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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】田んぼマン-大喜利はそれだけでプラス-

はじめに

手始めに、その男に取材を引き受けてくれたことの感謝を述べると、彼はこう言った。

「いやでもね、僕からしてみたらね、結構時間かかったなって(笑)」

「自分にはいつか取材の話が来るだろう」という前提で話し始めたので、正直驚いてしまった。そんな人を食ったようなジョークを開口一番で飛ばしてきたのが、本記事の主役、田んぼマンである。

田んぼマンは北関東在住のプレイヤーで、真面目な場面では比較的ちゃんとしているが、SNSでは日々あらゆるタイプのユーモアを投稿し、対面した際にはその時の相手に関係なくボケ倒すという一面も持っている。

大喜利で言うと、生大喜利やスプレッドシート大喜利を中心に行っており、見る者を唸らせる正統派回答も、ふざけたダジャレを交えた回答も繰り出すことも出来る、手数の多いプレイスタイルである。

コロナ渦以前は、頻繁に全国各地の大喜利イベントに遠征していたり、最近では地元で大喜利会の主催をしたりしている田んぼマンだが、自らの出自の話をする機会は、そこまで頻繁には無かった。

そういったこともあり、インタビューを引き受けてくれるか分からなかったが、こちらの想像以上にあっさりと承諾してくれた。

どこまで真面目に語ってくれるのかは、もう彼に任せるしかない。

2024年04月08日20時40分、インタビュー開始。

大喜利を始める前

今からおよそ20年前、高校生だった田んぼマンは、過去に取材したFANや星野流人、オフィユカスと同様に、ネット上に漫才やコントの台本をアップし、採点し合う「ネット長文」の活動を行っていた。

オフィユカスを取材した際に知ったことだが、ネット長文のサイトのほとんどは「爆笑オンエアバトル」(NHK)の採点方式を採用していた。ただ、田んぼマンが検索でたどり着いたネット長文のサイトは、当時テレビ朝日系列で放送されていたバラエティ番組「笑いの金メダル」を模したものだった。

「すぐ参加しようってなって、当時は…作るネタが稚拙だったんで、あんまりウケなかったんですけど、だんだん『オリジナリティを出していけばウケるのか』みたいなのがわかってきて、だんだん楽しくなってきたみたいな」

ネタを書いていくにつれて、ウケるコツのようなものを掴んでいった。

ネット長文をしていた者の中には、そこからネットで大喜利が出来るサイトにたどり着いた者もいたようだが、田んぼマンはネット大喜利はほとんどしていなかった。ただ、ニコニコ生放送で行われていた大喜利には参加していた。「ニコニコ超会議」での大喜利イベントをきっかけに大喜利を始めて、現在でも生大喜利を続けている、ぜあらる。の大喜利配信に投稿をしていたそうだ。

「ぜあらる。さんが当時ニコ生で、投稿型の大喜利をやってて。匿名でみんなが回答をバンバン送って、読まれたら嬉しいみたいな感じで。そこに家臣君とかともくんとか、今でも仲の良い人がいて。そこで『大喜利でウケると面白いな』みたいなのはありました」

生大喜利デビュー

田んぼマンの生大喜利デビューの場は、「辺境会」と名付けられた、ネット長文のオフ会である。

当時は皆ネット上だけでの繋がりだったので、ハンドルネームと姿が一致しない、そもそもお互いの顔を知らないという状況だったのだが。

「僕が来た時に『あれ田んぼマンじゃない?』みたいな(笑)顔知らないはずなのにそういうことを言われて。当時から『田んぼマン』っていう感じの雰囲気をかなり出してたっていう。ネットの感じと実際の感じが一致するみたいなのは、強みなのかなっていうのはありますね」

辺境会は、ネット長文出身者のオフ会というだけで、普通の大喜利会と変わりはなかったらしい。お題に答えていく中で、カルタお題の時に、彼は爆笑を獲った。

「そこで一個バチンと、その日イチみたいなウケ方して。そっから凄い『自分の流れが来た』みたいな感覚がありましたね」

その後は、勝負形式のトーナメント。ルールは加点式で、予選と本戦がある。

「その時に、こういうのもなんですけど(笑)優勝したもので。一番最初の大喜利会で優勝したから、今でも続けられてるのはそれが大きいですね。決勝で、当時から強かった六角電波さんと当たって、全ての回答で満票を獲って勝ったっていう。あの日に戻って出来るかどうかわからないくらいの調子の良さだったんで。(急に口調を変えて)一番最初で優勝するなんてすごいことですよ。どえらいことですよ。ハハハ」

初めての生大喜利で勝ったことで、次の会にも参加しやすかったと語る。

初優勝

デビューから好調だった田んぼマン。辺境会での優勝は、大喜利会の中の一つの企画での優勝だったが、本格的な「大会」と銘打たれた勝負の場で、初めて優勝したのは何だったのだろうか。

「喜利の箱で、タイマンの勝率を競うみたいな大会ですね。色んな組み合わせでやって、一番勝った人が優勝っていう。僕は、勝ち星は一番多かったんですけど、なんていうんですかね、(大会全体の)最後の試合で勝ったみたいな感じじゃないから、優勝っていう感じの意識はそんなに無いんですよ」

ルールの都合上、決勝戦があるような大会では無かったため、彼の試合は大会の最後の試合ではなかった。

「その時は、途中で僕が優勝したのがはっきりわかったんで(笑)ヘラヘラしてましたね(笑)当時の僕は、新人の方では結構よかったんで、準優勝とかはめちゃくちゃしてたんですけど、優勝にはたどり着けなくて。そこで優勝出来たのは、かなり『あ~やっとか~』みたいなのが(笑)ありましたね」

辺境会から、およそ1年後の出来事である。

オオギリダイバー

田んぼマンは、これまで数多くの大会に出場して、様々な形で活躍を見せてきた。そんな彼が「自分の中で大きい」と語る大会がある。それが、お手てつないでが主催の「オオギリダイバー」である。

出場者にはそれぞれ持ち時間が与えられており、回答を考えていたり、ボードに書いている間は持ち時間が減っていく。回答を出すと、審査員の判定により、ポイントを得られる。その後は対戦相手に回答権が移り、持ち時間のカウントダウンはストップ。今度は相手の持ち時間が減る。最終的にポイントを多く獲得した方が勝利というのが、オオギリダイバーの大まかなルールである。

オオギリダイバーには専用のソフトが存在し、お手てつないで以外にもソフトを所持している人物は数人いたため、昔は喜利の箱などで、ルールを体験する会が頻繁に行われていたとのこと。

「一番最初に遠征をしたのが、確かオオギリダイバーだったはずなので。蛇口君と組んで挑んで、結果的には1回戦で負けちゃったんですけど…オオギリダイバーで勝ちたいから大喜利やってるみたいなところありましたね」

容赦なく回答時間が減っていくルールの中で、必死に面白い答えを考えて出すというのが、自分の性に合っていたし、楽しかったと語る。

何度か大会に出る中で「オオギリダイバー12.3」という回にFANととくめいと組んで出場する。「.3」というナンバリングなのは、トリオ戦だから付いたものである。

「優勝候補みたいなチームとめちゃくちゃ当たって。でも、僕も二人もかなり頑張れたから、なんとか勝てたみたいな。それが凄い自信になりましたね。この大会のめちゃくちゃ強い人達ともやれるんだって」

結果としては準優勝だが、準決勝で、全員が個人戦優勝経験のあるチームに勝てたことは、非常に印象に残っている。当時としては3人とも大喜利歴の浅かった田んぼマンのチームだが、その試合で勝てたことは、彼にとっても、チームメイトにとっても大きい出来事である。

「決勝の相手が、ふじこさん、NYのヤンキーさん、妙子さん(現・大久保八億)だったんですけど、その3人も当時は新人で、新人対新人みたいな形になって。ここまで勝ち上がったから、『この世代の人たち面白いじゃん』みたいになったのが凄い良かったなって。決勝で負けちゃったんですけど、そこまで行けて本当に良かったです」

何度も挑んで、予選は何度も突破してはいるが、田んぼマンはオオギリダイバーで優勝出来ていない。今後また開かれる予定は今のところ無いが、彼は再び開催されるのを待ち望んでいる。

印象的なイベント

ここからは、他に田んぼマンが印象に残っているイベントを聞いていく。

「そうですね…まずは木曜筋肉会ですかね」

木曜筋肉会とは、かさのばが不定期で主催している「金曜大喜利会」に対抗して、うっらいという人物が立ち上げようとしていた会で…要するに、うっらいのネタツイ上にしか存在しない会である。そんな話を掘り下げるつもりは一切ないので、もう一度印象的なイベントを聞くと、2019年の「きっかけの一歩」を挙げてくれた。

虎猫主催の、生大喜利の初心者に向けた会「始めの一歩」と「きっかけの一歩」。それぞれ春と秋に行われるという時期の違いはあるが、内容はほぼ変わらない。その会では、毎回ゲストとして、生大喜利経験豊富なプレイヤーが呼ばれる。2019年のその会で、田んぼマンは経験者ゲストとして呼ばれた。それが嬉しかったと語る。

「まずここに呼んで頂けるってことは、初めての人に大喜利を見せても恥ずかしくないっていう基準で選んでもらったと思うんですよね。だからそういう風に、虎猫さんに思ってもらえたということが、自分の中で強かったので、そういった意味で大きかったです」

また、その初心者のための会で生大喜利デビューした人の活躍を、他の大喜利会で見ることは、自分の中で励みになるそうだ。

「『あの金庫番がこんなになって…』みたいな(笑)あと魚醤さんとか、ああいう変わりようを見るのもめっちゃ楽しい…(笑)こんなプレイスタイルになってるんだ、みたいな。だから『初めての人がこんな風になる!?』みたいなのって、結構醍醐味みたいな所があるんですよ個人的に」

金庫番も魚醤も、そのきっかけの一歩でデビューしたプレイヤーである。時を経て、金庫番は大会で優勝出来るようになり、魚醤も大会に出るたびにインパクトを残す、とんでもないプレイヤーになった。そういった初心者の変化を見るのも楽しみだと語る。

「僕の主催の会に、田吾作さんっていう方が来てくれて。その時は結構普通の大喜利してて、でもその後に会った時は、めちゃくちゃフィジカルの大喜利をするようになってて(笑)南部屋敷さんとかも、小さい会で見た時全然"そんなん"じゃなかったのに、いつの間にか暴れん坊になってて(笑)こんな変わるんだみたいな(笑)大喜利長年やってると、そういう人の流れを見ていくのが楽しいですね」

また、本人としても「ここは話しておかないと」と思っている、今でも自分の名刺代わりになっている大会がある。それが、数年前に70人規模で行われた「喜利の王決定戦」だ。本大会で、田んぼマンは決勝戦に進み、そこでその日一番のウケを獲って、優勝を決めた。

「お題が『この会場に今にも子どもが産まれそうな妊婦さんが来ました!どうしましょう?』みたいなやつで、僕が『赤ちゃんを無事に産んであげて、喜利の王の誕生だ~!』みたいなことを言ったら、信じられないくらいウケて。そういうつもりでも何でもなかったんですけど(笑)1分くらいウケてて、完全に”優勝”みたいな流れになってたのがちょっと面白かったです(笑)」

この一答で、勝負を完全に自分のものにした田んぼマン。完全勝利と言っても良かったが、本人的には心残りがあるという。

「最後の回答をした時に、ヘラヘラしすぎて、なんか甘すべりをして…(笑)あの大会、しゅごしゅぎさんとかがたまに『あの時の田んぼマンめっちゃ凄かった』って言ってくれるんですけど、僕は最後のアレが恥ずかしくて(笑)あんまり誇れないっていうのがあるんですよ」

それとは別に、本人曰く「最高の勝ち方」をした大会があるという。それが、福岡で行われた「第7回喜と愛楽」である。

「喜と愛楽」とは、これまで全国各地で数々の主催を行い、本人の大喜利の実力も申し分ない福岡のプレイヤー、田中一が考案した大会である。お題が出題されて、全体の一答目がまず「ベストアンサー」となり、次に別の回答が出たら、審査員が先ほどのベストアンサーと、どちらが面白かったか判定し、面白いと判断された方が、ベストアンサーとして残る。これを制限時間いっぱいまで行い、最終的にベストアンサーとして残った回答を出した出場者が勝利となる。

「15人くらいの大会ではあったんですけど、結構順調に決勝まで行って。決勝がタイマンで2本先取で勝利で…まあ、なんていうんですかね…時間が終わった時点で僕の回答が残っていて、勝利確定している状態。その状態で、僕の回答順が回ってきて、ウイニングアンサーみたいな。その回答を、最後自分で更新して、優勝するっていう。最後の回答が爆ウケして、気持ち良すぎる優勝(笑)こんなに後味の良い大会が今まであったのかみたいな優勝の仕方して、ホントにマジで最高でした。”完全に”勝ったっていう(笑)」

話を進めていると、語る予定もなかった印象的な大会を思い出したとのことで、「EOTスパーリングVol.4」のことを語ってくれた。「EOTスパーリング」とは、先日第10章(第10回)が行われ、尊敬ラーメン屋が優勝した「EOT」と同じルールだが、正式なナンバリングではない、あくまで「スパーリング」として数回行われている大会である。Vol.4は、EOTの運営陣である、o、羊狩り、星野流人が東北に遠征し、東北在住のプレイヤーを中心に行われた。

「結構順調に勝って、決勝まで行ったんですね。対戦相手が、Rの人さんっていう東北の女性のプレイヤーで。その前日に『七夕(しちゆう)杯』っていうタッグの大会でRの人さんと組んでたんですよ。これマジで、タッグを組んだ身としては、本当に負けたくなさすぎると思って(笑)」

前日までタッグパートナーだったRの人と対戦することになるとは、まさか思ってなかったし、その状況が彼に火をつけた。決勝戦は、本家EOT同様に、3分1問で行われて、判定が割れたら延長戦へ突入する。

出されたお題は「実家が忍者の元ヤンキーの寿司屋の見習いの特徴」という、かなり入り組んだお題。このお題に対して、Rの人は怯むことなく有効打を繰り出し、優勝へと大きく迫った。

「Rさんがかなり優勢な感じで進んで。『ヤバい!』っていう時に、『忍者の息子のくせに、巻き物が下手なのかよ』っていう僕の中で要素を完璧に消化する回答を出せて、延長戦までもつれ込んだんですよ。延長戦は、時間が短いので、僕が2答してRさん1答で僕がなんとか勝って。まあその試合で『勝てて良かった~』っていう気持ちがホントに強くて。負けたくないって思うと、こういう回答が出せるようになるんだみたいな」

前回取材した、まな!も印象に残っている大会として挙げていた「戦・大喜利団体対抗戦」にも思い入れがある。田んぼマンも数回戦には出場しているが、特に印象に残っているのは、2019年に行われた回である。ちなみに彼は、その前日に行われた「第20回大喜利未来杯」で優勝している。

「僕はどっちかっていうと『未来杯優勝するぞ』っていう意気込みの方が強くて、あんまり戦に重きを置いてなかったんですよ。戦を軽視してるっていうわけではないんですけど、個人戦の未来杯の方が勝ちたくて。結構戦闘民族なんで(笑)」

軽い気持ちで戦に挑んでいたはずだったが、まな!が形勢逆転の可能性がある「下剋上好機(げこくじょうチャンス)」のお題でウケて、審査員の票を多数獲得し、本戦進出を決めた瞬間、彼は感極まった。

「まな!さんが最後勝って、本戦進出みたいになった時に、喜んでたら涙出てきそうになって(笑)自分としてはそういう気持ちで臨んだはずじゃないのに、自然とそういう気持ちになって、昂ぶりがあったんですよね。同じメンバーで大会に出続けてきたんで、そういう部分でちょっとグッときたみたいな所があったのかもしれないですね」

遠征の話

田んぼマンを語るうえで、欠かせないワード。それが「遠征」である。最近は北海道や名古屋を中心に、関東や関西以外の地方も頻繁に会が行われて、そこに関東や関西の人達が旅のついでに参加する、といったように「大喜利目当てで全国を回る」といったことも珍しくなくなってきたが、大喜利イベントが全国で行われていたのは、今に始まったことではない。

「全国各地の大会にエントリーしているプレイヤー」は、近年では割と存在するが、田んぼマンはその元祖と言っても良い。コロナが流行り出す以前は、地方の大会に何度も出場し、各地の猛者を倒し優勝を繰り返してきた。彼にとって、都道府県のサカイなど関係なかった。

「全ての地方で認めてもらうっていうのが、僕の目標であったということは間違いないです。実際、九州でも名古屋でも東北でも優勝しました。マジで、頑張ってきてよかったなあっていう所がありますね」

彼曰く、遠征での大喜利は関東の大会よりも「勝ちたい」「ウケたい」という気持ちが高まるとのこと。普段より、強い気合イデその土地に乗り込んでいる。また、その土地ならではのプレイヤーの存在も知れるというのも、遠征の魅力だという。

「以前東海の『名月』って大会に行った時に、ブルータス森さんって方がいらっしゃって、僕が予選2位で森さんが1位だったんですけど。先日の「大喜利山百合杯」っていう横浜の大会で、森さんが決勝行かれた時に『僕は前から森さん知ってたぞ』という顔を出来るというか(笑)他の人が知らない方が、活躍するっていうのが良いですよね」

ちなみに、栃木県在住の田んぼマンは、東京の大喜利会に参加することも「遠征」だということに、最近になってようやく気が付いたらしい。

「やっぱり『勝ちたい』『何か残したい』っていう気持ちはありますけど、全然観光がてらみたいな気持ちでも良いと思いますけどね(笑)せっかく行くなら絶対楽しめた方が良いと思うので」

好きなプレイヤー

ここからはインタビューシリーズ恒例となった、好きなプレイヤーの話に移る。田んぼマンといえば、大喜利会に参加すれば、面白かった回答を逐一報告している印象があるが、改めて好きな大喜利をする人を聞くと、2名の名前が挙がった。

「僕が好きなプレイヤーは、多分わかると思うんですけど(笑)オフィユカスさんですね。あの人の代わりになる人が、存在しないだろうなっていうのはありますよね。ちゃんとバカをやってくれるっていうのが、本当に面白い」

バカバカしくアライ回答も、ちゃんとした回答も出せる、そんなオフィユカスの振り幅は、誰にも真似できないと私も思う。本人の普段のキャラクターも相まって、もはや存在自体が面白い領域に達している。

そんなオフィユカスにまつわる、田んぼマンにとって忘れられないエピソードがあるという。それは、2019年の下半期に行われた「アイドルマスターシンデレラガールズ大喜利会」、通称・デレマス大喜利での話。

デレマス大喜利では、毎回最後に「憑依トーナメント」という企画を行う。アイドルマスターシンデレラガールズに登場するアイドルになりきって大喜利をするこのトーナメントで優勝することは、デレマスファンのプレイヤーにとって、大きな目標と言っても良い。

その時の優勝者は、本インタビューの座談会にも登場してくれた手すり野郎で、熱いデレマスファンで知られる手すり野郎の悲願の優勝に、会場も非常に盛り上がった。ちなみに準優勝は、同じくデレマスを愛し、手すり野郎とも繋がりの強いジャージの顔。

デレマス大喜利の憑依トーナメントでは、好成績を収めた出場者には、デレマス関連のグッズが授与される。主催の星野流人が、グッズを机に一通り並べ終わったその瞬間、おもむろにオフィユカスが大量のグッズの前に立ち、こう言った。

「安いよ安いよ~!」

先ほどまでのめでたい雰囲気を台無しにしかねない、あまりにもしょうもないボケを突然言い放ち、それまでの感動的な空気との落差に、近くにいた田んぼマン、虎猫、田野は大爆笑。他の参加者に一斉に無視されたことも、面白さに拍車がかかり、笑わずにはいられなかったという。

「なんだったらね、その時オフィユカスさんも3位で、めちゃくちゃ賞賛されるべき人なんですよ。そんなこと考えず『安いよ安いよ~!』って言って。これ他の人に出来ますか?って話なんですよ。ああいうメンタリティを持った人が、大喜利してるっていうのがマジで凄いなって」

もう一人の好きなプレイヤーは、現在はK-PRO所属のピン芸人として活動している、メガネなし博士である。

「マジで本当に意味がわからない。何を言ってるんだってことが、無限に出てくる。文字で回答をしがめないのが申し訳ないくらい笑わせてもらってるから(笑)」

メガネなし博士といえば、どう着地するのか誰にも予測できない長文回答が持ち味で、無意味、シュール、ナンセンスともまた違う、独自のジャンルを築いている。ウラを返せば、その意味不明さで誰でも笑わせることだって可能ということでもある。

2023年5月に行われた、六角電波主催の5人1組のチーム戦「Another The OrderⅢ」では、彼らは同じチームで準優勝している。

「メガネなし博士が回答を書いている時は、後ろからボードが見えるじゃないですか。見てもマジで意味がわからないから(笑)一緒のお題に出て、隣で見ても『なにこれ?』って思っちゃう(笑)『なにこれ?』って思いながら『絶対面白そうだから、最後の一答はこれで行くか』って。メガネなし博士とチームを組んで戦えたっていうのは、本当に嬉しいことですよ。彼みたいなプレイヤーが増えたら、さすがに困りますけど(笑)」

メッセージ

ここまでボケや笑いを挟みながら、大喜利の思い出を語ってきた田んぼマンは、この取材を通して、読者に伝えたいことがあるという。

2024年5月現在、大喜利界隈は、様々な要因で競技人口が増えて、それに伴い大喜利が出来る場、勝負の場が増加した。

人が増えるのは良いことである反面、自分との比較対象が増えることでもある。「なかなか優勝出来ない」「いつも予選で負けてしまう」「ウケているのに勝てない」など、悩みを抱えて、それらを弱音としてSNSに書き込む人もいるにはいる。

「『自分なんか』みたいに思っちゃう人も、時々いるじゃないですか。でも『そうじゃないんだよね』っていう話ですよね」

大喜利会、特に大会でウケなかった場合「自分はここにいて良いのだろうか」といった所にまで、思考が及んでしまう場合がある。そういった悩みを抱えがちな人達に、彼は言葉を添えたいという。

「でも、考えてもみてくださいよ。誰かが会を主催してるわけじゃないですか。そこに来てくれる、それだけで本当にありがたいですし。まあ、絶対『ウケたい』っていう気持ちはあると思うんですけど、ウケる必要なんか一つも無くて。その会に来てくれるだけで本当に良いっていうか」

あともう一つ、界隈全体に起きていることとして、出されるお題の複雑化により、大喜利の難易度が上がっていることにも注目している。もちろん「お題が難しい会」の存在は否定しないが、そういった会で出されたものを真似して、難しいお題を作る必要もないと、田んぼマンは語ってくれた。

「高度化してるけど、別に無理に凝ったお題を作る必要もないですし。『良いお題作れないんですよね』みたいなこと言う人いますけど、別にそんな気にする必要もないというか。作っていって、上手くなればラッキーくらいな感じで良いと思うんですよね」

大喜利の場、特に勝敗が決まる場では、あっという間に出場者の半数が敗退する。そんな状況が少なくない。もちろん勝ち負けにこだわるのは悪いことではないが、こだわりすぎると、それでは幸せではいられない。

「負けても、大喜利することがプラスだったって思って欲しいなって。その会に来たこととか。その会で負けて『今日めっちゃ無駄だった』みたいなことを…思っちゃうのもしょうがないと思うんですけど、必ずしも全部マイナスではないと思うんですよ」

まずは、自分が楽しめることが第一。そして、大会などでウケなかったとしても、その場にいて良いと語る。

「マナーとかさえちゃんとしていれば、そこにいて良いって思うんですよね。面白くなくたっていいし、ウケなくたっていいしっていうのは本当に思いますね。まあ、ウケるようになったらマジで嬉しいと思うけど(笑)」

こういったことを伝えたいという気持ちは、以前からあったとのこと。彼は2018年にも「大喜利とメンタルについて」という名文を残しているので、こちらも合わせて読んで頂きたい。

今後の展望

「自分が納得いくものにしたいですね、どういう結果だとしても。大喜利会に行ったとして、何かしら”プラス”を持って帰りたいっていう気持ちがありますね。まあウケたいが主ですけどね」

最後の項目である、「今後の展望」に行く前に、改めて彼にどういったモチベーションで大喜利に挑んでいるのか尋ねてみた。出てきた言葉からは、田んぼマンのポリシーが感じられる。

「大喜利でウケなくても『今日は面白い一日でした』みたいなことがあれば良いですし」

「大喜利でウケない日もある」という、意外と皆が忘れがちな事実を、田んぼマンは常に心に留めている。それでも、遠征を頻繁にしていた過去が物語るように、自分が知らない人、色んな人の前で「ウケたい」という気持ちも持ち合わせている。

改めて、今後について聞いてみる。彼が目指す場所とは、一体どこなのだろうか。

「まあ、自分の今までの成績を更新したいというのはありますよね。一つでも、上に進みたいっていう気持ちはありますけど…具体的にどうしたらっていうのはわからないですけど(笑)」

また、彼は最近、地元の栃木県でも不定期で大喜利会を開催している。それについての展望も語ってくれた。

「栃木の大喜利の人も増やせて、東京に行かずとも大喜利が出来るくらいの環境になったら、凄い理想だなと思いますね。会をちょこちょこはやっていきたいなとは思っているので。いつかは大会とかも出来たら嬉しいなという気持ちもありますし。まあ、3104さんよりは主催出来ませんけどね(笑)」

最後に良い話が聴けたと思ったら、関西で生大喜利の主催を頻繁に行っている、3104の話で終わってしまった。

おわりに

2時間の笑い満載のインタビューが終わった。かのように思えたが、「思いついたらまたネタもやりたい」「土曜日の朝に行う、スプレッドシート大喜利の『おはよう大喜利』をいつの間にか自分が仕切っているので、元々の主催のるるはんさんに時々で良いので戻ってきて欲しい」など、追記して欲しい事柄を続々と言い始めた田んぼマン。録音を止めて、アフタートークの最中に言い始めたので、正直メモが大変だった。

これがアップされる頃には、「第18回大喜利天下一武道会」の東京予選が終わっているだろう。勝って喜びを噛みしめている人も、負けて悔しさを爆発させている人も、この記事を読んで、いったん肩の力を抜いて欲しい。

なかなか真面目なことを語る機会がない田んぼマンだが、このインタビュー記事が、彼にとって、そして読者にとって意味のあるものになれば幸いである。

「大喜利はそれだけでプラス」。そんなことを考えながら、今日も田んぼマンは大喜利会に行く。


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