欲望と希望と絶望。「ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!」

本にしろ音楽にしろ「最新を追えない」ことはよくあることなのだろうか。それとも自分だけが抱えている悩みなのか。

本が好きなので、常日頃から書店の新刊コーナーや書評サイトで、最新の本をチェックする。気になる本を見つけたら、読書履歴を記録するアプリを起動し、「読みたい本」のリストに入れる。これを買うのは今の積読と、他の「読みたい本」を読んでから…と思っていたら、読むのが発売からだいぶ後になる。そういったことがざらにある。

2021年になったというのに、まだ「読みたい本」のリストには、2020年に出た本が並んでいる。去年読んだ本の中に、去年出版された本は数えるほどしか入っていない。

そんな読書状態の自分は、はっきり言って好きではない。本はジャンルを問わず、時勢を表し、社会を反映しているものだから、話題が新鮮なうち、新しいうちに読むべきだと強く思う。

この記事で書くのは、私にしては珍しく発売したすぐ後に読んで、「2020年のうちに読んで良かった…!」と心から思った本についての話である。その本こそが「ヨシキ×ホークのファッキン・ムービー・トーク!」(イースト・プレス)である。

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本書には、共に映画ライターの高橋ヨシキさんとてらさわホークさんの対談が、5つの章に分けて収録されている。二人は20年来の仲で、これまで何度も映画について語り合ってきた。そしていつからか、特定の映画にまつわる話から、作品を取り巻く社会の現状に関する話へ話題がシフトしていった。普段二人がしている映画とその環境についての会話がそのまま本になった、というのが本書の趣旨である。

本書で扱っている話題は、「日本のガラパゴス化」「ポリティカル・コレクトネスについての議論」「#MeToo」「ディズニー映画の現状」など、ここ数年の社会問題総ざらいと言っても良いラインナップである。

二人は各トピックについて、何が問題とされているのか、現在その周辺で何が起きているのかといったことを事細かに説明しながら、それらについて安全地帯から間違った主張を振りかざして、悦に入る人々を徹底的に批判する。「社会問題に切り込む」というよりは、「社会問題に、第三者が手を加える隙の無い正論を真正面からぶつける」という表現がよく似合う。

一つ一つの発言が素晴らし過ぎて、全てに線を引いたり付箋を貼ったりしたくなる。本書では強調したいであろう部分が太字になっているが、太字ではない部分も非常に重要である。丸々引用していたらキリがないので、このnoteではあえて引用をせず解説することにした。

ヨシキさんとホークさんが持っているのは「独自の目線」のような特別な物ではない。物事が最終的に良い方向に行ける手段を考えるための、人として当たり前に持っていなければならない思考だ。本書は、議論にすらなっていない様々な不毛な議論に終止符を打つための役割を担っていると勝手に思っているが、二人の意見が世に出たら「批判ばかりで行動しない」と言われて終わるんだろうなと思えて仕方ない。

本書は時事問題を取り扱っているので、いずれは話題が古くなるのが当然である。しかし、私にはいつまで経っても同じ話題で、進歩の無い論争を繰り広げている未来しか見えない。

そして、読了後に残るのは「自分も時事問題についてこれくらい深く語りたい」という欲望と、「社会問題についてまだちゃんと語れて意見出来る人がいる」という希望と「今の日本は問題山積みじゃないか」という絶望である。結局本書は、文中で批判されている人たちには一切届くことなく、書店の平積みから外されてしまうのだろうなと、一人で嘆くのであった。

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