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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】せんだい-ようこそボケルバへ-

はじめに

昨年2022年は、様々な大喜利会や大会が活発に行われた一年だったと思う。「このレベルの規模ならある程度平気」というラインを、皆が探りながら前に進んでいたように感じる。そういう私も、およそ2年ぶりにボードとペンを使って人前で大喜利をした。

様々な要因が重なり、生大喜利人口も増える中で、毎週のように大喜利会を開催し、初心者もベテランも、分け隔てなく自らの会に迎え入れていたのが、本記事の主役、せんだいである。

2017年から生大喜利を始めた彼は、2019年に「一般社団法人 日本大喜利協会」を設立し、「ボケルバ」という大喜利会を定期的に開催しているプレイヤーだ。今の説明では説明不足なのは百も承知なので、さっそく本題に入りたいと思う。日本大喜利協会って何だ?と”不思議”に思った方も、この記事を読んで「そういう活動をしている人がいるんだなあ」と思ってくれたら幸いである。

2022年12月7日20時、インタビュー開始。

デビューは喜利の箱

せんだいが初めて生大喜利を行った場所は、このインタビューシリーズにも何度も登場している、かつて池袋に存在した大喜利専門のスペース「喜利の箱」である。元々大学でお笑いサークルに入っていたせんだいは、「大喜利を自分でもしてみたい」という漠然とした気持ちを抱えていた。喜利の箱の存在を”テレビ”か何かで知って、興味を持ち、一人で行ったのが最初だった。2017年2月頃の話である。

「(その時の)主催が秦小池さんという方で『リサイクル大喜利杯』っていうプチ大会をやったんですよ。ひたすら同じお題に答えて、お題をリサイクルするっていう企画の大会だったんですけど。他にひろちょびさんとかいわいまさかさんとか田んぼマンさんとかがいました」

せんだい曰く、リサイクル大喜利は、お題が終わった後に「この回答を出せば良かった」と後悔することなく、何回も同じお題にチャレンジ出来るという意味で、大喜利の”いろは”を知らないであろう初心者向きの企画だったとのこと。本人も、楽しかった思い出として記憶している。

「あれが最初の形式で良かったなって今でも思いますけどね」

大喜利会を初めて主催

その日から、毎週のように喜利の箱に通うようになる。ちょうどその時社会人一年目で、休日の過ごし方に悩んでいたせんだいは、良い趣味が見つかったと思っていた。

しかし、3,4か月後に、会社から静岡への転勤を命じられてしまう。

「せっかく大喜利っていう趣味見つけて、これからやっていこうってタイミングなのに!おい!ってなったんですよ(笑)」

東京とは”遥か”に遠い、大喜利が出来る環境がない場所に異動となったせんだい。代わりと言っては何だが、静岡で開かれていたボードゲームで遊ぶ会に参加するようになる。ただ、「大喜利をしたい」という気持ちは変わらずあったので、自分で大喜利会を開くことにした。ボードゲーム会のメンバーに「東京いた時に自分大喜利ってやってまして…」と声をかけて、参加者を集めて開いたのが、最初の主催である。

静岡に住んで半年経過した頃、再び東京に戻ってくる。大喜利会に本格的に参加するようになったが、引き続き会の主催も同時並行で行うようになる。

「また東京で大喜利をやり始めたんですけど、大喜利会主催するのは面白いなって思ってたし、その間に喜利の箱もいつの間にか閉店してて。でもまあ主催して『大喜利楽しかった』って言ってもらえる経験は楽しかったんで、主催は東京でもやり始めたって感じですね」

日本大喜利協会設立

ここからは、彼が会長を務める「一般社団法人 日本大喜利協会」の話に移る。大喜利会の主催を定期的に行っていたせんだいだったが、会を継続するために、参加者から集める費用などのお金の管理を雑には出来なかった。

「やるからには、ちゃんと責任を持って、お金を取れる形にして大喜利会をやらなきゃいけないなと思ったんですよ。ちゃんと大喜利っていうコンテンツに、ちゃんとお金が支払われていくっていう状態に持っていきたいなと思って」

会を定期的に開催して、参加費を毎回受け取っていくうちに、「これは趣味なのか?仕事なのか?」という風に、捉え方が曖昧になっていった。定期開催を続けていくために、「形だけでも」事業として進めていくことがプラスになると考えたせんだい。彼が個人事業主になる、会社を立ち上げるなど、様々な方法がある中で、社団法人という形態が一番フィットしていたそうだ。

「そういう風にちゃんとして、形だけ作るかって思って。『日本大喜利協会』っていう名前の壮大さは、半分ボケなんですけど(笑)でも、ちゃんとこれは事業としてやってるよっていうのを形にしたくて作りました」

2019年7月に設立した、日本大喜利協会。大喜利会を週に一度開催するということが、協会の活動として行われるようになった。それに伴い、せんだい主催の大喜利会も「ボケルバ」という固定の名前をつけた。

ボケルバ

「どんどん大喜利やる人が増えてきて、じゃあ週2回にしようかって感じですね」

彼が2019年7月から、毎週のように開催している、大喜利会「ボケルバ」。基本的にはツイプラで毎回募集を行っているが、LINEのオープンチャットで開催情報の発信もしている。

生大喜利の会を主催するプレイヤーは多数存在するが、毎週場所を借りて、お題や道具を用意し、決まった曜日に開催しているのは、私が知る限り関東ではせんだいだけである。

内容としては、会の前半はその場にいる参加者の8割が、一つのお題に答える「車座」の方式で、後半は簡単なトーナメントを行う。みんなでわいわい楽しむ形式と、競い合う形式の両方が楽しめる会となっている。

以前は週に一度、木曜日の夜に開催して、「定員の15人が埋まるか埋まらないか程度」だった会が、定員がすぐ埋まるようになったので、需要に応える形で、土曜日の夜も開催するようになった。

初めて大喜利をする人からベテランまで大喜利が楽しめるように、間口は広く、敷居は低く設定してあるボケルバだが、そのスタンスは、会の主催を始めた頃から変わっていない。ただ、主催を重ねるごとに、会を行う際に重要なことが、なんとなくだがわかってきたという。

「大喜利を始めるまでの導線というか、最初に諸注意を説明して、案内してとか。初参加、初大喜利の人が大体緊張してたり不安を抱いていたりするから、多分こういうことが不安だろうなっていうのが、ある程度把握できるから、フォローしつつみたいなのが、前よりはちょっとばかし出来るようになってるのかなって思います」

また、お題作成の傾向も変わってきた。

「最初の頃は…そんなヤバいお題は無かったと思うけど、確かに昔のお題はちょっと難しかったりするかなとは思います」

回を重ねるごとに、居心地の良い大喜利会として進化していくボケルバ。現状について、せんだいはこう思っている。

「もちろん、どんどんもっと良くしていきたいっていう思いは、やるたびにありますよね。もっといい形があるんじゃないかって。まあでも(主催に)慣れてきた部分もあって、僕が知る限りは、皆さん楽しんで頂けてるかなって感じではあります」

大喜利大会

主催者だけではなく、プレイヤーとしても活躍するせんだい。静岡県在住だった際に、一度だけ東京の大喜利大会に出場したことがある。それが「EOT第2章」である。

その大会では「EOT茶漬け」なるオリジナルフードも販売され、右も左も分からなかったせんだいは「大喜利の大会ってこういう飲食物も出るのか」と思ったそうだが、それはそこの会場限定のものであることを後々知ることとなる。

ここから少しだけ、彼の独自の見解の話になるが、数々の大会に参加して、大喜利の大会を成功させるためには、「伝統」と「権威」と「演出」が必要だと感じたと語る。

「伝統は、長く積み重ねることによって『この大会ってこうだよね』って認識されて、それに出たいと思うような歴史というか、積み重ねを感じるっていうものですね」

EOTや、大喜利天下一武道会、関西の大喜利未来杯など、回数を重ねている大会は、それだけで「一度出てみたい」とプレイヤーに思わせる力が生まれる。

「権威は伝統と似てるんですけど、その大会を優勝するということが、どれだけ自分の中の誇りというか、自信になるかっていう所を、周りの人もみんな分かっているというか、そういう状態になっているっていうのも、やっぱり大会の魅力の一つだと思うんですよ」

「大喜利の大会で優勝すること」自体凄いことだが、参加人数やルールの厳しさによって、優勝の難易度はいくらでも変化する。その厳しい条件下で優勝することの凄さが、周りから認められていればいるほど、挑みがいがある。大会とはそういうものだ。

「あとは演出ですよね。大会を彩るというか、よりモチベーションを上げたり、その場をエンターテイメントとして盛り上げてくれるかっていう演出がしっかりあると、普通の会とは違うっていうのが生まれるじゃないですか」

EOTは、本戦出場者が壇上に上がる際に、運営が考えたその人固有の前口上とキャッチフレーズが読み上げられる。元々大喜利天下一武道会が行っていたものに影響されたものだと、EOTでMCを務める羊狩りは語っていたが、大喜利におけるお題以外の部分に凝ることで、その場の盛り上がりを作ることが出来るのは間違いない。

EOT以外にも、彼が出場して印象に残っている大会がある。2022年の3月に「東京カルチャーカルチャー」で行われた、寺田寛明主催の大会「大喜利渋谷杯 powered by 渋谷渦渦」である。事前のWeb予選を通過した一般エントリー60名と、大喜利の実力者である20名のゲストプレイヤーが競い合う本大会。賞金総額は10万円である。

「あの大会はさっきの3つの中で言うと”権威”ですよね完全に。『寺田寛明さんが開いている大会』っていう所の強さが、皆に『出たい』って思わせるっていう」

また、せんだいの目から見ると、大会自体にスポンサーがついていて、一つの興行として成り立っていた点に対しても、「良いな」と感じたという。

ちなみに、一般エントリーから出場したせんだいは、最終的に準決勝まで勝ち進んだ。動画も「大喜る人たち」のYouTubeチャンネルにアップされているので、気になった人は観て欲しい。

ボケルバカップ

せんだい自身も、2022年から「ボケルバカップ」という大喜利大会を開催するようになった。普段からボケルバに来ている人も、そうでない人も参加できる大会。なぜ普段の会と並行して、大会も開こうと思ったのか聴くと、「う~ん…(笑)」と言葉を濁し始めた。

詳しく事情を聴くと、彼自身としては、ボケルバは他のプレイヤーが土日に主催しているような、様々な形の大喜利会の一つだと思いながら主催をしていたが、どうやら周りからの印象は違っていたらしい。

さらに、ボケルバによく参加しているプレイヤーを表す「ボケルバ勢」という言葉がいつの間にか生まれてしまう。要は、「ボケルバと他の大喜利会は別物」という認識に、誰かが言い出したわけでもなく、自然とそうなっていったのだ。

このままでは、毎週のように会に来てくれている人たちに申し訳ない。もう一つ問題として挙げられるのが、ボケルバに来たことがないプレイヤーは、ボケルバの内情や、頻繁に参加している面白い人たちのことをもちろん知らない。常連の面白い人たちを知ってもらうために、大会を開いて外にアピールしようという考えの元生まれたのが、ボケルバカップだった。

こうして実施された大会は、初回こそ時間が押してしまったが、改良を重ねながら、2回、3回と会を重ねていく。「伝統」を作り上げている最中である。

この人の大喜利に驚いた

「ぺるともさんとか、初めて見た時からスゴイ人だなって思ってましたね」

せんだいは、自身の主催の会はもちろん、自分が会に参加したり、観覧したりする中で、多くのプレイヤーの大喜利を見てきた。それ故に、このシリーズ恒例となっている、「面白いと思っているプレイヤーを挙げてください」という質問を投げかけた所、彼をかなり悩ませてしまった。

それでも、YouTubeチャンネル「大喜る人たち」「こんにちパンクール」など、活躍の場を広げているぺるともを初めて見た時の衝撃は、今でも覚えている。

「5,6年前かな。『家電を使って戦う戦隊ヒーロー』みたいなお題の時に『くそ、IHにしたから火が出ねえ!』みたいな回答を出してて。ちゃんとそこで『凄くて面白い回答だな』って認識したかもしれないです」

他に名前を挙げるとしたら誰か尋ねてみると「皆さん面白いですからね…(笑)」と、また悩ませてしまったが、2019年の上半期に生大喜利デビューした、わんだーの名前を挙げてくれた。

「僕はその人が初めて大喜利をする場面を見る機会が多いんですよ。その中でもやっぱりわんだーさんとかは、本当にどんどん面白くなって強くなってる人だなって思いますね。普通に大喜利しても勝てないと思いますよ。まあ最初から面白かったんですけど」

私もボケルバに一度だけ参加したことがあるが、車座のパートで面白い回答を量産するわんだーに驚かされた記憶がある。

ここまで訊いてみて、「こういうプレイヤーになりたいっていうのはありますか?」と質問を変えてみた。すると、「自分自身がそこまで多答できる人じゃないから、加点ルールで強い人は憧れますよね」という言葉が返ってきた。

そう考えると、ぺるとももわんだーも、加点ルールに強い印象がある。

パーソナルな部分

せんだいは、規模の大きい大会での優勝経験はまだないものの、彼の大喜利に対する周りの評価は高い。その多くが「いろんな人の大喜利を見ているから強い」というものだ。

過去の取材で星野流人も語っていた「主催を多くこなす人は強くなる」。この言説が本当なのか確かめようがないので、個人的には半信半疑だったが、今回の取材で、数えきれないほど主催を行っているせんだいに、この現象は本当にあるのか尋ねてみた。すると、こんな返答が。

「いやーあると思いますよ。色んな人の回答を見てるので『こういうお題で、こういうワードだったり要素とか使うと良いんだな』みたいなのは、自分の中のインプットとしてあります。まあ実際それを大喜利会でアウトプット出来るかどうかって所はまた別ですけど」

他のプレイヤーの大喜利を見て、インプットを行うことは、強くなるために行う努力の方法の一つとして、間違ってはいないらしい。これが本人の口から聞けただけでも、取材を行って良かったと感じる。

また、会の主催などの、大喜利界隈を動かすような活動を、他のプレイヤーにもチャレンジして欲しいと語る。

「(自分が)行動力の固まりみたいに言われたりするんですけど、全くそんなことなくて。行動力が無いからこそ『毎週やる』って決めないと出来ないんですよ。毎週やるって決定して、会をやったら次の会を募集してってルーティン化しないと出来ない人間だから、すぐ思い立って『来月大会開くか』みたいな人の方が凄いと思います」

自身が他のプレイヤーとは若干異なる形で大喜利と関わっている分、他の主催者へのリスペクトがにじみ出る言葉だった。

今後の展望

「やっぱり、大喜利をコンテンツとしてもっと成長させていきたいっていうのは、強く思ってますね」

取材の最後には、毎回目標などを語ってもらっている。彼の今後の展望は「自分自身が強くなりたい」「もっとウケたい」などの個人的な目標よりも、「大喜利」というものの規模を大きくしたいというものだった。

「これはちらほらずっと言ってるんですけど、毎回レンタルスペース借りてやってても『どうなの?』って感じあるじゃないですか。僕は元々喜利の箱で大喜利始めて、喜利の箱が良いなと思ってやってて、箱が無くなっても定期的に大喜利をやる場所があった方が良いと思って、毎週開催をやってるので、普通に店舗を作りたいと思ってます」

喜利の箱のような、誰もがふらっと入れて、大喜利が出来る常設の店舗。先人たちから聞くと、大喜利専門のスペースの経営はかなり難しいらしいが、日本大喜利協会会長の目指す所はそこである。

「大喜利協会の活動の理念が『大喜利を普及させて、いろんな人にやってもらう』っていう。そこを考えると、常設の店舗を目指すっていうのは、無い話ではないなとは思いますよね」

ボケルバの参加費は、他の人が開いている大喜利会よりも少し高めに設定してある。それも、将来店舗を造るための、資金の”プール”として考えているとのこと。

「時々物件の内見とかしてますよ」

90分間の取材で、この発言が一番驚いたかもしれない。

おわりに

このインタビューを行っている最中に、四つ葉の黒婆さん主催の「超加点ニューイヤータッグ杯」のエントリーが開始され、即座に枠が埋まった。24組のタッグを募集していた所に、49組の応募があった。それだけ大喜利の需要がある状態である。

せんだいが調べたところによると、常設の店舗を持つためには「資金」や「社会的信頼」が必要とのこと。現在は、ボケルバを定期開催するという地道な活動を重ねることで、日本大喜利協会が怪しい団体ではないという信頼を少しずつ得ている段階である。

前述したように、「生大喜利の大会があったら出たい」というアクティブに動いている大喜利プレイヤーがここまでいるなら、一刻も早く常設の店舗が必要だという彼の見立ても理解できる。

喜利の箱以来の、大喜利専門のスペース。彼の力なら、”夢じゃない”かもしれない。

「周りを『なんだ大喜利協会って』と思わせたんだから、そういうの作んないとなと思いますよね」

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