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【アマチュア大喜利プレイヤー列伝】Red-大会を盛り上げているのは-

はじめに

2022年10月09日、「第17回大喜利天下一武道会」の東京予選がスタートした。東京予選は2日間に分けて行われ、一日に2回開催するので、計4回行われる。

1stステージを勝ち抜き、2ndステージを突破すると、2023年01月29日の本戦に進出することが出来る。ちなみに、東京予選は、4つの予選合わせて216名が出場する中、各予選6名の合計24名のみが進出という、かなり狭き門であった。

1stと2ndの両方で、大量の得点を得て突破した手すり野郎、2大会連続本戦進出のぺるとも、3大会連続のFAN、勝利時のコメントで号泣していた羊狩り、前回大会で票が得られなかった分のリベンジとなった田野など、このインタビューシリーズで過去に取材した面々が、次々と本戦進出を決めていた。ちなみに、本戦シードである4名の中には、5人目に取材した店長もいる。

年が明けて、01月08日に開催された、72名で競い合う大阪予選から勝ち上がった8名を加え、01月29日に、準決勝と決勝が行われた。東もニシも関係ないと言わんばかりに、どのブロックも熱い戦いが繰り広げられる。一個前の記事に書いた通り、優勝したのは、第16回王者の鉛のような銀だった。

本記事の主役は、その連覇を一番近い所で見届けていた、大喜利天下一武道会の主催を務めるRedである。

Redは関西の大喜利プレイヤーで、長らく休止していた天下一の復活と共に、第16回から主催を務めている人物である。鉛のような銀の2回の優勝を、2回とも間近で見ていることになる。

今回の取材で、自身の大喜利の始まりや、天下一の主催を務めることになった経緯や、大会中のシンジョウなど、語れる範囲で語ってもらった。鉛のような銀の記事とは別物だが、一緒に楽しんでもらえると幸いである。

2023年02月11日14時、インタビュー開始。

始まりはネット大喜利

Discordを繋ぐ。大喜利天下一武道会が無事に完遂したことを労い、まずは大喜利との出会いから話してもらう。生大喜利の印象が強いRedだが、原点はネット大喜利である。しかし、彼が夢中になっていた時期は、インターネット黎明期。今の「ネット大喜利」とは、だいぶ意味合いが変わっていた。

2000年頃、鳥取県在住の高校生だったRedは、NHK「爆笑オンエアバトル」のファンサイトをよく閲覧していた。そのサイトには、今でいうネット大喜利のような投稿ページがあったり、ページのリンク集から別の投稿サイトに飛ぶことが出来た。

ちなみに、当時そういったサイトで投稿を行っていて、今も大喜利を続けている人物として、まな!、番茶が飲みたい、S-Andy(現・阿諏訪 祀)、Kouなどがいるという。

大学の大喜利サークル

その後、関西の大学に入学したRed。その頃の大喜利文化といえば、「IPPONグランプリ」どころか「ケータイ大喜利」が始まるか始まらないかくらいの時期。大喜利というものが市民権を得ていたとは言い難かった。強いて言えば、バッファロー吾郎主催の対決型大喜利ライブ「ダイナマイト関西」が徐々に人気を集めていたくらいだった。

「学祭実行委員会の先輩方が、大喜利のサークルを立ち上げたんですよ」

彼が大学3年生の時、4年生の先輩が、突如として立ち上げた大喜利サークル。卒業を控えたタイミングで何をしているのかと思ったが、これには訳があった。彼の大学の学祭実行委員会は、2年生の秋に引退となる。その後は学内での役割がなくなるので、急に暇になる。そのような理由により、遊びの感覚でサークルが出来上がったのだ。

「そこに一個下の僕もちょこちょこ混ぜてもらってって感じですね。自分が主体的にっていうわけでは無かったです」

サークルの活動としては、日々特別なことをしていたわけではなく、年に一回の学園祭で大喜利をするくらいだった。芸人さんがしているような大喜利ライブを普段から開催したりといった発想は「まるでなかった」とのこと。

社会人生活2年目

大学卒業後、サークルは自然と消滅してしまい、大喜利から離れた生活を送っていたRedだったが、2011年の秋ごろ、当時大喜利をしていたメンバーに再び声をかけて、集まる場を設けた。なぜ集合をかけたのかは、今となっては覚えていないそうだが、そこで、こんな話をする。

「天下一とか、鴨川杯のホームページとかをその場でみんなに見せて、『大会ってあるじゃん』って」

自分たちが大学で独自にやっていた時は、勝敗も決めず、ただ大喜利をしていただけだったが、勝負の場があることを知った。その当時のメンバーに「全員で出て、誰かひとりが2回戦行ったらええな」くらいの軽い気持ちで、大会出場の話をもちかけた。

いわゆる生大喜利の界隈にRedが入り込むのは、このタイミングである。その後は、関東の「天下一チームバトル」、関西の「カワシモ杯」「鴨川タッグフェス」などに参加していく。

ちなみに、Red、関西のプレイヤーであるノディやFujiが所属する「社会人大喜利集団『ダイキリ』」を立ち上げたのも、この時期である。

印象的なイベント

「まずはやっぱり天下一チームバトルですかね…」

後に天下一の主催として、大会の運営に大きく関わってくるRedだが、それ以前はプレイヤーとして、様々なイベントに出場してきた。印象的だった大喜利イベントを聞いてみると、初めて出場した大会である「天下一チームバトル」を挙げてくれた。大喜利天下一武道会は個人戦だが、チームバトルは3人1組で競い合うものとなっており、過去に5回行われている。

彼が「ダイキリ」というチームで参加したのは、第2回のチームバトル。当時東京で働いていた、かつてのサークルのメンバー二人とチームを組み、出場した。当人は、今考えると大阪から何人行っても良かったと語るが、今ほど「大喜利のための遠征」が当たり前では無かった時代だったので、一つのチームで出ることに落ち着いたらしい。

結果としては、3人とも大敗してしまうのだが、勝ち負け以前に印象に残っていることが数多くある。会場の東京から大阪に帰り、地元のメンバーに報告する中で、「回答席に黒い布が被せてあって、席番号がプリントされていた」など、大喜利をするうえでの環境面について語ったのを、Redは今でも覚えている。

「あと、パンフレットが当時からあって。まあ我々なんて誰も知らないので、(主催の)松澤さんも書き方に困ったでしょうけど、一応ちゃんと名前が書いてあって、『初出場でルールに対応できるかがカギとなる』みたいなことが書いてあって。個々を尊重しようというのは感じれたんですよ」

また、司会の橋本が、席の番号ではなく、チーム名で指名していたことからも、参加者一人一人を大切にしている様子が感じられた。

「今思えば当たり前のことかもしれないですけど、当時の我々からすると、認知してもらったというか。票数が入らないチームでも、ダイキリとして呼んでもらっている、認知してもらっているっていうのは、非常にありがたいことで、ここの部分を報告したのは凄く覚えています」

他に印象に残っているイベントといえば、天下一チームバトルから4ヶ月後に出場した「鴨川タッグフェス」。店長がかつて主催していた、「大喜利鴨川杯」という大会のタッグ戦である。「なんば紅鶴」という小さなライブハウスで行われていたが、タッグフェス独自の演出のクオリティや、インディーズながらイベントとして成立していたという観点からも、凄いなと思っていたという。

ここまで話して、「別に昔のイベントに捉われなくて良い」ということに気付き、2017年から始動した、「EOT」について語ってくれた。このインタビューシリーズでも何度も登場している、一日に70人の出場者が競い合う本大会に、Redは3回出場している。また、タッグ戦である第4章にノディと出場し、予選を突破した経験もある。

「音楽、雰囲気、ルール…あと解説陣。何が良いって上手く言えないんですけど、作り出す全てが凄く良いと思ってますね」

また、きっちり半日でイベントを終わらせるスケジュール管理の部分や、加点式である予選は絶対評価であることから、「次は何点取ろう」のように、目標を立てやすいことからも、「よく考えられている仕組み」「凄いと言わざるを得ない」と、褒める箇所を探すと、枚挙に暇がない。

「(主催の)羊狩りさんやoさんが『天下一みたいな大会を始めた』みたいな言い方をされてましたけど、動機はそうかもしれないんですが、別の道で確固たるものを確立したと言って良いんじゃないですかね。僕は少なくともそんな、似たものが付いてきたみたいな目では見てないです。プレイヤーの自分にとってはナンバーワンの大会なので」

任された大役

2023年現在、誰でも出られる生大喜利の大会では国内最大の規模を誇る「大喜利天下一武道会」の主催を務めるRed。彼が主催になったのは第16回からだが、ここからは、主催を引き受けた経緯について訊いてみる。

第15回の天下一が終わったのが、2014年の1月。毎年年末の時期に予選を行い、年が明けてから本戦というスケジュールで動いていたので、「2014年も年末に予選があるのだろうな」と、多くのプレイヤーがなんとなくそう思っていた。

そんな折、2014年の夏頃、天下一が休止するという情報が、突然公式から発信された。

再び運営が動き出すのは、2016年5月。この時Redは、大阪府立大学の学園祭で、大喜利イベントを開いていた。これは、ダイキリとして毎年行っていた恒例の活動である。

その時のイベント参加者であり、天下一本戦進出経験者でもあるベテランプレイヤー・キルヒホッフから、イベント終了後にちょっと話があるとRedに告げた。その時点では、大掛かりな話ではないだろうと勝手に想像していた。

ただ、その場には他にもスタッフとして参加していた関西のプレイヤーもいたのだが、その面々には席を外してもらうようにとキルヒホッフから言われた。この時彼は、その真意までは分からなかった。

大学の教室で、キルヒホッフにその時言われたことを端的に説明すると「大喜利天下一武道会の主催の松澤が、大会の運営をダイキリに引き継ぎたいと言っている」とのことだった。

「当然、全く予想に無かったです。そもそも『関東の大会でしょ?』みたいな所もあって、まさかそんな話が来るとは1ミリも思っていない。多分、今俺が(広島在住の)J.ナカノさんに『引き継ぎませんか?』っていうくらいの衝撃度だと思ってください」

なるほど。腑に落ちる。

引き継ぎたいと言われた理由は、明確には分からなかったが、おそらくダイキリが組織化された大喜利団体で、複数人で大喜利イベントを回していたからではないかとRedは推測する。

少なくともネガティブな話ではないと思ったが、その場では二つ返事で承諾とはならず、引継ぎはいったん先送りになる。

ただ、「天下一の運営を任せたいと言われた」という事実は、その後も彼の頭の中で残り続けた。最終的に、2017年の秋、主催を引き受けることを決めて、松澤にその旨を伝えた。これが、Redが大喜利天下一武道会の主催となった、ざっくりとした経緯である。

第16回を開催して

2018年の4月、天下一復活のアナウンスを行う。その年の年末に大阪予選、翌年の1月に東京予選、2月に本戦を行うことが、大々的に発表された。

実際に業務を引き継いで、大阪予選・東京予選・本戦のスケジュールを数ヶ月単位でこなしてみた結果、手元に残ったのは「あまり上手くいった感触がない」という感想だった。出場者の大喜利は、言うまでもなく素晴らしかったが、運営としてはオおきなカダいが残った。

「めちゃめちゃダメって言うほどじゃないですけど…大学の成績(優・良・可・不可)で言ったらギリ「可」。まあ単位は出すけど…みたいな。そんな感覚でしたね」

主催を引き継いだ初回である第16回。スケジュールを始め、あらゆる部分において、第15回以前の形式を踏襲する所から始めた。過去を真似ることで上手くいく部分もあるものの、5年間で大喜利の界隈の空気も変わっており、真似るだけではスムーズにいかない箇所も出てくる。

「東京予選の2日間終わって、軽い打ち上げみたいなのがあった時に、誰かが僕見て『ようやくRedさんがRedさんの表情になった』って言ってて(笑)俺二日間どんな顔してたのと思って。だから多分ガチガチやったんでしょうね」

とはいえ、大会が失敗に終わったかと言われたらそうではなく、出場者や観戦者に、それなりに楽しんでもらえたのではないかというのが、当時を振り返っての自己評価である。

上記の通り、第16回の優勝者は鉛のような銀。彼についてはどんな印象を持っていたのか。

「昔のスタイルから変わられたなと思いました。ご一緒した機会は限られるのですが、第15回東京予選では、頭の上の高さに、比較的短い回答を書いたボードをひゅっと出してひゅっと下げる感じだった印象があります。第16回はとても自分には真似できない回答に重みも加わっていて、凄いとしか言いようがなかったですね」

環境が変わってからの第17回

その後、第17回が行われたのは、2022年の下半期から。2020年10月の段階で、開催すること自体は発表されていたが、コロナ渦ということもあり、延期に延期を重ねる事態となってしまった。

「第17回」という正式なナンバリングをしている以上、「無観客」「オンライン」などといった、イレギュラーな形は「ちょっと想像できなかった」とのこと。思えば、2020年の頃は、イベントごとは「密集を避ける」などの対策が当たり前になっていた。大喜利会などのイベントも、全員が最良の形を模索している時期だった。

同じく天下一も、一番安全な形での開催を目指していた。まず出場者及びスタッフのマスクの着用は必須。マイクの消毒をブロックごとに行い、出場者には席に着く前に手を消毒してもらう。会場も、今まで東京予選で使用していたライブハウス「StudioK」から、ホールである「座・高円寺2」に変更といった具合に、対策を一つずつ決めていった。

情勢は最後まで読めなかったが、世間に目を向けると、例えばプロ野球などは2022シーズンは、席間隔を空けずに詰めて観戦できるというニュースを知った。これを受けて「出来そうにないかも」といった不安要素は少しずつ消えていった。

そして、ようやく実施された第17回の予選。印象深かったことを訊いてみる。

「まずはやっぱりエントリーですかね。これはミスったことでもあるんですが(笑)大きく目測を外しましたね…」

天下一の参加可能人数は、第15回から変えていない。第15回と第16回は、枠が全て埋まらず、参加可能人数より50人程度少ない状態で行っていた。

「でもまあ最近、東京の方ではボケルバとかが盛り上がってるから、まあこの50は埋まってくれって思いながら、エントリー開始したら『あれあれ?』って(笑)『嘘でしょ』みたいな」

想像を超えたエントリー数、枠が埋まる速さに、驚くしかなかった。ちなみに、そのエントリーした人数の半分以上が、天下一初出場のプレイヤー。そのことに関して、こんな言葉が聞けた。

「昔は、本当に『今日初めてなんだろうな』っていう人もいたんですよ。で、初めてっていうことが分かってしまうというか。端的に言ったら、慣れてないんだろうなみたいな方も多くいて。今回は初出場の人も、経験者の人と遜色ないというか。こっちから見ると『皆すげえなあ』みたいな」

さらに、初出場組が躍進するだけではなく、複数回出場しているベテラン達も、昔から変わらぬ強さを見せた。それが、予選全体を通してRedが感じた印象だった。

「全員がフルパワーでぶつかったなあっていうのは、大会通じてびっくりしたし、楽しませてもらったしって感じですね」

本戦が行われたのは、2023年1月29日。予選を通過した32名と、前回大会で優秀な成績を収めた4名、合わせて36名が競い合い、結果としては、前述の通り、鉛のような銀の連覇で幕を閉じた。

「正直言うと、連覇って予想してなかったですね。まあ予想って何だって話ですけど(笑)『新しい王者が出る』っていう勝手な先入観に囚われていて、連覇っていう選択肢を忘れてたっていう感じに近いですね」

結果が発表された瞬間、Redは思わず「そんなことが…!」と声を漏らしていたことからも、連覇は予想外だったことがわかる。ただ、当日の鉛のような銀の大喜利の出来を考えると、認めざるを得ない結果だろう。

この人に驚いた

ここからは共通の質問。「この人面白いな」「この人の大喜利好きだな」と感じる人物を挙げてもらう。もちろん、天下一に出ていなくても良い。

「まあでも、まずはノディかなあ…(笑)」

ダイキリのメンバーでもあり、現在の天下一の運営にも関わっているノディ。書くのが遅れたが、Redとは元々出身大学が同じである。つまり、1個上の先輩が立ち上げたサークルの頃からの繋がりがある。Redとノディは、タッグ戦だったEOT第4章に出場し、本戦に進出している。ちなみにノディは、個人戦のEOTでもベスト4に残るなど、個人での実績も充分。

同じサークルだったこともあり、必然的にノディとは同じお題に答えることも多かった。

「そんな答え出すか!みたいな。でも、めちゃめちゃぶっ飛んだ、突飛なことでも無いんですよね。自分も時間をかければ、たどり着きそうな、手が届きそうな回答ではあるんですけど。でも実際には出せないんですよね。少なくとも何分とかでは届かないような。それを一番食らってますよね」

他に凄いと思ったプレイヤーを訊いてみると、第16回の天下一で準優勝という成績を残した店長の名前が挙がった。Redは生大喜利を始めた頃から、店長の大喜利を見ていることになる。

「決して、絶対浮かばないだろっていうことも無いんですよね。自分でも何日か掛ければ、類似した所にはたどり着けるかもしれないけど、そこに店長さんがたどり着くまでの速さというか」

プレイヤーとしても、主催としても、昔から一目置かれた存在だった店長。今は東京に住んでいるが、「関西では別格の存在」だった。

話を聞いていると、「ぶっ飛んでいるわけではないが、自分には簡単にたどり着けない回答」を出すプレイヤーに惹かれるらしい。同じ理由で、六角電波、木曜屋、冬の鬼も、憧れの対象である。

ちなみに、天下一の予選で面白い人物を数多く見てきたため、「凄いと思ったプレイヤーは、誇張なしで100人くらい羅列できる」とのこと。

今後の展望

「個人では、全然(大喜利イベントに)出れてないですからね、シンプルに」

これまでのプレイヤー同様、最後に今後の展望を語ってもらう。彼は、コロナや転勤など、様々な要因が重なって、平日の夜に大阪で行われているような大喜利会に出れていない、満足に大喜利が出来ていないのが現状らしい。さらに、天下一の運営に加わったことにより、まとまった時間が取りにくくなったそうだ。

「個人としてはこれは良くないし、天下一をやってて、主催者があんまりやってないっていうのも…必ずしも悪くはないかもしれないですけど、僕としてはちょっとなっていう所があります」

また、天下一の予選に出ている面白く新しい人達を、「完全に見上げている」自分がいたことに気が付いたという。

「自分より先行ってるぐらいの感じで、全員のことを見ちゃっているので、せめて追いつかないとなあっていう所ですね(笑)自分自身の力も、まだまだ伸ばしたいです」

おわりに

余談も含んだ、およそ3時間の取材が終わった。

印象的だったのは「エントリーが一気に埋まったのは、日頃から大喜利会を開いて、新たなプレイヤーを増やしている人達のおかげ」という旨の発言。天下一が盛り上がっているのは、Redや成績優秀者のみの力だけによるものではない。

今回の取材で、Redの大喜利のルーツや、主催に至るまでの経緯を知ることが出来た。プレイヤーとしての自分に満足していないということを話していたが、彼が時間をカケ、フらっと会に現れても、特に何も気にせずに大喜利を見て欲しいと思う。

ちなみに、第18回の天下一に関しては、何も決まっていないらしいが、また開催されたら、私もまた出場して、全員で盛り上げていきたいと勝手に思っている。誰も蚊ヤノ外にしない、それが大喜利天下一武道会である。

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