利の時はお面を外していた。YouTubeに上がっている動画を観ると、お題が出るまでお面を着けて待機するふちかわと、一切動揺していないように見えるニセ関根潤三の姿を確認することが出来る。

これまで数々の大喜利会に参加してきたが、どちらかというとウケなかった会の方が強く記憶に残っているとのこと。大会に参加しても、最終的な結果はどうあれ、全くウケずに帰ることはほぼないが、今まで参加した中で、特にウケなかったイベントが3つあるという。

「まず(2021年の)『続大喜利文化杯』は、本当に全くウケなかったなっていう印象で。もう一個が『続ぺるとも30人組手』ですね。これも全然ウケなかったなっていう印象があって、組手はどっちかというと得意な方なんですけど。もう一個が『真大喜利文化杯』。これが一回戦、敗者復活、通して全くダメだったなっていう。この3つがずっと残ってますね」

「お題に対応できない」「対戦相手が強すぎた」などの理由で「ダメだった日」はどうしても生まれてしまう。これはどのプレイヤーも共通だろう。全くウケなかった時はどうやって切り替えているのか。すぐ次の大喜利の予定を入れるのか、それともちょっと休むのか尋ねた所、「休むことはないですね」という返事が返ってきた。

さらに、「キャラに無いとは思うんですけど」と謎の前置きをしたうえで、ウケなかった自分を忘れるために行う、とあるルーティンを教えてくれた。

「大喜利の動画のお題だけ見て、3分計ってノートに回答を書くとか、やってたりはするんですね。これは全然毎日やってるんですよ。短時間だけ継続するのは苦にならない性格なんで」

そうすることで、気持ちを切り替えているそうだ。

初優勝

ニセ関根潤三の初獲得タイトルは、2022年9月に六角電波主催で行われた「オオギリライジングフォーストーナメント優勝」である。

かつてお手てつないでという人物が、全国各地で開いてきた「オオギリダイバー」という歴史ある大会。その大会運営のための専用ソフトを持っている六角電波が名前を変えて主催したのが、本大会である。

出場者は各自回答時間を所持しており、自分に回答権が来ている間は、回答時間が減っていく。回答を出したら審査員による判定が行われ、1~3ポイントが加算されて、次の出場者に回答権が移る。移った所で、回答時間は再び止まり、他の出場者が回答を考えていたり、回答を出している間に、自分の回答を書くことが出来る。これがオオギリダイバーの大まかなルールである。

YouTubeに上がっているオオギリダイバーの動画は1対1が多いが、オオギリライジングフォースでは、これを4人同時に行った。それぞれ1回だけお題を変えられる、大ウケした場合は主催の判断で5ポイントが加算されるなど、細かいルールも追加された。

ニセ関根潤三は、これまで公式のオオギリダイバーには出場したことは無かったが、動画を観たり、別の会でルールを体験したりするなど、全く無縁では無かった。

これまで様々なルールの大喜利で競ってきたが、彼曰く「ダイバーのルールが一番自分に向いている」だという。

「数だけはめちゃくちゃ考えられるので。でもネット大喜利やってる人って、一答が強くて、自分の中では印象ルールだとそういう人に負けちゃうっていうのがあって。で、加点ルールの方が強いだろうっていうのは元々あるんですけど、(お題に挑む)人数が多かったりすると、答える回数が他と同じだったりもするので。でもダイバールールは、早く答えれば答えるほど、残りの時間が蓄積されていくんで。残り時間が有利に働くっていうルールは、めちゃくちゃやりやすいですね」

事実、その日は「40ポイント取れたら無条件で勝利」というルールもあったが、予選、準決勝、決勝の全てにおいてそれを達成していた。

ただ、優勝直後の本人のツイートでは、恥ずかしくなってすぐ帰宅してしまったと書かれている。これについては、せっかくなのでこの場で弁明したいとのこと。

「本当に、優勝しても『やったぜ!』っていうよりも『ホッとした~』になるので。さっきまでと急に状況が変わるのが…注目度が上がり過ぎると恥ずかしくて。そういう人って自分以外にもいると思うんですよ。で、本当に恥ずかしくて、誰にも会わないで速攻ダッシュで帰った感じなんですけど。もじもじしてたら、横にいた謹製さんに『もっと誇れよ!』みたいなことを言われて。あと、以前Twitterで『勝った人は負けた人のことも考えて、堂々と喜ぶべき』みたいなツイートを見たこともあるんですけど、その時は自分の感情の方が勝っちゃうっていうか…褒められること自体が恥ずかしいっていうか、どう返して良いかわかんなくて」

とにかく照れてしまい、エレベーターも使わず施設から出たのは事実だが、その日スタミナが切れずに最後まで調子よく大喜利が出来たのも事実。その数日後に行われた、FAN主催の「第六回大喜利メランコリー杯~動揺~」という大会でも、驚くほど調子が良かったため、この二つの大会は印象に残っているとのこと。

好きなプレイヤー

そろそろ「大喜利取材杯」の話を書きたいが、その前に、これまで全員に共通で訊いている「好きなプレイヤーは誰か?」という項目に移ろうと思う。普段から参加した大喜利会で出た面白かった答えをTwitterに書いているニセ関根潤三だが、一体どんなプレイヤーが凄いと思って大喜利を見ているのか。

「まず、基本的にはお題に沿った、正統派な方がどうしても好きというのがあって。それで言うと六角電波さんであるとか、虎猫さんは正統派として好きですね」

彼には、お題や回答に出てくる単語がわからない場合があるとのこと。これは、自分が周囲より一回り上の世代であることに起因しているらしい。そんな彼にとって、どんなお題でも沿うことの出来る、上記の二人は憧れの対象である。

また、それとは別に「予想外の答えが出る人は面白い」という価値観も持っている。

「他の方々とは違うバックボーンから来ているのではないかという人の答えは、やっぱり予想外で面白いなって。自分の中では大島さんとか、マニラザルさんとか。あの人たちは本当に、違う発想で来てるなって。面白いなって思うんですよね」

取材杯にエントリーしていたものの、都合によりキャンセルとなってしまった大島とマニラザル。「優等生とはちょっと外れた所から、発想をそのままぶつけてきている」と感じるそうだ。

「あと、ハルマレさんもそれにちょっと近しい感じがしていて。ちょっと独特な答えの切り口があって」

ニセ関根潤三の中で、大島、マニラザル、ハルマレは、正統派ともまた違う、かといってアウトロー過ぎる人物でもない、独自のものを持ったグループとして、自分の中で纏めているらしい。

また、「いい女」名義で第17回大喜利天下一武道会の本戦に進出した、ベテランプレイヤーであるお粥も、彼の中では別枠で好きなプレイヤーに挙げられるという。

「時々すごくおじさん丸出しの答えをされる時があるんで、そういう時のお粥さんも好きですね」

その他にも、女性プレイヤーが出す回答は、自分と違う視点で面白く感じると語るニセ関根。「女性だから」「自分と性別が違うから」という安易な理由ではなく、ただ「自分と違うバックボーンを持っているから」というのが、面白く映る純粋な理由である。ここまで話を聴いて、彼は他のプレイヤーがこれまでどんな経験を積んできたのか、何が好きで何が嫌いなのかといった部分に注目していることが段々分かってきた。

「女性プレイヤーの中で言うと、東堂さん。東堂さんの、文学的な答えじゃないですけど…多分生大喜利だと、キレがいい方がどうしてもウケやすいと思うんです。で、東堂さんの答えって長い答えになりがちなんですけど、EOT第7章の時の『私たちが入ってた箱だよ』っていう回答は、ウケと内容が合致してて、あの答えは凄い印象に残っていますし、自分とは違うから好きですね」

EOT本戦で、長文ですでに世界観が構築されていた難解なお題に対し、負けじと自分の持っているもので撃ち返した東堂。その試合はFANとヨシダin the sunのタッグ「太陽」に負けてしまうが、その答えをまだ覚えているという人は多いのではないだろうか。他に気になる女性プレイヤーでいうと、取材杯でベスト4に残り、最近ではボケルバで開かれた「海の日杯」で優勝したカニの名前が挙がった。

「カニさんも独特っていうか。正統派だけど、違う発想と切り口で。伝え方も巧いし、まとめ方も上手だし。でも、カニさんは論理的にやってる感じはするんですけど、大喜利として『こう出せばウケるぞ』って感じでやってるようには見えないんですね、本人はやろうとしてるのかもしれないですけど。でも、傍から見ると本当に切り口が独特で、面白いなと思って見てますね」

大喜利取材杯

「大喜利取材杯、開始いたします!」

大きな拍手が和室に響き渡る。これから大喜利を行うのは、この「アマチュア大喜利プレイヤー列伝」に載りたいという思いを持った32人のプレイヤーである。若手からベテランまで、様々なタイプの出場者が集合した。

大会のルールとしては、各試合1対1のトーナメント戦。3分1題で競い、会場にいる人の拍手の量で勝敗が決まる印象ルールである。

インタビューの神格化は避けたかったので、この「優勝者にJナカノが取材できる」というコンセプトの大会は、思いついても開催するつもりは無かったが、シンプルな大会のレポートを記録に残しておくべきなのではないかと思ったので、実行に移すことにした。インタビュー第11弾の座談会に参加した、手すり野郎に協力してもらい、会場を抑え、これまで私に取材されたことが無い者というエントリー条件を決めて、出場者を募集した所、32人を大きく超えるエントリーが集まった。

カニVSぜあすという若手の実力者同士の対戦カードから大会は始まり、ニセ関根潤三の出番は最終の第16試合。対戦相手は数々の実績を持つ、10年選手のオフィユカス。ニセ関根潤三は相手に対して、「自分は回答がたくさん出せるタイマンは得意。同じく回答数が多いタイプのオフィユカスさんには勝てたイメージは無いけど、ユカスさんの調子次第で、もしかしたら勝てるかな」といった風に思っていたそうだ。

試合が始まる。出たお題は「『この寿司屋の大将、気さくだけど実は性格が悪いのでは?』と思った理由」。ちなみに今大会のお題は全てJナカノが、なるべくシンプルでオーソドックスなものを、という方向性で作成した。

先に答えたのはオフィユカス。「お客さん、このマグロ食べてみてくださいよ…騙されたな、それはゼリーだ!」という、彼ならではの、お題に沿いつつバカバカしさを全面に出す回答で笑いを起こした。

その直後にニセ関根潤三は「玉子で手を拭いている」という、お題の「気さくだけど」の部分を無視した回答で大爆笑を獲った。

「自分は理論的なものが無いので、感覚が合ってるかどうかがその日に一答目を出すまでわかんなくて。回答見ても「玉子で手を拭いている」は気さくではないから、全然外す可能性もあるなって思ったので、これがウケたから『ちょっと今日ひょっとして感覚は少し合ってるかもな』って思って、ホッとした記憶はあります。だから後はバンバン出しました」

その後も、オフィユカスが「手にペッペッて出したのが毒つばだった」「煮アナゴを出すために生けすごと燃やした」という回答を出し、ニセ関根潤三も、負けじと「スクワットして、体温を上げてから握る」「何口で食べたか教えてくる」と、ツバメのような速さで回答を連発し、判定ではニセ関根潤三が大きな拍手を得て、2回戦に進出した。

2回戦の相手は「大喜利渋谷杯千景3on3予選」「答龍門2023」などでの活躍も記憶に新しい小春製菓。これまで対戦の機会はあまりなかった。

「小春製菓さんは、多分大喜利始めた頃に比べて、徐々に大きくウケるやつを当てるようにはなってきてるっていうイメージがあって。答龍門でからまきさんを倒した辺りから、周りからも『小春製菓さんは強い一答を出す人』っていうイメージが付いてきてたと思うので。だからタイマンでも、一つは強い一答を出されるなと思ったんですが…小春製菓さんの動画を観てて、そんなに数は出されない感じだったので、今日の調子で、数出せば押し切れるなとちょっと思ってしまって。申し訳ないけどいけるかなって(笑)でも、もし同じくらいのウケだったらまずいかなとは思ってました」

お題は「心霊スポットに来たアホ山くん『○○○○』」。「本日3回目!」「写真いっぱい撮るぞー」といった回答を休む間もなく連発し、ペースを握らせないニセ関根。小春製菓も良い「涼しい、図書館みたいだ」とウケる回答を出すも、ニセ関根の「あれ?全然立ち上がれないぞ」という回答が大ウケして、これが決定打となり勝利する。

ベスト8に残ったニセ関根潤三。ここから先の結果を言ってしまうと、武山、金庫番、フニャダキシンらと順番に戦っていくわけだが、全員印象ルールに強いため、冗談抜きで「誰かに負けるだろうな」と思っていた。

準々決勝の武山戦。新人ながら複数のタイトルを持ち、すでに周りから強豪と認識されている武山に対して、「ワードとして強くないのに、ちゃんとボケになっている言葉を選ぶのが上手い」というクレバーなイメージを抱いていた。

ここで出されたのは「スープ終了以外にもあった、ラーメン屋が早く閉まる条件とは?」というお題。開始すぐに「イップス」と出して先手を取るニセ関根。途中まで優勢だったが、武山が明らかにギアを変えて、ラーメン店を経営するものまね芸人「HEY!たくちゃん」を使った回答を連発した。これはニセ関根の耳にも届き「被せ始めたな」と感じていた。

拍手の量の判断は、主催である私がするのだが、この試合は同等に感じたため、挙手で票数を数えた。結果としては、19体10でニセ関根潤三の勝利。準決勝へ進んだ。

「これは自分の解釈なんですけど、ウケの総量みたいなので勝って、でもウケとかを度外視して、答えの質みたいなので見た場合は、負けてるんじゃないかって気持ちが常にあるので。意外に差が付いたけど、多分そういう答えの質で見てる人は、武山さんに投票してるんじゃないかなって思ってました」

準決勝の相手は金庫番。私は彼とオンラインの大喜利で居合わせたことがあるが、実際に生大喜利の現場で見るのは初めてだった。

「金庫番さんは回答だけでも面白いのに言い方や出し方も巧い」と語るニセ関根。出たお題は「独特な言葉遣いをするマッサージ師は、体が凝っていることをこんな一言で表現する」というもの。

お互い違った角度の回答を連発する乱打戦となったこの試合。ニセ関根の勝利の決め手となったのは「まるでねじれ国会です」という回答。金庫番も終盤で「お疲れパスポート出しておきます」という回答で爆笑を生むが、拍手の量は7:3でニセ関根潤三の勝利だった。

「多分ねじれ国会みたいなのを出したくて、ずっと考えてたんですけど、その後もそういうのを出せなくて、ちょっと尻すぼみで終わっちゃったんで。それが焦点としてはどうかなっていうとこなんですけど。多分普段の自分は、中の中とか中の上くらいの答えを重ねて、終盤しぼんだ場合は負けちゃうっていう感じなんですけど、今回は一答デカいのがあったから、まあ救われたのかなって感じですかね」

いよいよ決勝戦。対戦相手のフニャダキシンは「こういう大会でここまで来れたのは初めて」と試合前に語り、ニセ関根は「フニャダキシンさんにタイマン2連敗中なので、3連敗しちゃうかな…」と弱気な面を見せていた。今振り返ってみても、決勝に来れるとは全く思ってなかったとのこと。

決勝戦のお題は「正直やりたくないなあと思わせる心理テストの出だし『あなたは今、○○○○』」。穴埋めお題だが、上の句が決まっている。

最終試合が始まる。ニセ関根が即座に「あなたは今、四天王に囲まれています」と出して爆笑を獲る。「4体の怖い仏像に囲まれているイメージが浮かんだ」と振り返る。

対するフニャダキシンも、「あなたは今、課金をしたわけですが」「あなたは今、見たことの無い母親の顔を見ましたが」と、ニセ関根に負けじと手数を出して対抗する。

制限時間残りわずかになった所で、ニセ関根が「あなたは今、右半身が言うことを聞きません」と出して、勝利が確定してもおかしくないくらいの大爆笑を生んだ。その笑い声の大きさは、神宮の花火に匹敵するとかしないとか。しかし、その直後にフニャダキシンも「あなたは今、彼氏が電車に詳しすぎると気付き始めました」という回答で大きくウケる。

「多分、決勝でお互いが出した答えを全部並べたら、電車のやつが一番ウケてたんじゃないかと思うんですよ。これは世代的に、僕にはわからない感覚でもあるんで。彼氏が電車詳しいとそんなにイヤかな?っていうのもちょっとあるんで。わからないとこでウケられると、自分の回答がウケないかもなとは思ってしまうんですね」

怒涛のような3分間が終わる。会場の全員がどちらに拍手するか、少し悩んでいたようにも感じていた。いざ拍手を促すと、若干ニセ関根の方が拍手の量が大きかった気もするが、決勝なので厳密に挙手で数える。その結果、フニャダキシンに大きな差をつけて、ニセ関根潤三は優勝する。

「優勝してホッとしたというか。どうしても自分が、浅い答えをたくさん出す自己イメージなので、印象の強い答えを出す方に、本質的には負けてるっていう…負い目じゃないですけど残ってて。武山さん、金庫番さん、フニャダさんに勝てたのは、それで自分の方が強いとまでは思えないけど、とりあえずその日は勝てたので、ホッとしました」

今後の展望

いよいよ最後の質問。今後の展望を自由に答えてもらう。

「こういうことを言うと、やる気がないように思われるかもしれないんですが、そこそこ面白くなりたいなっていう気持ちがあって。で、そこそこ面白いと思われるためには、そこそこ勝っておきたいっていうのがあるので、優勝するとホッとするっていうのはあると思うんですけど」

元来、芸人時代から「売れたい」などの欲が無かったのと同じ理屈で「どうしても優勝したい」「誰よりも面白くなりたい」といった野望は、今の彼には存在しない。

ただ、日々新人が増える大喜利の界隈の中で、担いたい役割があるとのこと。

彼の芸人時代の話に時計の針を戻す。彼は自分より数年後輩のとある若手芸人が、ネタなどのタイミングではない、いわゆる「平場」で爆笑を獲り続ける様子を見て「こういう人が売れるんだ」と思った。

芸人として笑いを獲る、売れてテレビなどのメディアに出るとなると、その人の才能が重要となる。この考えは、大喜利に対しても思っていた。

「でも、3年間見てみたら、言い方合ってるかわからないんですけど、多分これ誰でも面白くなるなっていう気がしてて。最初そんなに笑いが獲れてなかった人でも、ずっと続けていることによってウケるようになるし、そういう瞬間があるし。お笑いのジャンルの中に、努力でどうにかなるものがあるってイメージが無かったので。大喜利強い人って言えば、才能の固まりみたいな人のイメージだったんで。周りで見ても、きりまるさんとか白滝BOXさんとか、めっちゃ大喜利やってて、実際伸びてくるし」

彼から見て、大喜利の実力が全く伸びていない人はいないとのこと。大喜利が才能だけの世界ではないことを知った。

「展望としては、めっちゃ大喜利で落ち込んでいる人に『そんなことないよ』って言いたいというか。具体的に何かするとかじゃないんですけど、多分そこそこ強い方が『そんなことないよ』って言った時に説得力が出るというか。僕は『優勝したい』って言う人の手助けとかは、現状出来ないですけど、始めたての人の力になってあげられたら良いなっていうのはありますね」

おわりに

「取材は本当にありがたくて、大喜利始める前のお笑いのこととかって、自分では語っては無いんですけど、なんとなく皆知ってるみたいな(笑)モヤモヤした感じではあったので、自分でも一回まとめようかなって思ってたくらいだったので、取材って形で冷静にまとめてもらえるのはありがたいです」

優勝した瞬間にどう思ったか尋ねると、上記のような答えが返ってきた。私なんかがまとめて良いのかと思ったが、ここだけの面白い話を十二分に聴けて満足したし、彼のあまり知られていない部分を伝えることが出来ればと思っている。

大喜利で伸び悩んでいる人がいたら「そんなことない」「面白くなる」と伝えたいと語ってくれたニセ関根潤三。虎猫が初心者のための大喜利会を開いたり、六角電波が一人で大規模な大会を開催したりするなど、界隈への貢献の仕方は無限にあるが、ニセ関根潤三の行動も、初心者にとってはありがたい、立派な貢献である。

私個人の感想としては、大喜利取材杯を開いて良かったと思うし、他の負けてしまった出場者も、この記事なら満足してくれる、”絶対大丈夫”だと思っている。

優勝者決定から1ヶ月以上経過してしまったが、これにて、大喜利取材杯の閉幕を宣言する。

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