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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】脳髄筋肉-その名は全国に轟く-

はじめに

関西のプレイヤーを取り上げるのは、まな!以来である。

今回インタビューしたのは、数年前までほぼ関西のみで生大喜利を楽しんでいたが、いつからか大喜利のために日本中を飛び回るようになった人物だ。

彼こそが、本記事の主役、脳髄筋肉である。

関西であれば、どんな若手プレイヤーでも、脳髄筋肉のことを知らないという人はいないだろう。その理由は二つある。
まず、比較的キャリアの長いベテランでありながら、どんな小さな大喜利会にも参加しており、そこで結果を残し続けているということ。

そしてもう一つ。Radiotalkというアプリで配信している、「脳髄筋肉と木曜屋のはよねろラジオ」という大喜利に関する話題を取り上げるラジオが、たびたび反響を呼ぶこと。それによって、自然と彼の知名度も上がっていく。

もちろん、彼の多方面から愛されるキャラクターや、きつい言葉選びでもとげとげしく感じない天性の才能など、様々なプレイヤーが慕う要因は多い。

私としても、彼と話すことに対して、あまりプレッシャーを感じていなかった。どんな話が聴けるのか、非常に楽しみである。ちなみに、インタビューを依頼した瞬間は、こちらが「そこまで驚かなくても」と思うくらい驚いていた。

2024年07月23日21時20分、インタビュー開始。

大喜利を始めたきっかけ

脳髄筋肉が「大喜利」という文化に初めて触れたのは、高校生の時。ハガキ職人の友人に、日常会話の中で、お題のようなものを吹っ掛けられていたのがきっかけである。その時はあくまで「単なる遊び」「大喜利っぽいこと」に過ぎなかった。

「まあ仲間内では面白い方やったよっていうぐらいだったんですけど。そこでは、これをずっとやり続けようみたいなことは思ってなかったし」

大学進学後に、NHKで視聴者投稿型の大喜利番組「着信御礼!ケータイ大喜利」にボケを送り、1度採用されたことはあるが、それより上には進めなかった。

「この京都府のすり身って人面白いなーって思いながら」

大学卒業後、今度は別の大学に入学するという少し珍しいルートを辿ることになった。ちなみに、法学部を卒業してから、薬学部に進んだという。

薬学部の研究室に入ったものの、周囲には、自分とは真逆の真面目な学生しかいなかった。

「なんか面白いことやりたいなー、面白い友達作りたいなーって思いながら、深夜ラジオ聴いてたんですね」

聴いていた番組のラインナップの中には「ポアロのあと何分あるの?」というネットラジオがあった。「ポアロ」は伊福部崇と鷲崎健による音楽ユニットで、大喜利との関りも深かった。

「ポアロの2人がやってる大喜利イベントみたいなのをDVDで観たんかな?それで『大喜利すげー!』ってなってて」

そして、2009年頃に、ポアロのクリスマスライブに行った際に、ベテラン大喜利プレイヤーであり、ハガキ職人としても有名な、ステイゴールドと出会う。

「そういうのもあって、大喜利界隈に進む道がどんどん固められつつあるなっていう感じでしたね」

大きな転機となるのは、ポアロきっかけで繋がったハガキ職人たちが、年末に挑んでいた「108問108答大喜利」なる企画である。大喜利のお題がまとめて108問出されるので、それに1答ずつ答えたものを、自身のブログなどにまとめて、各々が発表するというものだった。

「『なんだろう、僕もわかんないけれども、そういや昔から大喜利って何回かしたことあるし、やってみようかな』って思って、軽く108答して」

その企画を行っていたのが、「純豆腐の会」という団体で、主催がひらたいであることを後から知る。ひらたいという人物が何者なのか調べていくと、こんな事実が発覚する。

「どうやら関西の人だと。どうやら関西で面白いことやってる人達がいるぞって。しかも『オオギリクレイジー』っていうイベントに出てるらしいと。よく分かんないけれども、行けるし、行ってみようっていうのが2010年の暮れか2011年の1月とかかな」

イベントを観に行くことを決めた脳髄筋肉。イベントの開催場所は、「レジャービル味園」にある「なんば白鯨」というアングラ感漂うライブハウスだった。会場は独特な雰囲気に包まれていたが、いざ大喜利イベントが始まると、そんなことはもうどうでもよくなった。

「めっちゃくちゃ面白くて!『すげー!芸人さんじゃない人も混ざってるのにめちゃくちゃ面白い!』ってなって。『こんなことをしてる人達が関西にいるんだ!』って」

ライブ終了後、出演していたひらたいに「面白かったです!」と声を掛けた。すると「純豆腐の会にあなたも来ませんか?」と誘われたのが、生大喜利デビューのきっかけである。

その後、自分への誕生日プレゼントとして、ホワイトボードとマーカーを買った。

「ちゃんとここでボードマスターを買ってるのが”嗅覚”よね」

生大喜利デビュー

2011年の上半期に「純豆腐の会」で生大喜利デビューをした脳髄筋肉。その会には、すり身や店長などの現在でも大喜利を続けている者はもちろんのこと、今では第一線から退いているが、当時強豪とされていたメンツも多数揃っていた。

「脳髄筋肉のデビューは、純豆腐の会のミニトーナメントで、店長君に負けるところからスタートするんだよ。初めて大喜利やって初めて負けて、みんな面白いなーって思いながら」

そのミニトーナメントは、当時隆盛を誇っていた動画配信サービス「Ustream」で配信されており、その様子を、脳髄筋肉のことを面白い人だと思っていた、彼の後輩が偶然観ていた。

「仲間内で脳髄さんが面白いっていうことを知ってたから、脳髄さんが勝つと信じて疑わなかったみたいで、負けたことにめちゃくちゃ衝撃を受けてて『世界にはもっと面白い人がいっぱいいるんだ…!』みたいになってたらしくて(笑)」

様々な企画で大喜利を楽しんで、残った感情は「この中で一番じゃなかったけど、ある程度出来るぞ俺」という前向きなものだった。

ちなみに、その会で行われた企画の一つとして、他人の回答にガヤを積極的に飛ばすというものがあった。

「ソバ2さんと二人でめちゃくちゃガヤってて。そこで、関西大喜利界隈で生き抜く、基礎体力をつけられたって感じ(笑)」

初優勝

脳髄筋肉の大会での初優勝は、2014年6月の「第3回大喜利未来杯」。彼と同じく2011年デビュー組である、やまおとこ主催の大会だ。

「2011年に大喜利を始めるんだけど、薬剤師国家試験を受ける関係で、しばらく休んでるのよ」

その間は、プレイヤーとしては参加せずに、たまに大喜利イベントを観に行ったりしていた。また、オオギリクレイジーからライブの手伝いを頼まれることもあったので、それを口実にして勉強を休み、大喜利との繋がりを保っていた時期でもある。

「で、2013年の末くらいに復帰し始めるんだけど。『オオギリダイバー』に空いてる枠があって『出て下さいよ』って言われて出たのが復帰のきっかけ。久しぶりにやったらめっちゃウケて勝てて『ああやっぱり俺大喜利やりたいねんな』って思いながら」

しかし、復帰しようと決めた直後に出場した「大喜利天下一武道会」の大阪予選では全くウケず、危うく心を閉ざしかけることになる。

ただ、2014年に入り、たまたま参加した「大喜利鴨川杯」(関西の大規模な大会)の練習会で、オオギリダイバーの時のように大きくウケて、再び前向きに復帰を考えるようになった。

「こんなウケるんやったらやろうかなっていう。ハハハハハ!辞めようかな、続けようかなっていうのを繰り返していたのが、2014年の前半だったかなって」

復帰しようと決めたのは、当時まだ関西にいて、積極的に大喜利の場に参加し、大会でもよく決勝に進んでいた、のりじゅという人物に、タッグ戦の大会に誘われたことがきっかけだと回想する。

のりじゅさんと組むのなら、当日下手な真似は出来ないと考えた脳髄筋肉は、大喜利の勘を取り戻すために、以前より積極的に大喜利会に参加し、徐々に調子を上げていった。参加した会のうちの一つが、6月の未来杯だ。

この時の未来杯のルールは、1stステージと2ndステージがあり、1stは7人の審査員が3票を各ブロックの6人に振り分けて、その順位に応じて2ndのメンバーを決める。実質、決勝に進むメンバーを決めるのは、2ndステージの成績となっている。

「2ndステージで、めちゃくちゃウケた。その当時で言うと、人生で一番くらいウケた。『こいつボクシングのこと分かってないだろと思ったボクシングの実況、何と言った?』みたいなお題で『何の恨みがあってこんなことを…』って言ったらドカーンとウケて、今日イケるイケると思いながら」

2問目3問目も大きくウケて、見事決勝へ進出する。

「決勝のメンツが、不治ゲルゲ、ノディ、鞘、貯蓄アンドザシティ、番茶が飲みたいっていうメンツで。なんていうの、当時のボスラッシュみたいな感じの決勝で。その中で無我夢中でやって勝てたから、夢みたいやった。初優勝は感慨深いというか、これまでの大喜利人生が報われたじゃないけど、集大成みたいな感じで勝ったなっていうのを覚えてる」

印象的なイベント

ここから先は、印象に残っている大喜利イベントを聞いていく。脳髄筋肉にとって印象的なイベントは「めっちゃあるよ!」とのこと。

まず最初に思い浮かぶのは、これまで様々な大喜利イベントが行われてきた、「なんば紅鶴」「なんば白鯨」のオーナーである、「B(ぶっちょ)・カシワギ」という人物が主催してきた、大喜利に何か別の要素を掛け合わせたイベントである。

「AIBO、キルヒホッフ、ジャスティスK、永久保存、僕は、ぶっちょさんの大喜利イベントに結構呼ばれるメンツで。ぶっちょさんに、ジャスティスKと永久保存と僕は『味園の大喜利三賢人』と呼ばれていて(笑)それは『どこに連れて行っても大丈夫』っていう確信があったみたいで」

B・カシワギを通じて、とある有名企業の本社の大ホールで、イベントに近い研修という形で大喜利をしたこともある。

「アイデア出しの方法としての大喜利、みたいな。その会社の社員さんに混じって『こんなTシャツは嫌だ』みたいなお題で、社員さんが答えやすいように動くみたいな感じで(笑)」

印象に残っているイベントは、なんば紅鶴で行われたものが多いとのこと。

「『カレー大喜利』とかね。面白かったらカレーがもらえるっていう。全員にカレーが行き渡ると、みんながカレーに夢中で誰も回答しない時間帯みたいなのがあって、『大喜利って美味しいカレーの前やったらこんな弱いんや!』って(笑)」

他にも、かつて存在した「イベントスペース・パームトーン」という京都のライブスペースでは、小説家をゲストに呼んだ大喜利イベントも行われた。その小説家の中には、大御所のミステリ作家である、我孫子武丸の名前もあった。

印象深いのは、リモートで行われたこんなイベント。

「作家さん同士で、ショートショートを皆で書いて、誰が一番面白いか決める『ショートショートバトル』とか、『4ジャンル大喜利バトル』っていう、作家さんに大喜利をやってもらったりとか。そのイベントで、僕は”顧問”をやって、作家先生がやる大喜利のお題を作るみたいなのがあって」

「4ジャンル」というだけあって、「ミステリお題」「ファンタジーお題」と言った具合に、それぞれが書く小説のジャンルに沿ったお題を出していた。それに小説家が挑むというのを自分が仕切っている光景は、かなり特殊だったようだ。

「知らないことで命拾いしたなって話なんですけど、そのイベントで、めっちゃ酒飲んで、アホみたいな回答するおっさんがいたんですよ。僕もそんなおっさん好きやから、司会しながらいじってたんすよ。『何やねんアンタ』みたいに」

そのうち、その中年男性から「あなたも答えてくださいよ」と言われた脳髄筋肉。断る理由もないので回答すると、その男性に非常にウケた。

その瞬間、他の作家の方たちの間で、空気が一変したのを感じた。その時はまだ何のことか分からなかったが、後に驚愕の事実を知ることとなる。

「後から確認したら、その酒飲んでたおっちゃんは、直木賞作家の川越宗一先生でした(笑)俺直木賞作家に『何言うてんねん』とか『酒飲んでる人は黙っててくれませんか?』みたいなことを普通に言うてたんやって思ってヒヤッとしたし」

「熱源」で、第162回直木賞を受賞した川越宗一に、知らず知らずのうちに気に入られていたのだった。

「わからへんけど、みんなも大喜利続けてたら、直木賞作家にハマる可能性がある(笑)凄い人の前で大喜利やったりとか、凄い人が笑ってくれたりすることもあるから、『みんなも大喜利続けたら?』って思うな」

「勝ち負け」と「楽しさ」

ここまで話を聴いていて、気が付いたことがある。「自分が大きくウケた」「強い相手に勝てた」といった会の話が出てきていないのだ。

さらに話を掘り下げていくと、「『勝てた』『ウケた』に重きを置いていないかも」という言葉が聞けた。

「しょっぱいパン君がやってた廃校でのイベントとか、静岡に大喜利合宿行ったりとか、そういうのはめちゃくちゃ楽しかったなって思うけど、『この「印象深いイベント」っていうテーマであの大会を語りたい』っていうのはあんまり無いな…」

元々、「面白い友達が欲しい」「楽しいことがしたい」という気持ちから飛び込んだ大喜利の世界。脳髄筋肉の信条としては、大喜利で楽しめることが大前提であることは、何も不思議ではない。

ただ、勝負の場になると「楽しさ」より「勝敗」が優先されるとのこと。とはいえ、勝敗が決まる大会でも、気持ち次第でその状況を楽しめると彼は言う。

「大会は大会で楽しさがあると思うんですよ。勝負の中で生まれる駆け引きであるとか、追い込まれることで色んな感情が生まれたりとか。『大喜利を楽しむ』っていうのは『大喜利に対してポジティブに取り組む』っていう意味合いしかないから、『勝負の場なんだから楽しむって言うのはアカン』っていう話も出てきてるけど、僕はそこにピンと来てなくて。『楽しむ』で良くない?って」

彼にとって、印象深いイベントとしては、楽しかったものが優先されるので、自分が勝った大会を挙げるのは難しいらしい。

「そんなんよりも、初遠征のイベントとか。みたいな方が印象深いかな」

遠征

脳髄筋肉の初遠征となる大会は、名古屋で行われていた「禁じられた遊び」である。

「未来杯勝った後で行ったんじゃないかな。『地元で勝っとかんと遠征なんて』みたいなことをどっかで思ってたんじゃないかなって(笑)初遠征が名古屋やから、未来を暗示してるよね(笑)」

近年では、彼が頻繁に東海の大会に参加していることで「脳髄筋肉は関西のプレイヤーではない」という扱いを受ける羽目になっているが、彼の心の中にある「東海さん、いつもありがとう」の気持ちは日に日に増すばかりである。

「初東京遠征は『天下一チームバトル』か」

個人戦である「大喜利天下一武道会」が運営していた、3人で競い合う「天下一チームバトル」。脳髄筋肉は、ノディ、卵焼兄妹と「ライナス症候群」というチームを組み、出場した。

「未だに好きなメンツ。隙あらばもう一回組みたい。関西で全然バレてない3人が、東京で大暴れするぞっていう…別にそういうつもりじゃないけれども、結果的にそういうメンツになってしまったっていう」

まだ見ぬ大喜利の場を求めて、彼は北海道にも沖縄にも行った。特に沖縄で行われている「大喜利の壺」は印象に残っている。

「大喜利の壺」は、沖縄で活動するお笑いコンビ、「めたりか」のくれという人物が、大阪の「マガユラ」というバーで毎週行われていた「マガユラ大喜利」を観て「毎週大喜利イベントやるぞ」と決めたことで生まれた。

「めっちゃ良いイベント。何が良いって、沖縄時間」

18時開始のイベントに間に合いそうになかった脳髄筋肉は「すみません、遅れます!」と連絡を入れると、「大丈夫です!みんな大体18時半から集まるんですよ」と返信が。急いで18時半に到着すると、彼は2番乗りだったそうだ。

そういった、大喜利の「お題と回答」「勝敗」以外の部分を目いっぱい楽しむのが、脳髄筋肉である。そんなことが分かってきた。

BB大喜利

脳髄筋肉は、現在2つの音声配信を行っている。ここからはそれを一つずつ説明していく。まずは「OPENREC.tv」で毎週金曜日の21時から配信されている、「BBガールズのまだまだGIRLでいいかしら」である。「パームトーン・エージェンシー」所属の、ボーカルのタジこと田嶋ゆかと、キーボードのカナこと万木嘉奈子によるユニット「BBガールズ」の2人がお送りしているこの番組では、二人のトークと、視聴者投稿型の大喜利コーナーがあり、その大喜利の審査、及びお題作成を行っているのが、「顧問」という役割を与えられた脳髄筋肉である。

彼とBBガールズに繋がりが出来るきっかけは、「カジワラコウジ杯」という京都で活動しているカジワラコウジというミュージシャンが主催の大喜利大会である。脳髄筋肉曰く「京都のミュージシャンの中で大喜利文化を根付かせようとした人」とのこと。

それの第2回に、やまおとこと貯蓄アンドザシティが呼ばれていた。それを二人から聞いて「変なの、観に行こう」と思い、当日会場に行った彼だったが、欠員が出たため、出場することになった。

大会終了後、とある女性から「うちラジオ番組やってて、大喜利コーナーあるんで良かったら投稿してくださいよ」と声を掛けられる。その女性こそが、BBガールズのカナだった。

「なんでその場に(カナさんが)いたかって言うと、第2回カジワラコウジ杯に、カナさんの当時の彼氏、現在の旦那さんが出てて」

そこで、BBガールズと、彼女たちのラジオ番組の存在を知ったのだった。

しばらくラジオに投稿していると、年間でもっともポイントを獲得したリスナーになった。さらに、ミュージシャン中心の全員オファーした出場者の大喜利大会にも呼ばれるようになる。

「あるきっかけで、その大会がオープンになったんやったっけな」

誰でもエントリーすれば出場できる大会になり、関西の大喜利イベントのスケジュールを管理している「関西大喜利カレンダー」に掲載されたことで、脳髄筋肉以外のプレイヤーもその存在を知ることになる。

その大会があった直後、以前よりBBガールズから大喜利コーナーのことで相談を受けていた彼は、「『顧問』という形で番組に出てくれませんか?」というオファーを受けて、番組に出演するようになる。主に回答にコメントをしたり、審査をしたりする役割である。

「BB大喜利」の特徴として挙げられるのは、「笑いのレンジが広い」ことだという。

「カタンさんとか、太郎左衛門さんとかのすっごい綺麗な回答VSマイドンさんの珍文・奇文みたいな対決が、毎週のようにあるっていう。木曜屋は『ガラパゴス』って言ってんねんけど。一番懐の深い大喜利コーナー。でも、月間1位獲るのはほんまに凄いこと、くらいのバランスでやってるかなっていう」

はよねろラジオ

彼が行っているもう一つのラジオ、それは「脳髄筋肉と木曜屋のはよねろラジオ」というタイトルのものである。

Radiotalkというアプリで、平日の朝に更新しているこのラジオでは、最近参加した大喜利会の話であったり、大喜利そのものについて考えたり、リスナーからのお便りをきっかけに議論したりしている。

元々、2020年の上半期に、「木曜屋の生大喜利のイベント参加回数が500回を超えたので、それを記念して昔のイベントから振り返っていこう」という趣旨の元、「関西生大喜利回顧ラジオ」がYouTube上で始まった。それの名残で「はよねろラジオ」が始まったということもあり、主体となって喋っているのは、主に木曜屋である。

「回顧ラジオは、やってるうちに思い出すのがつらい思い出がいっぱい出てきて辞めて(笑)木曜屋君は繊細な方なので」

その後、「過去の大喜利イベントを振り返る」というテーマを取っ払って、フリートークを行う「木曜屋・脳髄筋肉のはよねろラジオ」を開始する。この段階でも、まだYouTubeに音声をアップしていた。

「ラジオはやりたいからってはよねろラジオをやって、それも急に嫌になって辞めて」

その後、2020年以降に大喜利を始めた、デンジャラという人物から、Radiotalkを教わり、「これで復活してくださいよ」と懇願される。

デンジャラからの強い要望により、はよねろラジオは復活。2024年8月現在、配信回数は350回を超えている。

「今録音してるのが僕なんですけど、これがめちゃくちゃ良くて。木曜屋にこれを任すから、急に嫌になったりとか、『これアップするの止めます』みたいなことを急に言い出したりとかがあんねんけど、脳髄はもう機械的に上げるから」

木曜屋のこだわりに関しては、私が勝手に言及出来ない部分ではあるが、アップロードするしないの手綱を脳髄筋肉が握っているというのは、ラジオを続けられている要因であると言える。

また、Radiotalkでは、番組にお便りを気軽に送れる仕様となっており、たまに「人間味」むき出しの意見が届いたりするから楽しいらしい。

「『あなたの悩みはめちゃくちゃ面白いかもしれないので、試しに匿名ではよねろラジオに送ってよ』って感じですね」

好きなプレイヤー

「好きなプレイヤーねえ」

ここからは、脳髄筋肉の好きなプレイヤーを聞いていく。普段から人の回答によく笑い、他人をよく「面白い」と褒めている彼が好きなプレイヤーとは、誰なのだろうか。

「この質問見た時に『とうふも好きやし、かるあも好きやしな~』と思いながら(笑)色々考えてる中で、絶対名前出したいなって思ってるのが、二塁さん」

関西を中心に活動する、数多くのタイトルも獲得している二塁。2011年にその存在を知った脳髄筋肉は、二塁のある部分に衝撃を受ける。

「全部面白いんですよ。全部っていうのは、大喜利だけじゃなくて、ガヤであったり、打ち上げとかでの会話含めて、全部面白いんですよ。初めて見た時に、この人みたいなことが出来たら良いなっていうか、大喜利会に絶対必要な人だと思ったんですよ。しっかり今も強いしね。今もというか今が一番強いんじゃない?」

「この人がいるから、この会に行こうと思いたくなる存在」になりたいと思うきっかけになったと語る。

「あとねえ…しょっぱいパン君!大喜利のスタイルもさることながら、イベンターとしての一面もあるというか。関西には彼の遺産がめちゃくちゃ多いんですよ」

元々関西在住で、今は関東に住んでいるしょっぱいパン。関西に残る彼の遺産と聞いて、真っ先に上がるのが、木曜屋と将棋紳士が毎週定期開催している大喜利会「テトラボ」。元々この会は、木曜屋としょっぱいパンが始めたものである。

世間がコロナ渦に突入して、大喜利界隈も「どこまでだったらOKなのか」のラインが、誰も分からなかった。そんな中で、関東の方では様々な人物が、感染に注意しつつ、大喜利会を少しずつ開くことで、「可能な範囲」を見つけていった。ただ、関西は大喜利会が定期的に行われるようになるまで、少し時間が掛かった。

「っていう中で、バシっと大会とかやってくれたのがパン君やし。だから、関西にとっての大恩人っていうのもあるし、大喜利も強いじゃないですか」

功績を称えた上で、脳髄筋肉がしょっぱいパンに対して、一番すごいと思っているのは「ちゃんとした大人」であること。

「凄い憧れというか。同じカテゴリーで並べて出したいのが、Kouさんなんですよ」

しょっぱいパンがまだ関西にいた頃、2022年に開いた「大喜利飯゜杯(おおぎりぱんかっぷ)」で優勝した、関東のプレイヤーであるKou。ロジカルな回答も、間の抜けた回答も出せるスタイルを武器に、様々な大会で活躍している。

「ちゃんとした大人やし、大喜利面白いし、この二人って大喜利だけではないじゃないですか。料理だったりポーカーだったり、趣味がめちゃくちゃ幅広い。僕は、二塁さんにも通じることなんかもしれんけど、楽しそうな大人が好き。楽しそうな大喜利をして、ちゃんとしてる大人が好き。関西で言うとデンジャラさんとか、ややちゃんとしてないけどマイドンさんとかもそうなんですよ。めっちゃちゃんとしてる。あとハゲイナズマさんとかも好きなんですよ」

彼の中で、好きなプレイヤーを挙げてみて、共通点を考えた所、「ちゃんと人生を楽しんでいる大人」というキーワードが出てきたそうだ。

「そういう人に憧れるな。そうなりたいって思ってるし…なれへんのかな?ハハハハハ!でも、自分がなれるかなれないかは置いといて、憧れはするよね。大喜利以外にも趣味があったりとか、充実してるって感じが良いって思うな」

それとは別に、自分より大喜利歴が大きく下になるプレイヤー達も、好きな人物として、いくらでも挙げられる。

「将棋紳士君とかすごいイベント打つし、めっちゃ面白いじゃないですか、彼自身も。最近はそれに次ぐくらいイベントやってる短歌君もいるし。めっちゃ頑張ってるなって思う。あとイベントやってる人で言うと3104ね!いやもう関西の未来は明るいよ」

今後の展望

最後の質問。展望でも野望でも、どうなっていきたいか、どのような存在でありたいか、自由に自分の未来について答えてもらう。

「今後も多分俺は色んな所で大喜利やるんやろうなって思ってる。北は北海道、南は沖縄でやりたいなって思ってるし。この前めっちゃ行きたかったのが、長野で大喜利やってたのよ」

「君らがいない所にも、大喜利やりたい人がいて、その人と一緒に俺は大喜利がやりたいんだ」と思っているとのこと。

「カイタク(北海道の大喜利会)にも行きたいなって思ってるし、もっとフットワークを軽くしたいし。根本的なことは変わってないんですよ、面白い人と友達になりたいっていう。何かがきっかけで大喜利が出来なくなるってありそうやから、動けるうちに興味あるとこ行きたいなっていうのはちょっと思うなっていう。これを読んでいる人、何人いるかわからへんけど、『あなたの地元にも遊びに行きます』って感じよね(笑)」

おわりに

私が大喜利の競技人口が少ない広島県に住んでいるので、大喜利をしようと思ったら、関西や関東に遠征する必要がある。

知らない地域に行く遠征は、とても楽しいものである。それは非常に共感できる部分ではあるが、私の場合は「地元で大喜利が出来ないから他の地方に行く」というパターンであり、脳髄筋肉は「純粋に他の地方の人と大喜利がしたいから遠征する」というパターンなので、行動原理としては根本から異なる。

インタビュー終盤になって「勝負の場の話をほとんどしていない」ことに気が付いた彼だったが、元々「何か面白いことがしたい」という思いから始まった大喜利人生。何も気にすることはないと思う。

ラジオの相方である木曜屋が「大喜る人たちトーナメント2023」という大規模にもほどがある大会で優勝し、実質「日本一大喜利が強い人」になったことで、焦りも感じていた時期もあったそうだが、周りの助言により、今はとにかく「大喜利を楽しむ」方へシフトチェンジしている。

広島での大喜利大会を盛り上げてくれたという思い出のある私が言うから信じて欲しい。脳髄筋肉がいれば、その会は間違いなく、楽しい場と化すのだ。

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