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『記憶に残る廃村旅』(浅原昭生著)/廃村や集落を訪ねるということ

廃村を巡って40年。本書執筆中に、ついに探訪は1000カ所を超えた。うち多くを複数回訪問している。途方もない旅だ。

浅原さんのご活躍はかねてより存じていた。『廃村をゆく』『同 2』(イカロス出版)も拝見していた。オフロードバイクで訪問なさっているところも、個人的には親近感を憶えていた。また、浅原さんだけでなく、人が消えた集落や学校跡を探訪している方々も個人的にはフォローしている。

そんな折、浅原さんから本書の企画と見本原稿をいただいた。うち1本は、新潟県の角海浜だ。私の郷里の特異な地点だ。地域を二分した原発の計画地。『トラック野郎・度胸一番星』で、ジョーズが団結小屋に突っ込む、あれだ。ここが「初めて訪れた廃村」だったのか。そこを、1回行ってその記事を書いた…ということではなく、何度も訪問していて、その変化が記載してあった。そこに「厚み」を感じた。新潟の…というのは偶然で、企画決定には関係のないことだが、私も現地付近は年に何度も通る場所なので、より私が理解しやすかったのは確かだ。

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さて本書は、北海道から沖縄まで、50の「廃村」を探訪した記録だ。小説のように最初から順々に読む必要はなく、自分が関心を持つ地域から読み始てもらったほうが、親しみやすいだろう。その上で網羅的に全国各地の記事でその場所・その時に著者が考えたこと・感じたことの記述を読めば、自分でもさまざまな考察に至るに違いない。そして、「ここに行ってみたい」と思う場所がいくつも出てくるに違いない。

浅原さんは前書きで「本書は『旅』がテーマ」と書いている。その「旅」の意味は、本書を読んでいただければ、その一言に託した思いを感じるはずだ。浅原さんの思いと旅の記録はそれぞれのページに散りばめられている。掲載した50の集落は北から南に並んでいて、時系列ではない。しかし、著者にとって…いや、誰にとっても、旅は時系列だ。40年にわたる歳月が、そのときどきの気持ちとして織り込まれている。読者自身も、旅をするときにはそのときどきの気持ちが混ざり込むはずだ。著者の主観のある記述は、旅の本の大切な要素だと思う。

本書では、集落があった当時とその後の地形図を掲載している。それらから何を読み取るかは読者それぞれ。地図も、旅の大きなきっかけとなる。わずか5cm四方くらいの地図だが、WEBサイトで見られる地図ではない。丹念に読み込んで、いろいろな発見をしてほしいし、それを現地に確かめに行ってほしいと思う。

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個人的には、初めて「廃村」を意識してそこに行ってみようと思ったのは、1997年6月7日、長野県の大平(おおだいら)だった。昭文社の『2輪車ツーリングマップ関東』に「廃村跡」という記述を見つけ、行ってみたのだ。うっすらとした記憶だが、無住ではあるが整備されていた。たしか、そこで宿泊できたと思う。大平は、本書でも掲載している。

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「木曽見茶屋」という茶屋があったので五平餅を食べた写真が残っている。いま検索すると、2014年にいったん閉鎖され、2年後に復活し、またいまは閉鎖されているようだ。

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このときは、そのまま大鹿村の鳥倉山で友人たちと合流、キャンプした。その割に荷物が少ないのは、着替えなどはもっていないからだ。そのころは月2で鳥倉山に集まっていた。

これ以前でも、林道ツーリングでは山間部に分け入ることから、あるいは北海道ツーリングなどでは炭鉱跡地などもめぐっていたことから、各地で家屋の土台の石垣だけが残っているような光景は見ていた。ただ、「廃村だから行ってみよう」と意識したのは、ここ大平が最初だった。

廃線跡や廃道、酷道などを訪ねるとき、いつも「廃村」はすぐ隣にある。最近は、人が少ないだろう集落を見るたびに、いつまでこの光景があるのか、10年後はどうなっているのか、などを思ってしまう。先日も国道425号の「奥地」に、ポツンと1軒だけ、人が住んでいる家があった。そこに人がいれば話をうかがいたいが、なかなかそんな機会はない。その点、浅原さんは現地で多くの人に話しかけ、なおかつ、いまも交流があったりする。これは、浅原さんならではのことだ。本書には、そんな記録が詰まっている。

本書は、50の集落しか収録できていない。ぜひ、浅原さんのサイトも訪れ、関心のある地域の記事を読んでほしい。そして、現地を訪ねてほしいと思う。

http://www.din.or.jp/~heyaneko/





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