ヴァンフォーレ甲府in国立競技場

転勤族の私は、いろいろな土地に行かせてもらった。故郷の平塚(神奈川)を離れ、1都1府6県。転職先も含めれば+2県。県跨ぎの転勤など好む者は少ないと思うが、私は【行かせてもらった】と言うほど転勤を楽しんだ。

そこそこ土地勘はついたと思うし、知人(友人)もたくさんできた。美味しい物は、そこまで食べてはいない。

そのうち各土地について記す事があると思うが、今回は甲府の事について記したい。

お店の店長として赴任したのは、2003年2月。最初は7ヶ月ほどだった。一度東京に戻った後、再び甲府に帰ってきたのは、2004年10月。そこから3年間、甲府に居座ることになった。合わせて3年7ヶ月。

Jリーグは開幕の1993年から見ていた。翌年に地元のベルマーレ平塚(現  湘南ベルマーレ)が参入してからは、地元チームを応援し、何度もスタジアムに足を運んだ。2001年に飲食店に勤務してからは、土日開催のサッカーの試合には、当然観戦する事も出来ず。また地元から転勤した事もあり、スタジアム観戦はもちろん、チームの成績を追うこともしなくなった。ただ、年末に『今年もベルマーレは勝てなかったね』と思う程度にまで関心は落ちた。

そんな2005年に、私の店に1人の男性が訪れた。客と言うよりは、営業マンが店長の私に会いに来たのだ。彼はヴァンフォーレ甲府の営業の方だった。スポンサーになって欲しいとの事だった。Jリーグには様々なスポンサーがある。ユニフォームに社名を入れる規模もあれば、スタジアム内の看板や、来場者に配布する冊子に記載する程度の物もある。ただ、私の勤務先は全国規模で展開するチェーン店だったので、個別店舗での対応はできないと最終的には断る事になってしまったが、それからはヴァンフォーレ甲府の成績を気にする事になった。

2005年。ヴァンフォーレ甲府は快進撃を起こす。その年に監督に復帰した大木武(現  ロアッソ熊本監督)が手腕を発揮し勝利を積み重ねる。また試合に勝利をした日の夜には、私の店にチームで来店した事も何度もあった。私だけでなく、店で働くアルバイトさん達も、ヴァンフォーレ甲府を好きになった。その年、ヴァンフォーレ甲府は3位でフィニッシュ。柏レイソルとの入替え戦にも勝利し、初めてのJ1リーグに昇格する事になる。

それ以後、私はヴァンフォーレ甲府が気になって仕方がない。地元の湘南ベルマーレ同様に、常に気になる存在だ。そして昨年、ヴァンフォーレ甲府は天皇杯に優勝し、アジアのチャンピオンチーム達と戦う【アジア  チャンピオンズ・リーグ】(以下ACL)に出場する事になった。

2003年11月29日。ヴァンフォーレ甲府は、【メルボルン・シティFC】と国立競技場で対戦する。私は仕事だが、定時であがり国立競技場に向かっている。翌日は休みをとったので、仕事を忘れて没頭するつもりだ。初めてのヴァンフォーレ甲府の試合観戦。甲府を離れて16年。いざ参らん!

新しくなった国立競技場

本来、サッカーと言うものはホームスタジアムで行なうものだが、ヴァンフォーレ甲府のホームスタジアムは、ACLの開催基準に満たしていないとの事で、国立競技場をホームスタジアムとして試合する事になった。

基本的にACLの試合は平日にある。平日に甲府から国立競技場まで来ないとならないのは大変だ。ただでさえ遠いのに、電車でも最短で2時間かかる。翌日の会社はみんなどうするんだろう。

しかし、ヴァンフォーレ甲府はとんでもない企画を思いついた。なんと他サポさん大歓迎を謳ったのだ。つまり、ヴァンフォーレ甲府のサポーターだけでなく、他のチームを応援するサポーターさんも応援して欲しいと呼びかけた。これに他サポさんが反応。毎試合1万人を超える観客がかけつけ、国立競技場での3試合めとなったメルボルン戦には15000人を超えるヴァンフォーレ甲府とJリーグのサポーターが集まった。

平日にコレよ。ちなみにメルボルンの
サポーターは30人もいなかった。

凄い!
試合は一進一退の攻防。
メルボルン先制→甲府追いつく→甲府逆転→メルボルン追いつく→メルボルン逆転…
何この面白い試合。しかしヴァンフォーレとJリーグのサポーターが後押し…
残り5分で再び甲府が追いついた!

タイムアップ

しかし…ここで試合終了。
まさに死闘でした。

サポーターに挨拶

グループリーグはあと1試合。ヴァンフォーレは12月にタイに飛びます。何とかグループリーグを突破して欲しい。

ヴァンフォーレ甲府の選手、サポーターのみなさんお疲れ様でした。日本の代表として頑張ってください。

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