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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】六角電波-誰よりも界隈を見た先で-

記念すべき10人目

このシリーズを製本して、販売することを決めた。

2020年4月から始まったこのインタビュー。製本を全く考えなかったわけではないが、内心では結局しないだろうと思っていた。

しかし、2022年2月に文学フリマ広島が開催されることを知った時、なぜか「自分も参加したい」と思い、出店を申し込んだ。その時点で取材していた8人のプレイヤーに許可をもらい、過去の記事を加筆修正したものを収録することにした。

2021年11月に、田野の記事をアップした。その月の終わり頃から、表紙や挿絵のデザインを依頼した島と打ち合わせを始める。製本には何が必要なのか、どういったデザインにするのかといった事を詰めていった。

島はデザインを、私は加筆修正を行っているうちに、2022年1月になった。せっかくなので、もう一人取材して、10人分のルポを掲載しようと思った。

10人目に選んだのは、過去の記事に登場した大会で優勝経験があり、自らも大喜利イベントを複数主催している、実績充分のプレイヤー。それがこの記事の主役、六角電波である。

関東のプレイヤーである六角電波は、一つのお題に様々な角度から回答を繰り出すスタイルを得意としている。さらに、回答を導き出すまでのスピードが異様に早く、かつ一つ一つの回答のクオリティが高いというとんでもない腕前の持ち主だ。

また、バラエティに富んだ大喜利大会を多数開催しており、主催者としても経験豊富な人物でもある。

彼への取材を考えていることを島に伝えると、記事を読んでみたいという返事が返ってきたので、取材しないという選択肢は無くなった。頃合いを見て、TwitterのDMで依頼した。同人誌にすることも一緒に伝える。

すぐに返事が来て、快く承諾してくれた。大げさかもしれないが、ここで断られたら立ち直れなくなると思っていたので、救われた気分になった。

今回の取材では、Discordで通話した音声を、別のソフトで録音したものを確認しながら記事を書く。初めての試みだったこともあり、ソフトに悪戦苦闘してしまい、取材の開始予定時刻から20分過ぎてしまった。なんとかDiscordと録音用ソフトを起動させ、通話と録音を始める。

2022年1月13日21時50分、インタビュー開始。

ネット大喜利と出会う

ようやく始まった通話。六角電波と挨拶を交わす。取材について軽く説明をする。彼はこのシリーズを読んでくれているそうだ。

過去のプレイヤーと同じく、大喜利と出会った所から時系列順に話を聞いていく。六角電波は高校生の時、ネットサーフィン中に偶然大喜利サイトにたどり着いた。それが、自分でも出来る大喜利との出合いだった。

「あ、面白いなと思って。で、結構そっからひと月くらい見るだけだったんですけど、ある時やってみようかなと思って、『スピアー予告中』(現在の小金沢ビルヂング)というサイトで投稿を始めたのが始まりでして」

それをきっかけに、ネット大喜利にのめり込む時期が始まる。当時主流だったのは、投稿と投票の期間が一週間ずつある、現在でも続く形の大喜利サイトだ。大喜利と名の付くサイトを選別することなく、「鬼のように」投稿し続けた結果、「毎日何かしらの送ったものの結果が出てるみたいな状態」だったという。

当時、スピアー予告中では、毎週土曜日に「10分大喜利」という企画が行われていた。チャットで大喜利をするのだが、一つのお題に対し、10分の間に答えをいくつ送っても良いというのが簡単なルールだ。

「この『いくつ送っても良い』っていうのが、かなり今の生大喜利の礎になるというか。一個のお題に短い時間で、色んな角度から回答を出し続けるっていう所の礎にはなっていると思います」

長い期間じっくり答えを考える形式よりも、こっちの方が向いていると感じていた。六角電波が得意とする、一つのお題にありとあらゆる視点から、周りの出場者よりも早いスピードで答えを繰り出すプレイスタイルの原点と言っても良い。

その時期のことを、さらに詳しく訊いてみる。他人の回答で、未だに覚えているものはあるかという質問をぶつけた。個人的には「あまり覚えていない」という返答も想定していたが、返ってきたのは「いっぱいあってかなり難しい」という言葉だった。

「明確に影響が与えられたかなって思うのは、スピアー予告中の、宮城さんって方なんですけども、『トーテムポールとジャイアント馬場の見分け方を教えて下さい』っていうお題で、宮城さんの回答が『目隠ししたC.W.ニコルが歩いていった方が森』っていうのが、お題には答えてないんだけど、でもこのお題じゃないと出てこないおもしろだっていうのが、結構衝撃を受けた回答ではあります」

また、ネット大喜利を知ってから、投稿を始める前にも、忘れられない回答と出合っている。とある大会の決勝で出題された「台所にあるものを使って、平等を表現してください」という、現在でも類型を見ない捻ったお題に、フーセンウサギという人が出した「両栗粉」という回答だ。

「今まで見たことが無いお笑いだなって思ったのがそれですね。今までお笑いは普通に好きだったので、小学校の時にM-1グランプリを見て育って、その頃はダイナマイト関西のDVDとかもすでに観てた頃だったんですけども、それでも知らない大喜利を観たなって感じがして」

現在では生大喜利の方にもかなり力を入れているが、ネット大喜利での経験が、六角電波の大喜利を形作っているのは間違いない。

初出場初優勝

ネット大喜利を知った3,4年後、ボードとペンを使う生大喜利を始めて経験する。そのイベントが「大喜利天下一武道会(通称・天下一)」である。六角電波が「ネイノーさん」名義で出場した2010年の第12回大会は、2人目に取材した虎猫が生大喜利デビューした回でもある。東京に住んでいたジュニアというインターネット上で長く交流があった友人から、「こういう大会があるからちょっと一緒に出てみないか」と誘われたのがきっかけだ。ちなみに、現在ジュニアは宮崎県在住だが、今も交流は続いている。

「友達に誘われたから行った、という感じで、あんまりその、生大喜利に対する構えは無かったというか。その大会とか界隈について全然調べてなかったし、何だったらもう『一回だけやってみるか』みたいな感じだったので。そんな『真剣じゃない』って言ったらアレなんですけども、そこまで気負ってなかった状態でした」

「誰でも参加可能な生大喜利の大会」が、どういったものなのかも分からないまま、軽い気持ちでエントリーした。後から分かったことだが、第12回から大会の規模が大きくなり、出場者の数も増えていたそうだ。数回に分けて行われる予選のうちの、予選2に出場する六角電波は、それより前に行われる予選1を観戦した。

「大会の予選を観てて、まあ正直、勝てない……いや、正直に言うなら『これ勝てるだろ』と結構思いました」

「ネット大喜利の強い人」と比べたら、レベルは低く感じてしまったというのが当時の率直な感想だ。

1stステージの上位3名が勝ち上がり、2ndステージの上位2名が本戦に進出できるのが、その時の天下一のルールだった。票を投じるのは、別のブロックの出場者を含む観覧者全員だ。

予選2の最初のブロックに組み込まれた六角電波。これまでネット大喜利で経験は積んでいるが、初めての生大喜利では、そこまで大きな笑いは起きなかった。しかし、4人が出場したブロックの3位に食い込み、ギリギリで1stステージを通過する。

1stステージと2ndステージの間に、出場者の一人だった、九人の侍という人物に話しかけられた。六角電波とネット上で繋がりがあった、生大喜利の先輩である。九人の侍は「ボードの出し方」「マイクの使い方」など、生大喜利における基礎の部分を六角電波に教えた。

「僕はやっぱりネット大喜利の経験から来てるから、声がおまけで、『文字を読んでもらって』っていう感じで、最初にボードを見せて読み上げてたんですけど、『ここで笑いが起きて欲しいってタイミングでひっくり返すと、笑いが起きやすい』ってこととかも教えてもらって。目から鱗が落ちる感覚で。で、2回戦でまあ信じらんないくらいウケて。僕が生大喜利やってる中で一番ウケたんじゃないかって今でも思ってるぐらいウケたんですけど」

アドバイス通り改善した結果、文句を言わせないくらい笑いを取ることが出来た。そして、1ヶ月後の本戦に挑むことになる。

「そんなにめちゃくちゃドカンドカンってウケたわけじゃない」とは、後から本戦の映像を見返してみての本人の感想だ。やっている最中は、すべっても気にすることなく、手を止めずに回答を出し続けていた。

結果的に、「優勝するぞ」と気負っていなかったのが良かったのか、FINALステージで2位の出場者に大きく差を付けて、六角電波は優勝する。最年少王者の”誕生”だった。

「初の生大喜利で、天下一武道会優勝という、多分この先破られないであろう記録を作ることが出来ましたという感じでした」

ここまでは、当時界隈に居なかった人も、なんとなく知っている。肝心なのは、あまり語られることが無い、その後の話である。

「やったじゃん、俺めちゃくちゃ才能あるじゃんってなったんですけどやっぱ。その後正直僕全然だったんですよ」

優勝してしばらくは、生大喜利で苦戦していた。さらに、2010年代前半は、天下一の運営が開く「修行会」や、無名の芸人が多数出演する”地下ライブ”に出るくらいしか、大喜利が出来る場が無かったので、腕を磨く機会も少なかった。

詳細は後述するが、六角電波はこれまで様々な大喜利大会を主催している。虎猫の章で記述があったように、区の会議室を借りて、そこで大喜利会を開けるようになったことで、大喜利が出来る場が生まれていった。今では東京に住む多くのプレイヤーが登録している、杉並区の公共施設予約システム「さざんかねっと」を見つけてきたのは、他でもない六角電波だった。

2013年頃から、会議室で大会を行うようになる。同じ時期に開かれるようになった、虎猫と冬の鬼と鯖鯖鯖んなによる「重力、北京、ナポレオン」という会や、大学のお笑いサークルから人が流れて来たことによって、生大喜利の人口が徐々に増えていく。

六角電波自身も、2015年2月に開催された「喜利の王決定戦」という大会で優勝(その時は雑魚という名前)するなど、自身の回答スタイルを進化させ、実績を積み上げていた。

EOT連覇

六角電波を語るうえで、どうしても外せない大会がある。それが「EOT-extreme oogiri tournament-」だ。過去のインタビュー出演者で言うと、ぺるともが第6章(第6回)で優勝している、羊狩りがMCを務める大規模な大喜利大会である。

予選では、一答ごとにその回答が面白いかどうかが審査され、獲得ポイント数が上位の者が本戦トーナメントに進出できる。1対1で競う本戦では、3分間という制限時間の中で1問のお題に挑み、より多くの観戦者が面白いと思った方が勝ち上がる。よく「予選は加点式、本戦は印象式」という言葉で説明がなされる。

大喜利プレイヤーでも、様々なタイプがいる。手数を出すのが得意な者、長考して、重い一撃を繰り出す者など。六角電波は前者にあたる。

加点も印象も強いプレイヤーはめったにいない。途中で審査基準が大きく変わるEOTでは、どちらも得意であることが求められる。勝ち進むのが困難とされる大会で、六角電波は個人戦を2連覇している。

最初の優勝は、2018年5月に行われた第3章。予選前半ブロックを5位で突破した六角電波は、強豪たちをなぎ倒して優勝した。特に、関西のプレイヤーであるCRYとの対戦となった決勝戦では、信じられないスピードで爆笑を起こし続け、誰の目から見ても彼のワンサイドゲームであった。

今から遡ること5年前。2017年の3月に、EOTの第1章は開催された。六角電波は当時から出場し、得意な加点ルールの予選は突破している(タッグ戦である第4章も含めて、第6章まで予選で敗退したことは一度もない)が、優勝するのは無理だと思っていた。

「数は出せてるんだけど、人の心に残る一撃みたいなのがあんまり出せないというか。印象式というルールには結構苦手意識があって、無理かなと思ってたんですけど、第3章の優勝からかなり意識が変わったというか。タイマンだったら勝てるなっていう風になってました」

六角電波は、お題に答えている最中は、他の対戦者の回答を全て聞くようにしている。EOTの予選では、自分を含む7人が同じお題に同時に挑むということもあり、追いきれない場合もあるが、1対1の形式なら、回答を聞くべき相手は1人。難なく把握することが出来る。

対戦相手の回答を聞くことで、まだ誰も使っていない「お題にまつわる単語」を導き出したり、攻め方の方向性を決めたりすることが可能になる。「自分と相手の回答が被らないようにする」というプレイスタイルは、ネット大喜利に挑んでいた時からそうだった。

数人の参加者が、お題に一問一答で答えるネット大喜利。投票で順位が決まるのだが、投票の期間は、投稿された回答がサイトに上から下へと並んでいる。その時に、他の答えと内容が似通っていたら、票が入りにくくなってしまう。

「今ではEOTは、ちょっと僕にとって得意過ぎるルールかなぁという感じになってて」

優勝からおよそ10か月後に行われた、EOT第4章。過去3回はどれも個人戦だったが、今回はタッグ戦だ。個人的に仲が良く、面白いと思っていた謹製というプレイヤーと共に挑み、結果はベスト4に終わる。「個人戦よりチーム戦の方が緊張する」とは本人の弁だ。

2019年10月に行われた、個人戦の第5章。まず六角電波は予選を突破する。本戦トーナメントでは、虎猫主催の「始めの一歩」で生大喜利を始めたおせわがかり、その回まで必ず本戦に進出していた田んぼマン、同じく「始めの一歩」出身のジョンソンともゆき、初出場で決勝まで登り詰めたラパスを倒し、見事個人戦連覇を果たした。

「5章に関しては『あー、勝っちゃったなー』って感じはちょっとありました。僕は結構その(大喜利を)見る側としても好きで、10年くらい見てて、『誰が成長して』みたいな戦記物というか、割と物語性で見ても生大喜利を楽しんでて。でも5章の時は『ここでオレが優勝しても面白くないかも』って思いながら優勝しちゃったっていう所があって」

あまりにも冷徹な客観視だと思わざるを得ない。

次に大会が行われたのが、2020年3月。コロナが生活に影響を及ぼし始めた頃だ。出場を辞退する者も多数出る中で、その時点で出来得る限りの対策を取って開催された。

ここでも予選を突破し、まず本戦1回戦でFANに勝利する。2回戦で行われたぺるともとの試合は、片方がウケればもう片方も負けじと返す、一歩も譲らないベストバウトとなった。再延長までもつれ込んだ結果、最終的にぺるともが勝利する。

「ぺるともさんに負けた時は凄いホッとしたというか。『また優勝出来そう』って思える調子だったので、6章の時も。ぺるともさんがメチャクチャ強くて再延長まで行って、きっちり負けて。恥ずかしくない負けだし、これがストーリーとして一番良いなと思いながら負けられたので、良かったなあという気持ちはあります」

ちなみに、EOTは次回の開催がすでにアナウンスされている。自分が勝っても面白くないとは思いつつも、今の所出場しないという選択肢は無い。

「王者は負けるまでが王者じゃない?って俺は思っているので。優勝した大会はなるべく勝ち逃げはしたくないというか、倒される所までちゃんとやってこそかなあと思ってるので。一応2回優勝してるし、まだ王者ヅラして出てって倒されることに意味はある気がするので、出たいですね。予選で落ちたら普通に引退するかもしれないけど(笑)まあ加点で負けはしないので、多分。今までベスト16とベスト8と優勝はあるので、ベスト4か準優勝あたりが一番良いかなと思っています」

印象的なイベント

他に印象に残っている大喜利イベントは無いか聞いてみると、「OOGIRI GOO」と「大喜利素人王」の2つを上げてくれた。私はどちらも名前すら知らなかったので、一から説明をしてもらう。

まず「OOGIRI GOO」は、2011年4月16日に新宿で行われたイベントだ。この日は元々第13回大喜利天下一武道会が開催される予定だったが、東日本大震災の影響で延期となってしまった。その代わりに行われたのが、アマチュア大喜利の複数の団体が共催するチャリティイベント「OOGIRI GOO」だった。

大喜利天下一武道会の運営はもちろん、ミュージシャンのPOAROによる「POARO大喜利」や、”ラジオ”番組の投稿者をフィーチャーした「ハガキ職人ナイト!」などの団体と深い関わりのある面々が、それぞれの企画を担当する、大喜利のフェスのようなものだという。

「これはもうこの先起きないだろうなっていう所を含めても、凄い印象的なイベントだったというか。違う界隈の人達が集まって、一個のイベントを作ってやってたっていう経験。すごい空気も独特で。勝ち負けを競っているわけじゃないから緊張感があるわけじゃないんですけども、『ここはどういうことをしてくるんだろう』みたいなことを考えながら皆で観る感じというか、『この人ってどういう大喜利をするんだろうな、ゆっくり見たことないな』みたいなことを考えながら皆で観てる凄い独特な時間で」

いわゆる「界隈」や「出身」だけで考えると、その人が所属している場所や、大喜利のルーツとなるものは、10人プレイヤーがいたら10人とも違うものとなる。今でこそ「ネット大喜利から始めたけど生大喜利も積極的に参加している」といった具合に、それぞれが身を置く世界の境界線などあって無いようなものだが、2010年代前半は、「この人は生大喜利の人」「この人はネットの人」のような、明確な「派閥」があった。

「大喜利」の中でも所属している場所が別れていたあの頃、独自の活動を行っていたそれぞれの界隈が、一つのイベントを作り上げるために動いた。現在とは大きく環境が違うからこそ生まれた、二度と成し得ない”瞬間”。

もう一つ印象に残っているイベントとして上がった「大喜利素人王」は、ワタナベエンターテインメントの芸人養成所「ワタナベコメディスクール」主催の大会で、ネット予選を勝ち上がれば誰でも出られる大喜利の大会である。10年ほど前に2度行われていた本大会で、六角電波は2回とも優勝している。その時の優勝賞金3万円は、関西で行われていた大会「鴨川杯」に出場するための旅費として使った。

そのイベントの観客は、アマチュア大喜利の存在を知らないであろう人達。いわゆる「普通のお笑いライブ」として公演を観に来たお客さんの前で、何者かもわからない自分が大喜利をしても、ウケるわけがないと思っていた。しかし、想像以上に笑いを取って、優勝までしてしまう。

「ネット大喜利的なお笑いってすごい狭いもんだと思ってたんですけど、案外普通のお笑い好きのお客さんにもめちゃくちゃウケるんだなって思ったのを覚えてまして。その後に大喜利千景(芸人と大喜利プレイヤーが同じ舞台で大喜利をするライブ)が出来て、一般の人がバンバン普通のお客さんの前で大喜利やってウケるような状態になったので、感慨深いというか、時代の変化の兆しみたいなのを一足先に見てたなっていう感じがします」

ちなみに、優勝時にはワタナベエンターテインメントから「放送作家にならないか」「養成所に入らないか」などの誘いがあったが、全て断っていた。おそらく、プロの世界でも活躍しそうな素人を事務所に引き入れるつもりで開いた大会だが、連覇した人物が拒否したためか、大会自体が無くなってしまった。後に、優勝したら養成所の学費が免除される、一発ギャグの大会に変わっていたそうだ。

数々の主催イベント

ここからは、六角電波自身が主催する大喜利イベントについて、詳しく書いていく。

彼が得意とするのは、競技性が強いイベント。4人目に取材したFANのように、企画を通して気軽に大喜利を楽しむものは少なく、はっきりと勝敗が付くものばかりだ。

「完全に一から僕が考えたっていう大会は少なくて、そういう大会あったら面白いじゃん、でも無いじゃん、じゃあ俺がやりますかって感じで動いてます」

六角電波が大会を実施するうえで重視しているのは、あくまでパッケージ。「加点式」「印象式」という大喜利をする者なら誰しもが経験したことのあるルールをベースに、お題の出し方や、出場者の挑み方に工夫を凝らしている。

「印象的な主催イベントは何か?」という質問に対し、最初に名前を上げたのが、2020年3月上旬に行われた「The Order」という大会である。

5人組のチーム戦であるThe Order。チームの人数の面から見ても、他では例を見ない形式である。元々は、「生大喜利のチーム戦は色々出たけど、めちゃくちゃ協力してるってルールがあまり無かった」という所から始まっている。

先鋒から順に戦っていく勝ち抜き戦のルールだとしても、結局行われるのは、先鋒同士の個人戦。一人強力な人がいたら、その人の力だけで勝ち抜ける可能性だってある。

The Orderの原型となるルールは、大会開催から数年ほど前に「喜利の箱」(かつて池袋に存在した大喜利専門のスペース)でテストプレイが行われた。チームのリーダーが事前に出されるお題を見て、自分を含む5人のメンバーを先鋒から大将まで振り分けて、1対1の勝負を5回行うというのが当時のルールだったが、手応えがあるほど盛り上がることは無かった。

考えた結果、「チームのリーダーが4問のお題を見て、各メンバーが必ず2回出られるように自由に振り分ける」というThe Orderのルールが完成した。当日まで一度も試せず、本番を迎えたわけだが。

「これどうなんだろうなーと思ったら、まず最初の『コンティニューコイン』っていうぺるともさんとかハシリドコロさんのチームが、いっぺんに5人出すっていうのをやって。すごい盛り上がった後に、でも一回5人出しちゃったからその後は2、2、1とかにするしかなくて数的不利になって、でも最後に一人残ったベランダさんが(勝負を)決めてくれるみたいなことをやって、それが上手くいってたのを見て『この大会は絶対に面白くなるぞ』ってガッと思って。その後凄い思ってた通りに全部最後の最後までめちゃくちゃ盛り上がって、あれは自分が頭の中で思い浮かんでいたものが全て上手くいったっていう成功体験でした」

時間はかなり押してしまったそうだが、会の中で盛り上がりのピークを持続させて、描いていた”シナリオ”通りに、”ゲームの終わり”までたどり着いたのは間違いない。

もう一つ印象的なイベントとして、2020年11月に開催した「大喜利文化杯」を上げた。70人の出場者が競い合い、警備員が見事優勝した本大会では、150人を収容できる会場で行われた。

その人数の規模の大会が行われたこと自体は、過去の記録を見ても特別珍しくはない。しかし、EOTにしても鴨川杯にしても、チームで一つのイベントを動かしている。会場の手配、出場者への伝達、当日の司会進行といった様々な役割を、一人でこなした例はあまり見当たらない。

とはいえ、ソーシャルディスタンスを取るために、参加人数の倍のキャパシティは必須。やろうと決めたのは自分だが、胸の内では「無理だろ」と思っていた。

「ホールの下見をして、『これ一人でも回せるかな』と思って、(当日)回して、ほとんどトラブル無く全部完全に回しきれて、『一人でも全然ホールの大会って回せるな』ってなって、あそこからかなり選択肢が広がった大会として覚えてますね」

大人数を一人で仕切れることに気付いた六角電波は、その後、再び広い会場で「運命戦」という大会を実施する。その大会も、大きなトラブルが起きることなく終わった。

六角電波には、イベントを主催するうえで注意を払っていることがある。何か問題が発生しても、なるべく動じないことだ。

「主催が不安そうにしてる大会は、参加者も不安になるので、あんま見せないようにはしてます。『これめちゃくちゃやべえ』っていうトラブルが起こっても、一旦『なんでもないです』みたいな顔をして『ちょっと5分だけ待って下さい』みたいなことを言ったりとか。どうしてもダメだったら、なるべくバレないように一人にだけ「手伝ってください」と相談したりとかして。なるべく良くないことが起こってるっていうのは悟られないようにするっていうのはかなり意識してますね」

事が大きくなる前に解決するという術は、トラブルに対してすぐ慌てていた、地下ライブの司会者を見て、反面教師にしようという心掛けから来ている。数年前の出来事が、今でも生きているから驚きだ。

「あの頃の経験はやっぱりしてて良かったと思います」

この人の大喜利に驚いた

自分が答えるだけでなく、様々な場で、長年多くのプレイヤーの大喜利を見てきた六角電波。最初の衝撃は、大喜利天下一武道会が主催する、初心者に向けた「ビギナー会」でのこと。ゲスト枠で呼ばれた彼が、「大喜利上手すぎない?」と思ったのが、現在まで多数の優勝と、大喜利ライブ出演の実績を持つ、冬の鬼だった。

「ネット大喜利をそこそこ長くやってる人みたいな回答を出してて、でも聞いたらネット大喜利とか全然してなくて、Twitterでお題に答えてるだけですって言われて衝撃的で」

もう一人、回答の完成度に人物がいる。それが、私が6人目に取材したぺるともだ。ぺるともが生大喜利2回目の時に見た六角電波は、「初心者じゃなさすぎる」という感想を抱いた。その後、自身が主催する「中央杯」という大会で、ぺるともは初めて大会で優勝する。そういった過去があるからこそ、EOT第6章での対戦は、感慨深いものとして覚えている。

「あとはやっぱりアオリーカさんですね」

2017年に生大喜利デビューしたアオリーカ。大きな大会での優勝経験は無いものの、自らがボードに書いたシチュエーションを瞬時に演じる劇場型の回答スタイルは、毎回周りを圧倒させる。

「アオリーカさんは初めて出た大喜利大会で決勝行ってるんですよ。良い答えいっぱい出してて凄いなと思ったんですけど、そこから数回大喜利会出た後で、『大喜利うどん杯』っていう大会があって、そこでアオリーカさんが、いわゆる”フィジカル”って言われてる演技とか身振り手振りとか声色とかをすごい使った回答が出来るようになってて。凄いなと思って」

また、やる側としては「お題に沿った大喜利」しか出来ないが、見る側としては、「お題から全然想像も出来ない所に吹っ飛ばす大喜利」が好きだと語る。

六角電波が大喜利を始めた頃に活動していた、さくらんボウイというプレイヤーは、「本当にお題からぶっ飛んだ答えばっかり出してる人」だったので、インパクトのある回答と共に、存在をはっきりと覚えている。

「うっさんっていうゆるキャラの写真で一言ってお題で、『着ぐるみに裂け目が出来て中からハガキ職人がたくさん出てくる』っていう絵回答をしてたりとか。どういう思考回路を辿ってそこにたどり着いてるのかがわからないみたいな回答で」

さらに、その路線の「二大巨頭」として認識しているのが、見る目なしと奇形ブスの二人。六角電波はその二人と組んで「天下一チームバトル」に出場したこともある。

「見る目なしさんはつい最近の『続大喜利文化杯』で『客も店員も全員目隠ししてるファミレス「ブラインドガスト」で起こりそうなこと』ってお題で『目隠しされてるから全く誰も気付かなかったんですけど、店内に田尻智が3人いた』って答えてて。めちゃくちゃなんですけど、お題から外そうって考えてるんじゃなくて多分本人の中で論理があって出してる回答みたいなのがあって」

奇形ブスに関しては「ロジック的なものが一切ない」と評する。

「思い出せないんですよねこの人の回答って、お題との関連性が見えなさすぎて。天下一の『バラエティ番組で「なんだその演出?」と思ったシーン』ってお題で『爬虫類の目の中の線で戦っている』って出してて。僕はこの人の回答が、後ろから頭ぶん殴られるみたいで、僕に絶対出せないっていうのを含めて凄い憧れがあって」

衝撃とは少し異なる部類だが、東北のプレイヤーであるキミテルも、六角電波を驚かせた人物だという。2020年以前は、頻繁に東京の大喜利会に参加していたキミテル。六角電波が注目しているのは、今日までの実力の変遷だ。

「本当に最初の頃は…なんだろう「わー初心者だなあ」っていう答えを出してて。そこから2年くらいずーっとそんな感じだったんですけど、T-OST(トースト)って大会で『そのまま過ぎるだろ!』って回答を出してボカーンってウケた後に、一気にディープな大喜利をするようになって、今では普通に強豪の一角になって。ずっと見てきた人として凄い感動的でした」

六角電波が2017年3月にしていた、とあるプレイヤーのツイートに対するリプライ。そこには「生大喜利は、強くなろうとする人は必ず強くなります」という一文があった。数年経った今でも、その持論は変わるどころか、より強固になった。

「今全然結果が出ない人は、折れさえしなければどうにでもなるから、頑張って欲しいなと思ってます。最近だときりまるさんが本当にそうですね。きりまるさんは生大喜利だけじゃなくてネット大喜利も積極的にやってて、最近どっちも一気に伸びてきてて。場数ちゃんと踏んで、”反省”って言うと重いけど、すべったことを次に活かせると、一気に簡単に強くなるなって思います」

主催として、プレイヤーとして

「生大喜利のプレイヤーとして出来ることが、もうそんなに無いかなと思ってて。大会に強豪として出て、負けて大会を盛り上げる役になれたら良いなあと思ってるくらいで(笑)」

デビューから現在まで、関東の大きなタイトルはほぼ獲得してきた。勝つことは好きなので、今後も大会に出場はするつもりだが「成長が見えない」という言葉が語るように、上を目指そうにも目指す上が無い。

とはいえ、大会を主催する人間としては、まだやれることはあると感じているそうだ。

「ホールを回せるようになったという経験もありますし、(2019年度の)四季杯とかも止まってるんで、そういったものを動かしていきたいっていうのもありますし、あと3月にまた新しいことをやろうとしてます。自分にどれだけ出来るか不安ではあるんですけども、新しいチャレンジとしてやっていきたいし」

最終的には「生大喜利が誰でも出来る気楽な趣味であり続けられるようにしたい」という望みがある。

「大喜利の人がお笑い芸人さんと共演したりとか、よそのメディアに呼ばれたりとか、そういうことになる人も増えてきてて、夢があるなあっていうのはそうなんですけど、そういう人のものだけじゃない趣味にはしていきたいなとは思ってて。そこはせんだいさんがめちゃくちゃやってるとこなんですけど、僕はそれとは別に、新しく入ってきた人達が次のステップとして『ちょっと人と戦いたいな』っていう時とか、そういう所を支えていけたら良いなと思ってます」

ちなみに、プレイヤーとしての展望は「そんなに無い」とは言いつつも、「僕が頑張っても全然勝ち進めませんわっていう風になったら良いなとは思います」と語ってくれた。

「強豪みたいなポジションが居心地悪い」という話を聞く限り、「強者を自称出来るほど強くない」というのが、六角電波の自己評価なのかもしれない。

「僕が下の方になってきて、全然大会とかで名前も挙がんないみたいな状況になってきたら、そっから『いや、なにくそ、もう一回優勝してやる』みたいな感じになるんじゃないかなと自分では思っているので、そうなったら良いですね」

おわりに

1時間40分の取材が終わった。

途中で大喜利会の主催についての雑談が挟まったので、実質90分ほどの取材時間になったにも関わらず、このボリュームの記事になった。

この取材をするにあたり、六角電波の過去の大喜利に関するツイートを遡って見るという事前準備をしていた。それは大いに役に立ったが、実際に出たのは、普段のツイートだけでは知ることが出来ない話がほとんどだった。

私も大喜利の会を開いたり、界隈の中で企画を打ち出したりすることがある。このインタビューだってその一つだ。

大喜利の世界に足を踏み入れたからには、自分の力で貢献したい。かつて抱いたそんな気持ちを、この取材で思い出させてくれた。

さて、プレイヤーとしては強くなる一方の六角電波だが、仮に多くの人の貢献により、大喜利の人口が爆発的に増えたなら、彼が望む未来が訪れるかもしれない。

六角電波に"白い旗"を上げさせるほど強い、未来のルーキーがどこかにいる。そう考えると、大喜利を続けて、界隈のこの先を見ることが、少し楽しみになるかもしれない。

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